第66話 森人の涙



輝黒鉄ガルヴォルンの太刀?」

「はい。うちの家宝で、銘は〈虹石火にじのせっか〉っていうんですけど。六代前のお爺さんが全財産を吐き出して打って貰ったって聞いてます」

「それは……鍛接たんせつ品ではない、という意味かしら?」

「はい。不純物一切なしです」

「……そのお爺さん、嚼人グラトンよね?」

「です!」

「それは、また……なんと言うか……くるっ……いえ、酔狂なお爺さんだったのね……」


 マルリルは呆れ混じりに笑った。笑うしかなかった。

 超常金属輝黒鉄ガルヴォルンで作られた武具は、強い。それはもう、シンプルに強い。

 武具強化なしでも超常的な強度を誇るうえ、森人エルフ以外の生命力を霧散させるという特性が反則的だ。武器とすれば敵の防御を貫き、防具とすれば相手の攻撃を逆に食い破る。単純に物質として見るならば、武具の材料としてはまさに至極と言ってもいいだろう。

 だが、決して一般的ではない。

 輝黒鉄ガルヴォルンが高価すぎる、ということももちろん一因なのだが……その特性のせいで、森人エルフ以外にはとにかく不快感をもたらす、という理由が大きかった。

 存在の薄い霧白鉄ニフレジスですら、至近距離にあれば思わず眉を顰めたくなるほどなのだ。より重厚に世界へ焼き付けられた輝黒鉄ガルヴォルンともなれば尚更に酷い。場合によっては文字通り体調を崩すこともある。


 ゆえに、これを武具に利用する場合、別の金属で基部を作り上げたうえに、薄く伸ばした輝黒鉄ガルヴォルンを重ね、ガンガン熱してゴンゴン叩いて鍛接たんせつするのが一般的だった。

 不快感と利点、それから値段のバランスを、輝黒鉄ガルヴォルンの体積で調整するのだ。


 しかしながら、フェリス家の宝刀〈虹石火〉はそうではないとシルティは言う。

 全てが輝黒鉄ガルヴォルンのみで打たれた太刀。これを森人エルフが使うならばまだわからなくもない。目が飛び出て行方不明になるほど高価になるだろうが、それに見合うだけの凶悪な性能を誇る太刀となるだろう。

 だが、見て明らかなように、フェリス家は嚼人グラトンの血筋だ。

 そんなもの、金額の意味でも使い勝手の意味でも、酔狂としか言いようがない。飾らずに言えば、間違いなく狂人の類である。


「……あの、もしかしてあなた、その剣を強化できたりした?」

「はい! できるようになるまで三年かかりました!」

「……ちなみに、あなたのお父さんや、お爺さんも?」

「もちろんです! お父さんは十五年かかったって言ってました! 私は三年でできましたけど!」


 この上なく得意気な表情で、シルティが言う。

 マルリルは再び笑った。本当にもう、笑うしかなかった。

 森人エルフ以外の生命力を散らす輝黒鉄ガルヴォルンに、他種族が生命力を導通させる。これは一応、不可能ではない。マルリルの知る限り数えるほどだが、成し遂げたという記録は残っている。

 だが他種族にとっての輝黒鉄ガルヴォルンとは、自らの肉体を凄まじい勢いでり下ろしていく卸金おろしがねのようなもの。

 己の肉体を現在進行形で喰らっていくモノを肉体の一部だと見做せるようなやつは、マルリルの感覚で言えばやはり狂人である。


「……あなたも、あなたのお父さんも、すごいわ。まぁ、純輝黒鉄ガルヴォルンの剣を強化できたなら、相手の剣を齧り放題だったかもしれないわね。に行き着いても不思議じゃないか。……あら? じゃあ、なんで今はその木刀……ええと、〈紫月〉? を使っているの?」

