第81話 経験豊富なヤツ



 一匹目の削磨狐みがきギツネを無事に仕留めたシルティは、血の抜け切った死骸を〈冬眠胃袋〉に収納し、レヴィンを伴って山麓さんろくの集落へと戻ることにした。

 蒼猩猩ほどではないが、削磨狐もそれなりに大きい。特にふさふさの尻尾の体積が馬鹿にならないのだ。シルティの持つ〈冬眠胃袋〉では一度に一匹しか持ち運べない。

 削磨狐の魔術研究は全く進んでいないので売却するならば全身を揃えた状態が望ましく、軽量化はできないのだ。可能ならば血液も持ち込むのが最良だが、さすがに諦めた。

 負傷もしたことだし、自分の血で汚してしまった装備の清掃もしなければならない。生命力を使ったので、お腹もいている。

 今日の削磨狐狩りはこれで終了だ。




(すっごくそわそわしてる)


 前を歩くレヴィンの後ろ姿を見ながら、シルティはくすりと笑った。

 シルティの成し遂げた『形相切断』を目の当たりにし、なにかが琴線に触れたらしい。レヴィンはいつもよりシルティの近くを陣取り、歩きながら頻繁に振り返っては、シルティの左腰の〈紫月〉をちらちらと見ている。随分と興奮した様子だ。

 近頃のレヴィンは、シルティのやることなすこと、なんでも真似したがるようになった。

 シルティが鍋で煮込み料理をしているのを見て、鍋をかたどった珀晶を火の直上に生成してみたり。

 まな板の上で肉を切っているのを見て、鋭い刃を象った珀晶に咥えた肉を押し当てて切断してみたり。

 骨格が根本的に違うのでどうしても不可能なことも多いのだが、持てる能力を全て駆使して果敢に挑み、シルティが驚くほど器用に物事をこなすのだ。

 おそらく今も、自分にもができないか、と考えているのだろう。


 一般的に、人類種以外の魔物は身体以外へ生命力を導通させることが非常に苦手である。朋獣認定証を本人の証明として使っているのも、この不得手を前提としたものだ。

 当然、体外への生命力導通を必要不可欠とする武具強化も大の苦手で、これを習得した人類種以外の魔物は今のところ確認されていない。

 であれば、武具強化の極致である形相切断など夢のまた夢。

 というわけでは、ない。

 実のところ、形相切断に限って言えば、シルティのような人類種よりもむしろレヴィンのような魔物たちの方が得意だろう。なぜなら、人類種にとって形相切断は明確に『武具強化の発展系』に位置するものだが、その他多くの魔物たちにとっては『身体能力増強の発展系』に位置するものだからだ。


 武具強化とは要するに、武器や防具を身体の一部と見做して生命力を導通させ、その作用によってこと。

 自前の爪牙武器を持つ魔物たちは、わざわざ外付けの武具というを挟む必要がないぶん効率的で、形相切断へと至りやすい。もちろん簡単なことではないが、猟獣として長く活躍した魔物がその肉体で無形物を捉えるのは割とよくあることであるし、野生の魔物であっても年齢を重ねた才能溢れる個体は自然と身に付けるものなのだ。


 例外は六肢動物、世界最強の竜種の皆様方。

 彼らは全ての攻撃行為で有形無形を問わずにあらゆるものを引き千切るのが標準仕様デフォルトだ。生まれたばかりの赤子ですら尻尾で炎を斬り裂くらしい。


「んふふ。大丈夫大丈夫。レヴィンもそのうちできるようになるよ」


 シルティの言葉に、レヴィンの尻尾がビィンと伸びた。





「おう、今日は随分はええじゃねえか。狩れたか?」


 山麓の集落の宿に戻ると、ちょうど外に出てきた荷運び業者コンラッド・フィンチと鉢合わせた。馬の頭部に装着する輪状の馬具、『頭絡とうらく』を持っている。馬の口に含ませて手綱たづなを取り付ける馬銜はみがないので、無口むくち寝張ねはりなどと呼ばれる頭絡だ。

 現在、コンラッドの相棒ルジェアは馬具類を全て外した裸体で馬房ばぼうに入っている。この無口頭絡むくちとうらくを持っていることから察するに、ルジェアに会いに行くところだったのだろう。


「はい。昼過ぎくらいにやっと見つけまして。首斬ってきました」

「そりゃなによりだ。持ってこい。俺の方こっちに入れとけ」

「はーい」


 シルティは手招きするコンラッドに付いて行き、コンラッドが宿泊している部屋へ向かった。鍵を開け、室内へ。部屋の隅に纏めて置かれているのは灰色の巨大な袋。コンラッドの所有する五つの〈冬眠胃袋〉だ。レヴィンはシルティの後ろについて入室し、室内を興味深そうに見回している。

