第65話 森人の剣術



 その後、息を整えたシルティは。

 マルリルの身代わりとして指名されたヒューバート・アシュトンと模擬戦を行ない(ボロ負けした)。

 次は俺と、と手を挙げたサム・フェアクロフとも模擬戦を行ない(そこそこったが、負けた)。

 じゃあ次は俺と、と名乗り出たトーマス・ハンフリーとも模擬戦を行ない(ぶっ飛ばした)。

 そんなら俺も、と立ち上がった男が二人いたので。

 今は、その男同士が模擬戦を行なっており、シルティは休憩している。


 彼らもまた熟練の狩猟者。暴力を生業とする野蛮な動物である。シルティと同じく、腕比べは嫌いではないのだ。

 ……年若い娘に自分の良い所を見せてやろう、という青臭い意識も、多分にあったようだが。



 むさ苦しい男たちが真剣で斬り合う素晴らしい光景を観戦しながら、当の年若い娘シルティは地面に胡坐をかいて座り込み、太腿に乗せられたレヴィンの頭を撫でていた。


「んふふふふ……久々に楽しかったなぁ……」


 シルティはご機嫌だった。

 一勝三敗。戦績で言えば負け越しだ。

 特に、マルリルとヒューバートには完膚なきまでに負けた。仮にシルティの手に〈虹石火〉があったとしても、あの二人には到底敵わないだろう。

 だが、楽しかった。

 本当に、心底楽しかった。

 心臓の中でガビガビに乾いていた蛮血が、瑞々しく潤う気分だ。


 欲求不満が解消されたシルティが晴れやかな表情を浮かべていると、レヴィンが不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした。


「んー? どうしたの?」


 レヴィンが太腿から顔を上げ、首筋をシルティの腹に擦り付けてくる。

 シルティの頭部に尻尾を巻きつけ、その眼球を覆い隠した。明らかにシルティの観戦を妨害している。


「ふふふ。なんだよー? 見えないぞー? 嫉妬しちゃってるのかー? かわいいやつめー」


 シルティは目を塞がれたまま、レヴィンの頬と耳介の根本をモニモニと優しく揉みしだき、可愛らしい妹を宥めすかした。




(うーん……)


 マルリルは神妙な表情で、まだ借用しっぱなしのアーミングソードを検めていた。

 鍔元から拳三個半の位置に、胡麻粒ごまつぶほどの刃毀はこぼれがある。


(……あれ、ほんとに木刀なのかしら?)


 マルリルはアーミングソードを貸主に返却し、感謝と刃毀れさせたことに対する謝罪を伝えてから、休憩中のシルティへ近寄って行った。

 シルティはすぐに立ち上がり、マルリルに頭を下げる。


「改めて、ありがとうございましたっ」

「ええ。こちらこそ。ねえ、お嬢さん。もしよかったら、あなたの刀、少し見せて貰えないかしら?」

「え? 〈紫月〉ですか? はい、もちろんいいですよ」


 体当たりで吹っ飛ばされても手放さなかった〈紫月〉を、シルティはマルリルに差し出した。

 ちなみにレヴィンはシルティの太腿に頭を戻し、薄っすらと敵意の滲んだ目でマルリルを睨んでいる。

 主人を打倒した相手に対する警戒なのか、もしくは主人を夢中にさせている相手への嫉妬なのか、マルリルには判断が付かない。


「ありがとう」


 感謝を告げつつ、マルリルは〈紫月〉を受け取った。


(うわっ。おもっ。やっぱりこれ、鋸折紫檀のこおりシタンね。高級品だわ……)


 マルリルが目利きした通り、シルティが〈紫月〉を削り出したあの木は港湾都市アルベニセでは鋸折紫檀のこおりシタンと呼ばれる木本だ。驚くほど緻密で堅固けんごな組織を持ち、磨くと素晴らしい光沢を呈する。さらに心材部分は美しい深紫ふかむらさき色を有するため、特に家具類の材料として大いに好まれていた。

 ただ、数が少ないうえに成長が極めて遅いため、生産量がとにかく少ない。当然、その価格も馬鹿みたいに高い。まかり間違っても木刀に使うような木材ではない。超高級品である。


 マルリルは白魚のような指を伸ばし、刀身をなぞって検めた。

 素晴らしく滑らかだ。日頃からよく手入れされているのだろう、綺麗に磨かれて光沢を帯びている。

 立て続けに四人との模擬戦をこなしたというのに、その刃筋には僅かな傷もない。


(刃毀れは……全くないわね……)


 相互束縛バインドとは、打ち合わせた刃物に生じた微小な刃毀れが噛み合うことでお互いが固定される状態だ。

 切欠きが噛み合うことで、交叉する二本の刃筋、両方向に対して束縛がかかり、がっちりと動かなくなる。

 しかし、仮に打ち合わせた刃物の片方にしか刃毀れが生じなかった場合、束縛がかかる刃筋は一本だけ。

 今回の模擬戦で言えば、刃毀れが生じなかった〈紫月〉の刃筋の方向には束縛がかからない。

 最後の一合、マルリルが読みを外して慌てることになったのは、このためだ。

 固定されているはずの方向へ滑り込まれ、主導権を奪われそうになり、焦って、大人げなくも少女をぶっ飛ばしてしまった。


 本来、マルリルほどの使い手ともなれば、自分の得物が刃毀れしたことだけでなく、相手の得物が刃毀れしたことすら手に取るようにわかるのだが。

 所詮、あのアーミングソードは借り物。そこまでの自己延長感覚は得られていなかった。


(まさか、私が一方的にかじられるなんて……)


