第64話 模擬戦



 西門から少し離れた草原にて。

 適度な間隔を空け、二人の女性が向き合っていた。


「シルティ・フェリスです! よろしくお願いしますッ!!」


 満面の笑みを浮かべるシルティと、


金鈴きんれいのマルリルよ。よろしくお願いします」


 対照的に、固い微笑みを浮かべるマルリルだ。


「どっちが勝つと思う?」

「いやマルリルさんっしょ。あの人マジつえーもん」

「あっちのシルティちゃんもかなり使えそうだぞ。ありゃあ、はええ。装備は酷いもんだが」

「まぁ、ガチの琥珀豹連れてくるぐらいだしな。どうやって捕まえたんだか。正直俺ぁ目ん玉飛び出るかと」

「そんでもマルリルだろぉ」

「……そういや、ひと月ぐれえ前に蒼猩猩狩りまくってる木刀持った女がいるって噂になったな?」

「あー。あったな。あれあのか」


 その周囲には武力要員として集められていた狩猟者たちが集まり、あーでもないこーでもないとくっちゃべりながら、模擬戦の始まりを今か今かと待ちわびている。

 晴れて朋獣と認められたレヴィンは、シルティの後方上空に珀晶の足場を生成し、その上に姿勢よく座っていた。

 私たちの戦いをよぉく見ておくように、とシルティに言われたので、よぉく見える俯瞰ふかん視点から観戦するつもりらしい。

 びょんと跳躍し、足元に珀晶の足場を生成。さらに跳躍し、足元に足場を生成。これを繰り返すことで、今のレヴィンはいくらでも高さを確保することができるのだ。

 ちなみに、パトリックは試験も終わったのに暴力的交流に付き合ってはいられないと既に職場へ帰っている。


(私はなにをやっているのかしら……)


 一方、渦中のマルリルは酷い自己嫌悪に陥っていた。

 美人なお姉さんと呼びかけられたから。

 嬉しくなって、つい反応してしまったが。

 嬉しくなりすぎて、ついつい模擬戦を引き受けてしまったが。

 実のところマルリルは、そこまで戦いが好きなわけではないのだ。


(もぉー……我ながら……もぉー……。美人とか、久しぶりに言われたからぁ……)


 マルリルには深刻な弱点があった。

 容姿的な称賛だ。

 美人とか、かわいいとか、そういうことを不意打ちで突然言われると……大抵のことは、ご機嫌で許してしまう。

 自覚はあるのだが、どうにも、治せない。


 マルリルがこうなってしまったのには理由がある。

 これまでの人生、マルリルは悲しくなるほどに男の人にモテなかったのだ。


 マルリルの故郷、『金鈴きんれいの森』では、すらりと長い手足、凛々しい切れ長の目、そしてピンと斜め上を向く耳介が美女の条件とされていた。

 マルリルは森人エルフとしては驚愕的なほどに小柄であり、嚼人グラトンの目から見れば充分に長い手足も、同朋たちからすればとても短く映る。

 マルリルの目尻は緩く垂れ下がっており、凛々しさとはかけ離れた……『ふんわり』とか、『とろーん』とか、そういう擬音が似合いそうな垂れ目である。

 そしてマルリルの耳は、生まれつき、やや斜め下に向かって伸びていた。


 そりゃもう、マジで死ぬほどモテなかった。

 だがマルリルの夢は、幼少の頃より、『素敵なお嫁さん』であった。

 素敵な出会いを求めてマルリルが故郷を泣きながら飛び出したのも、無理からぬ話である。


 その後、小柄で垂れ目で垂れ耳の女性が好きな森人エルフの男性を求めながら、都市から都市に流れ続けてはや九十年。

 二百五十歳となった今も、相変わらず愛を求める乙女である。

 彼女が狩猟者として活動しているのは、単にマルリルにとってコストパフォーマンスに優れた職業だという理由に過ぎない。九十年もやっているので暴力の腕前は自然と磨かれたが、魔物を殺すのが好きなわけでも、武器を振るうのが好きなわけでもないのだ。