「……聞いてくれます?」

「え、ええ。ここまで聞いちゃったら気になるわ」

「私、ノスブラ大陸の出身なんですけど、十二歳の頃に……」


 十二歳で故郷を出たこと。

 伴侶探しを兼ねて見識を広める遍歴の旅の最中だということ。

 サウレド大陸に渡る途中で船が牙鯨きばクジラに襲われて沈没したこと。

 奇跡的に陸地に漂着したものの、家宝〈虹石火〉は海底に沈んでしまったこと。

 なんとしてでもこれを回収したいということ。

 手段としては精霊術、水精霊ウンディーネ風精霊シルフ調を考えており、そのために莫大なお金が必要だということ。

 シルティは自らの境遇を簡潔に語った。




 がしり。




 突如、マルリルがシルティの手を包み込むように握った。


「ん?」

「私も!」

「んッ?」


 困惑するシルティを前に、マルリルは一人で急速に白熱する。


「私もなの! 私も……恋人を……伴侶を探して……旅をしているの!!」

「あ、そうなんですか?」

「あなたも……故郷じゃ、その……モテなかったの?」

「えっ? も、モテ? えー、っと……そ、そうですね、あまり……」


 マルリルの両目から、どぱっ、という擬音が似合いそうなほど大量の涙があふれ出した。


「……こんなに可愛くて、そんなにおっぱいも大きいのにッ……」

「いや、あの」

「男どもォ、見る目がないわッ!!」


 その唇から放たれたのは、もはや怒号と呼ぶべき大音声だいおんじょうである。

 模擬戦と観戦に興じていた男どもが、すわ何事なにごとかと、この場の紅点を見た。


「とても、他人とは、思えない……ッ!!」


 シルティの経歴の中の(現状ではかなり優先度が落ちている)ある項目が己の琴線に強烈に触れたらしいマルリルは、声を途切れ途切れに詰まらせながらだぱだぱと涙をこぼし、自動的に感極まっていく。

 そして、身に纏った霧白鉄ニフレジスの軽装鎧を消去すると、突如シルティの腕をぐいと引き寄せ、そのままムギュリと抱き締めた。

 ぐずぐずと涙を垂れ流しながら、シルティの頭を胸に柔らかくうずめる。


 女性が女性をとても愛おしげに抱き締める、そんな光景を前にして、周囲の男どもは気まずそうに眼を逸らした。

 なんか、見ちゃいけないもの見ちゃった気がするな。誰かが呟いた。

 そろそろ模擬戦も終わっとくか、というような空気が自然と漂い始める。

 渦中のシルティは困惑するしかない。


「え、えーと? その、えーと……マルリルさんも、伴侶探しの旅を?」

「そうなの。……私、ほんと、不細工で」

「えっ? ……ええ?」


 シルティは訝しげな声を上げた。

 シルティの目に映るマルリルは、緩い巻き毛と垂れ目を持った優しげな美人である。まぁ、故郷の蛮族の男たちの美醜感覚からすれば、ちょっとばかり上背が足りないかもしれないが……少なくともシルティの感覚では『とても美人』だ。どう転んでも『不細工』ではない。


「……私は、マルリルさんは凄い美人だと思いますけど」

「うふ。うふふふふ。ありがとっ」


 ようやく抱擁を解いたマルリルは、ずびびと鼻をすすりながら笑顔を浮かべた。


「あなたみたいに、嚼人グラトンの人は、たまに、美人だって言ってくれるの。……でも、森人エルフの男の人にとってはそうじゃないみたい」


 嚼人グラトン森人エルフ鉱人ドワーフなどの人類種と呼ばれる魔物たちは、後肢だけを使って直立し歩行する、卵型に近い頭部を持つ、発達した声帯を持つ、知能が高い、鉤爪ではなく扁爪ひらづめを備える、生命力の意識的な扱いが得意、などの多くの似通った特徴を持っている。

 だが、似通っているとは言っても、彼らはあくまで別種の動物だ。

 性交渉こそ可能だが、その間に子供ができることは非常に稀。仮にできたとしても、その子供は生まれつき生殖能力を欠如してしまうことがわかっている。

 マルリルの夢は、素敵なお嫁さんになり、良人おっとといちゃいちゃしながらたくさんの子供を授かって、最期には孫や曾孫といった大勢の子孫たちに囲まれて死ぬこと。

 他種族にモテても全く意味がないのだ。


「私ね、サウレド大陸のあっちこっち、いろいろ見て回ったのだけれど……どこに行っても、本当にモテないの……」


 距離が離れれば魅力的とされる女性の条件も変わるはずと考え、マルリルはかれこれ九十年もサウレド大陸中を放浪しているのだが……未だ恋人を得たことがなかった。

 人類種と呼ばれる魔物たちの中でも、森人エルフは個体数が特に少ないことで知られているが、同時に突出した長寿でも知られている。健康に過ごせば千年ほど。それほどの寿命の全てを生まれ故郷に留まって過ごすという者はほとんど皆無で、同族間の移住や交流は非常に盛んだった。成年二百歳を迎えた森人エルフは、ほとんど全員が知り合い同士と言ってもいいほどなのだ。

 個体の寿命が極めて長く、しかしながら個体数は少なく、そのうえ同族間で移住が盛んとなれば……地域の差を越えて、文化や嗜好も似通ってくる。

 そういうわけで、サウレド大陸全域に暮らす森人エルフのほぼ全ての男たちは、すらりと長い手足、切れ長の目、ピンと斜め上を向く耳介を好むのだった。


 マルリルは、泣くしかなかった。


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