第77話 コンラッドとルジェア



 今回の狩猟において、シルティは荷運び業者を手配していた。

 赤罅山の麓には小規模な集落がいくつかあり、港湾都市アルベニセの南門とは道路で繋がっている。土が剥き出しの未舗装道路で、人の行き来が少ないらしく凸凹した路面には草がいくつも芽吹いているが、馬車がギリギリ通れる程度の道幅は確保されているのだ。

 山麓さんろくの集落まで荷運び業者と同行し、業者は集落でしばらく過ごす。そのかん、シルティは赤罅山を登って狩猟に勤しみ、削磨狐みがきギツネを狩ったら都度下山して業者に預ける。これを繰り返し、目標の数を狩ったらアルベニセへ戻ってきて、業者にはかかった日数分の料金を支払うというシステムである。最長拘束期間は三十日間。

 長引けば足が出る可能性はあるが、おそらく充分な儲けを得られるはずだ。



「よろしくお願いします」

「おう、よろしくな」


 シルティと握手しているのはコンラッド・フィンチ。生物なまものの運搬を専門とする嚼人グラトンの初老男性だ。

 大きな〈冬眠胃袋〉を個人で五つ所有しており、これに生物なまものを詰め込んで馬車に積載、運搬し、拘束時間に応じた運賃を受け取って生計を立てている。

 コンラッドはかつて狩猟者として活躍していたが、年齢的に長期の狩猟が億劫になり引退、荷運び業者を営むようになった。元狩猟者なので狩猟者の知り合いが多く、今回のように持ちきれない狩猟の成果を冷蔵運搬してくれ、というのは良くある依頼内容だとか。

 ちなみに、シルティがコンラッドを知った経緯は、マルリルからの紹介だ。


 コンラッドは艶やかな青毛あおげ(黒毛)が美しい牝馬ひんばを相棒としており、彼女に馬車をいて貰っている。名前はルジェア。凄まじい体躯を誇る巨大な重種じゅうしゅで、鬐甲きこう(馬の両肩の間、背中の隆起部分)がシルティの頭よりもずっと高い位置にあった。腕をかなり伸ばさないと背中にすら届かない。重種馬としても相当に巨大な個体だろう。

 馬はその身に魔法を宿していないので魔物には含まれず、生命力も(魔物に比べれば)やや乏しい。だが走行能力に特化した肉体は凄まじい筋肉を備えるうえ、乏しい生命力ながらも身体能力を自然と強化するため、とりわけ脚力においては魔物にも匹敵するほどの出力を誇った。

 ルジェアならば、たとえ蒼猩猩を五匹乗せた馬車でも軽々と牽引できるだろう。蒼猩猩よりも体重の軽い削磨狐ならばなおのこと楽勝だ。


「事前の取り決め通り、赤罅山で削磨狐を六匹、でいいな?」

「はい、それでお願いします。滞在中の費用は、一日当たり……」





 荷運びの契約内容の最終確認を行なうシルティを余所に、レヴィンは馬車に繋がれた状態のルジェアをじっと観察していた。

 都市内や入門待ち時間など、レヴィンはこれまで何度も馬を見ていたのだが、この距離でまじまじと観察できるのは初めてなのだ。しかもルジェアは重種馬でも稀に見る大きさで、見た目のインパクトが凄まじい。

 レヴィンのウィスカーパッド(※猫の口元のコレ→ω)がぷくっと膨らみ、洞毛ヒゲが放射状に前方へ伸びている。尻尾は真っ直ぐに立てられ、ゆっくりゆっくり左右に揺らされていた。興味津々といった様子である。

 一方、ルジェアはくびを寝かせた体勢で眠そうに目を細めていた。生粋の捕食者たる琥珀豹レヴィンに注視されながらも、全く怯える様子を見せない。馬は賢い動物だ。朋獣認定証を身に付けた動物が自分を襲うことはないのだと、彼女はしっかり理解しているのだろう。


