第85話 狐粉賞味



 翌日。

 発見した五匹目の削磨狐みがきギツネを狩る際、レヴィンが負傷した。


 採用した作戦は四匹目と同様だ。

 レヴィンが囮として削磨狐を釣り出し、霧状珀晶を用いた目潰しを見事に決め、削磨狐が面食らって逃げ出そうと後方へ跳躍したところに、さらに障害物を作って体勢を崩す。無様に転んだ削磨狐の周囲へと珀晶を断続的に生成、立ち上がろうとする動きを阻害。肉薄し、その胸元に咬み付いた。

 そこまでは良かった。完璧と言ってもいい仕事だった。

 しかしながら、やはりレヴィンの爪牙はまだまだなまくら。咬み付いたものの削磨狐に痛手を与えられず、そのまま取っ組み合いになり、尻尾で撫でられてしまったのだ。

 被毛の薄いへその右横を削り取られ、露わになった血肉に狐粉キツネこが万遍なく付着。

 レヴィンは声もなくひっくり返り、地面に身体を投げ出してビグンビグンと激しく痙攣を始めた。


 もちろん即座にシルティが跳び出し、戦闘を引き継いで仕留めたので命に別状はない。

 だが、戦闘終了後のレヴィンはぐったりと横たわったまま弱々しい呻り声をあげ、短く細い呼吸を繰り返していた。これまでのレヴィンの生涯においては間違いなく最大最悪の苦痛だろう。

 しかし、痛みは戦士にとっての糧であり、かけがえのない友。避けては通れない。

 シルティはぐったりとするレヴィンを抱え上げて安全な場所まで運び、傷口を水筒の水で洗い流して自らの生き血をたっぷり飲ませ、労わりながら回復を待った。五匹目の死骸はひとまず放置だ。最悪、野生動物に食い荒らされても構わない。


「平気?」


 シルティの問いかけに、レヴィンはヴォゥンと唸り声をあげて肯定する。だが、あまり平気そうではない。憔悴した様子でのろのろと身体を曲げ、へその右横を舐めている。

 まだ動くのは無理そうだ。

 しかし、見るからに弱り切った肉体とは裏腹に、その目は苛烈なまでの熱情を孕み、ギラギラと輝いていた。

 痛みに委縮しているような弱い目ではない。次はもっとうまくやってみせる、という決意に満ち溢れた強い目だ。

 戦闘行為や負傷することへの恐怖を植え付けられてしまっても何らおかしくはない、甚だしい痛みだっただろう。だがレヴィンは僅かな怯えすら見せず、次なる戦闘の機会を望んでいる。


「んふふ。さすが私の妹だね」


 シルティはレヴィンの額を優しくさすって労わった。





 削磨狐の魔法『弥磨尻尾いやすりしっぽ』による負傷は激烈に痛いが、傷自体は浅くなるため再生は比較的容易だ。レヴィンもそう時間を必要とせずに回復した。

 シルティはレヴィンを伴い、戦場へ戻る。


 放置された削磨狐の死骸に早くも群がる数羽の飛鳥。艶やかな黒羽根を持つカラスだ。シルティが事前に集めた情報では、赤罅山に生息するカラスは魔法を宿さないただの鳥類である。シルティたちが近寄って行くとすぐさま飛び去った。

 削磨狐の死骸を確認する。

 幸い、さほど食い荒らされていない。頸の断面を少々ついばまれた程度。商品価値は充分にありそうだ。

 シルティは〈冬眠胃袋〉へ死骸を収納しつつ、レヴィンと削磨狐が取っ組み合いをしていた場所を見た。

 一匹目から四匹目を狩った際は短期決戦だったが、今回は違う。削磨狐の尻尾はレヴィンの身体だけでなく、周囲に存在する地面や空気を長々と削っていた。おかげで、岩石質の地面には薄っすらと桃色の粉末が残っている。


「むふふ……」


 シルティはいやらしく笑った。

 狐粉キツネこいまだ量産方法を確立できていない非常に高価な香辛料だ。これを得られるだけでもここに来た甲斐があったというもの。

 シルティはそれを素早く掻き集め、小石や砂粒ごと持ち込んだ容器へ注ぎ入れた。今はとにかく迅速な行動が求められる。風で飛ばされる前に量を確保しなければ。混入したゴミは後で取り除けばいい。

 執念深く根刮ねこそぎ回収したシルティは、〈冬眠胃袋〉を背負ってホクホク顔で下山した。





 夕食時。

 本日のメニューは鳥の串焼き。材料とする鳥は、下山中に見つけたキジシギの仲間をレヴィンが魔法で生け捕りにしたものだ。くちばしと翼の根本を紐で縛り、レヴィンの背中に乗せて持ち帰った。その数、実に十七羽。荷運び業者コンラッド・フィンチにお裾分けしても余るほどに大猟だ。

