第98話 予想外の結末



「んらッ!」


 短く鋭い気合いと共に、七十匹目の鷲蜂を右袈裟にぶった斬る。

 二枚の飛鱗をそれぞれ操作して七十一と七十二匹を散らし、間髪入れず後方へ跳躍。

 空中で左肩を前にした半身はんみになり、両脚を深く屈曲させつつ姿勢を制御。両手で握る〈紫月〉は右肩に担ぎ、峰を肩甲骨に添える。

 斜に構えた蹲踞そんきょの両足が地面を掴んだその瞬間、シルティの動きは完全に反転した。

 後方へ大きく跳躍して助走距離を確保、からの前方へ超速の踏み込み。究極的に鋭利な往復だ。刹那の間に馬鹿げた速度を獲得し、地を這うような低空姿勢で蜂雲に突っ込む。


(斬るッ!!)


 未来の断定と共に踏み出す最後の一歩は、殊更に力強く。

 轟音を響かせて地面を圧し砕き、直前までの慣性を嘘とするような瞬時の停止を実現する。

 足指、足首、膝、股間、腰、腹、あばら、胸、肩。

 行き場を失った制動エネルギーを、関節と筋肉を駆使して束ね上げ、会心の滑らかさで〈紫月うで〉へと流し込んだ。


「ふッ!!」


 鋭い呼気と共に振るわれるは神速の唐竹割り。

 形なきものを不合理に切断する超常の斬撃、形相切断けいそうせつだんの一刀。

 鉛直に落下する〈紫月〉の軌跡に沿って、二百匹の蜂から成る雲がだぷりと分かたれ、それぞれが不自然に纏まり、巨大な塊と化して左右に離別する。


「いぃぉッしッ!!」


 シルティは遠慮なく快哉を叫んだ。これで人生で二度目の形相切断だ。

 削磨狐みがきギツネとの甘い逢瀬を果たして以降、シルティは夜毎よごと焚き火や煙などの無形物に向かって数百回と〈紫月〉を振るってきたが、今日こんにちに至るまでただの一度も成功はなかった。だが、できた。できるという確信があった。

 やはり実戦。実戦こそがなによりもの糧である。

 少し間違えば死ぬという興奮がなければ、シルティの振るう刃はこの極みに到達できない。

 今は、まだ。


(次ッ)


 シルティは鷲蜂たちの群れをひとつの無形物雷雲として捉えていた。形相切断に至った〈紫月〉は、主人の主観にのっとり、傲慢にも雷雲の物性を是正する。つまり、ひと呼吸からふた呼吸ほどの間、雷雲鷲蜂たちは固体として

 二つの雲塊それぞれに含まれる鷲蜂たちは、まるで粘液の中に取り込まれたかのように空中で遅滞させられ、身体の自由を著しく奪われた。

 がむしゃらに翅を動かし、死にもの狂いで獲物シルティたかろうとしているが、しかしその闘争本能は叶わない。

 シルティの眼前にはぱっくりと斬り開かれた雷雲がある。左右の雲塊を繋ぐように伸びる無数の糸。適度に溶けたチーズを切開して押し広げたかのような、実に官能的な光景だ。


(これも斬るッ!!)


 超常の斬撃で生み出した自分だけの猶予を、シルティは贅沢にもに費やすことにした。

 かつて故郷で遊んでいた時のように純真無垢な気合いを込め、シルティは前に出した右脚を軸に身体を半回転、一歩踏み込みつつ〈紫月〉を切り返し、鉛直に駆け上がる逆風さかかぜを放つ。

 初太刀の軌跡をぴったりとさかのぼる二の太刀が、空中に引かれた無数の糸を容赦なくまとめて断ち斬った。


「ぁはははッ!」


 シルティはもはや笑いが止まらなかった。

 立て続けに、三度目の形相切断。いよいよ感覚を掴めてきたという自信がある。

 しかもこの三度目、ただの形相切断ではない。生命力を精細に目視できる精霊の目が無ければ絶対に成しない斬術の極致。不可視であるはずの魔法のの切断だ。物理的に触れることのできない生命力の糸だというのに、プツプツという小気味のいい手応えを覚えたのは、果たして気のせいだっただろうか。


 シルティの父ヤレック・フェリスは、近隣でも並ぶ者のいない英傑と名高い戦士だった。

 炎を、水を、あるいは魔法を、涼しい顔で悉くぶった斬る、豪快な形相切断の使い手だった。

 だが、そんなヤレックですら、魔法の経路そのものを斬ることはできなかった。

 なぜなら彼は霊覚器を持っていない。はっきりと認識できないものは、形相切断を以てしても捉えられない。

 つまりこの瞬間、シルティは尊敬してやまない父を、斬術という一点において確実に超えたのだ。

 同一と言っていい太刀筋を往復する二度の形相切断。重なり合う超常の影響下に置かれた鷲蜂たち。皆殺しにする絶好の機会だ。

 歓喜に身体を突き動かされ、さらに一歩踏み込もうとして。


(んっ、んんっ!?)


 思いもよらなかった光景を目の当たりにし、シルティはギリギリで冷静さを取り戻した。

 前方へ流れかけた重心を巧みに操作、すぐさま後方へ跳躍して大きく間合いを取り、〈紫月〉を油断なく中段に構える。


(え。なん……ええ?)


