第103話 体得
「んあッ!」
出鱈目な暴力を受けた〈紫月〉が出鱈目な勢いで弾かれる。
殺し合いの
骨に響く
シルティはぶっ飛ばされた勢いに逆らわず一度地面に倒れ込んだ。縦に回転する身体を丸めて流れを作りつつ、無事な左手を用いて跳ね起きる。肩が痛い。つまり、死なずに済んだ。だが残念なことに、跳んだ方向があまりよくない。
先んじて魔術『
もちろん、これらの飛鱗が
その直後、
それどころか、影響範囲内に収まっていると思しき地面が、深々と
(ぅおっ!?)
あまりにも馬鹿げた重圧。視界の端で見れば、先ほどまでシルティがいた地点、
柔らかい湿地や砂地ならばともかく、猩猩の森の土壌はそれなりに緻密である。これを広々と陥没させる重圧。シルティには到底実現できない暴力だ。
しかも恐らく、まだまだ本気ではない。
つまり、出会い頭にシルティが喰らった最初の『視経制圧』は、腫れものに触れるが如く手加減されていたということだ。最初からこの重さで潰されていれば、シルティは無様にも地面に這いつくばり、立ち上がることすらできなかっただろう。
シルティは挽肉や魚のすり身なども美味しくて大好きなのだが……どうやら
シルティは残る全ての飛鱗を吐き出し、
見たところ『視経制圧』の効果範囲はかなり広く、注視点だけでなく
立ち並ぶ木々を二重三重の障害物として、シルティはひとまず猶予を生み出したと思い込んだ。
(かっ……こいい!!)
流石は竜。出鱈目すぎる。めちゃくちゃ強い。かっこいい。
はっ。はっ。短く強く空気を摂取しながら、シルティは右腕を検めた。
ところどころに筋肉が切れているような痛みがあるとはいえ、幸いなことに腕はくっついている。手首と肘も辛うじて無事だ。だが、肩がぶらぶらと頼りなくなってしまった。感覚からして骨折はしていないが、整復しなければまともには動かせない。
「うひひひ……」
超越的な暴力を味わい、ついつい唇が緩んでしまう。
壊れたのは肩だけ。〈紫月〉は無事だ。愛する〈紫月〉は竜の一撃を見事に凌いでくれた。誇らしくて堪らない。
シルティはすぐさま身を隠している樹幹に左肘を付き、腰から身体を前屈させ、頭と、脱臼した右腕をだらんと下垂させた。握り締めた〈紫月〉を
肩関節を支える
素早く肩を回す。違和感なし。
素早く目を拭う。視界は良好。
よし。
と、安心したのも束の間。
身体を貫いた嫌な予感に従い、シルティはその場を全力で離脱した。
直後、障害物としていた太い木々たちが勢いよく
シルティも
瞬間、シルティの視界が虹色に揺らめく。
「ひひっ!」
引き攣ったような笑いを響かせながら、シルティは〈紫月〉を真っ直ぐに振るった。
形相切断。
確信に満たされた唐竹割りは、
「はあっ……はっ……はあぁ……はぁぅ……」
最強種の魔法を二度も無力化した蛮族の少女は、頬を上気させ、恍惚とした笑みを浮かべ、湿度の高い吐息を漏らしていた。
対する
先ほどまでと違い、その視線には警戒と殺意の色が表れていた。
(竜が、竜が、私を、
この
二度も魔法『
そんな
「うふっ……んふふふふふ……!」
シルティはその視線を、竜から敵と認められた
涎を垂らさんばかりの表情を浮かべながら〈紫月〉を上段に構え、左足を前に、腰を少し落とす。
さすがの竜といえど、あそこは弱いらしい。
ならば。
(殺せるッ!!)
