第76話 次の狩り



 完成した鬣鱗猪りょうりんイノシシの革鎧を女衛兵ルビア・エンゲレンにお披露目したり。

 革鎧の慣らしを兼ねてルビアと軽い模擬戦をしたり、レヴィンと近接格闘レスリングしたり。

 森に踏み込んで蒼猩猩を狩り、レヴィンに戦闘経験を積ませたり。

 食事処『琥珀の台所』へ赴き、レヴィンと共に食事を楽しんだり。

 同所の看板娘エミリア・ヘーゼルダインが相変わらず狂気的な愛を注いできたり。

 ルビアとエミリアと共に公衆浴場で入浴を楽しんだり。

 森に踏み込んで蒼猩猩を狩り、レヴィンに戦闘経験を積ませたり(二回目)。

 魔道具専門店『爺の店』を訪れ、店主のヴィンダヴルにの〈冬眠胃袋〉の特注を相談したり。


 そうこうしているうちに、マルリルとの二度目の授業の日を迎え。

 前回同様、三日間、霊覚器構築に苦しみ抜いた。


 ちなみに、シルティが霊覚器構築をたのしんでいる間、レヴィンはどう過ごしていたのかと言うと、人類言語の更なる習得および知識の獲得に励んでいた。マルリルがレヴィンの暇潰し用にと持って来た雑多な書物をひたすらに読みふけったのだ。シルティが何度も「心配ないよ」と言い聞かせた甲斐あり、苦しむシルティを必要以上に心配することなく、前肢の肉球を器用に使って一人で黙々と読み進め、十冊、二十冊、三十冊と驚異的な速度で次々に読破。内容も加速度的に高度化している。

 シルティの方針により、レヴィンは幼少期からかなりの時間を人類言語の学習に費やしてきた。娯楽の少ない遭難生活の中でそこに楽しみを見出したのか、今では言語習得に限らず、勉強という行為自体を好むようになっているのだ。

 マルリルもレヴィンの学習意欲には感心し、親身になって知識を分け与えている。少なくとも学問において、シルティなどよりよっぽど知的好奇心に溢れた優秀な生徒だ。

 なぜか特に天文学と呼ばれる分野に興味津々なようで、近頃は夜になると部屋の窓から星をじっと見つめていることが多くなった。目が良いだけに、人類種よりも星の姿を精細に捉えられるのかもしれない。

 シルティはそのうちレヴィンに望遠鏡をプレゼントしようと企んだ。


 シルティ自身、姉として、妹よりも物知りな先導者でありたいと、思ってはいるのだが。

 書物や筆よりも刃物を握った回数の方が何十倍も多いシルティは、戦闘に関わらない知識について、どうしても積極的な興味を持てない性質たちなのであった。



 二度目の授業を終えた翌日。

 前回同様、やはり精根が尽き果てており、シルティはレヴィンと共に丸一日を寝て過ごした。


 英気を充分に養って、さらに翌日。

 明け方に気分よく目を覚ましたシルティは、いつものようにストレッチで身体を入念にほぐし、身嗜みを整えた。鬣鱗猪りょうりんイノシシの革鎧の上からハーネスを装着。脱着機構を操作して〈冬眠胃袋〉を背負う。左腰には愛刀〈紫月〉を、そして右腿のベルトには真新しい革鞘に収まった〈玄耀〉を装着。

 シルティは改めて〈玄耀〉を指でなぞり、にまにまと口元を緩めた。


「んふふふ。ほんと、良いもの貰っちゃったなー……ハインドマンさんには貰いっぱなしだ……」


 シルティは刃物を愛するが、刃物の衣服とも言うべき鞘も当然のように好きである。

 今までの〈玄耀〉は、抜け落ち防止用の不格好な止め紐ストラップ握りグリップに縛り付けられていて、使用前後に止め紐ストラップほどく・巻き付ける手間が逐一必要だった。しかしもちろん、ジョエルの製作してくれた革鞘にはそんな無粋な物は必要ない。適度な締め付けと充分な摩擦があり、逆さまにして振り回しても抜け落ちる心配はなさそうだ。


「……ふふ。んふふ、ふふふふふ……」


 シルティは堪えきれずに〈玄耀〉を順手で抜き放ち、意味もなく目前の空間をサクサクと数十回切り裂いた。そのまま指先で〈玄耀〉をくるりと弄び、逆手さかてに保持して、鞘に勢いよくすぱんと修める。

 そして、にまにま笑いを一段と深めた。

 その脳裏には血の滴る肉の断面が浮かんでいる。


(無性に……お肉が斬りたい……)


