第78話 昂るレヴィン



 削磨狐みがきギツネ狩りの初日、残念ながら空振りに終わった。

 目当てのものではない魔物や小動物はいくらか発見したのだが、肝心の削磨狐が見当たらない。成果なしのまま下山、集落へ戻り就寝する。


 翌日。

 早朝から山へ入り、視覚と嗅覚と聴覚を最大限に駆使しながら黙々と探索。

 昼過ぎになって、ようやく一匹目を発見した。


「レヴィン、見える? あそこ」


 岩陰に隠れつつ、シルティが指差す先。伏せたレヴィンが目を向ける。

 赤罅山の山肌を走る無数の裂け目。そのうちの一筋ひとすじから、ふさふさした毛束がはみ出ている。灰色混じりの薄桃色。先端が黒い。

 距離はあるが、間違いなく削磨狐みがきギツネの尻尾だ。

 しばらく観察していたが動きがない。削磨狐は夜行性である。今はぐっすりと眠っているのかもしれない。もちろん死骸という可能性もあるが、ひとまず生きているものと想定する。


(どこまで寄れるかな……)


 シルティは皮膚で空気の流れを感じ取った。現在この辺りはほぼ無風。匂いが特定の方向に流れることはなさそうだ。

 しかし、彼らは耳が素晴らしく良いと聞く。

 シルティがどれだけ隠密を心がけても、ある程度接近すれば音で気付かれるだろう。

 こちらに気付いた彼らが、逃げるか、立ち向かってくるか。

 調べた限り削磨狐はとても用心深い魔物で、自分より大きな動物との戦いはまず避けるという。シルティは嚼人グラトンにしては小柄だが、直立しているぶん、四足歩行の彼らから見れば大きく見える。

 多分逃げるだろうな、とシルティは予想した。


「レヴィンはここにいて。私が回り込む。一匹目だし、レヴィンの手を借りる前に仕留めるつもりだけど、もしここまで逃げてきたら魔法で足止めお願いね。ひと呼吸の間だけでいいよ。私が絶対に追いつくから」


 囁くような指示に、レヴィンが無言のまま頷く。

 シルティは〈冬眠胃袋〉の脱着機構を操作し、荷物をそっと降ろす。

 身軽になった身体で、周囲に転がる岩に姿を隠しながら、そろりそろりと接近を開始した。



 今回の狩猟で、シルティが削磨狐を獲物に選んだのには大きく三つの理由がある。

 まず第一に、鎧を手に入れたこと。

 魔法『弥磨尻尾いやすりしっぽ』による粉末化を単純な物質的強度のみで撥ね除けられるのは、既知の物質では不滅に近い超常金属、至金アダマンタイトのみ。

 こう聞くとほとんど無敵の攻撃性能を持った魔法のように感じるが、これはあくまでのみで抗った場合の話だ。生命力の作用、武具強化によるを加味すれば、話は全く変わってくる。

 人類種が誇る膨大な生命力を頑強な鎧や盾にぶち込み、全身全霊でしっかりと強化すれば、さすがに一度の接触で即座に粉末化されることはないのだとか。

 立て続けに二度三度と撫でられれば、どれほどの武具強化の達人であってもまず耐えられないらしいが……鬣鱗猪りょうりんイノシシの革鎧を手に入れ、自己延長感覚を確立した今ならば、充分に渡り合える相手だとシルティは判断した。



 第二に、高値で売れるということ。

 削磨狐の魔術研究はあまり進んでおらず、魔道具の開発はおろか、『弥磨尻尾いやすりしっぽ』の僅かな再現にすら至っていない。

 生命力の強化がなければ輝黒鉄ガルヴォルンさえも削るような魔法だ。多少なりとも再現できれば、研磨用の魔道具としてこの上ない性能を発揮するだろう。木工、石工、金工、なんでもござれだ。通常のやすりと違ってが潰れることもない。

 もちろん、香辛料である狐粉キツネこの安定供給も可能になり、決して無視できない利益をもたらすはず。

 ゆえに、野心ある魔術研究者たちは先駆者パイオニアとなるべく、削磨狐の魔術開発に日夜励んでいる。

 励んでいるのだが。

 残念ながら削磨狐は、狩猟者からはあまり人気にんきのない獲物なのだった。


 全力で強化した防具ならば魔法『弥磨尻尾いやすりしっぽ』をある程度防げるとはいえ、狩猟者たちの身に纏う鎧は大抵の場合、動作性と静穏性を重視した構造だ。また、感覚を最大限に活用するため兜の類は身に着けないことが多い。シルティも兜は装備しないスタイルである。

