第62話 朋獣認定試験



 港湾都市アルベニセ西門からほどよく離れた広場にて。

 試験官パトリックと、受験者レヴィンが相対する。

 主人であるシルティは、適当な間隔を開けてレヴィンの背後に。

 今回雇われた武力要員の中では最も腕が立つと認識されていたマルリルは、パトリックの護衛としてすぐ隣に控えている。

 他の九名は、やや距離を開けて四人を包囲していた。


 この『武力要員十名』というのはあくまで成獣の琥珀豹の撃退を想定した戦力。幼獣であるレヴィンに対してはかなり過剰のためか、包囲する九名の間にはやや弛緩した雰囲気が漂っている。

 一時は蛮血に酔っていたシルティも、さすがにこの期に及んでマルリルとの斬り合いを渇望するほど無責任ではない。胸に手を当て、レヴィンの合格を真摯に願っていた。

 唯一、柔らかい微笑みを顔に貼り付けながら内心では最大限の警戒をしているのがマルリルだ。万が一にでもパトリックに怪我を負わせるわけにはいかない。その両手はだらりと下げられているが、すぐにでも抜剣できる体勢である。


「では、始めましょう」


 パトリックの言葉を皮切りに、朋獣認定試験が開始された。



 第一に、人類言語の理解度試験。

 まず、シルティの指示にレヴィンがしっかりと従えるかを見る。

 これは当然、全く問題なしだ。

 特に、距離および時間という概念を充分に理解できている点、そしてそれらを異常なほど正確に測定できる点は、猟獣として大きな加点対象となったらしい。

 遠巻きに観察していた武力要員たちからも感嘆の声が上がった。


 続いて、パトリックが都市内で有りるさまざまなシチュエーションを提示し、その状況下での行動を問う。目の前に生肉が置いてある、周囲に人目無し、どうするか。子供が転んで泣いている、どうやら怪我をしたようだ、どうするか。いきなり包囲された、その手に武装あり、どうするか。などなど。

 レヴィンは人類的道徳に則った模範的な解答を示した。と言ってもレヴィンは人類言語を話せないので、頭部でのジェスチャーを含む身体言語ボディランゲージや、事前にパトリックが用意した絵の描かれた紙片カードを使ってだ。


 識字能力についての試験では、主に読解力を見る。単語の書かれたカードと上記の絵柄カードをシャッフルし、正しい組み合わせを作れるかどうか。パトリックが地面に記した文章での指示を読み、理解できるかどうか。

 これについては、教師シルティがあまり良くなかったためか怪しい部分がところどころあったものの、充分に意志疎通ができる水準に達していると言えるだろう。

 パトリックが驚嘆の表情を浮かべつつ、満足そうに頷く。


「素晴らしい。言語理解については全く問題ありませんね。満点を付けても誰も文句などないでしょう」

「ふふん。でしょ! うちのレヴィンは天才なんです!」


 シルティは両手を腰に当て、実に誇らしげに大きく胸を張った。

 マルリルは、この娘すんごいおっぱいしてるわね、と凝視した。

 パトリックは妻子ある身としてこの視線誘導を誠実に無視した。


「あとは、魔法ですね」


 パトリックが手元の書類になにかしらを記入しながら告げる。

 レヴィンの耳介がピクンと動いた。みっちり訓練を積んだおかげで、本的にも魔法には自信があるらしい。努力したからこそ、その成果を示せる試験というイベントを楽しみにしていたようだ。


「レヴィンさん。まず、どんなものでもいいので、『珀晶生成』を見せていただけますか」


 レヴィンは即座に魔法を行使した。

 パトリックの真正面やや斜め上、手を伸ばせば触れられる位置に、ほぼ真球の珀晶が現れる。

 大きさは枇杷ビワの実ほどだろうか。

 透明な珀晶の生成に成功してから十四日間、ひたすら練習を重ねてきたおかげで、レヴィンは既に眼球への過剰な生命力集中を克服済みだ。魔法行使の前兆がほぼ無くなり、いよいよ琥珀豹として完成に近づいてきている……まぁ、練度はまだまだだが。