 つくづく、危ない少女おとめである。





 三度目のマルリルとの授業はまた一か月後の予定だ。

 それまで他の予定はないので、多少遠方まで赴いての狩りができる。

 革鎧を手に入れてから今日までおよそ半月十五日間。シルティは霊覚器の構築中と入浴時を除き、常に革鎧を身に着けていた。もちろん、就寝時もだ。

 鎧の鱗で寝具をボロボロに斬り裂いてしまったので、『頬擦亭』の女主人エキナセア・アストレイリスには懇々と叱られた。もちろん弁償したが、しかしその甲斐はあったと言えるだろう。シルティは早くも革鎧に生命力を導通させられるようになり、多少なりとも武具強化の対象とすることができるようになっていた。

 これほどまでに迅速に鎧に対しての自己延長感覚を得られたのは、シルティの人生でも初めてのことである。間違いなく刃物まみれた外見のおかげだろう。シルティは完成品を一目見た時からこの革鎧をしっかり愛していたのだ。

 鬣鱗猪の魔法『操鱗聞香そうりんもんこう』も正常に再現できた。今のところ、鱗をただ真っ直ぐ飛ばすことすら難儀する有様だが、問題はない。

 あとは、生きた肉を斬りながら、瑞々しい殺意を受けながら、死にかけながら、鱗を操る感覚を養っていけばいい。


 命の危険のない訓練や模擬戦などによって養われるものも、確かにあるだろう。

 だが結局のところ、蛮族という動物にとって最も美味かつ栄養豊富なのは、殺し合いという糧なのである。



 部屋を出て鍵を閉め、『頬擦亭』の正面広間ロビーへ向かう。


「やあ、シルティ」


 頭上からエキナセアの声が聞こえた。

 見上げると、ミニスカートの内側から天峰銅オリハルコンの触手を細く長く伸ばしたエキナセアが、雑巾を片手に高所の掃除を行なっている。

 、非常に肌着が見え、シルティは咄嗟に目を逸らした。


「おはよう。今日はいつにも増して早いね?」

「お、おはようございます、エキナセアさん」


 うっすらと赤面するシルティを他所に、エキナセアはにゅるにゅると触手を動かして高度を下げ、至近距離から目線を合わせる。

 エキナセアは少女シルティにパンツを見られたことに気づいていないわけではない。気づいていながら、全く気にしていないのだ。


「もう出るんだ?」

「え、ええと……は、はい」


 彼女は既に、肌着を見られて恥ずかしがる段階を軽く通り過ぎていた。

 というより、お尻はぷりっとしていて瑞々しいし、太腿もほっそりしつつも丸々としていて綺麗だ、と我ながら思っているので、それとなく見せびらかしていた。

 エキナセア・アストレイリス、二十九歳。

 声高には主張しないものの、自分の美には割と自信のあるタイプである。


「えっと。今日からは赤罅山あかひびやまに行こうかと思ってまして」

「おー。あの山かぁ。楽しそう」


 赤罅山。

 アルベニセの南東に位置する独立峰の名だ。その名の通り赤っぽい色合いの土石どせきから成り、地質の問題なのか背の高い木はほとんどない。土砂というよりも岩石と呼ぶべき土壌で構成された山肌には、小規模な谷や裂け目が無数に走っており、遠方から眺めると酷く罅割れた山のように見える。

 小ぢんまりとした山であり、傾斜もなだらかで山裾やますそが広い。険しい山を種族的な故郷とする岑人フロレスにとっては、山というより丘と呼ぶ方がしっくりくる程度の標高だが、港湾都市アルベニセの周囲に限定すれば紛れもなく最高峰である。


「なにを狩るの?」

削磨狐みがきギツネを狩ろうかと」


 削磨狐みがきギツネ

 ふさふさとした長い尻尾を持つ中型の魔物の名だ。山岳地かつ岩の多い環境に生息する。

 成獣のオスでちょうどシルティの尻の高さほどの体高(肩の高さ)になり、頭胴長はその四割増しほど。メスはひとまわり小さくなる。

 虹彩は暗褐色で、瞳孔は縦のスリット状、夜行性。口吻マズルは細長く尖り、黒い洞毛ヒゲが伸びる。大きな耳介は縦長の二等辺三角形で、聴覚が非常に鋭い。耳介の内側には白い体毛みみげが密生しており、異物の侵入を強固に防いでいる。

 すらりとスマートな身体は柔らかい被毛で密に覆われ、背面は灰色の混じったような薄い桃色。腹面や喉下は白みを帯び、尾の先端のみがくっきりと黒い。


 彼らのような狐のたぐいは総じて犬や狼に近い身体を持つが、繁殖期を除いて群れを作らず家族単位もしくは単独で生活し、持久力よりも瞬発力と俊敏性に長けるなど、性質や身体能力は猫の類に似たところがある。

