第97話 雲の中の蜘蛛の巣



 戦いの場を森の外の草原に移し、シルティは踊るように暴力を振るっていた。

 手に持った〈紫月〉を縦横無尽に走らせ、二枚の飛鱗を自身の周囲に公転させながら、休みなく足を動かして敵と自分の位置を巧みに支配する。

 事前の情報通り、鷲蜂の飛行速度は大したことはない。

 二十五匹目と二十六匹目を〈紫月〉で一息に断ち斬り、右前方からこちらへ突進している二十七匹目に飛鱗を射出する。二十八匹目は右後方の足元だ。二枚目の飛鱗を上から抉り込ませて返り討ち。二十九匹目は返した〈紫月〉で。三十匹目はシルティのお尻を狙っている。いやらしい個体を二枚の飛鱗で挟み込んで頭部胸部腹部の三つにバラす。

 同時かつ多角的に殺到する鷲蜂たちを、自らの誇る攻撃の速度で以てして、一匹ずつ丁寧に斬って斬って斬り捨てていく。

 最初に遭遇した七匹の分隊をほふってからまだほとんど時間が経っていない。だというのに、シルティの元には凄まじい数の鷲蜂が、あらゆる方向から大挙して襲来していた。

 ただでさえ耳障りな羽音が幾重にも重なり、シルティの聴覚をこれでもかと蹂躙する。鼓膜を執拗に揺らされ、耳の奥がこそばゆい。


「ふふっ、んふふふ……!」


 いやはや楽しい。口元の緩みを抑えられない。

 槐樹かいじゅのエアルリン曰く、鷲蜂がその身に宿す魔法は『各個体が取得した情報を距離を超越して即時に群れ全体が共有できる』ようなものではないかという話だが、なるほど確かに。そうでもなければ説明のつかない空前のモテっぷりである。

 加えて、鷲蜂たちが徐々にシルティの動きに対応し始めた。相変わらず動き自体はのろいので回避には至っていないが、明らかにシルティよりも先に動き始めている。何度も何度も模擬戦を繰り返した相手に行動を予測されているような感覚だ。

 もしかしたら彼らは、死に際の情報すらも共有できるのではないだろうか。

 勇敢に戦って死んだ仲間の経験を自分の経験として消化吸収できるのであれば、それはとても羨ましい魔法である。


(おっ)


 その時、視界の端で一匹の鷲蜂が唐突に動きを止めた。いや、動きを止められた。見ればそのウエストにはきらりと煌めく黄金色の輪。どこかに潜んだレヴィンの仕業だ。

 捕らえられた個体は即座に暴れ始めたが、大顎も毒針も拘束具に届かない。自力での脱出は不可能だろう。


(どこからだろ?)


 シルティは鷲蜂を斬りながらも視界を広げ、レヴィンの位置を探る。


(……あれ、どこだ……あっ。あれか)


 いた。

 シルティから見て太陽の方向にある背の高い木の枝上。葉がほとんど落ちているおかげで、シルティと鷲蜂がたわむれている場所まで視線が真っ直ぐ通っている。

 距離、およそ、百歩。


(うわ、とおっ……)


 これほどの遠方からでも、レヴィンの眼球は彼我の相対座標を見事に測定したらしい。


(レヴィン、ほんと凄いな。もう完全に私より目がいいじゃん……くっそぅ)


 シルティが悔しさ混じりに感心していると、視界に黄金色の輪がもう一つ生まれた。鷲蜂のウエストより僅かに太く、しかし胸部や腹部よりはずっと細い、絶妙な寸法の輪環体だ。


(あらら、空振からぶりか)


 しかし残念なことに、この二つ目の輪は鷲蜂を捕らえられなかった。役割を果たせず、所在なげに空中に佇んでいる。

 レヴィンは空振った輪をすぐに消し去り、その直後からまたたく間に魔法を七度行使した。そのうち、鷲蜂を捕らえられた輪は四つ。さしものレヴィンもこの距離では百発百中とはいかないらしい。

 シルティからすれば、百歩の間合いから不規則に飛び回る鷲蜂の細いウエストを狙って九分の五は充分すぎるほど凶悪な命中率だが、レヴィンは自分の魔法には強い自信と矜持と向上心を持っているのだ。