 つまり、狩猟者たちの着用する防具は隙間と露出が意外と多いのだ。

 もちろん、暴力を糧とする狩猟者たちは多少の傷など恐れはしない。

 だがしかし、ちょっとかすっただけで痛みで悶絶する、場合によっては失神するような攻撃手段を持った俊敏な魔物となると……さすがに軽々しく触手を伸ばす気にはなれないのだ。

 需要に対して供給があまりに少ない削磨狐は、徐々に価格が高騰していき、今では非常な高値が付けられることとなった。

 それでもなお人気にんきが出ないのだから、狐粉キツネこもたらす激痛がどれほど凄まじいものかがわかるだろう。



 第三の理由は、レヴィンが活躍できそうな相手だということ。

 表現は悪いが……雷銀熊狩りにおいて、レヴィンはただの置物だった。

 多少は身体も大きくなり、戦闘経験も積み始めたとはいえ、レヴィンはまだまだ赤子と呼ぶべき年齢。単純な身体能力ではハーレムを持てない蒼猩猩にも遥かに劣る。生命力の作用による身体能力の増強も、はっきり言ってしまえばお粗末だ。蒼猩猩を大きく上回る体格の雷銀熊ともなれば尚更で、文字通り足元にも及ばない。

 なにより、雷銀熊の宿す恒常魔法『炸裂銀角さくれつぎんかく』が恐ろしすぎる。多少の負傷ならばシルティの生き血をがぶがぶ飲ませて再生を促せるが、絶大な破壊力を誇る『炸裂銀角』をレヴィンが喰らえば、幼い身体はバラバラに四散して即死だ。再生する余地など全くない。


 一応、口腔内を狙った『珀晶生成』も何度か試してみたのだが、雷銀熊の咬合力の前にはほとんど効果がなく、即座に噛み砕かれてしまった。手枷による拘束も同様で、筋力のみで折られて強引に突破されてしまう。不意打ちで面食らわせることは可能だったが、有効だったとは言い難い結果である。

 シンプルに、打つ手がない。

 そういうわけで、シルティが雷銀熊の頭突きや爪牙を掻い潜って四肢を斬り飛ばす間、レヴィンは大きく距離を取り、さらに自分の周囲を珀晶の分厚い障壁で覆って安全を確保しながら、ひたすら見取り稽古だった。

 これでは、レヴィンも楽しくないだろう。


 その点、削磨狐は都合のいい相手だ。

 琥珀豹の生成する珀晶は極めて強固だが、その一部分でも破壊されると途端に空気に融けて消滅してしまう。一方で削磨狐の魔法『弥磨尻尾いやすりしっぽ』は、深度こそ浅いが非常に強制力のある破壊をもたらすもの。

 これだけを考慮すると相性は最悪に思える。レヴィンがどれほど分厚く頑強に珀晶を生成したとしても、削磨狐の尻尾で撫でられれば容易く消滅させられてしまうはずだ。

 だがもちろん、珀晶を一撃で破壊できる程度で無力化できるほど、琥珀豹がその身に宿す超常は優しくなどない。

 魔法『珀晶生成』はとにかく速い。残酷なまでに速い。削磨狐が珀晶を尻尾で撫でて一つを破壊する間に、レヴィンは追加の珀晶を生成できる。レヴィンの生命力が続く限り、削磨狐がどんなに足掻いても破壊が生成に追いつくことはない。

 つまり琥珀豹にとって削磨狐は、むしろ相性がいい相手なのである。

 視界に依存するという長い射程距離を活かし、後方支援を担ってもらいたい。


 シルティは周囲の地形を把握しつつ足を進め、ちらりと背後を横目に見た。

 レヴィンは地面に伏せた姿勢で、じっと削磨狐を見つめている。

 爛々と輝く眼球、拡げられた瞳孔。やる気に満ち溢れているのは明らかだ。


(レヴィン、楽しそうだなぁ……)


 魔法『弥磨尻尾いやすりしっぽ』への対抗能力という点において、レヴィンははっきりとシルティの上を行く。その事実が嬉しいのか、レヴィンはやたらとご機嫌なのだ。シルティに良い所を見せてやろうと昨日からずっと張り切っている。


(よし。気合い入れて狩ろう)


 とはいえ、シルティも一人の狩猟者。

 最初の削磨狐は自分だけの力で狩りたい。

 シルティは思考を狩猟へと切り替えた。


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