 十、数えるほどの時間が流れた。

 パトリックは怪訝な表情を浮かべ、首を傾げる


「……? あの、レヴィンさ……んっ!?」


 そして、いつの間にか視界内に浮かんでいたそれにようやく気付くと、ぎくりと身体を硬直させて目を見開いた。


「い、いつの間に……」


 目を閉じていたわけでも、ぼーっとしていたわけでもない。だというのに、その枇杷の実大の珀晶がいつからそこにあったのかパトリックには全くわからなかった。

 琥珀豹の魔法『珀晶生成』が静かで速いという知識は持っていたが、いざ目の当たりにすると驚愕の一言。文字通り気が付いたら浮かんでいたとしか言いようがない。

 背中を冷たい汗が伝った。予想を遥かに超えている。


 その隣に立つマルリルは、もう少し踏み込んだ部分で驚いていた。

 過去に二度、マルリルは琥珀豹を狩るためのチームに参加したことがある。それらの戦いにおいて、マルリルは数え切れないほどの珀晶を目にした。しかし、それらはどれも角張った鉱石などの自然物を模したものであり、このように綺麗な……言ってしまえば人工的な形状のものなど一つとしてなかったのだ。


(これは……怖いわね……)


 表情を取り繕いつつ、マルリルは戦慄する。

 一見して全く歪みのない、完全に透明な美しい球だ。球を通して見るそらの上下と左右が綺麗に反転しているほど。

 これほど精密な球が作れるならば、鋭利な刃だって簡単に作れるに違いない。

 野生の琥珀豹が生成する粗雑でなまくらな珀晶ですら、マルリルの身体を散々に刻んでくれたのだ。自然界に存在するれきと洗練された刃、どちらがより殺傷力を持つかなど言うまでもないだろう。


(いやー……琥珀豹にこんなの教えちゃ駄目でしょー……)


 この幼獣が順調に年齢と経験を重ね、成獣となったならば……二十人では足りない。

 三十人、いや四十人がかりでも、持久戦に持ち込む前に蹴散らされる気がするマルリルだった。





「あ、ありがとうございます、レヴィンさん。では……ええと……」


 想像以上の静穏性に動揺を隠し切れない様子のパトリックだが、試験自体はつつがなく進む。

 まずはパトリックの合図に合わせ、生成を繰り返す。全く問題なしだ。合図の度に、枇杷の実ほどの球体珀晶が増えていく。

 空中に浮かぶ珀晶の数が四十三を数え、四十四個目を生成した瞬間、一個目の珀晶が空気に融けるように消滅した。

 パトリックが頷く。


「上限は四十三個前後ですか。将来が楽しみというか、末恐ろしいですね」

「あっ。そうだった。すみません、多分それちょっと違います」


 成績を記入しようとしたパトリックに、シルティが待ったをかける。


「え? っと、どういう意味でしょうか?」

「琥珀豹の珀晶って、壊されるか、時間が経つか、一度に維持できる個数を超えるか、自分で消すかすると消えるって話じゃないですか?」


 パトリックが再び頷く。

 一般に、魔法『珀晶生成』の性能はそのように知られていた。


「でもこれ、個数じゃなくて体積っぽいんですよ」

「……なんと」

「レヴィン、ちっちゃいのはいっぱい作れるんです。でも、でっかいの一個作ると、次に豆粒みたいなのを作っても一個目が消えちゃうんです。ね? レヴィン」


 レヴィンが肯定の声を上げる。

 枇杷の実で四十三個分。小さい鍋で山盛り一杯分ぐらいだろうか。この上限はレヴィンの体調により結構な振れ幅で増減するのだが、今日は絶好調のようだ。そしてこの上限は、どうやら身体の成長に伴ってぐんぐんと増えていくらしい。この十四日間だけでもはっきりとわかる程に右肩上がりだ。