 ルジェアが大人しくしているのを良いことに、レヴィンはながえをするりとくぐり、ルジェアの隣へ。

(※ながえ:馬車の前方に伸びる棒のこと。一頭立ての場合は普通二本あり、馬や牛をこの間に入れて繋ぎ、牽引する)

 首をにゅっと伸ばし、ルジェアの胴体や首元の匂いを無遠慮にふすふすと嗅ぐ。

 ルジェアは小さくいななき、僅かに嫌がる素振りを見せたが、馬車に繋がれているため碌に身動きができない。すぐに諦めたように目を閉じた。


 執拗に匂いを嗅ぎながら、なぜかルジェアの上腕三頭筋をれろんれろんと舐め、どぅるぐぐぐ、と満足げに喉を唸らせるレヴィン。

 ルジェアは目を閉じたまま口をもぐもぐと動かし、舌をゆっくり出し入れしている。もう好きにしなさいな、とでも言いたげな様子だ。


「こぉらレヴィン。悪戯しないの」


 レヴィンの行為に気付いたシルティが、尻尾の付け根をぼすぼすと軽く叩いてとがめた。

 ヴルルゥーッと長く強く唸ってから、レヴィンがながえくぐって外に出る。

 かなり不服そうだ。一体全体、ルジェアの身体のなにがそこまでレヴィンの琴線に触れたのか。

 ……食欲由来の興味ではないと思いたい。


「ごめんね、ルジェアちゃん。平気?」


 ルジェアがこちらを振り向いたので、シルティは左の手の甲を差し出した。ルジェアが首を伸ばし、シルティの手の甲の匂いを嗅ぎ、続いて唇の先だけを使ってはみはみと甘噛みする。

 感謝、あるいは親愛を示しているようだ。

 シルティはルジェアの頭部を柔らかく抱き締め、鼻筋はなすじと頬を優しく撫でた。

 艶やかで健康的な美しい毛並だ。コンラッドの愛情をたっぷり受けていることがわかる。


「今日からしばらくよろしくね」


 返事をするように、ルジェアが小さくブルヒンといななく。

 やっぱ馬もかわいいよなー、とシルティは思った。





 港湾都市アルベニセを出発して三日後の夕暮れ時。

 シルティたちは赤罅山あかひびやまふもと、目的の集落に到着した。


 集落で宿を取り、一夜明けた早朝。うまやにて。

 本日よりシルティとレヴィンは赤罅山に登り、削磨狐みがきギツネを探して狩る。そのかん、荷運び業者コンラッド・フィンチと相棒ルジェアはこの集落で待機だ。待機中は自由にしていい契約だが、この集落からはあまり離れられない。

 残念ながらこの集落には娯楽施設などはないので、二人はかなり時間を持て余すことになるだろう。


「では。なるべく早く済ませますので」

「いつものことだから気にすんな。俺としちゃ、寝てても金が手に入るんだから、遅くなって貰いてえぐらいだからよ」


 カカカ、と悪ぶった声で笑うコンラッド。


「食っちゃして、のんびり待たせて貰うさ。それに、ここの林檎リンゴ美味うめえ。こんだけでも来た甲斐があらあ。なあルジェア」


 コンラッドが声を掛けながら小ぶりな林檎リンゴを差し出すと、すぐさまルジェアが馬房ばぼうの中から首を伸ばし、カブシュと噛み砕いた。勢いよく果汁をほとばしらせながらシャグシャグと咀嚼し、実に美味そうに目を細めている。

 林檎はこの集落で収穫される数少ない特産品であり、ちょうど今頃が旬なのだ。シルティも昨夜食べたが、甘酸っぱく、とても美味しかった。アルベニセに戻る際には知人たちへのお土産として、林檎のジャムなどを買って帰るつもりだ。

 ちなみにレヴィンも果汁をちろっと舐めていたが、可もなく不可もなくといった反応だった。甘いものより、しょっぱいものや辛いものの方がレヴィンの好みのようである。


「ま、慌てんな。気ぃ付けて、しっかりやれ。まだ若えんだから、つまんねえ死に方すんなよ」

「はい!」


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