第91話 鷲蜂



 精霊の耳を獲得した、その翌日。

 シルティは港湾都市アルベニセの友人たちにお土産を渡したり、買い物をしたり、レヴィンと訓練したりした。


 さらにその翌日。

 マルリルとの言語習得は半月十五日に一回で、霊覚器構築と同様に三日間の予定だ。それまで遊んでいるわけにはいかない。可能な限りお金を稼いでおかなければ。

 次の狩猟を見繕うため、行きつけの食事処『琥珀の台所』にて遅めの朝食を摂っていると。


「シルティちゃん、ちょっといいかな」


 看板娘エミリア・ヘーゼルダインが声をかけてきた。


「んー?」


 シルティはもぐもぐと口の中の物を片付けつつ、喉を鳴らして応答する。

 本日の注文は鶏肉に下味と衣をつけて揚げ、甘辛いタレをかけたもの。ザクザクした分厚い衣を噛み砕くと、燃えるように熱い肉汁が溢れ出す。極めて文化的な味だ。とても美味しい。

 同行しているレヴィンには、下味だけをつけた生の鶏肉に、同様のタレをかけたものを。ゆっくりと噛み締めるように味わっている。

 エミリアは相変わらず食事中のレヴィンを愛おしげに見つめているが、さすがに多少は理性が働くようになってきたようで、仕事中にレヴィンを構い出すようなことはなかった。


「あのね、掲示板には貼ってないんだけど、シルティちゃんにどうかなーってお仕事があって」

「ふふん? ……ん。なあに?」


 口内のものを飲み込み、口元を拭いてから、シルティが先を促す。


鷲蜂わしバチって知ってる?」

「うん。前に調べたよ。地面の下に巣を作るでっかいハチでしょ?」

「そうそれ」


 鷲蜂。

 体長が拳で二つ分ほどもある巨大な蜂の名だ。

 その生態についてはいまだ不鮮明な点が多いが、彼らも蜜蜂ミツバチアリと近いだろうと考えられている。つまり、個体ごとに明確な役割を担う真社会性の一族だ。

 巣は地中に作られ、外に出てくるのは基本的に労働を担う働き蜂の個体のみ。生殖を担う女王蜂と雄蜂は安全な巣に引き籠る。女王蜂は一回り以上身体が大きく、雄蜂は針を持たないので、しっかり調べれば外見で容易に区別できた。


 半透明な膜質の二対四枚の翅により飛ぶことができるが、体重が重いせいか速度はさほどではなく、また羽音が非常に大きいため隠密行動もできない。しかしながら羽ばたきは非常にパワフルで、調子がいいと単独でも体重の三倍近い荷物を運ぶことができるとか。

 巣の外に出る働き蜂たちは基本的に単独行動をせず、五から十匹ほどのメンバーから成る分隊を組み、分隊単位で巣の周囲を広く巡回する。非常に獰猛かつ好戦的で、狙う獲物は無差別だ。小さな虫から人類種大きな猿まで、好き嫌いなく襲って殺す。


 体色は鮮やかなだいだいと深い黒を基調とし、二色の縞模様を持つ膨らんだ腹部が非常に目立つ姿をしている。三つの胸節からそれぞれ伸びる三対六本の脚は長くも太く、そして刺々しい。前脚ぜんきゃくは特に鋭利で、一見するとのこぎりのように見えるほど。

 大きな頭部と威圧的に発達した大顎も恐ろしいが、やはり最大の武器は尻の先端から飛び出す毒針だ。

 この針が注入する凶悪な毒液は、獲物の血肉を腐らせて甚大な激痛を与え、さらに筋肉の麻痺を迅速に引き起こす。

 鷲蜂の狩りは基本的に海戦術。獲物を見つけると分隊のメンバーが一斉に群がってがむしゃらに針を刺し、毒液をどぱどぱ注入するというもの。獲物が完全に麻痺するあるいは息絶えたら、大顎を用いて肉を小さく解体し、軽量化して巣まで持ち帰るのだ。


 膨大な生命力と超常的な再生力を誇る嚼人グラトンであっても決して油断はできない相手。常人であれば十回ほど注入されただけでまともには動けなくなり、五十回も刺されれば呼吸筋が麻痺して窒息するだろう。

 解毒剤は存在しない。刺された場合の応急処置は、すぐさま傷口周辺を抉り取って物理的に毒の回りを遮断すること。あとはもう、ご飯いっぱい食べながら自分の再生力を信じて安静に待つしかない。

