第90話 原質支配
「シルティ、ちょっと見てて」
そう声を掛けて湯船から上がったマルリルは、浴槽の
最初の一本も含め、一つの
相変わらず綺麗なバゼラードだなぁ、とシルティは熱っぽい視線を向けた。
マルリルは合計で五本となったバゼラードを両手に割り振り、左右順番に次々と上へ放り投げる。放物線を描いて落下してきた長短剣の
くるくると回転しつつ、空中とマルリルの手を往復する五本のバゼラード。
実に見事なトスジャグリングだ。大道芸人たちが
一定の周期と回転で放物線を描くバゼラードを追いかけ、シルティとレヴィンの視線が縦長の楕円を描く。
「お、おお、すごいですね……」
唐突に芸を披露し始めたマルリルに、シルティはしばし困惑していたが。
「あっ。なるほど」
すぐに、その意図を察した。
放り投げたバゼラードが崩壊する前に掴み直し、上書きするように
つまりこれは、シルティの精霊の目の訓練とマルリルの手遊びを兼ねたジャグリングなのである。
シルティはすぐに、自身の愛の対象たるバゼラードから、マルリルの手へと視線を移した。
こうして気合いを入れて見ると、なんとなく、魔法と使っている時と使っていない時とでマルリルの手の見え方が違う。
……ような気もする。
いや、やっぱり、気のせいかもしれない……。
「わか……。らない……!」
「景色でも眺めるような感じで、広く見た方がいいかもしれないわよ?」
「広く見る、ですか……んんん……」
唸り声を上げ始めた愛弟子を微笑ましく思いながら、マルリルはほとんど無意識にジャグリングを継続した。
この
というのもこれ、魔法『光耀焼結』を練習をするのにぴったりな動作なのだ。
同じ形のものを寸分
マルリルも幼少期はジャグリングに明け暮れており、今でも五個の
そして、魔法を繰り返し行使するという関係上、こうして精霊の目の構築にも流用できる。マルリルが精霊の目を構築する際も同じく、師匠の
バゼラードを淀みなくひょいひょいと放り投げながら、マルリルは口を開く。
「それから、精霊言語の勉強も進めましょうね。
霊術士の仕事には、精霊術を用いた超常の作業とは別に、不意に遭遇した精霊種との折衝ないし交渉が織り込まれているのが普通だった。
彼らは種族それぞれで別の言語を使っているが、ほとんどの言語は四言語のうちいずれかとは不思議と類似性を持つため、四言語さえ修めていれば大抵の精霊とはギリギリで意思疎通が可能なのだ。そのため、霊術士は最低でも四言語を理解できることが求められる。
「……まあ、それで誰かを取り締まったって話は私も聞いたことないけれどね」
マルリルが苦笑を漏らした。
精霊言語の習得状況を調べるためには、霊覚器(精霊の耳)の構築と四言語の深い知識が必要だ。取り締まる役人側にもそんな人材は多くない。野放しになっているというのが実情である。
「とりあえず、あなたは
「はい。今のところ、霊術士を名乗るつもりもないですし」
霊術士としての仕事を請け負うならばともかく、シルティにその予定はない。
「そうね。あまり時間が開き過ぎると忘れちゃうでしょうから、
「わかりました」
「もし
マルリルの言葉を聞き、シルティが輝かんばかりの笑顔を浮かべる。
「いいんですか!? 嬉しいっ! ぜひお願いします! 実は私、
「か、……かみなり?」
シルティの言葉を聞き、マルリルはぎょっとしたように目を真ん丸に見開いた。継続していたジャグリングが僅かに乱れる。
「……もしかして、単独の『
「はいっ!」
「……しかも雷って……それ、
「せっかく先生に会えて霊覚器を構築できたんですから、目指すは四大精霊制覇ですよ!」
両の拳を握り締め、シルティが轟々と気炎を吐く。
「海から〈虹石火〉を引き上げたら、死ぬまでに必ずやってみせます!」
マルリルは弟子に対して心からの尊敬を抱き、朗らかに笑った。
「……あなたって本当に、
原質支配。
二種の精霊種を
本来は馴れ合わない異種族同士の共同作業となるためか、単一の精霊種が魔法を使うよりも影響を及ぼせる範囲は著しく狭くなる。だがしかし、原質支配は単一精霊の魔法に比べ、より
かつてシルティが当てにしていた水中での呼吸の確保、これもまた原質支配の一種である。
魔法『冷湿掌握』と魔法『熱湿掌握』とを相乗させれば、
他にも、水と風の原質支配では水を
一方、シルティが言及した『雷』は、
最も有名な火と風の原質支配は、金属をとろりと溶融させるほどの青い灼熱を燃料もなく生み出すというもの。
そして、さらに繊細で高度な仕事として、
「んふふ。私、雷で死にかけたことがあるんですよね。ほぼ直撃しまして」
「……。よく無事だったわね……」
「素直に死ぬかと思いました!」
「……なんで嬉しそうなのかしら」
「滅多に経験できることじゃありませんから!」
シルティは幸運にも落雷を体験したことがある。九歳の頃のある日に
音もなく目の前がカッと真っ白に染まったと思った瞬間、全身を貫かれたとしか表現のできない衝撃を受け、シルティはその場に
しばし、呼吸すらも止まった。
本当に、死ぬかと思ったものだ。
だが同時に、この天空はなんて素晴らしい攻撃方法を持っているんだと、心の底から感動した。
「そのあとに、
無邪気な笑顔を浮かべながら、シルティは語り続ける。
シルティが精霊術および原質支配の存在を知ったのは十一歳の頃。
バイロンは旅の途中で様々な猛者と斬り合い、時には負け、時には勝利を収めてきた。
その数多の猛者たちの中でも特に強かった相手が、
さすがに天より地へ落ちる自然雷とは比較にならないほど小規模だが、それでも充分な殺傷能力を備えていた。
あいつは俺の剣をその分厚い筋肉で受け止め、自分の身体ごと、俺を焼いてくれた。
バイロンはまるで恋焦がれる乙女の如く、熱を込め、長々と語ってくれた。
先達の勇者からそんなことを楽しそうに刷り込まれては、蛮族の童女が雷に強い憧れを抱くようになってしまうのも無理からぬことである。
「……まあ、あなたなら、本当に制覇できちゃうかもしれないわね」
マルリルは微笑んだ。
複数の精霊種と契約できる幸運な人物などそうはいない。千年の寿命を持つ
だがシルティは、四大精霊全てと契約してみせると宣言した。
ならば、精霊術の先生としてできることはただ一つ。
「それじゃあ、ますます早く覚えなきゃね?」
「はいっ」
「それはそれとしまして。あの、マルリル先生。……我儘言っていいですか」
「……内容によるわね。なにかしら?」
「その綺麗なバゼラード、ちょっとだけ握らせて貰えませんか?」
「……これ、私が近くに居ないとすぐ消えちゃうわよ?」
「つまり私がマルリル先生に抱き着いてたら大丈夫ってことですよね!」
「いやまぁそうだけども……だ、抱き着くの? 私に?」
「どうかお願いします! 初めて会ったときからずっと綺麗だなって思ってたんです!」
「その……」
「あとその、もしよかったら
「え、ええ……」
バゼラードはとても美しく、そして
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