 ぶっちゃけて言えば、お金も発生しないのに、こんな公衆の面前で初対面の女の子と模擬戦などしたくなかった。何の得にもなりはしない。


(……しかたないわね。今更、断れる雰囲気じゃないもの)


 マルリルは手の内にある片手用の直剣、アーミングソードを軽く振り、感触を確かめる。

 この直剣はマルリルが魔法で創出したものではなく、野次馬武力要員の一人から借用したものだ。

 森人エルフが、自ら創出した剣ではなく借り物の剣を使う。これを手加減と表現するのは少し語弊があるだろう。

 霧白鉄ニフレジスの特性は、あまりに反則すぎるのだ。

 他種族の生命力を無条件に霧散させるということはつまり、生命力の作用で引き起こされる武具強化をも当然のように減衰させるということ。

 シルティが金属の剣を使っているならばともかく、木刀では戦いにもならない。強化を散らされた木の棒など、マルリルは容易く両断できてしまう。

 仮にマルリルが創出した二本のバゼラードを振るうのならば、決着は一瞬でつくことになるだろうとマルリルは予想した。

 己の一割程度しか生きていないような少女との模擬戦あそびでそんな真似をするほど、マルリルも大人げなくはない。

 手加減ではなく、公平を期すために、マルリルは剣を借りた。


 自分で創出していない得物を握るのは久々だが、まぁ、やってやれないことはないだろう。

 マルリルの九十年の狩猟者生活は伊達ではない。アーミングソードやブロードソードのようなつかの短い片手用直剣も、数え切れないほど振るってきたのだ。

 今日初めて握るものだとしても、多少は身体の延長と思い込み、強化できる。


 右足を前に半身になり、足を広げ、踵を地に付けて腰を高く、重心を僅かに後ろに。

 アーミングソードを右手で保持し、中段に構えてぴたりと落ち着く。




(すんごい強そう。んふふふふふ……)


 シルティは陶酔したような艶っぽい笑みを浮かべながら、〈紫月〉を滑らかに抜刀した。その刀身は当然のように虹色に揺らめいている。つまり、生命力がギンギンに迸っているということだ。

 右足を前に、両足を拳四つ分ほどの間隔を空けて広げる。体重を蹴り足にかけつつ、重心は正中線上。両手で握る〈紫月〉の切っ先を相手の喉へ向け、中段に構える。

 待ち受けるマルリルに対し、見るからに攻め気に溢れた前のめりの構えだ。


「是非、殺す気でお願いします!」

「え……」

「私、お姉さんになら、殺されてもいいんで!」

「嫌よぉ……」


 シルティの爽やかな要求に、マルリルは完全に引いた顔をしている。

 得物の尺はシルティの方が長い。

 手足の尺はマルリルに分がある。

 総合すれば、間合いはほぼ同じだろうか。

 明らかな格上と斬り合える、折角の機会だ。

 もちろん、シルティは先手を譲るつもりなどない。

 お互いの準備が整ったと判断したシルティは、息を静かに静かに吸い、止めた。


 ズダンと地面を震わせ、全身全霊、鋭利な跳び込み。

 シルティの足元が爆発したかのように弾け、水平な土煙を生み出す。

 静止状態からただの一挙動で最高速度に達し、シルティは全く躊躇なくお互いの間合いを重ねた。

 放たれるのは、遠慮なくマルリルの額を狙う唐竹割りの一刀だ。


 対するマルリルは、静かに、半歩だけ右前へ。

 僅かな体捌きと共に、同じく、唐竹割りを繰り出す。


 剣と太刀は中空でかち合った。

 平行に極めて近い、だが僅かに角度の違う、二つの斬撃。

 しのぎが鎬をする、耳障りで間延びした擦過音さっかおん


 相打あいうち

 ではない。

 粘り強く直下するアーミングソードに押され……〈紫月〉の太刀筋が、柔らかく歪められる。


(んぁッ!)


