第68話 精霊術



 精霊術の習得には、大きく分けて三つの段階がある。


 第一に、『霊覚器れいかくき』の構築。

 精霊術とは、端的に表現すれば精霊種との取引である。

 しかし、精霊種たちは物質的な肉体を持っていないため、物質的な眼球では彼らを見ることはできないし、物質的な耳では彼らの声を聞くこともできない。となれば当然、意思疎通、ひいては取引なども不可能だ。

 彼らと交流するためには、まずは精霊種の姿を目視できる眼球と、精霊種の声を聞き取れる耳、そしてこちらの声を伝えられる喉が必要となる。

 生来のそれとは別の『精霊のための目と耳と声帯』。人類種はこれらをまとめて『霊覚器れいかくき』と呼んだ。

 精霊術を修めようとするならば、この実在しない感覚器である霊覚器を身体に後付けで構築しなければならない。

 これは、肉体的にとてもつらいことで有名だ。

 精霊術の習得を目指すものたちの大半は、この段階で脱落するという。


 第二段階、精霊言語の学習。

 読んで字の如く、精霊たちが用いる言語のことである。

 精霊種たちは人類言語など使ってはくれないので、これを理解できなければ彼らと意志疎通などできない。多少の類似性はあれど精霊種それぞれで用いる言語が異なるため、修めるべき範囲は膨大となる。

 最低でも、四大精霊たちの四言語は理解できなければ霊術士とは名乗れない。

 地道で根気のいる座学の時間だ。


 そして、最後の段階。精霊との契約だ。

 霊覚器構築と言語学習は当人の努力と根性次第でなんとかなるのだが……最後のこれは、非常に運の絡む問題だった。

 それぞれの精霊が好む場所、居そうな場所を片っ端から訪れ、霊覚器を振り絞って探し回り、折良く狙いの精霊と出会えたら誠心誠意を込めて対話を望み、自由で気紛れで移り気な彼らと仲良くなって契約を結べば、晴れて霊術士と名乗ることができるようになるのだ。

 どれだけ努力しても、最後の最後は精霊種の気持ち次第なのである。



 マルリルはかつて、故郷の『金鈴きんれいの森』で(モテるために)霊術士を目指していた時期があり、第二段階まではしっかり修めていた。

 精霊との契約こそ未完了だが、霊覚器の構築と精霊言語、自身が修めた内容をシルティに伝授することは可能なのだ。


「い、いいんですか? 私なんかに」


 もし仮にシルティ自身で水精霊ウンディーネによる精霊術――水霊術を使えるのならば、海底から〈虹石火〉を引き上げるために必要な金額は大幅に減るだろう。

 水精霊ウンディーネの魔法『冷湿掌握れいしつしょうあく』の力を借りれば〈虹石火〉の位置を特定できるはず。と言っても、海岸に立ってパッと頼んだらすぐ終わり、などという都合のいい話はない。存在自体が超常の域に踏み込んでいる精霊種とはいえ、その魔法の効力が届く範囲には限度がある。

 船に乗り、水精霊ウンディーネに探索しても貰いながら、海原を虱潰しに移動することになるはずだ。


 この『虱潰し』というのがネックだった。どうやっても霊術士を拘束する時間が長くなってしまう。となれば当然、払わなければならない金額も跳ね上がる。

 だが、自分で水霊術を使えるならば、どれだけ時間がかかっても料金は嵩まない。

 マルリルから精霊術を教えてもらえるというのは、回収に必要な金額が桁一つ、もしかしたら二つ違ってくるかもしれない、そんな美味しすぎる話なのだ。


「ええ、もちろん。恋人探しの仲間ですもの。さくっと精霊術を勉強して、さくっと水精霊ウンディーネと契約して、さくっと家宝を回収して、そして気合いを入れて恋人を探しましょう。ね?」


