第99話 特殊技能



 翌々日。

 港湾都市アルベニセにある魔術研究所、『槐樹かいじゅ研究所』の応接室にて。


「多分これ女王蜂です」


 シルティが得意気な顔で取り出した巨大な鷲蜂わしバチの死骸を前に、槐樹かいじゅのエアルリンは動きを止めた。


「……すまん、もっかい言って?」

「多分これ女王蜂です!」


 エアルリンは鷲蜂の女王蜂など見たこともない。慎重に手を伸ばし、ローテーブルに置かれた鷲蜂をまみ上げ、めつすがめつ観察する。

 確かに、シルティが提出した別の五十四匹の鷲蜂と比べ、一回り、いや二回りも巨体だ。


「……どうやったんだ? 良い方法があるなら教えてくれ。情報料は払う」


 魔術研究者の間では、鷲蜂の魔法の秘密は女王蜂にある、という説が有力視されていた。

 真社会性の虫類魔物では生殖を担う個体のみが魔法を宿しているという例が散見されること、そして鷲蜂の働き蜂をいくら調べても魔法に関係しそうな部位が全く見当たらないことからの類推である。しかしながら、どういう理由なのか鷲蜂たちは女王を自分たちで殺してしまう。研究は遅遅として進まなかった。

 もしも安定して女王蜂を得られるような方法があるならば、鷲蜂の研究効率は飛躍的に向上するだろう。


「んふふ。エアルリンさん、形相切断けいそうせつだんって知ってます?」

「……おう。なんかあれだろ、魔法とか火とか斬れるっていう、イカれた剣術」


 厳密に言えば、形相切断は『魔法や火』を斬れる剣術ではなく、『当人がしっかりと認識でき、かつ、主観的に充分に柔らかいと思えるもの』を斬れるようになるというである。


「私、それできるんですよね」

「マジか……」

「へへ。マジです」


 エアルリンはシルティの顔をまじまじと見た。


「シルティ、いくつだっけ?」

「えっ、年齢としですか? ちょっと前に十七歳になりました」

「十七歳……そんなのもう赤ちゃんじゃん……」

「いや、赤ちゃんではないですけど……」


 エアルリンの知識では、形相切断はこんな若い娘が易々と成し遂げられるような大人しい技ではない。何十年という研鑽の末に一握りの天才だけが辿り着く、人類種の技能の極致のはずだ。ここアルベニセはそれなりに規模の大きな都市だが、都市内を見回しても、形相切断に至った人材は数えるほどしかいなかった。

 エアルリンの知る限り、アルベニセの狩猟者の中ではかなりの上澄みに位置するマルリルですら、その剣は形相切断に至っていない。この少女は僅か十七歳にして、九十年も狩猟者生活をしているマルリルがいまだ立てぬ領域に到達しているということだ。

 身体能力の増強や武具強化などの生命力の作用に由来する技能は、人類種の中でも膨大な生命力を誇る嚼人グラトンが得意とする傾向があるとはいえ……まさか、たったの十七歳で。


「いやー、すげーな……天才ってやつか」

「んへへ。照れます」

「ひたすら尊敬する」

「ありがとうございます。まぁ、いつもできるわけじゃないんですけどね。今はまだ」

「……なるほど。マルリルが自信持って紹介するはずだなぁ」


 喉の渇きを覚えたエアルリンは、摘まんでいた女王蜂の死骸をローテーブルの上にそっと置き、代わりに摘まんだティーカップを口へ運んだ。


「……ヒーちゃん、紙くれ」

「こちらに」


 エアルリンが呼びかけるとほぼ同時、岑人フロレスの使用人ヒース・エリケイレスが天峰銅オリハルコンの触手をぬるりと伸ばす。その先端には白紙の挟まれた用箋挟バインダーとペンが掴まれていた。話の流れからエアルリンがメモ用紙を欲しがると予想していたらしい。気の利く使用人である。


「あんがと。……それでシルティ、形相切断でどうやったら女王蜂が獲れるんだ?」

「はい。最初は、普通に逃げながら斬ってたんですけど……」


 鷲蜂の群れから適度に逃げつつ、包囲されないように片っ端から斬り捨てていたこと。

 そのうち、群れの中に生命力らしき糸の重なりが見えるようになったこと。

 幼少の時分を思い出し、ついつい斬りたくなってしまったこと。

 斬ったこと。

 糸を斬ったら何故か鷲蜂たちが行動不能になったこと。

 巣を掘り返してみたら、中の鷲蜂たちも動いていなかったこと。

 そこに五体満足の女王蜂がいたので、簡単に頭部をぎ取れたこと。


 シルティは仕事の詳細を実に楽しそうに依頼主エアルリンへと語った。

 エアルリンはところどころで質問を飛ばしつつ、手元の白紙にガリガリとペンを走らせていく。


 なおそのかん、暇を持て余したレヴィンはヒースと静かにじゃれ合っていた。

 ヒースが自身の天峰銅オリハルコンを操作して造形した様々なモデルをレヴィンが珀晶で複製したり、逆にレヴィンが珀晶で作ったモデルをヒースが天峰銅オリハルコンで複製したり。精密造形の腕比べだ。無言ながらも互いに一歩も譲らぬ白熱した試合である。


「……なるほどな。……ぬんんんぅーん……」


 報告を聞き終えたエアルリンは用箋挟バインダーを胸に抱きつつ腕を組み、目を閉じ眉間に皺を寄せ悩ましげな唸り声を上げた。


「女王蜂を安定して獲れそうな方法が見つかったのはめちゃくちゃ喜ばしい。喜ばしいんだけどよ……」


 魔法の経路を斬るためには、甚大な苦痛に耐え切って霊覚器をその身に構築し、かつ形相切断に至れるほどの才覚と研鑽が必要だ。どちらか片方を備えるだけでも笑えるほどに稀少な人材だというのに、それを併せ持つとなれば。


「シルティ以外で同じ方法使える奴いんのかこれ」


 少なくとも、エアルリンの知る中ではシルティしか該当しない。


「んふふ。もしまた女王蜂が欲しくなったら、私が行ってきて斬りますよ」

「……そーだな。ま、春になるまで出ねーと思うけど、またどっかに巣ができたら頼むわ」

「是非っ!」


 若干の尻すぼみ感があったのは否めないが、なんだかんだで斬り放題はとても楽しかったので、シルティは輝く笑顔で快諾した。


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