第100話 妹用〈冬眠胃袋〉



 槐樹かいじゅのエアルリンから請けた仕事を終え、その翌日。

 港湾都市アルベニセにある魔道具専門店『ジジイの店』にて。


「レヴィン、かっこいい!」


 シルティはレヴィンを褒め殺しにしていた。

 レヴィンは洞毛ヒゲをピクピクと動かしながらそっぽを向いている。

 近頃のレヴィンはちょっと難しい年頃のようだ。褒めた時、素直に甘えてくることもあれば、照れてそっぽを向いたり、お澄まし顔で何でもないように振る舞ったり。

 傾向としては『頬擦亭』の自室に居る時には甘えることが多く、シルティ以外の目がある時はそっぽを向くことが多く、狩りや魔法の腕を褒めるとお澄まし顔をすることが多いのだが、結局のところシルティからすれば全て微笑ましいだけである。


「どう? お腹とか肩とか、キツくない?」


 ヴォゥン。そっぽを向きつつも、レヴィンは肯定の唸り声を上げた。

 今、レヴィンの胴体には頑丈な幅広ベルトの束――ハーネスが巻き付けてあり、背中には灰色でやや扁平な形をした箱型の鞄が乗せられている。

 新品の冷蔵用魔道具、〈冬眠胃袋〉だ。

 基本的に〈冬眠胃袋〉は人類種の身体に合わせて作られるものだが、駄獣だじゅう(背中に荷を乗せて運ばせる動物)が使いやすいよう、四足歩行用に調整されたものもある。ちょうど一か月ほど前、シルティは『爺の店』の店主ヴィンダヴルにレヴィン用の〈冬眠胃袋〉を注文していた。それが完成したとの連絡を貰ったので、早速受け取りに来たのだ。

 エアルリンは鷲蜂の死骸だけでなく、形相切断と霊覚器を併用した女王蜂捕獲方法についても高い値段を付けてくれたため、即金で払える。さらなる円滑な狩猟のためにはどうしても必要な装備だ。金を惜しむつもりはない。


 現物は既にレヴィンとの血縁を結び、土食鳥つちくいドリの魔法『熱喰ねつばみ』が問題なく再現されることを確認済みだ。

 ちなみに、四足歩行用の〈冬眠胃袋〉は収納部の脱着機構が省かれることもあるのだが、自身も戦闘を行なうレヴィンの場合は必須の機能である。右頸部を通るベルトにしっかりと機構が設けられており、前肢でこすれば操作できるようになっていた。上手くやれば魔法『珀晶生成』でも操作できるだろう。

 重心は少し前寄りで、肩甲骨付近だ。育ち盛りのレヴィンだからきっとすぐに身体に合わなくなってしまうが、こればかりは仕方がない。その場合は楔点せってん朱璃しゅりを液状化させて取り除き、下取りに出してもう少し大きいものを買い直すつもりである。

 内容量はシルティが背負うものと比べて一割増し程度の大きさ。ただ、レヴィンの身体能力増強はまだまだ未熟なため、生肉で満杯にすると素早い身動きはできなくなってしまうだろう。シルティたちの運搬能力が単純に二倍になったとは言えないが、それでも雷銀熊らいぎんグマの頭部を二つ三つぐらいは楽勝で運べるはずである。


 レヴィンは店内をのしのしと歩き回り、その場でびよんと垂直跳びをしたり、反復横跳びのような動きを見せてみたり、ゆっくりと横になってみたり、毛繕いグルーミングを始めたりと、忙しなく動きを確認している。今後、狩猟中は常にこの魔道具を身に着けることになるのだ。しっかりと身体に馴染ませておかなければならないと、レヴィンも理解しているのだろう。


「しっかし、なんつうかよぉ……改めてっと、でかくなったよなぁ」


 ヴィンダヴルは鉱人ドワーフ特有の豊かな顎髭をもしゃもしゃと揉みながら感慨深げに呟いた。目線の先には背中の〈冬眠胃袋〉を敷布団代わりにして仰向けに寝転がるレヴィンの姿がある。

 この鉱人ドワーフジジイがレヴィンを初めて見たのは七十日ほど前のこと。当時は肩の高さがシルティの鼠蹊部ほどで、『ギリギリで大型犬の範疇に含められなくもない』といった大きさだったレヴィンだが、今では肩の高さはシルティのへそを越え、鳩尾みぞおちにまで達そうとしている。後肢で立ち上がればシルティの頭部を余裕で胸に抱え込めるほどの体格だ。でかくなったと言われるのも納得の成長具合である。


「ふふ。この仔、出会ったときはこんなだったんですよ」


 出会った当初のレヴィンはシルティが片手で掴み上げられる程度の体格だった。シルティは懐かしみながら、両手で大きさを示して見せる。


「ガリガリに痩せてましたし、ここまで無事に育ってくれて嬉しいです」

「だなぁ。……そういや嬢ちゃん、なにがどうなって琥珀豹を拾うことになったんだ? って、これ聞いていいやつか?」


 シルティはヴィンダヴルに対し『乗っていた船が沈没、陸地に漂着したのち、木刀作って魔物ぶった斬りながらアルベニセに辿り着いた』くらいの雑な経緯しか説明していない。というのも、ヴィンダヴルと出会った当時はまだ朋獣認定試験を受ける前だったため、琥珀豹を連れていることを秘密にしていたからだ。その後、経緯を説明する機会のないまま今日こんにちに至ってしまった。

 今となっては秘密にするようなことではない。


「大丈夫ですよ。もう……えーと、七か月半? くらい前のことですが、森の中で蒼猩猩を斬った後、レヴィンの母親と出会いまして……」


 シルティは親豹との出会い、そしてレヴィンを託された経緯を大雑把に掻い摘んで語った。




 シルティが語り終えると。


 ぶヴィィィッ!!