 つい先ほどまでは『シルティとは距離を置こう』などと考えていたマルリルだったが、今はもう、完全に身内扱いである。それほどまでに、彼女にとって恋人という概念は重い。


「……で、でも、私が精霊術を勉強したとしても、水精霊ウンディーネと契約って難しいんじゃ」

「普通は難しいわよ。でも、そこはほら。あなたには頼りになる仔がいるじゃない」


 マルリルが手でレヴィンを示した。

 シルティも釣られてレヴィンを見る。

 レヴィンは不安げに顔を上げ、シルティを上目使いに見返した。


「レヴィンですか?」

「さっき思い付いたのだけれど、私と模擬戦をしていた時、その仔、空から見てたわよね?」

「はい。よく見ておくようにって言ったら、自分で足場を作ってのぼっ……、あッ!」


 その瞬間、シルティの頭に電流が走った。

 魔法『珀晶生成』の産物は、重力の影響を受けず、生成座標に強固に固定される。

 観戦時のレヴィンのように、空中での足場にだって使える。

 びょんと跳躍し、足元に珀晶の足場を生成。さらに跳躍し、足元に足場を生成。これを繰り返すことで、今のレヴィンは高さを確保することができるのだ。

 つまり。


「レヴィンがいれば、雲の高さまで登れるかもっ!」


 ひと口に雲と言ってもいろいろある。かなり地表に近い高さに生じる層雲そううんから、どれほど高い山に登っても遥か遠い巻積雲けんせきうんまで、さまざまだ。

 通常、水精霊ウンディーネと出会えるのは、植物が生育できないほどの高さに生じる雲の中。魔法『珀晶生成』の足場を使ったとしても、さすがにそこまでは登れないだろう。しかし、平地から真上に登っていけるならば、つまり生物由来の汚れから垂直に距離を取れるならば、もっとずっと低層域に発生する雲の中でも水精霊ウンディーネと出会えるかもしれない。


「ね? あなたなら他の人より、水精霊ウンディーネと出会えそうでしょ?」

「出会えそうな気がしてきましたっ!」

「どこかの誰かが水精霊ウンディーネと契約するのを待つより、望みがありそうじゃない?」

「ありそうですっ!」


 鼻息も荒く、シルティが頷いた。

 すぐさま、レヴィンに向き合う。


「レヴィン。あんまり詳しく言ってなかったけど、私にはどうしてもやらなきゃいけないことがあるの。そのために、レヴィンの魔法を貸してくれる?」


 すると、レヴィンが無言のまま両前肢を使ってシルティの頭を抱え込み、舌でザーリザーリと前髪を舐めて毛繕いグルーミングを始めた。

 聞くまでもないだろ、とでも言いたげな反応だ。


「んふふふふ。ありがとレヴィン。大好き!」


 シルティも負けじと両手でレヴィンの脇腹や背中をわしゃわしゃと掻き撫でる。


「それで、どうかしら? 精霊術。勉強してみない?」


 マルリルは二人の様子を微笑ましげに眺めながら、半ば答えを確信しつつ問いかけた。


「マルリルさ……マルリル先生!」


 レヴィンとの抱擁を解き、シルティはマルリルへ深々と頭を下げる。


「ご指導ご鞭撻のほど、是非よろしくお願いします!!」

「ええ。よろしくね!」

「授業料はいかほどお支払いすればよろしいでしょうか!」

「そうね。無料でいいわよと言いたいところだけれど、これはきちんとしておきましょう」

「もちろんです! 言い値で払います!」

「別に吹っかけたりしないわよ?」


 精霊術の学習にはお金がかかる。

 教師への技術料・謝礼金という面もあるが、なによりその授業に使われる諸々の物品が高価なのだ。必要経費だけでもかなりの金額となるだろう。

 シルティへの強烈な親近感を一方的に抱いているマルリルが、大赤字を覚悟して料金を割り引いたとしても、やはり限度というものはある。

 シルティの金欠生活はまだまだ続きそうだ。


「あと! もしよかったら、たまに斬り合ってくださいッ!!」

「……たまにね」


 こうして、金鈴きんれいのマルリルは、シルティ・フェリスの精霊術の師匠となった。





 完全な予定外だったが、幸運にも精霊術習得の機会を得ることができたシルティは、師匠となるマルリルと今後の予定を話し合うことになった。

 どこか腰を落ち着けられる場所で軽食でも摘まみながら、と話していた二人だったのだが。

 西門をくぐって都市内へ入った途端、レヴィンがそわそわと落ち着きをなくしてしまった。

 尻尾を巻き付けてシルティの腕を保持し、どこかへ連れて行きたそうにしている。

 シルティが頭を撫でても落ち着かず、目ぶり肢ぶりでしきりに何かを訴えていた。


「……あ。もしかして、お風呂?」


 尻尾がビィンと伸び切った。

 どうやら、朋獣認定試験の合格直後にシルティが呟いた『お風呂入ろっか』という言葉が、レヴィンの頭にこびりついてしまったらしい。

 日頃、我儘などほとんど言わないレヴィンのたっての願いだ。無下にはしたくないと考えたシルティはマルリルに深々と頭を下げる。


「マルリル先生……お風呂とか、お好きですか」

「ええ、まあ、嫌いじゃないけれど……」

「すみません……。レヴィンがどうしてもお風呂に入りたいみたいで。打ち合わせの場所、お風呂でもいいですか? もちろん、私が払いますので」


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