 シルティは脱着機構を操作、背中の〈冬眠胃袋〉を分離して床に降ろし、中身を取り出した。削磨狐の死骸は下山中にしっかりと冷却されている。死後硬直が僅かに始まっており、胴体部の前肢関節や頭部の顎関節が少し硬い。ちなみに、この個体は削磨狐にしてはかなり体格が良かったのでシルティはオスだと思っていたのだが、実際にはメスだった。

 胴体を左肩に乗せて担ぎ、頭部は右脇に抱え込む。

 コンラッドは無口頭絡むくちとうらくを床へそっと置き、五つの〈冬眠胃袋〉のうち手前にあった一つを掴み上げ、入口を大きく広げる。中には清潔な布の端切れがふんわりと詰められていた。シルティはそこへ削磨狐の胴体を丁寧に収納し、頭部をそっと乗せる。

 コンラッドが入口をしっかりと閉じ、気密性の確認を行なった。〈冬眠胃袋〉は一定以上の入口が開いた状態では魔術を発動できないので、この確認作業はとても重要だ。冷却できていると思い込んで客の荷物を腐らせたとなれば、荷運び業者としての信用はその場で枯渇する。


「うーし、これでいい」


 念入りな確認を終え、コンラッドが楔点せってんに触れた。生命力が流れ込み、無事に魔術が発動する。

 土食鳥つちくいドリがその身に宿す『熱喰ねつばみ』は、捕食した物体の熱量を生命力に変換する魔法だ。それを再現した魔道具〈冬眠胃袋〉は、一度発動させれば魔術の継続に必要な生命力を自己補完する機能を持ち、身体から離しても内部のものが冷え切るまでは勤勉に働き続けてくれる。

 コンラッドの所有する〈冬眠胃袋〉はシルティのものよりも等級が上で、氷点を遥かに下回る優れた冷却能力を持ち、さらに冷却速度を重視した通常モードと、特殊な機構を用いて魔術をに発動する保管モードとを切り替えることが可能だった。この保管モードでは内容物をゆっくり冷やす代わりに、魔術の継続時間を著しく延長できるのだ。外の気温にもよるが、生肉であればどれだけ短くとも二日ほどは完全に放置可能だという。


「残り五匹か。思ったより早く終わっちまいそうだなあ」

「とりあえず、目標は五日で!」

「カカカ。まあ頑張れ」

「頑張ります!」


 軽くなった自分の〈冬眠胃袋〉を背負い直し、シルティは気合いを入れる。

 今回の狩猟ではコンラッドの持つものと自分のものを合わせて〈冬眠胃袋〉が六つある。それぞれに一匹ずつ、計六匹の削磨狐を狩る予定だ。あと五日間で狩ることができれば相当に美味しい。マルリルに立て替えて貰っている授業料も大部分を返済できるだろう。


 そこで、コンラッドがすんすんと鼻を鳴らした。


「嬢ちゃん。そりゃ、返り血じゃねえな。人類種ヒトの血の臭いがする。っぽを喰らったか?」

「あ、いえ。尻尾は喰らわなかったんですけど。目を洗うのにちょうどいいのが自分の血しかなかったんです」

「目を洗う?」

「目潰し喰らっちゃいまして……」

「目潰しだ? どういうこった」


 コンラッドが首を傾げる。


「削磨狐が狐粉キツネこを空中にばら撒いたんです。煙幕みたいに」

「……んな話、俺ぁ聞いたことねえな」

「私も聞いたことありませんでした。事前に結構調べたつもりだったんですけどねー……びっくりしました」


 港湾都市アルベニセにおいて削磨狐は狩猟者からの人気にんきがない魔物だ。しかしそれでも、これまでに狩られた数は百や二百ではきかないはず。その生態や習性に関する情報は充分に蓄積されていたと言えるだろう。

 シルティは今回の狩猟に際し削磨狐の情報を根こそぎ集めたが、その中に狐粉キツネこを目潰しとして使うという話はなかった。

 つまり、あの目潰しは削磨狐に普遍的な戦法ではないはずだ。


 蒼猩猩が隠密を保って樹上から獲物を襲うだとか。

 雷銀熊が前肢や咬み付きよりも頭突きによる攻撃を多用するだとか。

 漁兎すなどりウサギが水底に潜んで角で魚を突き殺すだとか。

 動物の行動において、種に共通する生態や習性の占める割合が大きいのは確かだ。教わることもなく本能的にその行動を取ることもあれば、家族ないし同族の成獣の行動を真似して覚えることもある。

 しかしもちろん、動物の行動はそれだけではない。


「運悪く経験豊富な個体ヤツに当たったか?」

「ですかね?」


 年齢を重ねて経験豊富になれば、殺し合いの引き出しが増えるのは当然である。


「動きも反応もすごかったし、身体も大きかったし、楽しかったです」

「……まぁ、死ななくてよかったな。……しかし、なんつうか」


 コンラッドは膨らんだ〈冬眠胃袋〉をちらりと一瞥し、青褪めた顔でぶるりと震えた。


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