 物凄い音を響かせ、ヴィンダヴルが手拭てぬぐいではなをかんだ。


「……すまん」

「い、いえ」


 その頬には涙がだぱだぱと豪快に滴り落ちている。


「この年齢としになっとよ。死に別れとか、そういうの、涙腺にガツンと来ちまうんだわ」


 照れ隠しなのか、ヴィンダヴルはドスンドスンと大袈裟な足音を立ててレヴィンに近寄り、その頭をがっしゃがっしゃと乱暴に撫で回した。

 年老いてもなお馬鹿げた筋力を感じさせる撫で回しに、筋肉信奉者レヴィンの目がきらきらと輝く。


「レヴィン、おめえは強えなぁ。そんなちっちぇえ時に母ちゃんと別れて、そんでも、立派に……クソがよぉ、鼻の穴がムズムズしやがる」


 ぶヴィィィィィッ!!


「……すまん」





 無事にレヴィン用の〈冬眠胃袋〉を入手したシルティは、そのまま新装備の慣らしを兼ねて狩りに向かうことにした。

 マルリルとの一回目の言語学習が七日後に控えているので、残念ながらあまり遠征はできない。となると、狙いは蒼猩猩あおショウジョウだ。

 二匹を仕留め、自分とレヴィンの〈冬眠胃袋〉に詰め込んで急いで帰還しよう。

 そう決めたシルティは、いつものように西門を経由して猩猩の森へと踏み入った。




 三日後。


 薄暗い森の中、血塗れの蒼猩猩が立ち尽くしている。

 喉の肉がごっそりと失われており、広くさらされた乱雑な断面から血液を垂れ流してた。

 鼻腔びくうくすぐる甘美な血の臭い。つまり、魔法『停留領域』が途切れている。つまり、死んでいる。

 立ち往生した蒼猩猩のかたわら、ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返すのはレヴィンだ。口元が真っ赤に汚れており、蒼猩猩に致命傷を与えたのがその牙だということを示していた。


「お見事」


 シルティの称賛を受け、レヴィンは低く唸り声を上げる。

 疲労が色濃く残っているものの、その表情はとても満足気だ。


「んふふふ。顎の力も強くなったねぇ」


 死骸を見れば明らかなように、今回の蒼猩猩の死因は窒息ではない。喉を大きく失ったことによる失血死である。

 いつものように樹上から強襲してきた蒼猩猩をかわし、隙を見て両腕と頭部を珀晶で拘束、間髪入れず跳び掛かり、両肩に鉤爪を食い込ませてしがみ付くと、柔らかい喉を強引に咬み千切ったのだ。シルティは手を貸していない。レヴィン単独の成果である。

 彼女の牙はとうとう魔物の毛皮を貫くに至ったのだ。

 筋肉を信奉し始めた影響も大いにあるだろう、ここ最近、レヴィンの瞬発力は素晴らしく伸びていた。


 レヴィンの口唇に貼り付いていた暗緑あお色の毛を指先で取り除きながら、シルティはレヴィンの顎下を優しく揉んで褒め称える。同時に、胴体に巻き付けているベルトの位置や張りテンションを確認。緩みはない。


「ハーネス、問題無さそうだね」


 レヴィンが肯定の唸り声を上げた。

 購入した当初は違和感を覚えていたようだが、三日も装着しっぱなしでいれば嫌でも慣れるというもの。今ではこうして戦闘行為も問題なく熟せるようになっている。

 シルティの分の〈冬眠胃袋〉には既に蒼猩猩が収納されているので、あとは港湾都市アルベニセへ帰るだけだ。


「よしよし。じゃ、バラすからちょっと待っててね」


 シルティの声を聞き、レヴィンは蒼猩猩の死骸から離れて地面に寝転がった。前肢を舐め、顔を拭い、前肢を舐め、顔を拭う。赤く汚れていた口元や洞毛ヒゲが見る見るうちに綺麗になっていく。

 安心し切った様子で顔を洗っているレヴィンに和みつつ、シルティは〈紫月〉で蒼猩猩の不要部位(四肢と尻尾)を切断した。〈冬眠胃袋〉に詰め込みやすいよう、千切れかけの首も改めて切断する。

 分離した頭部を持ち上げ、保護者としての目ではなく、狩猟者としての目で検めた。


(んー……んん、ん。まぁ、しょうがないか)


 シルティが首を刎ねた場合に比べると断面が酷く損壊している。残念ながら売値はかなり落ちてしまうだろう。単純に売り物として考えるなら、かつてのように拘束して窒息させた方がずっといい。

 しかし、より重視すべきはレヴィンの将来だ。

 まずは売値など考えず、好きに腕を磨かせてあげよう、とシルティは決めた。


 しばらく待ち、血が抜けた胴体と頭部を〈冬眠胃袋〉へ詰め込む。四肢と尻尾を除いたとはいえ、やはり蒼猩猩は巨体であり、相応に重い。伏せた体勢のレヴィンの背にゆっくりと乗せ、脱着機構を操作し、ハーネスと収納部がしっかりと接続されたことを確認する。


「いけそう?」


 回答する代わりに、レヴィンは力強く立ち上がった。しっかりと地面を踏み締め、ふらつく様子もない。


「おっ。さっすがレヴィン。でも、疲れたらちゃんと言うんだよ?」


 ただ歩く場合と重い荷物を背負って歩く場合とでは、疲労の溜まり方も疲労の溜まる筋肉も大きく異なる。不慣れなレヴィンでは己の限界を正確に見積もれないだろう。

 現在地から港湾都市アルベニセまで普段のシルティたちならば二日ほどの距離。幸いにして日程に余裕はある。休憩を多めに取りながらのんびりと帰還することにした。


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