 この削磨狐も例外ではなく、優れた瞬発力を活用する強襲型のハンターだ。長く太い尾を巧みに使った方向転換が得意で、自分以下の体格の動物であればなんでも好き嫌いなく襲って食す。完全な肉食というわけではなく、季節によってはベリーのような低木に生る果実を好むらしい。なお、植物の葉はまったく食べない。


 彼らがその身に宿す魔法は『弥磨尻尾いやすりしっぽ』と呼ばれている。

 その名称通り、特徴的なその房状の尻尾が削磨狐の魔法の起点だ。普段はその見た目通りにふっさふさの柔らかい尻尾なのだが、彼らが明確な魔法行使の意志を持ったとき、この柔らかい尻尾は突如として凄まじい凶器に変ずるのである。

 言うなればそれは、超常的に性能の良い、ふわふわのやすりだ。

 この尻尾で撫でられたものは、撫でられた部分がさらりとする。

 やすりと表現したが、これは物質の表面を粉末状に削り取っているのではない。魔法『弥磨尻尾いやすりしっぽ』は、尻尾の周囲に存在する物質を、特有の粉末状物質にする魔法なのだ。

 木でも、金属でも、でも、撫でた対象を一切問わず、尻尾との接触部分を失わせ、そこに半透明な桃色の粉末を残す。

 条件によっては輝黒鉄ガルヴォルンすら粉末化し、つるりと磨き上げることも可能。単純な物質的強度のみでこの粉末化を完全に退けられるのは、既知の物質では超常金属至金アダマンタイトしか存在しないというのだから、その変換力たるや凄まじいの一言である。


 硬い岩石や地面を丁寧に削り取って巣作りに利用するのが主な用途で、彼らの住処の床や壁はこの尻尾と舌でぴかぴかに磨き上げられているのだとか。

 もちろん、この魔法は攻撃手段としても充分に強力だ。尻尾を雑に叩き付けるだけでも相手の皮膚表層を粉末化し、容赦なく取り去る。

 この時に生じる挫滅創ざめつそうはそこまで深いものではない。魔法『弥磨尻尾いやすりしっぽ』は、物体を撫でてから粉末と化すまでに僅かながら遅延を孕むため、物体を一度で深く抉るような使い方はできないようだ。単純に傷として見るならば、超常の再生力を持つ魔物たちからすればかすり傷のようなもの。

 だが、その際に生じた粉末が傷口へ吸着し、筆舌に尽くしがたい悍ましい痛みを与えるという。

 肉体の損壊ではなくこの苦痛こそが文字通りで、これを喰らうと大抵の動物は悶絶し、利口な動きなどできなくなる。あまりの痛みにショックで失神することも珍しくない。

 音を頼りに獲物を探し、こっそりと忍び寄って強襲。瞬発力に任せて肉薄し、尻尾で四肢や顔面など毛皮の薄い箇所を撫で、即時離脱。

 悶絶・憔悴して動きの鈍った獲物に再度襲い掛かり、喉笛を噛み千切って仕留めるのが削磨狐たちの必勝法である。


 ちなみに、魔法『弥磨尻尾いやすりしっぽ』の副産物である半透明な桃色の粉末は狐粉キツネこと呼ばれており、鼻に抜けるような激烈な辛みと爽やかな香りがあってとても美味しい。傷口に触れれば激痛をもたらすが、適量を経口摂取する分には毒性はないため、人類種の間でも香辛料として用いられていた。そのまま振りかけたり、酢や油などに混ぜてドレッシングとしたり。削磨狐たちが好んで舐める様子も観察されている。食糧が少ない季節や狩りが上手くいかない時期はひたすら狐粉キツネこを舐めて耐え忍ぶのではないかと考えられていた。

 今のところ量産方法が確立できていないため、この狐粉キツネこは非常に高価な香辛料だ。シルティは今回の狩猟でこれを味わうことも目的の一つとしている。


「あー。削られるとすっごい痛いらしいね。大丈夫?」

「大丈夫です! 私、痛いの得意ですし、全部けるつもりですし!」


 得意気な顔で、シルティが胸を大きく張った。

 エキナセアはシルティの腕前や得意とする戦術などは全く知らなかったが、とりあえず、のほほんと微笑んでおいた。


「そっか。気を付けてね。いってらっしゃい」

「はい! いってきます!」


 シルティはレヴィンを伴い、『頬擦亭』を発った。


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