 枝の上で静かに悔しがっているだろうレヴィンの姿が思い浮かび、シルティはくすりと笑った。

 和んだ気持ちを〈紫月〉に乗せ、右方から突っ込んできた鷲蜂を軽やかにぶった斬る。三十七匹目。


 捕らえられた個体を助けようとする素振りもなく、鷲蜂たちは執拗にシルティを追った。群れの一部は広く散らばり、迂回してシルティの背後へ回り込み始める。

 さすがに完全に囲まれるのはまずい。シルティは今回、一度たりとも鷲蜂に肌を許すつもりはないのだ。足を速めて包囲網の完成を妨害しつつ、〈紫月〉と二枚の飛鱗を精密に振り回して崩す。

 シルティの操る三つの刃は、ただの一度も空振ることなく鷲蜂たちを斬り殺した。

 上下に分かたれて落下する鷲蜂の腹部を蹴り飛ばしながら、視線を素早く巡らせる。

 まだまだ、増援おかわりが途切れる気配はない。


「ぁは」


 飛び散る透明な血液に身体を汚されながら、シルティは最高の気分だった。

 これほどの数を斬ったというのに、敵は増える一方。

 右にも左にも獲物がいる。

 前にも後ろにも、上にも下にも獲物がいる。

 エアルリン曰く、大きな巣でも冬には百以下にまで数が減るらしいが、今この瞬間に目視できるだけでも既に百匹は軽く超えていた。総数は百五十近い。しかもまだまだ増えていく。

 まさしく、斬り放題である。

 まばたきも忘れ、シルティは肉体と眼球の性能を振り絞った。


「あはははッ!」


 嬌笑きょうしょうを響かせて暴れ回るシルティの間合いの外では、黄金色の輪が音もなく出現し、鷲蜂を次々に捕獲していく。

 おそらく、鷲蜂たちはレヴィンの存在に全く気づいていない。

 百歩も離れた樹上の存在を認識できるほど虫の類の視力は優れていないし、この状況では匂いで察知するのも難しいだろう。

 鷲蜂たちにとって、今の獲物はシルティただ一人。

 レヴィンは木の上に潜んだまま、安全に狙撃を続けられる。


 前回の削磨狐みがきギツネ狩りではレヴィンに囮役を担ってもらった。今回はシルティが囮だ。レヴィンの視線が通る空間と距離を意識し、鷲蜂たちを都合のいい位置でしっかり引き付けておかなければ。

 拘束された個体はしばらく放置しても問題ないとシルティは判断した。

 朋獣認定試験を受けた当時、レヴィンは枇杷ビワの実ほどの珀晶を四十四個生成しただけで体積の上限に引っかかっていたが、あれからもう七十日も経っているのだ。すくすくと成長した今のレヴィンならば、枇杷の実換算で百五十は堅い。枇杷より遥かに小さな輪であれば、五百は余裕で維持できるはず。

 今のところ四割から五割弱ほど狙いを外しているが、慣れてくれば成績も上がっていくだろう。すでに三十匹ほどの鷲蜂を捕らえている。

 シルティの予想通り、鷲蜂たちが死の経験すら共有できる素晴らしい魔法を持っていたとしても、完全に予兆のない珀晶による捕獲は学習できないはずだ。



 駆け回りつつ斬り続けていると、さすがに増援が尽きたのか、ある時から数が増えなくなった。

 この時点でシルティが斬った数は六十七。レヴィンが捉えた数は四十二。そして元気にシルティを襲っている鷲蜂たちは、大体二百匹ほどか。合計すればおよそ三百匹だ。

 エアルリン曰く、大きな巣を持つ鷲蜂でも冬場には個体数が百匹以下に減るというが、この季節外れの群れは例外的な繁栄を迎えているらしい。

 巣の中に引き籠っているだろう防衛隊の存在もある。果たして総数はいかほどか。


(まぁでも、数が増えないならあとは楽勝かな)


 増援が途切れたこと、包囲網の完成を執拗に妨害しつつ斬り回ったこと、そしてレヴィンがシルティに遠い位置から捕獲を進めたこと。いくつかの要因のおかげで、空間を占める鷲蜂たちの密度に偏りが生まれてきた。