全身にやる気を滾らせ、シルティは真正面から全力で踏み込んだ。
愚直に突進する
シルティの周囲が虹色を帯びる。
精霊の目を全開にし、物質の目を爛々と輝かせながら、シルティは笑った。
本当に楽しすぎる。
今はもう、なにをしても失敗する気がしない。
形相切断。
断定を帯びたシルティの右袈裟が、『視経制圧』の領域をまたもやすぱりと斬り開く。
「あっははははッ!」
シルティは腹の底から大笑した。さっきから笑い過ぎて酸欠気味だ。だが、骨髄の奥から溢れるような歓喜は止められない。
高みに至った。極意を掴んだ。完全に体得した。
今ならきっと、百回やって百回斬れる。奇跡の斬術が己の当然に変わったという確信があるのだ。
右袈裟の慣性を左脚へと流し、爆発的な加速を得てさらに突進する。
シルティの
生意気な獲物に向かって、こちらも、真正面からの突進。
(ぉおっ)
引き伸ばされた時間感覚の中、シルティは心の底から感動した。
さすがは竜だ。もはや気持ち悪いほどに速い。
シルティからすればやや短くも見えるその四肢で、シルティからすればやや不格好にも見えるその走行姿勢で、だがしかしシルティの踏み込み速度を遥かに上回っていた。
直線速度では完全に負けている。距離を取ればすぐさま死ぬ。
単純筋力でも完全に負けている。下手に受ければ簡単に死ぬ。
唯一、シルティが竜にも負けていないと信じられる己の性能。
それは、幼少の頃から
シルティの体内を巡る蛮勇なる血が、声高に主張していた。
世界最強の種に、私の身体の素晴らしさを見せてやれ。
己が磨き上げてきた、最も自信のある
私ならできる。
熱に浮かされたシルティが自らの血と才を妄信した直後、
速い。
顎の
私なら
シルティはさらに傲慢な笑顔を浮かべ、身体を捻りつつ左脚をするりと前へ伸ばした。爪先と
たったそれだけのことで、瞬間移動にも等しいシルティの突進は嘘のようにビタリと止まった。
前進により生まれた莫大な慣性を、柔軟かつ屈強な体幹筋に
予備動作を完全に省略した、しかし全力の踏み込みが実現され、シルティの身体は直角に加速する。
最高速度から静止状態へ、停止状態から最高速度へ、瞬時の移行。
完璧な足運び。会心の重心操作。ここ数か月で最高のキレ。今のシルティは絶好調というほかない。
胸元を齧りにくる
耳障りな金属音が響く。
目に傷を負っても
その動きに僅かに遅れ、鞭のように
空気を破裂させながら襲い来る先端。音より速いその凶器が、今のシルティには克明に目視できる。
主観時間に比べればムカつくほどに
私なら斬れる。
爛々と輝く目を見開き、
両手で握る〈紫月〉を立て、最も強い鍔元で、柔らかく、優しく、丁寧に
「んぬあッ!!」
筋骨を粉砕し貫通する容赦ない衝撃。眼窩の奥から火花が散った。
関節の屈曲ではとても吸収し切れない。息を止めて覚悟して万全の体勢で迎え入れたというのに、肺腑が無残にも押し潰され、流出した空気が声帯を揺らし、シルティの意思に反して奇妙な音を鳴らす。
巨大な竜巻を小さく凝縮したかのような
本当に、常識外としか言いようのない、ふざけた暴力だった。
だがそれは、シルティの想定外では、決してなかった。
引き伸ばされた主観時間の中、シルティは予定通りに両脚を脱力し、沈身と共に刀身を寝かせた。同時に両掌を固く握り絞め、〈紫月〉を持って行かれないように全力で保持する。
筋骨を壊しながらも実現した優しい接触、そしてそれに続く超常的に滑らかな角度調整と力加減。
相手の筋力と〈紫月〉の刀身を余すことなく注ぎ込んだ、撫で斬りの極致。
研ぎ澄まされた鋸折紫檀の刃が竜の鱗をつぴりと斬り裂き、内部に収められていたギチギチの筋肉へと潜り込んだ。それを
ざぱ。
鱗を斬り裂き筋肉を露出させる極限の鋭さ、そして奇跡のようなタイミングで付け加えられた
間髪入れずに身体を翻し、シルティは竜を追う。
尾の先端を拳一つ分だけ斬り飛ばされ、断面から勢いよく噴出する
ちょうど、顔面の高さに一塊ある。
シルティは
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