 なお、シルティはこの生け捕りを全く手伝っていない。

 レヴィンが単独で生み出した成果である。


 琥珀豹は獲物を見つけると忍び寄って襲い掛かり、逃げる獲物の障害物として設置、逃走経路を限定して追い詰めるという。そう、周囲に、である。真っ直ぐに逃げる獲物を真っ直ぐに追駆ついくする場合、その後ろ姿に視線が遮られるため、琥珀豹は獲物の逃走経路の直上に珀晶を生成することができないのだ。

 だが、身体能力で琥珀豹に勝てる魔物はほとんどいないので、これでも余裕で狩りを成功させられる。

 有り余る身体能力のせいおかげで、野生の琥珀豹は魔法の使い方を工夫する必要がない、と表現してもいい。


 レヴィンは違う。

 初めての魔法から三か月弱、勤勉に真剣に腕を磨いてきたレヴィンは、今では形状を工夫することで間接的に死角へ珀晶を届かせることができた。逃げる獲物の正面へ回り込む障害物を設置することもできるし、それどころか、鳥籠とりかごのように完全に囲むことすら可能である。

 つまり、珀晶を破壊できる筋力がない小動物の類に関して言えば、今のレヴィンは目視しただけでほぼ生け捕りにできるのだ。襲い掛かる必要すらない。


 この生け捕りはあまりに凶悪だった。

 シルティが鳥や兎といった小動物を狙う場合、投石を使うことが多い。シルティは動きの精密性を身上とする戦士であり、針の穴を通すような精密な投擲も大得意だ。三十歩までの距離であれば百発百中、飛ぶ鳥にすら当てられる。魔物に対しては有効な攻撃手段とはならないが、獲物の注意を引いたり、生命力に乏しい小動物を仕留めるのならば不足はなかった。

 だがしかし、レヴィンと共に居る限り、もはやシルティが投石で獲物を仕留める機会はないだろう。シルティが投げるよりレヴィンがパッと囲ってしまう方が確実だし、一度に多くを獲れるのだ。しかも、生け捕りという最上の方法で。

 小動物を対象とする狩りにおいて、既にレヴィンはシルティを大きく上回ってしまった。

 このままでは本当に姉として立つ瀬がない。妹に頼り切りにならないよう、シルティも腕を磨く所存である。



 宿の主人に断りを入れ、宿の外に設けられた広場にて調理する。主人に二羽をお裾分けしたところ、快く許可してくれた。コンラッドも誘ってのバーベキューの開催である。

 コンラッドが火をおこしてくれている間に、シルティは鳥を絞めて手早くさばく。

 鳥で面倒なのは羽毛の処理だ。十五羽もの鳥の羽毛となればかなりの量になり、集落の中で舞わせるのは気が咎める。引き抜かずに皮を剥ぐのも手だが、今回はレヴィンに協力してもらった。珀晶で空中に壺のような容器を作り、それをゴミ箱として利用したのだ。こうして纏めておければ後で燃やしやすい。『珀晶生成』は強大で便利な魔法である。

 仕事を終えたレヴィンはシルティの傍に行儀よく座りながら、頻りに舌を出し、べろんべろんと口周りを舐めていた。食欲との戦いの旗色は悪そうだ。長期戦になれば負けるだろう。

 レヴィンが負ける前に肉を焼かなければ。


 骨の多い部分はひとまず避け、胸肉から。皮つきのまま大きめのひとくち大に切り、串を打つ。調味料はコンラッドが持ち込んだ塩と醤油だ。半分ほどは塩を多めに振って味を付け、火の傍へ。遠火でじっくりと炙る。

 食欲をそそるかぐわしい香りが漂い始めた。火は偉大だ。

 焦がさぬようコンラッドに肉の面倒を見て貰いながら、シルティは内臓に目を向ける。

 締めたばかりの新鮮な心臓や肝臓。ぷりっとしていて実に美味しそうだ。

 こちらは内臓ごとに数羽分を纏めて串を打ち、塩を軽く振ってさっと炙る。中心まで火を入れる必要はない。


「おまたせ」


 まずは功労者であるレヴィンの分だ。半生の内臓を串から外し、レヴィン愛用の石皿に乗せて提供する。

 レヴィンは待ってましたとばかりに顔を寄せ、舐めるように内臓を口内へ持ち去った。容易く丸呑みできる大きさのそれを、味わうように裂肉歯おくばでチャグチャグと咀嚼し、感慨深げに眼を細めている。


