第63話 認定証



 西門に戻ってすぐ、パトリックから小さな箱と袋が差し出された。

 袋の方には、琥珀豹を初めて朋獣登録したことに対する謝礼金が詰まっている。予定外の収入だ。『霊術士を雇って海の底から先祖伝来の家宝〈虹石火にじのせっか〉を引き上げる』というシルティの最大の目標のためには、お金はいくらあっても足りない。ありがたく頂戴しておく。


 箱の方には、二つのコインが収められていた。長らく追い求めていた、レヴィンの朋獣認定証だ。

 黒ずんだ金属でできており、表面には浮き彫りで帆船はんせんいかりを簡略化した紋章が描かれていた。この図案は港湾都市アルベニセの紋章だ。どこで発行された認定証なのかを示しているらしい。

 紋章の下には、なにやらやたらと格好いい書体で『琥珀豹、一』との刻印があった。魔物種の名称と、何番目の登録なのかが記されているようだ。

 もちろん、事前に指定した通り外縁部には四つの小さな穴が開けられている。正面から見て十字の位置。


 一つを手に取って裏面を見ると、外周部に沿うようにシルティとレヴィンの名が、そして日付が刻まれている。そして文字に囲まれた中央には、濃い朱色のガラス質の物体……朱璃しゅりが小さく顔を出していた。

 多くの魔道具に設けられる生命力の導通補助装置。『楔点せってん』だ。


(おわー。話には聞いてたけど、ほんとに楔点付いてる。すっごぉ……厳重だなぁ……)


 そう、実はこの朋獣認定証、れっきとした魔道具なのである。

 ただし、その効果は『生命力を通すと表面の黒ずみが消える』という、狩猟や生活の役には立ちそうにない魔道具だ。詳しく聞くと、黒ずんで見えるのは認定証を黒色半透明の被膜が覆っているからで、生命力を通すとこの被膜が完全に無色透明になり、黒ずみが消えたように見える、とのこと。

 アルベニセ付近には生息していない、無垢避役むくヒヤクと呼ばれる蜥蜴トカゲに似た魔物の素材を使ったものだとか。


 では、なぜそんな効果を認定証に組み込んでいるのかというと、これが非常に手軽な本人確認に使えるからである。

 血縁を結んだ楔点は、至近距離にあれば半自動的に生命力を導通する。ゆえに、着火用魔道具〈蜻蛉の尻尾〉や〈冬眠胃袋〉の脱着機構などは、生命力の有無で魔術のオン・オフを切り替えるのではなく、魔道具の構造自体をスイッチなどで少しずらすことで物理的に切り替える仕組みだ。

 しかし、認定証にはこの物理スイッチがない。つまり、身に付けた状態の認定証が黒ずんでいる場合、それを身に付けているのは登録された朋獣本人ではない、と判断できるということ。

 また、この認定証に組み込まれた楔点は特別複雑な毛細経路を持っており、溶剤を用いて朱璃を液状化させたとしても完全に取り除くのは非常に難しい。ゆえに、一度血縁が結ばれた認定証に細工をして別人がなりすますのはまず不可能だとされている。


 なお、楔点なしで認定証に生命力を通せるような個体はほぼ考慮されていないらしい。

 人類種以外の魔物は基本的に『身体以外へ生命力を導通させる』ことが非常に苦手で、楔点なしではほぼ不可能に近いとされているためである。


(これ作るだけで凄いお金かかりそうだなぁ。どーりで受験料が高いわけだ……。猟獣の認定に魔道具使うとか、ノスブラじゃ絶対ないよ)


 シルティの故郷のあるノスブラ大陸では、都市に入るためには認定されなくてはならないというおおよその仕組みは同じだが、もう少し気軽なものだった。その代わり、猟獣が問題を起こした際の罰は非常に重く、死刑も多々ある。国や大陸が変われば、なにを重要視するかも変わるのだろう。

 カルチャーショックを受けつつ認定証をしげしげと観察していたシルティに、パトリックが声をかけた。


「既にご承知の通りと思いますが、念を押させていただきます。認定証を紛失した場合、原則的に再発行はできません。再受験が必要になりますので、ご注意願います」

「あ、はい」


 これもまた、なりすましの防止策だ。

 例えばシルティが別の琥珀豹を連れてきて、これはレヴィンなんだ、でも認定証を紛失したから再発行してくれ、と訴えたとして。

 その個体とレヴィンとが本当に同一個体かどうかを、行政側がどうやって確認するのか、という話になる。

 全身に模様のある琥珀豹ですら普通は見分けがつかないだろう。模様のない魔物種ともなれば尚更である。無地で健康な鶏雛ヒヨコを十匹集め、それぞれに名前を付けて、それを判別できる人類種というのは、相当に稀有な存在だ。