 先ほどまであれほど情熱的にシルティを襲おうとしていた鷲蜂たちが、羽ばたくことをやめていた。

 形相切断の影響で軟性固体と化した空間で、何をするでもなく、ぼんやりと浮かんでいる。

 なにか予想外のことが起きている。念には念を入れ、さらに間合いを取ろうとした、その時。初太刀の形相切断の傲慢が失われ、世界が雷雲の物性を更新した。

 その途端、超常の支えを失った鷲蜂たちがバラバラと地面に落ちる。

 身体を真っ二つに両断してもあしや大顎をわきわき動かしていたというのに、地に落ちた彼らはピクリともしない。

 反射的にレヴィンが捕獲した個体たちへと目を向ける。彼らも、ウエストを拘束されたまま動きをピタリと止めていた。


(……急に大人しくなっちゃった。死ん……いや、気絶?)


 死んでいるのか。気絶しているのか。ここから見るだけでは判断がつかないが、魔法の経路をぶった斬っただけで絶命するとはシルティには思えない。おそらくは気絶だろう、と判断した。


(そんなに大事な糸だったのかな)


 ついつい童心に帰り、遊ぶような気持ちで深く考えずに斬ってしまったが、どうやらあれは鷲蜂たちにとってかなり致命的な弱点だったらしい。単なる情報共有ではなく、もっと根本的ななにかを司るような魔法なのだろうか。

 蛮族的には少しつまらないが、さすがにこの大きな隙を見逃す必要はない。

 シルティはレヴィンの方へ顔を向け、素早く手振りハンドサインで合流を指示した。

 レヴィンの合流を待つ間、シルティは地面に転がっている約二百匹の鷲蜂を〈紫月〉と二枚の飛鱗で斬っておく。いつまでこの状態が続くのかわからないので、迅速に無力化しなければ。

 全ての鷲蜂の身体を漏れなく分断したあと、シルティは周囲を注意深く見回した。

 更なる増援は、なさそうだ。


(よし。巣の外に出てたのはひとまず斬り終わったかな。……なんか最後はちょっと尻すぼみだったけど)


 残った巣を破壊すれば今回の駆除は終わりである。といっても、巣の中には防衛を担う待機戦力がいくらか残っているだろうから、巣を壊す過程でもう少し鷲蜂を斬れるはず。

 その際は、鷲蜂たちの糸を絶対に斬らないようにしよう、とシルティは強く決意した。

 魔法の経路への形相切断を成功させたこと自体は物凄く喜ばしいが、せっかくの対多数戦闘だ。たったの一撃で全ての敵が行動不能になる、そんな凶悪な技法わざを使うのはちょっと勿体ない。


(しっかし、思ってたより大分多かったなぁ。三百匹くらいかな。……巣の方にはどれくらい残ってるんだろ。もう三百匹くらい居たら最高なんだけど)


 シルティは鷲蜂の体液で濡れた〈紫月〉をひゅるんと回して血振ちぶりを決め、懐から取り出した大きなハンカチで刀身と柄をぬぐってから納刀した。二枚の飛鱗は常に高速で回転させていたのでほとんど体液が付いていないが、こちらも丁寧に拭い、胸部の定位置へと戻す。

 初陣だというのにこの飛鱗たちは本当に良く働いてくれた。愛してる。

 などと感慨に耽っていると、レヴィンが合流した。


「おかえり」


 誇らしげに胸を張るレヴィンを両手で撫で回し、存分に甘やかす。


「んふふ。絶好調だったね? あんな距離からこんな細いとこに生成できるなんて、ほんと、どんどん魔法が上手くなってる。近寄らないって判断したのも大正解」


 ごるるるる。喉鳴らしも高らかだ。

 レヴィンの喉を優しく掻き撫でつつ、シルティはレヴィンの戦果に目を向けた。


「鷲蜂たち、多分最後までなにされてるかわかってなかったんじゃないかな」


 最終的にレヴィンが捕獲した鷲蜂の数は五十四匹。この五十四匹は身体的には全くの無傷なため、魔物の死骸として考えると極めて状態が良い。数もちょうどいいので、シルティは依頼主のエアルリンにこの五十四匹を引き渡すことに決めた。


(さてと)


 空中に点在するレヴィンの戦果。

 シルティが三度目の形相切断を放って以降、レヴィンが捕獲した鷲蜂たちはウエストを珀晶の輪で拘束された状態で固まっており、ピクリとも動かない。前述の通り、おそらく気絶しているものと思われる。


いどこ)


 もしかしたら既に死んでいるかもしれないが、とりあえずシルティは五十四匹の頭部を丁寧にぎ取っておくことにした。

 虫の類は頭部を失ってもかなり長く生きるので、このまましばらく放置しておく。

 充分に時間を置き、生命力が完全に失われたら、改めて〈冬眠胃袋〉へ収納すればいい。


(それにしても……ほんと、ピクリとも動かないな。死んでるわけじゃないと思うん……だけ、ど……)


 と、そこまで考えて。


「あれ? これってもしかして?」


 シルティは気付いた。

 ひょっとして、巣の中で待機している個体たちも、気絶しているのではないだろうか。

 となると。


「……女王蜂、取れるかも?」


 鷲蜂の女王蜂を確保するのはとても難しい。というより、ほとんど不可能だと聞く。

 地中に作られた巣を掘り返せば、女王蜂とおぼしき一際巨大な死骸を見つけることはできるのだが、なぜか必ずバラバラに分解されているのだ。状況からして、働き蜂たちが女王蜂を殺害・分解しているとしか思えない。女王殺しを行なう理由は今のところ不明である。

 だがもし、シルティの放った形相切断の影響が、距離を超越して巣の中にまで及んでいるのならば。


(よし、急ごう)


 五体満足どころか、生きた女王蜂を捕らえることも可能かもしれない。

 今の斬り合いが尻すぼみだったとか、対多数戦闘の機会が勿体ないだとか、そんな戯言をほざいている場合ではなさそうだ。


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