 衝撃を逃がさずにまともに刃物を打ち合わせた際、素材の強度や武具強化の程度によほどの差が無ければ、僅かなりとも両者に刃毀れを生じる。

 そう、素材の強度や武具強化の程度に、よほどの差が無ければ、だ。

 正味の強靭さに明確な差があれば、木材に振り下ろした斧のように、一方的に食い込むことになる。

 素材の強度はむしろアーミングソードの方が上。いかに鋸折紫檀のこおりシタンが堅固な材だとは言え、単純な強度で鍛えた鋼より強いはずもない。

 つまりこの少女シルティは、素材の強度の不利を武具強化のみで圧倒的に覆したということになる。


 マルリルの場合は、その手の内にあった剣が借り物であり、あまり模擬戦に乗り気ではなかったということ。そして森人エルフ嚼人グラトンに比べると生命力に乏しく、武具強化の効果の程も一段落ちるということを考慮すれば、ギリギリで納得できなくもないと言ったところだが……マルリルを除く三名は、正真正銘自らの得物を振るい、ノリノリで模擬戦に臨んだ、生命力の迸る嚼人グラトンの達人たちだ。

 彼らと打ち合い、木刀に傷一つないというのは、あまりにもふざけている。

 異常どころか超常と表現するほかない、狂った領域の武具強化だ。


(この、まだ若いのに……どんな生き方してきたのかしら)


 こういった手合いは稀にいる。

 特定の対象に狂気的な愛を抱き、自分が振るうそれは全てに勝ると確信できるタイプ。

 武器の強化の天才、と表現すれば聞こえはいいが……マルリルの経験上、大抵の場合、こういうのはどこかしらちょっとヤバい奴らである。

 マルリルは、ヤバい嚼人グラトンの少女ではなく、素敵な森人エルフの男性との出会いを求めて生きているのだ。

 できれば、今後はちょっと距離を置きたいところ。


「ありがとう、お嬢さん。綺麗でいい刀ね」


 マルリルは感謝を告げ、〈紫月〉をシルティに返却した。

 憧れのお姉さん(初対面)に愛刀を褒められたシルティは、〈紫月〉を抱き締めながら身をくねらせ、んふふふふとあでやかに笑い始める。

 客観的に見て、かなりヤバい。


(それにしても……まさか、嚼人グラトンをやられるとは思わなかったわね……)


 シルティが仕掛けてきた、を思い出す。

 相互束縛バインドが成立したと思い込んだ相手を敢えてわかりやすく押し込み、崩しにかかってきた瞬間、剣身を滑走させて一気にこちらの鍔元へ持ち込み、相手の剣を支配下におくという術理。

 明らかに咄嗟の動きではない。相手の読みの正確さと対応の早さを信頼した搦手からめてだ。

 確かな殺意を土台として考案され、出血の中で磨かれた技術の匂いがした。


 実のところ、こういった『不完全な相互束縛バインド』を利用した技というのは、マルリルには馴染み深いものだ。なぜならこれは、森人エルフの剣技ではよく見られる対他種族用の初見殺し、いわゆるの一種だからである。

 霧白鉄ニフレジス、そして輝黒鉄ガルヴォルン。魔法『光耀焼結』で創出されるこの二種の金属はどちらも馬鹿げた強度を誇り、かつ相手の武具強化のみを強烈に減衰させるので、打ち合わせた際に一方的に刃毀れを生じさせやすい。

 通常は互いの得物によほどの差が無ければ生じ得ない『不完全な相互束縛バインド』を、森人エルフたちは比較的容易に生み出す事ができるのだ。


 実践できる機会の少なさから、この手の技はほとんど森人エルフ固有のものである。嚼人グラトンが身に付けているのはとても珍しい。もしかして森人エルフから教わったのだろうか……と、そこまで考えて。

 マルリルの脳裏に電流が走った。


「ねえ、お嬢さん?」

「あの、えへへ、あのあの……私のこと、シルティって呼んでくれませんか、お姉さん」

「ええ。シルティ。私も、マルリルでいいわよ」

「はい! マルリルさん!」

「あなた、最後の、凄かったわね?」

「あれ? ……どれです?」

「剣を打ち合わせたとき、私が崩すのを見越して滑らせたでしょう? 随分、なめらかな動きだったわ。どうやって覚えたの?」

「え、どうって……普通に、斬り合いながら?」

「またまたぁ。森人エルフに教わったんでしょう? もしかして、男の人? かっこいい?」


 もし男性であるのならば、是非とも、紹介して欲しい。

 マルリルは恋の飢えに瞳を燃え上がらせながら、年下の少女に詰め寄った。


「ええ……? 森人エルフですか……?」


 シルティはたじろぎながら答える。


「あの、強いて言えば、私のお爺さんとお父さんに教わりました」

「そんなはず。いくらあなたの武具強化が素晴らしくても、剣を一方的に齧るなんてそうあることじゃないでしょう?」

「いや、そんなことも……、あ。あー。そういうことですか」


 ようやくマルリルの思考に得心が行ったシルティは、あっけらかんと答える。


「私、ちょっと前まで輝黒鉄ガルヴォルンで作られた太刀を使ってたんですよ。それで」

「なるほど。全……、全? 全部……そん……えっ……えっ?」


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