 当然、大抵の場合はご飯を食べる暇もなくご飯にされてしまうのだが。


 なお、生命力や身体能力の高さから鷲蜂はおそらく魔物だろうと考えられているが、その魔法はいまだ判明していない。

 もちろん、港湾都市アルベニセの魔術研究者たちは鷲蜂についての調査も意欲的に進めているのだが、働き蜂を狩ってその死骸を調べてみても、魔法に関わっていそうな部位が全く見当たらないという。

 女王蜂のみが魔法を宿しているのではという説もあるが、残念なことに完全な形で女王蜂を確保するのはとても難しく、現代においても調査ができていなかった。というのも、巣を掘り返すと女王蜂とおぼしき一際巨大な死骸が見つかるのだが、必ずバラバラに分解されているのだ。状況からして働き蜂たちが女王蜂を殺害・分解しているとしか思えないのだが、理由は全くわかっていない。

 魔法についても生態についても、現段階ではまだまだ調査不足な虫なのである。


「アルベニセからちょっと東に行ったところに、ちっちゃい村があるんだ。畜産してるんだけど、近くの森の中に巣を作られちゃったんだって。ものすんごい数らしくてさ。ニワトリとかいっぱい食べられちゃってて。あと、ひとも刺されちゃったとか……」

「あー……」


 シルティはなんとなく手元の料理を見た。これも鶏の肉だ。

 この通りとても美味しいので、鷲蜂が鶏を食べたくなるのもとてもよく理解できるのだが、村民たちからすれば決して看過できるものではないだろう。

 今は冬。寒くなれば虫の類は動きを鈍らせることが多いのだが、問題の鷲蜂はまだまだ勤勉に働いているらしい。

 巣ができたのが最近だと言うなら、なんらかのイレギュラーが起きて時季外れの分蜂ぶんぽう(巣分かれ)をせざるを得なくなり、寒い中で必死に食料を集めている……のかもしれない。


 シルティは水を一口飲み、とても野蛮な笑みを浮かべる。


「斬ってくればいいの?」

「お願いできる?」

「うん、いいよ。私、蜂って結構好きなんだよね。勇敢だから」

「えッ、ッ……そ、そうなんだ……」


 鳥獣の類は全般的に好きなエミリアだが、虫はあまり好きではなかった。


「えっとそれで、報酬お金は村の人が出し合うって。あと、鷲蜂の死骸をたっぷりくれるならお金もたっぷり払うって言ってる研究者のひとがいるから」

「ほうほう。……ちなみにその話、なんでミリィちゃんが私に?」

「うん。元々、その研究者さんが村の人たちに相談されてた話だったみたいなんだけどね。うちにシルティちゃんがよく来るって知ったその研究者さんが、昨日の夜にご飯食べに来てくれたの」


 琥珀豹を猟獣登録したという実績は非常に大きい。現在のアルベニセにおいて最も話題性のある狩猟者は間違いなくシルティ・フェリスだろう。そして、そんな有名人がよく姿を現すという『琥珀の台所』の名もまた大いに広まっていた。空前の大繁盛である。

 琥珀豹を連れた狩猟者の行きつけの名が『琥珀の台所』だという洒落の利いた話は、都市の住人たちに愉快さを伴って好意的に受け止められたらしい。次第に尾ひれ背びれが付き、近頃は『シルティ・フェリスは琥珀が大好きな蒐集家コレクターで、その嗜好が行き過ぎて猩猩の森の奥まで琥珀豹を捕まえに行ったのだ』という根も葉もない噂が広まり始めているとかなんとか。


「それで、もしも二日以内に都合が付くなら是非ともシルティちゃんにお願いしたいって」

「ふうん。レヴィンのおかげで私も有名になったなぁ」

「そりゃあ、琥珀豹だもんね。……琥珀豹だもん……レヴィンちゃん、こんなに、綺麗で可愛いんだもん……みんな夢中になって当然だよ……」


 エミリアがレヴィンを見た。

 はぁ、はぁ、と湿度の高い吐息を切なそうに漏らしながら、見る見るうちにとろけていく。


「……に、肉球、嗅ぎたい。だめ?」


 レヴィンはエミリアの方へ振り向き、牙を剥き出しにして無音の威嚇を放つ。

 本気の嫌悪ではないが、いい加減にしとけよ、ぐらいの意図は込められている。

 続いて、わざわざ不透明な珀晶の板を空中に生成。エミリアの不躾な視線をしっかり遮ってから食事を再開した。

 明確な拒絶を受け、エミリアは身体をくねらせて大層喜んだ。


「あぁん、もぅう、本当につれない……。そういうとこも大好き……」


 もはやなんでもありである。


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