 このままでは左腕をと察したシルティは、咄嗟に柄頭を握っていた左手を放し、右手首を無理矢理にグンとねた。

 技術も関節も力学も無視した強引な挙動が、右手首の激痛と引き換えにアーミングソードを強烈に押し退け、鈍い軋轢音あつれきおんを響かせる。

 自傷行為に等しいシルティの悪足掻きが辛うじて功を奏し、マルリルのアーミングソードの軌道を僅かに逸らした。

 だが、足りない。

 シルティの左前腕に切っ先がぞぷりと潜り込み、裂いて、抜ける。


 自らの血で空中に描かれる赤い線を横目に見ながら、シルティの脳内は歓喜で溢れた。


(すごすぎッ!!)


 感動的なほどの技の冴えだ。

 相手の斬撃に対し、防御するでもなく、回避するでもなく、斬撃を綺麗にことで制し、逸らし、相手のみを斬る。

 攻防を一挙動に共存させるそれは、シルティの故郷では『合撃がっし』などと呼称される対人の奥義に間違いない。

 大陸が違っても、殺しの術理は似通ってくるのか。


(くっそう! なぁっ!!)


 今の一合だけで、シルティにはわかってしまった。今の自分では、どう頑張っても、天地がひっくり返っても、このお姉さんには勝てない。

 相手の斬撃を完全に見極め、完璧な角度で斬撃を被せなければ、この合撃は成り立たないのだ。

 さらには、両手で振り下ろしたシルティに対し、マルリルの方は右手一本。これでこうも見事に合撃を決められたということは、生命力の作用による身体能力の増強度合でもマルリルが一枚も二枚も上手という証左だ。

 自分と彼女にどれほどの力量差があるのか、シルティには見当もつかなかった。


「ぁはッ!」


 間延びした主観時間の中、蛮血をたぎらせ、シルティは野蛮に笑った。

 剣術とは。暴力とは。

 楽しくて、果てが無くて、そして険しい坂道だ。

 上には上がいる。

 それが、たまらなく嬉しい。


 マルリルになら、本当に、斬り殺されても悔いはない。


 激痛を訴える右手首を歓喜の意志で弾圧し、気持ち良く労働させる。

 腰を落とし、シルティはさらに前へ。再び、地面が爆発する。蹴力と体重を腕へ流し、超低空かつ超コンパクトな左袈裟左上から右下を右腕一本で繰り出した。

 刺すような超速の一撃に対し、マルリルはむしろゆっくりにすら見える優雅さで剣を立て、鍔元で受ける。

 鈴の音のような涼しげな音を響かせ、剣と太刀が交叉した。

 一瞬の拮抗。

 マルリルが腕を折り畳んで剣身を寝かせ、脱力した。〈紫月〉がアーミングソードの刃をつたって滑り、鍔元から刃先へと流れる。

 シルティはそれに逆らわず、流れの方向に地面を蹴った。


 シルティの生み出す足音は一つ。

 だが、地面に刻まれた足跡は四つ。

 シルティはまばたき一つの間に直角の方向転換を二度こなし、マルリルの背後に現れた。

 あまりの速度に、地面を蹴り砕く音が完全に重なっている。

 狙うはあばらだ。

 手加減なしの、右逆袈裟右下から左上


 シルティが全力で肉体を操った際のキレと速度は、遥か格上の戦士であるマルリルですら、一時いっときは置き去りにし得る領域に……、踏み込んでいた。


 マルリルがまるで散歩でもするように、するりと前へ足を出す。

 鈍間のろまにすら見えるその動きで、〈紫月〉の切っ先は空を斬った。

 なんでこれを避けられるんですか、とシルティが思うより早く、マルリルが振り向きざま、その直剣を振るう。

 音すら切り裂くような、寒気のする左袈裟左上から右下

 シルティもまた全力で〈紫月〉を斬り返し、叩き付ける。迎え撃つこちらも、左袈裟。

 ひび割れた轟音を響かせ、〈紫月〉とアーミングソードが激突した。


(!)