 まぁ、愛情を持って接している主人からすれば、そんなものは一目瞭然かもしれないが。

 朋獣管理課の職員にその判別能力を求めるのはあまりに酷である。


 ちなみに、朋獣管理課が発足した当初は、もう一つ血縁を結ばせた認定証を管理課で保管しておくという手段で紛失時の本人確認が可能だったらしいのだが……すぐに登録数が膨大になり、管理し切れなくなった。

 予算的に現実的ではないと判断され、あえなく廃止されたという。


 一通りの説明と注意を終えたパトリックは、懐から二つの小さな瓶を取り出した。

 内容物は朱璃を溶融させる透明な溶剤、そして凝固させる青い凝固剤だ。


「では、フェリスさん。ここで血縁と装着をお願いします。溶剤は付属の匙、一杯分ですので」


 都市内では、主人はこの認定証を携帯する義務があり、朋獣は認定証を視認性の高い部位に掲示しなければならない。

 朋獣が認定証と血縁を結び、装着するまでを見届けるのが、試験官であるパトリックの職務だった。


「はーい」


 シルティは溶剤を受け取り、認定証の楔点にぽたりと垂らす。すぐに液体と楔点との境界面で微細な気泡が生じ始めた。楔点が完全に液状化するのを待つ間に、レヴィンの血液を採取する必要がある。


「失礼します」


 パトリックや武力要員たちに一言断りを入れ、シルティが〈玄耀〉をすらりと引き抜く。


「レヴィン、痛いと思うけど、我慢してね」


 レヴィンが頷くのを待ってから、シルティはレヴィンの肩の辺りをすぱりと斬った。

 傷口から零れる赤い血液を〈玄耀〉の刀身の腹で掬い、液状化の終わった楔点へと数嫡垂らす。

 溶融した朱璃とレヴィンの血液とが完全に混ざり合った頃合いで、凝固剤を垂らす。すぐに凝固し、色合いが赤から紫に変わった。


「大丈夫かな?」


 レヴィンの頭にそっと乗せてみる。

 すると、放置した銀器のように黒ずんでいた認定証が、透き通るような銀白色に変化した。


「おお!」


 レヴィンの頭から離してみる。途端に、認定証は黒ずんでしまった。


「おー!」


 本人確認の機能は十全に働いているようだ。


「よしよし。んじゃ、首輪につけよっか」


 シルティは懐から幅広のベルトを一本取り出した。

 濃い焦茶色をした柔らかい革でできており、バックルと、薄い金具が取り付けられている。飾り気のないシンプルなものだが縫製は素晴らしく丁寧で、信じられないほど滑らかな裏材が使われていた。事前に試着しているレヴィンも着け心地は悪くないとご満悦である。


 十日前、申請を終えたシルティは、その足で『ハインドマン革工房』を訪れてこの首輪を発注していた。認定証を装着するための装身具というのは結構な需要があるらしい。愛する朋獣のために少しでも質の良い物を、とオーダーメイドを求める者はかなり多いのだとか。

 ジョエルも過去に何度も製作した実績があるらしく、すぐに見本をいくつか出してくれた。

 さらにシルティがいくつか要望を伝え、つい先日に完成したのが、この首輪である。


 首輪に取り付けられた薄い金具は、認定証を嵌め込むための台座だ。台座からは四本の短いピンが生えており、ちょうど認定証の四つ穴に通る設計になっている。

 早速、シルティはレヴィンと血縁を結んだ認定証を台座に嵌め込んだ。その後、四つ穴を貫通してはみ出したピンの先端部分を指先でぐにりと折り曲げて、軽く叩き潰してやれば、見た目からは想像もつかないほど強固に固定してくれる。

 少なくとも、首輪が無事なうちに認定証が外れることはないだろう。


「レヴィン、ちょっと上見ててね」


 ビャゥン、とレヴィンは了承し、空を見上げて喉を伸ばす。

 シルティはその喉をわしゃわしゃと撫で掻きながら首輪をレヴィンの頸部に巻き、バックルで留めた。

 軽く揺すって、レヴィンの首元に首輪を馴染ませる。


「苦しくない?」


 頷くレヴィン。


「んふふふ、うんうん、似合う似合う。かっこいい」


 シルティが褒めると、レヴィンはシルティの腹へズドンと頭突きをして、そのままぐりぐりとじ込んできた。人類種から見れば首輪は装身具だが、レヴィンにとっては初めての服だ。つまり、初めてのオシャレである。なにやら照れているらしい。

