第67話 海底への光明



「それで、もういっそ、別の大陸に行こうと思ってて。ここでお金を貯めていたのよ」

「えっ……そう、なんですか……」


 もっとたくさんマルリルと斬り合いたかったシルティは、残念そうな表情を浮かべる。


「そう思っていたのだけれど」


 そこで言葉を切ったマルリルは、シルティの両肩をがっしりと掴んだ。

 ただならぬ握力に、シルティの肩鎖関節けんさかんせつがゴリリと異音を発した。


「あなたに協力させてもらえないかしら」

「えっ?」

「私は森人エルフ。ちょっとくらい寄り道しても平気よ。でも、嚼人グラトンのあなたは違うでしょう?」


 マルリルはシルティの肩を解放し、今度はその頬を両手で優しくすりすりと撫でる。


「今はこんなにすべすべのお肌だけど、うかうかしてたらすぐお婆ちゃんよ?」

「え、ええと?」

「さくっと家宝を取り戻して、あなたも恋人を探すのよ! 手遅れになる前に!」


 マルリルは有無を言わさぬ力強さで宣言した。目が完全に据わっている。


「それって、もしかして、私と組んでくれるってことですか?」


 シルティは顔を輝かせた。

 マルリルほどの実力者とチームを組んで狩猟を行なえるならば、狙える獲物は格段に増える。なにより、強者と共に行動することで学べることは無数にあった。願ってもない提案だ。

 が、シルティの淡い期待を裏切り、マルリルは首を横に振った。


「いいえ。あなたの家宝を回収するためには、それより大事なことがあるわ」

「大事なこと、ですか?」

「精霊術よ」


 びしり、と人差し指を伸ばすマルリル。


「シルティ、あなたの目標のためには水精霊ウンディーネ必要だわ。広大な海の底に沈んだ特定の物品を探す、水精霊ウンディーネの『冷湿掌握』なら……まぁ、簡単ではないけれど、可能よ」

「はい。……えっと、風精霊シルフは?」

風精霊シルフはいらないわね」


 伸ばした指を自らのおとがいに当て、マルリルは目を閉じる。


「人類種が水中で呼吸する方法はいくつかあるわ。水精霊ウンディーネ風精霊シルフ調させる、というのはとても有名だけれど……それよりもずっと安く済む方法があるわよ?」

「えっ! 本当ですか!」


 シルティは顔をぱっと輝かせた。

 水精霊ウンディーネ風精霊シルフ調させることで、人類種は水中でも呼吸を確保することができる。だがこれの実現のためには、水精霊ウンディーネ風精霊シルフの両方と契約を結んだ一人の霊術士、もしくはそれぞれと契約を結んだ二人の霊術士を雇わなければならない。

 前者にせよ後者にせよ、途方もない金額が必要になるだろう。

 マルリルの言うように、水中呼吸のための費用をずっと低く抑えられるのならば、これほどありがたいことはない。


漁兎すなどりウサギという魔物から作る魔道具があるの」


 漁兎すなどりウサギ

 長い耳介を持つ、兎に似た魔物の名だ。

 やや胴長の体形で、成獣ではひと抱えほどの大きさ。非常に密な体毛は紺色や青褐色で、艶やかな光沢を呈する。

 淡水海水を問わず水辺に生息していて、食性は極端な魚食性。すらりとした流線型の身体を持ち、水泳と潜水が大得意。後肢が大きく発達しており、指趾ししの間には水かきがあって、陸上では優れた跳躍力と走行能力を、水中では見事な遊泳力を発揮する。

 なにより特徴的なのは、額から真っ直ぐに伸びる、螺旋状に捻じれた黒い角だ。


 漁兎がその身に宿す魔法は『鰓銛さいせん』と呼ばれ、水中でのみ効果を発揮する。

 彼らはその黒い角の周辺にある水から充分な空気を取り出し、さらに身体の周辺に固めて、全身を空気の層で覆うことができた。この魔法のおかげで、漁兎はほぼ永続的な水中活動が可能なのだ。

 彼らの捕食行動は、水底にしがみ付いてジッと待ち、魚の接近を待つというもの。後肢の筋力を活かし、水底から跳び上がるように角を突き刺して捕らえる。

 多くの魚類は眼球の位置の関係上、身体の下側が極端な死角となるため、この魚突きの成功率は極めて高い。


「漁兎……。その魔道具があれば、水の中で息が?」

「ええ。完全に呼吸を確保できるわ。物凄く膨大な生命力を使う魔道具だけれど、嚼人グラトンのあなたなら海水を飲んで生命力を現地調達できるでしょう。海の底だって歩けるわ」


