第84話 硬い霧



 頭部を失った削磨狐みがきギツネがどさりと横たわり、その断面から断続的に血を吐き出し始めた。

 空中に浮かぶ無口頭絡むくちとうらくに囚われた頭部からも血が滴り落ち、赤茶けた山肌をさらに赤く染め上げる。

 シルティは削磨狐の首を落とした〈紫月〉を左腰に納め、レヴィンの方を振り向いた。

 誇らしげに三つ指座りエジプト座りをする優秀な妹の姿。

 その顔は天を仰いでおり、胸と喉をシルティに見せつけている。


「んふッ。ふふふ……」


 堪え切れず、シルティは笑ってしまった。

 なんとも見事な、の体勢である。


 レヴィンと別れたシルティは、岩陰から岩陰へこそこそと移動を繰り返しつつ、レヴィンと削磨狐の戦闘を全て観察していた。そして削磨狐が致命的な隙を晒した瞬間に全力全開で踏み込み、目を閉じて息を止めて狐粉キツネこの霧を突っ切って、その頸を一刀のもとに斬り落としたのだ。

 レヴィンが囮と足止め。そしてシルティが仕留める。それぞれが己の役割をしっかりと勤め上げた。

 百点満点、いや、それ以上の狩りだったと言えるだろう。


 シルティは身体に着いた狐粉キツネこを念入りに払い落したあと、満面の笑みを浮かべてレヴィンに向かって駆け出した。そのまま突進するように抱き着く。


「もー! 新技二つも覚えちゃって、もー! いつの間に、もーっ!」


 もーもーと牛のように鳴きながら、シルティはレヴィンの頭と頬と喉と胸をわっしゃわっしゃと全力で撫で回した。咬合力を殺す無口頭絡むくちとうらく。黄金色の霧。どちらもシルティの知らない技だ。つくづく、この優秀な妹はに余念がない。

 目を閉じてシルティの愛撫を受け入れていたレヴィンだったが、徐々に頭部が下がっていき、終いにはゴロンと横倒しに。肘と手首を屈曲させ、股間をおっぴろげて脱力したポーズへ移行した。

 要望通り、シルティはレヴィンの腹をガシガシと掻き撫でる。レヴィンの腹部の毛は白とも黄色とも言えない淡い色合いで、背中の毛よりも長く柔らかい。頻繁なブラッシングの甲斐もあり、手触りは最高だ。

 ごるるるるる、ごるごるごるごる、ごるるるるるるるるるるる。

 かつてないほど長々とした遠雷の音がレヴィンの喉から響く。この上なくご機嫌である。


「ほんとにすっごい。特に目潰し。あれはえぐいなぁ。私も初見じゃ避けられないよ」


 シルティの称賛を受け、レヴィンが満足げにブフーッと鼻息を漏らした。

 レヴィンが削磨狐みがきギツネの目を潰した黄金色の霧、あれは、削磨狐の技を適度に摸倣しパクッた珀晶のである。魔法『珀晶生成』の誇る突出した生成の速さに任せ、微小な珀晶をゴリ押しで大量に生成、獲物の進路上にまばらに設置し、相手から突っ込ませるというもの。

 と化した無数の珀晶は、突っ込んできた相手の眼球とおびただしく衝突することになる。

 刺激成分ではなく物理的に目を傷付けることを狙う、より直接的な目潰しだ。


「レヴィン、さっきの霧と同じやつ、ここに作ってみてくれる?」


 シルティの要望に応え、レヴィンが魔法を行使した。シルティの眼前の空間が仄かに黄金色を帯びる。

 感謝を告げながらシルティは目を凝らす。珀晶のひとつひとつの大きさは、塩粒と同じぐらいのようだ。

 腕を霧へと伸ばし、手のひらを広げて触ってみる。無数のなまくらな針先に触れているような感触。ぐっと押し込んでみる。さほど力を要さず、鈍い音と共に珀晶が壊れ、空気に融けて消滅した。黄金色の霧に腕の形の穴が開く。

 手のひらは無事だ。皮膚を貫けるほど硬くはない。


「なるほど、なるほど。柔らかい。でも、目ぐらいならいけるね」


 珀晶の物質的な強靭さは、魔法を行使する本の生命力の多寡や密度にも左右されるが、なにより生成される珀晶の体積に強く依存する。小さく生成した珀晶は極端に脆弱になってしまうのだ。例えば糸のような珀晶を生成する場合、同じ径でも長くすれば長くするほど加速度的に強靭になっていくのである。

 現在のレヴィンが生み出す塩粒程度の微細な珀晶では、どれだけ勢いがついていても魔物たちの毛皮を突き破ることは不可能だろう。シルティがやったように、皮膚を押し付けて多少の力を込めればそれだけで圧潰・消滅させられる程度の強度しかない。

 しかしそれでも、相手が油断しており、かつ眼球のような特に弱い部位であれば、粉砕されながらも僅かに食い込むぐらいのことはできる。

 極浅く極小さな傷なので極短時間で再生されてしまうが、一時的とはいえ目を潰せるのは非常に大きい。


「レヴィンはどんどん強くなるなぁ……」


 元々、シルティは魔法『珀晶生成』の効果的な用途として目潰しを考えており、レヴィンにも将来的な目標として教えていた。

 レヴィンが生成座標の精密性を磨き上げ、さらに時間感覚の引き伸ばしを習得し、そこに生来の反射神経と動体視力を加えれば。高速で動き回る相手に対し、眼球から爪一枚の距離に、刃状の珀晶を生成することだってできるはず。これを百発百中で成功させられるようになれば、それは視界に収めている限りいつでもどこでも仕掛けられる『必中の目潰し』だ。実に素敵。相手の勢いと向きによっては眼孔を貫通してそのまま脳まで到達し、殺すことだってできるだろう。

 レヴィンならば必ずその領域に至るとシルティは確信している。が、さすがに今はまだ無理だ。

 今回レヴィンが考案した『黄金色の霧』は、現在のレヴィンでも無理なく運用できる、その調整版と言えるかもしれない。


 必中の目潰しに比べれば殺傷力は著しく落ちたが、代わりにとても当てやすくなっている。いわば漁網ぎょもうのように空間を占める広域攻撃だ。加えて、透明で希薄な霧は視認性が非常に悪い。相手の反射神経をできる場合もあるだろう。

 実際、先ほどの目潰しは削磨狐の反射神経を素通りしていた。本来であれば充分に回避できるタイミングだったのにも関わらず、避ける素振りすら見せずに削磨狐が突っ込んだのは、前方に展開された黄金色の霧が見えていなかったからだ。

 瞼を閉じればそれだけで無効化されかねない儚い攻撃とはいえ、初見殺しとしては充分すぎる性能である。

 レヴィン単独では決め手に掛けるため、今のところ時間稼ぎにしかならないが、シルティというがいるならば問題はない。削磨狐に限らず様々な相手に対して極めて有効な戦法だ。当然、将来的にはレヴィン単独でも相手を殺せるようになる。将来性も抜群だ。


「んふふふ。私も負けてらんないなっ!」


 姉として、まだまだ妹に負けるわけにはいかない。

 近日中の形相切断の完全習得、そして、霊覚器構築の完了を目指そう。

 シルティは気炎を吐いた。


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