「美味しい?」


 ごるるるる。レヴィンはご機嫌な喉鳴らしで答える。

 頃合いを見て、シルティとコンラッドも串焼きを手に取った。こちらは内臓ではなく胸肉の部分。

 串のまま、ぱくり。


「んっ!」

「おん、美味うめえな。いい味だ」


 焚き火での直火調理は加減が難しく、シルティは未だに失敗してしまうことがある。だが、今回は上手くいったようだ。

 柔らかく淡泊な胸肉に、シンプルな塩が抜群に合う。皮のくにくにとした食感も楽しい。肉自体に含まれる脂肪は控えめだが、炙られた皮からてかてかとした脂が滴り、口の中をしっとりと潤してくれた。肉を噛み、串から引き抜くときの摩擦感すら美味しく感じる。

 一本。二本。シルティたちは串焼きを黙々と平らげる。


「むふふ……よし、そろそろ、使っちゃおっかな」


 満を持して、シルティは懐から小さなガラス瓶を取り出した。

 封入されているのは半透明で薄い桃色の粉末。集落に戻ってから夕食までの間、シルティが丹念にゴミを取り除いた狐粉キツネこだ。

 コンラッドが物欲しそうにそれを見た。


「……金なら、たっぷり払うからよ。ちょっと分けてくれねえか」


 彼もまた紛れもない嚼人グラトン。美食を本能とする魔物である。


「もちろん、いいですよ」


 快諾しつつ、シルティは串焼きに狐粉キツネこをひと振り、そのままぱくり。


「んっ! んん……ッ!」


 鼻の奥を貫通して目頭から抜けるような強烈な刺激と、瑞々しく爽やかな香り。これは削磨狐からの目潰しを喰らった時にも味わったものだ。だがこうして舌で味わえば、僅かな塩味と繊細な酸味を孕んでいることもわかる。後味はほんの少しだけあまい。

 胡椒、唐辛子、山葵ワサビに山椒、その他もろもろ。

 シルティの知識にある全ての香辛料とも異なる、唯一無二の風味だった。


「なるほどぉ……こういう……! すんごく美味しい……!」


 美味しい。

 確かにこれは、嚼人グラトンからすれば少なくないお金を支払っても欲しくなる味わいだ。肉にとても合う。

 どうにか狐粉キツネこをたくさん採取できないだろうか、とシルティは即座に考えを巡らし始めた。

 友誼を結んで生産を頼むというのが最も効率的なのは言うまでもない。だが削磨狐みがきギツネは警戒心が強く、人馴れしやすい年齢の幼獣を捕獲するのは不可能に近いし、かといって成獣となってから朋獣とするのも不可能に近いのだ。

 となれば、次に考えるのは生け捕りにして狐粉キツネこを生産させることだが、今食べているシギと違って削磨狐を長期的に生け捕りにするのは困難極まる。彼らの長い尻尾はほぼ全身に届くため、物質的な拘束は破壊されて簡単に抜けられてしまうのだ。おりも同様。落とし穴も有効ではない。壁を削って足掛かりを作り、簡単に逃げてしまうだろう。まぁ、檻や落とし穴に閉じ込めれば、障害物を削らせた分の狐粉キツネこは採取できそうだが、そこへ誘い込まなければならない労力を考えると割に合わない。


(やっぱり、生け捕りは無理だよなー……)


 いい手が思い付かなかった。

 下手に欲を出して失敗するのも馬鹿らしい。シルティは潔く諦めることにした。



 その後、コンラッドにガラス瓶を渡し、狐粉キツネこをお裾分け。もちろんレヴィンにも。

 よほど好みの味だったのか、レヴィンは尻尾をビィンと伸ばして大興奮である。

 シルティは必要最低限を残し、狐粉キツネこをレヴィンの取り分の肉に振りかけてやった。





 月が空を巡り、宴は進む。

 いつの間にやら、用意した食材は全て三人の胃に収まっていた。

 美味しかったねえ、などと談笑しつつ、調理に使った諸々を手早く片付け、火を消し、最後の最後。


 シルティは腕に〈玄耀〉をぶっ刺し、残った狐粉キツネこを全てり込んだ。


 昼間、レヴィンが痛みに悶絶しているのを見て、自分も味わっておきたくなってしまったのだ。


「ん、ひひ……なる、ほど……こういう……すんごく、痛、いぃ……ぐ……んぬぐぁ……」


 地面にひっくり返り、ぐにゃぐにゃと身体をくねらせ、唸りながら悶絶し、びぐんびぐんと痙攣しながら、シルティは蕩けるように笑った。

 なるほど、これは凄い。霊覚器構築よりも痛い。動けなくなるぐらい痛い。

 でも、痛いだけだ。霊覚器構築より、つらくはない。


「うお……」


 コンラッドはドン引きした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る