 衝撃を逃がさずにまともに刃物を打ち合わせた際、素材の強度や武具強化の程度によほどの差が無ければ、僅かなりとも両者に刃毀はこぼれを生じ、互いに食い込む。

 この状態の時、交叉した剣と剣は見た目から想像もつかないほど強固にされ、刃の噛み合いをしっかり外すまでは全く

 『相互束縛バインド』などと呼ばれる、瞬間の膠着状態だ。


 シルティやマルリルにとって、剣とは正真正銘、身体の延長である。

 それを噛み合わせた状態というのはつまり、握手と同義なのだ。

 優れた戦士にとって、握手とはつまり。

 読み合いという競技の、皮切りだ。


 相手の剣の位置。自分の剣の角度。

 押すのか。引くのか。梃子てこを働かせるのか。

 支点は手首か。それとも刃の噛み合った点か。

 あるいは、剣身を返して相互束縛バインドを解除し、刃を滑らせるのか。

 より強い鍔元で剣先を押し退けるのか。翻して躱すのか。

 もしくは、相手に解除させて鍔元まで誘い込み、より親密な関係に持ち込むのか。

 刃に拘らない手もある。柄頭や鍔による打撃。拳で殴る。腕を掴む。蹴る。足払い。


 まばたきよりも短い刹那の硬直、無数の読み合いの果てに、シルティが動いた。

 相互束縛バインドを解除せず、〈紫月〉を強引に押し込む。


(あら?)


 押してきた。思っていたより、随分、稚拙だ。

 では崩そう。

 そう即断したマルリルが、刃筋を保ったまま体軸を傾けようとして。


 アーミングソードの刃が、〈紫月〉の刀身に沿って


(ッ!?)


 予想外の結果に、マルリルはその垂れ目を大きく見開いた。

 相互束縛バインドは成立していたはずだ。

 なぜ滑る。

 いや。成立していたか?

 これは。

 この滑らせ方は。

 



 次の瞬間、マルリルの左手が稲妻のような速度で動き、シルティが握る〈紫月〉の柄頭を掌底で打ち上げた。


 ドパン。


 観戦者たちの耳にも衝撃が届くような馬鹿げた突き上げを受け、シルティの両腕は〈紫月〉ごと無様に跳ね上がった。

 間髪入れず、マルリルの身体が沈む。

 左足を地に着け、右足を僅かに浮かせ、体重の落下を推力に変換。

 身体を丸め、右肩を突き出し、最後の一歩。


 ズドン。


 肩を突き刺す体当たりをまともに受け、シルティの身体が水平に吹っ飛んだ。

 冗談のような飛行距離を経て地面に墜落、にごろごろと四回転も転がって、ようやく勢いが止まる。

 周囲の観戦者たちから、うげぇ、やべェ、死んだんじゃねぇかあれ、などと同情の声が上がった。


「ごっ……は、ッキ、は……ぉ……」


 地面にべたりと貼り付いたまま、シルティは悶絶する。

 マルリルの体当たりが完全に鳩尾みぞおちに入ったおかげで、息ができない。苦しい。

 嗚呼。

 嬉しい。


 これに慌てたのはマルリルだ。

 ここまでやるつもりはなかった。


「ご、ごめんなさい! ちょっと焦っちゃったわ。やりすぎちゃったわね? 大丈夫?」


 勝敗は明らかだ。急いで駆け寄り、シルティを抱き起こす。


「さ……い……最……高……でした……お姉さん……」

「……そ、そう……」


 シルティは、恍惚とした艶っぽい表情で、すがるようにマルリルを見つめた。


「もう一戦……やってくれませんか……?」

「……えーっと、ごめんなさい、少し疲れちゃったわ。ほら、あの人とか、他にも強い人いっぱいいるわよ?」


 マルリルが、観戦者の中から身代わりを指差す。

 指名された男は、無言のままこれ見よがしに両腕を曲げて力瘤ちからこぶを作り、輝く笑顔を浮かべて肉体美を見せびらかし始めた。


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