 二百匹の鷲蜂が一塊となり、シルティを猛然と追跡している。既に包囲など望むべくもない有様だが、もはや爆音と表現すべきおびただしい羽音もあって、威圧感が凄まじい。


すっごい音。こっちを殺しに来る雷雲みたいだ……ふふ)


 追い付かれるつもりはないが、万が一あれに包まれたらどうなるか。

 一呼吸の間に百回は刺されるだろう。

 生命力溢れる嚼人グラトンでも再生する間もなく死ぬ。


(ふふふふふ。なんか最近、致死性の煙霧こういうのに縁があるなぁ……)


 自分を殺しる雲を恍惚とした表情で見つめ、外縁部から削るように丁寧に鷲蜂を殺していたシルティだったが、


(……おっ?)


 ふと視界に違和感を覚え、眉をひそめた。

 向こう側が見えないほど密集した鷲蜂たちの雲塊うんかい。その雲間くもまに、チカチカと、虹色のか細い閃光がまたたいている。幕電まくでんのように見えなくもないが、いくらシルティの主観で雷雲のように思えたからと言って、さすがに彼らが雷を発生させるはずもない。


(細くて薄いけど、生命力の色だ。霊覚器って便利だな……)


 シルティの振るう刃物然り、魔法を使い始めた頃のレヴィンの眼球然り。

 ある生物がその身に保有する生命力に著しい集中が生じた場合、他の生物にはその箇所が虹色の揺らめいているように観測される。

 雲間の閃光もそうだろう。これを引き起こすためには膨大な生命力が必要だから、やはり鷲蜂は魔物に違いない……と、そこまで思考を進めて、シルティはハッと気付いた。


(違う)


 虹色の揺らめきは、ある生物が著しい集中が生じた場合に観測されるものだ。

 だが、雲間に見える閃光は、シルティの主観では多数の鷲蜂と鷲蜂とをまたたきながら走っている。

 どんな魔物であっても、身体の外に生命力が集中することなど、普通はない。

 例外は、シルティの操る飛鱗のように距離を超越した武具強化か、あるいは。


(これ、魔法のだ!)


 遠距離に効果を及ぼす魔法ぐらいのものである。

 エアルリンの見立てでは鷲蜂の魔法は情報共有。であれば、鷲蜂の個々を繋ぐように生命力の糸が張り巡らされている、というのはシルティとしても直感的に納得のできる光景だ。

 大量の個体が密集したことで魔法の経路が特異的に重なり合い、シルティが持つ未完成の霊覚器精霊の目でも捉えられるほどに顕在化したのだろう。


(なんか、雲の中に蜘蛛の巣があるみたい)


 全ての鷲蜂同士を繋ぐ糸のような虹色のきらめき。それが無数に重なり合い、まるで細かい朝露を捕まえて可視化された蜘蛛の巣のようだ。蜘蛛の巣と言っても、放射状・同心円状の円網えんもうではなく、不規則で立体的な籠網かごあみである。


(蜘蛛の巣……。蜘蛛の巣、か……)


 シルティの頭がとろけた熱を孕む。


「ふ、ふふ、ふ……」


 堪え切れずに唇から漏れ出た笑みと共に、〈紫月〉の刀身がますます虹色に揺らめいていく。


「斬っちゃお……」


 蜘蛛の巣の切断。

 これは、蛮族にとって馴染み深い遊びのひとつである。

 どれほど鋭い刃物をどれだけ巧みに振るったとしても、ただの刃で蜘蛛の巣を切断することは難しい。大抵は『破った』だとか『引き千切った』だとか、そういった荒々しい形容詞が似合うような結果に終わってしまう。

 だが、多少なりとも武具強化を乗せることができれば、粘着質な糸を刃に付着させることなくと切断することはとても容易い。

 要するに、蛮族の子供たちは武具強化の初歩的な訓練も兼ねて蜘蛛の巣を斬って遊ぶのである。

 シルティも幼い頃、同年代の子供たちと誰が一番綺麗に斬れるか競い合ったものだ。


「んひひ。私、蜘蛛の巣斬りで負けたことないんだよねー」


 誰に聞かせるでもなく呟き、シルティは無邪気に笑った。

 要するに、シルティは童心に帰っていた。


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