 いつか私の像とか生成してみて欲しいな、とこっそり思っているシルティである。


「……なるほど。ありがとうございます。この情報について、のちほど奨励金をお支払いします」

「えっ? お金貰えるんですか? ……と言うか、?」

「もちろんです……、あ」


 そこでパトリックは唐突に顔を青ざめさせ、頭を深々と下げた。


「重ね重ね、誠に申し訳ありません。事前の説明に抜けがありました」

「え」

「アルベニセでは、過去に記録のない魔物の朋獣認定を奨励していまして。受験に際し、我々は少なからず情報を得られますから、それに対する謝礼という形で奨励金をお支払いしております」


 人類種は数多くの魔物についての情報を収集し、彼らがその身に宿す数々の魔法の内容を推測している。そう、一部の例外はあるが、あくまで推測なのだ。魔物たちの操る現象を観測して情報を積み上げ、類似の魔法なども考慮して、おそらくはこういう魔法なのだろう、と推測しているに過ぎない。

 当然、野生の魔物相手にこれを行なうのは至難の業である。琥珀豹のような強大な魔物となれば尚更。現在世界中に流布されている『視界内かつ空気中に、極めて静謐かつ瞬時に黄色透明な物質を生成できる。それは生成された座標に固定され、破壊、時間経過、維持個数上限の超過、あるいは任意により消滅する』という推測の前には、数多の殺し合いと膨大な犠牲が横たわっているのだ。


 だが、人類種と明瞭な意志疎通を行なえる個体がいれば、魔法の推測の難度は著しく低下し、確度は飛躍的に上昇する。

 魔物の正確な情報は狩猟者たちの安全にも繋がり、魔術研究者たちの成果にも大きく影響するので、認定試験で得られる新情報は行政が対価を支払うに充分値するのだ。

 琥珀豹はアルベニセでは広く知られた魔物ではあるが、本物の琥珀豹が朋獣認定試験を受験した記録はない(多尾猫などが琥珀豹だとして受験した記録はあり)。当然、レヴィンも『人類種と明瞭な意志疎通を行なえる』と見做されれば、その時点で奨励金の支払いが約束される。

 本来これは受験申請時に説明されるべき内容だったが、パトリックは内心で琥珀豹ではなく多尾猫だと断定していたため、すっかり忘れていたのだ。言い訳のしようもない、完全な失態である。


「レヴィンさんはアルベニセで受験される初の琥珀豹となりますので、言語理解に合格された時点でお支払いが確定しております。また、魔法試験に合格されれば、追加のお支払いがございます。この二つは基本的に定額ですので、本日中にお支払いいたします。さらに、魔法について新しい情報があれば査定を行ない、算出された金額をお支払いいたします。こちらは後日となってしまいますが、先ほどフェリスさんがおっしゃったような、これまでの定説を修正できるような情報は魔術研究者の方々が大変喜びますので、決して安くはならないかと……」


 思い込みからシルティを侮って、失礼極まりない断定をし、その挙句が職務怠慢。

 パトリックは真面目な男である。圧し掛かる自責の念に押し潰されるように、頭を深々と下げたまま固まってしまった。


「いやその……ほんと大丈夫ですんで……」


 居心地が悪い。悪すぎる。

 シルティは割と泣きそうだった。





 パトリックの悔恨はともかく、魔法の試験は続く。


 座標の精密性の試験。

 所定の位置に立ち、ランダムな位置に設けられた目印の直上に珀晶を生成できるかどうか。

 全く問題なし。最も離れた目印にすら寸分の狂いもなく生成してみせた。もはや人類種では不可能に近い精度での目測だ。

 造形の精密性の試験。

 パトリックが用意したいくつかの対象物モデルを、珀晶でどの程度再現できるのか。

 完璧と言うほかなし。鉋屑かんなくずのような繊細なもの、彫刻家が心血を注ぎ込んで作り上げた精巧極まる人形、果ては無数の毛が生えたネズミの剥製まで、さらりと複製してみせた。