 くすくすと笑いつつ、シルティは残ったもう一つの認定証を手に取った。血縁を結んだとしても、人類種は認定証で厳密な本人確認を行なうことはできない。人類種はそれ以外の魔物と比べると圧倒的に体外への生命力導通が得意なので、他者と血縁を結んだ魔道具であっても、場合によっては楔点を通さずに作動させることができるからだ。

 しかし、そうは言っても黒ずんでいる場合は確定で怪しいと判断できるので、やはりこちらも血縁を結ぶ必要がある。

 手早く血縁を結び、こちらも綺麗な銀白色に変化することを確認したのち、シルティは懐からさらに一つの革製品を取り出した。


 主人が持つ方の認定証に掲示の義務はないので、携帯さえしていれば常に見える位置に出している必要はない。ないのだが、アルベニセではこれをペンダントやバングルのようにして身に付けている者がほとんどだ。

 魔術が作動している間の認定証は美しい銀白色のコインであるし、なにより難関である朋獣認定試験の合格証明でもあるので、身に付けていると割と自慢になるのである。


 ただ、シルティはアクセサリーの類があまり好きではなかった。

 ペンダントやネックレスの類は、激しい立ち回りに際して首元で暴れ回るのが嫌だ。意図しないところに引っかかったりもするし、最悪の場合、相手に掴まれることもある。

 シルティは動きのキレを身上とする戦士。相手の攻撃を見極め、最小限の動きでの回避と捌きが生命線だ。首根っこを掴まれるのは文字通り致命的なので、よほどのことがなければ遠慮したいところである。

 バングルやブレスレットの類はもっと嫌だ。

 愛する得物を振るう腕に、余計なものなど絶対に付けたくない。


 そこでシルティは、邪魔にならない専用のホルダーをジョエルに注文し、認定証をベルトに取り付けることにした。

 構造としてはレヴィンの首輪と同じく、認定証の土台が付いた帯状の小さな輪である。ズボンのベルトや〈冬眠胃袋〉のハーネスベルトなどを通すことができ、内側に生えた数本のびょうがベルトに食い込むことで位置が固定される仕組みだ。


「できました!」

「はい、確かに」


 パトリックが確認し、満足そうに頷いた。

 これにて、朋獣認定試験の全ての行程は終わりだ。

 魔法『珀晶生成』に関する新情報への謝礼金については、金額算出の終わる三日後以降であれば、朋獣管理課を尋ねればいつでも受け取れるとのこと。


「いつでも、ご都合の良い日にお越しください」


 パトリックが深々と頭を下げた。



 さて。


 認定試験が無事に終わったのだから、もうここに居る理由はない。

 シルティも、レヴィンも、パトリックも、そして武力要員たちもだ。

 ざわざわと解散の空気が漂う中、シルティは急いで視線を巡らせた。

 探すのはもちろん、見るからに強そうなあのお姉さん……森人エルフのマルリルである。

 アルベニセに辿り着いてからというもの、シルティは蒼猩猩と雷銀熊ぐらいしか斬っていない。正直に言って、〈紫月〉を振るうシルティに、あれらは楽勝だった。

 楽勝な相手は、金銭的な意味では嬉しいが、蛮族的な意味ではあまり嬉しくない。

 蛮族とは、長期間にわたって血の滾るような苦戦を味わえないと、凄まじい精神的負荷ストレスを感じてしまう動物なのだ。

 今のシルティは、強者との斬り合いに心底飢えていた。

 そして、これまでアルベニセにて出会った人々の中で、最も強そうに見えるのがマルリルだ。

 ちょっとだけでもいいので、是が非でも模擬戦を申し込みたい。ボコボコに叩きのめしてもらいたい。


 特徴的な薄金色の巻き毛頭はすぐに見つかった。

 そして、シルティに見つかったことを、マルリルもすぐに察知した。

 猛烈に嫌な予感を覚えたマルリルは、視線に全く気付かないふりをしてきびすを返し、急ぎ足で西門をくぐろうとした。


「あのッ!! そこの綺麗な森人エルフのお姉さんっ!」

「なにかしら!」


 マルリルは満面の笑みで振り返った。


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