 できればもう海水は飲みたくないな、とシルティはちょっぴり思ったが、好き嫌いしている場合ではなさそうだ。


「〈兎の襟巻〉という商品が有名ね。漁兎はこの辺りには生息していないから、どこかに頼んで取り寄せになると思うけれど……海の底をさらう間、ずっと霊術士を雇い続けるよりは、けた違いに安いはずよ」

「おお……!」


 希望に満ちたマルリルの言葉を聞き、シルティは感謝と感激でうっすらと涙を浮かべた。


「ありがとうございます!」

「いいのよ。だから、あとの問題は水精霊ウンディーネだけね。でも」


 マルリルが苦笑する。


水精霊ウンディーネと契約した霊術士って……ほんと、全然いないのよね」

「う。やっぱり、そうなんですか?」

「ええ。この辺りじゃ、特にね。水精霊ウンディーネと会える場所なんて滅多にないから」


 火精霊サラマンダー風精霊シルフ地精霊ノーム水精霊ウンディーネ

 彼らは広く四大精霊しだいせいれいと呼ばれており、数ある精霊種の中でも個体数が比較的多い。通常、霊術士が契約する精霊種は彼らのうちどれかだ。

 しかし、その四大精霊の中でも、水精霊ウンディーネと契約を果たした霊術士は非常に少ないことで知られていた。

 というのも、水精霊ウンディーネは四種の中でも特に遭遇することが珍しいからだ。


 精霊種は大抵、文化文明というものを厭い、自然豊かな環境を住処とする。その上で、火精霊サラマンダーは火と熱を、風精霊シルフは淀まぬ空気を、地精霊ノームは深い大地の底を、それぞれ好むらしい。精霊種との出会いはほとんど運任せだが、こうした条件を念頭に置いて探すことで出会う確率を上げることができる、と言われている。

 では、問題の水精霊ウンディーネはどうかと言うと。

 とにかく清純で膨大な水を好むらしい。

 これは、人里離れた環境の水ならば綺麗だとか、そういった簡単な話ではない。清潔な水と言えばまず湧水が思い付くが、湧いたばかりの水では量に不満があるらしく、かといって充分な水量を有する池や河川は、水精霊ウンディーネから見るととても汚いのだ。

 人里から離れた大河や海原であってもこれは変わらない。

 小さな虫だって排泄はする。肉はもちろん、植物や菌類だって最後には腐敗する。

 なんらかの生物が存在するならば、大なり小なり汚れは生まれてしまうものだ。

 だが多くの水精霊ウンディーネは、それすらも嫌う潔癖なのである。


 こういった汚れをほとんど含まない、清純で、膨大な水。

 それはずばり、雲である。

 もちろん、雲も純粋無垢で清潔な水というわけではないが、地表を流れる水よりはずっと綺麗なのだろう。霧も雲と同じようなものだが、地表付近に生じる霧は水精霊ウンディーネ的にはやはり汚いらしい。地表から遠く離れた、濃密で巨大な雲こそを好むのだ。

 人類種が水精霊ウンディーネと契約を結ぼうとするならば、気温の問題で植物が生育できないような標高まで登り、周囲を巨大な雲が覆ってくれるのをひたすらに待つというのが一般的である。

 自然の中でガンガン火を焚けば寄ってくることもある火精霊サラマンダーや、都市近くの草原ですら出会った記録のある風精霊シルフ、そして深い谷底や洞窟などでは比較的良く見る地精霊ノームとは、遭遇の難度が桁違いなのだ。


「隣の都市のアルカトルには火精霊サラマンダーと契約した子がいるわ。それから、その先のアルセギカは鉱山が近くにあって、地精霊ノームと契約した子が二人いたかしら。カラキザドニアには火精霊サラマンダー風精霊シルフの契約者が一人ずついるわね。でも、肝心の水精霊ウンディーネは……。この辺り、あまり山が高くないから、雲になんて手が届かないのよね」

「ぬぬぬ……」

「もちろん、これから現れるかもしれないけれど……あまり期待できないでしょう?」


 マルリルはおとがいに当てていた指で、シルティの鼻の頭をぷにりと押した。


「だから、私があなたに精霊術を教えてあげる」

「え?」

「あなた自身が水精霊ウンディーネを探しに行きなさい。きっとその方がずっと早いわ」

「……んえっ!?」


 思いもよらぬ提案に、シルティの目が真ん丸に見開かれた。


「というかマルリルさん、霊術士なんですかっ!?」

「いいえ、霊術士ではないわ。でも、あとは精霊種を見つけて契約するだけの段階なの。あなたに教えられるぐらいの知識はあるつもりよ?」


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