 その他、四十個強の生成済み珀晶の中からパトリックが指定したもののみを消去できるかだとか(余裕だった)、パトリックが金鎚を使って珀晶の強度を確かめたりだとか(パトリックでは破壊できなかった)、薄肉の器を作って水を注ぎ漏れが無いか調べてみたりだとか(一切なし)、パトリックが緩く投げた石を防いでみせたりだとか(完璧)、片方の目を閉じた状態で魔法に変化があるかどうかを見たりだとか(精度が落ちた)、生成した珀晶の壁の向こう側に生成できるのか――つまり透明な物体を通した視界内でも生成できるのかを確認したりだとか(可能だった)、では鏡を通した場合はどうなのかだとか(無理だった)。

 いくつかの試験ないし測定が行なわれたが、レヴィンは全てをそつなく熟した。


 試験を進めるうちに悔恨の念から立ち直ったパトリックが、手元の書類を見ながらしきりに頷く。


「いやはや、本当に素晴らしい。前例がないので項目が多くなってしまいましたが、全て問題ありません」

「じゃあ?」

「ええ。もちろん、合格です」

「やったっ!」


 シルティはレヴィンに抱き着き、全身を使ってワシャワシャと撫で回した。

 途端に、ごるるるると喉が鳴り始める。


「まさか琥珀豹が猟獣とはなぁ」

「やったな嬢ちゃん!」

「いやぁ、いいもん見れたわ」

「でかかわいい」


 武力要員たちから感嘆と称賛の声が掛けられた。

 ここまでの試験の様子から、レヴィンが暴れることはないだろうという認識が広まったのか、警戒はぬるくも解けてしまったらしい。当初は最も警戒していた森人エルフのマルリルも含み、全員が親しげな様子だ。

 大抵の狩猟者は、優秀な猟獣には敬意と親愛を抱くという生態の動物なのである。


「どーも、どもー!」


 シルティが笑顔で手を振り、周囲に応えた。

 レヴィンは姿勢のいい三つ指座りエジプト座りで凛々しく決めている。

 称賛の声にも微動だにしないお澄まし顔だが、シルティには手に取るようにわかった。

 レヴィンは今、自らの能力を誇らしく思いつつ、かなり照れている。


「改めまして、おめでとうございます。認定証は西門にてお渡しいたしますので」

「はーい!」

「では」


 パトリックの先導に従い、西門へ向かう。

 レヴィンはシルティの右隣にぴったりと寄り添い、尻尾を腕に絡めたまま歩いている。

 ようやくだ。港湾都市アルベニセに辿り着いてから百日あまり。ようやくレヴィンを朋獣として登録することができた。あとは認定証を受け取れば、レヴィンは晴れて都市内での人類種と大差ない生活を許可されるのだ。


 朋獣として登録された個体は、人類種同様、宿にだって泊まれる。もちろん設備を汚せば賠償が必要になるが、レヴィンならば問題ないはずだ。現在の季節は秋。日に日に肌寒くなってきている。本格的な冬の訪れの前に暖かい寝床を得られて本当に良かった。


 食事も摂れる。これまでレヴィンは都市に入れなかったので、食事と言えばほぼ蒼猩猩の肉だった。あれはあれでシルティは好きだが、やはり食肉用として育てられている家畜と比べれば違う。美食を本能とする嚼人グラトンとしては、レヴィンにも文明的で美味しいものをたくさん教えてあげたいのだ。


 そして、風呂。この都市の公衆浴場には、向けの個別浴室が設けられている。料金はかなり割高になるのだが、レヴィンも一緒に入浴することができるのだ。公衆浴場の職員にも確認したので間違いない。

 シルティは毎日さまざまな人類種の文化をレヴィンに語り聞かせてきたが、レヴィンが殊更に興味を示したのがこの入浴である。入浴後のシルティの匂いをふんふんとよく嗅いでいるので、石鹸の匂いも好きらしい。


「んふふ。レヴィン、都市に行ったらなにしたい? とりあえず、お風呂に入ろっか?」


 レヴィンの尻尾がビィンと伸びた。


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