第61話 金鈴のマルリル



 マルリルは、港湾都市アルベニセより遥か遠方の地、『金鈴きんれいの森』と呼ばれる集落出身の森人エルフの狩猟者だ。

 森人エルフ嚼人グラトンで言うところの姓はないので、生まれ故郷の外では出身地の名を冠して名乗ることが多い。マルリルならば、『金鈴きんれいのマルリル』だ。

 マルリルは港湾都市アルベニセではかれこれ七年、狩猟者として精力的に活躍してきた。現在アルベニセを拠点とする狩猟者の中では、上の中もしくは上の上ぐらいに位置する実力者として名を馳せている。

 そんな彼女は、本日。


(なにかしら……すっごく熱い視線だわ……)


 初対面の少女、シルティ・フェリスから向けられるやたらと熱い視線に困惑していた。


 マルリルは『琥珀豹を想定した朋獣認定試験の武力要員』という募集を受けてこの場に来ている。常識的に考えれば琥珀豹など来るはずもないのだ。危険は無に等しく給金はとても多い、実に美味しい仕事、のはずだった。

 実際には、大方の予想を裏切って申請通り琥珀豹が現れたのだが、それはまあいい。

 成獣ならともかく、あの琥珀豹はどう見てもまだ一歳にもなっていない。マルリル単独でも簡単に殺せるだろう。多尾猫が幼い琥珀豹になったとて、マルリルからすれば誤差の範囲だ。『朋獣認定試験の武力要員』という仕事の危険度は未だ低いまま。


 だが。

 ギラギラと、爛々と、闘志と渇望を隠そうともしないあの少女は……危ない。

 もし、仮に、少女が斬りかかってきたら。


(うぅん、速そうね……。不意を突かれたら、剣を出す前に斬られそうだわ……)


 佇まいを見ればわかる。あれは素早さを身上とするタイプの狩猟者だ。

 真正面に向き合っていざ尋常に勝負、であれば、斬り合いでも殴り合いでも負ける気は全くしないが……こちらが一方的に無手というのは、さすがにまずい。

 マルリルが魔法で武器を創出するまで、呼吸がひとつふたつ必要だ。

 大抵の場合、数回の呼吸程度が問題になる事などないのだが。

 あの少女には、僅かな猶予すら与えるわけにはいかない。そんな気配がする。


(……一応、先に出しておきましょ)


 もちろん、この場でいきなり斬りかかってくるなんてことは常識的に考えて有り得ないのだが、琥珀豹が朋獣認定を受けにくるという常識的に考えて有り得ないことが起きた直後だ。森人エルフ嚼人グラトンほど負傷に強くない。念には念を入れておく。

 武力要員たちの最前列にいたマルリルは、一歩二歩とさりげなく後ろへ引き、しれっと他の武力要員を盾にしながら魔法を行使した。

 脳裏に描くのは、対人用武器としてマルリルが愛用する一対の直剣つるぎ。薄く細身の華奢な剣身は、短剣と呼ぶにはあまりに長く、長剣と呼ぶにはやや短い、そんな微妙な長さ。分類するならば、バゼラードと呼ばれる長い短剣(もしくは短い長剣)に近いだろうか。

 例えば琥珀豹の成獣のような、巨躯の魔物を相手取るにはあまりに短小だが。

 人類種……華奢な女性の嚼人グラトンの手足や胴を切断するには、充分な長さである。


 呼吸二つ分。

 マルリルの両手にはそれぞれ、剣身から柄頭まで全てが乳白色の、美しいつるぎが握られていた。

 途端に、マルリルの周囲に立っていた者たちが顔を顰め、マルリルをじろりと見た。

 もちろん、マルリルは周囲を刺激しないよう鞘に納まった状態で剣を創出したが、霧白鉄ニフレジス輝黒鉄ガルヴォルンは存在するだけで他種族の生命力を散らすもの。

 ありていに言ってしまえば、手で触れられるような至近距離にあるとかなり不快感を催すものなのである。


 マルリルは会釈で周囲に謝罪を示しながら、腰のベルトを使って左右の腰に剣を装着した。

 これがあれば、あの少女にいきなり襲い掛かられても余裕を持って凌げる。なにせ相手の得物は木刀だし、盾もなく、鎧も着用していない。少女がどれほどの生命力を注いで木刀や衣服を強化していたとしても、マルリルの振るう霧白鉄ニフレジスのバゼラードはそれを一瞬で食い破るだろう。

 一安心だ。



(おおっ。武器出してくれた!)


 一方のシルティは、それを見てますます笑みを深めた。

 無手だった森人エルフのお姉さんが、まるでシルティの熱意を受け止めるかのように、剣を創出して見せてくれたのだ。

 斬り合いたいという視線に応えるように、得物を見せつける。

 これはもう、蛮族シルティの常識では真剣を使った模擬戦のお誘いと同義である。


 もちろん、頭の冷静な部分では『その蛮族的常識は外では非常識だ』と経験上わかってはいるのだが……森人エルフのお姉さんが創出したのは、どう見ても狩猟用ではない矮小な双剣なのだ。

 あれは、対魔物ではない。対人用の剣だ。

 つまり、対シルティ用の剣ということだ。

 そんな熱烈に歓迎されては、いやがうえにも血が騒いでしまう。


(短めの剣……グラディウスかな? でも鞘がほっそいな、なんだろ……綺麗だなぁ……双剣と斬り合うのは忙しくて楽しいから好き……)


 妖しく蕩けるような満面の笑みを浮かべながら、マルリルへ猛烈に熱い視線を送り続けるシルティ。

 剣を出して牽制したら何故か熱量の上がったシルティを警戒しつつ、愛想笑いを浮かべるマルリル。

 他の武力要員たちも、試験を受けに来たくせに何故か戦意を露わにするシルティを危険視し始める。


 が、この場で唯一戦闘とは縁遠い生活を送ってきたパトリックは、この異様な雰囲気を全く察せず、与えられた業務を粛々と全うした。


「では、少し移動しますので……」

「んふふ……」

「……フェリスさん?」

「ふふふ……」

「フェリスさん?」

「……ぇあっ?」


 パトリックに繰り返し声をかけられ、野蛮甘美な世界に浸っていたシルティはようやく我に返った。

 怪訝な目を向けるパトリック、そしてレヴィンではなくシルティに警戒の視線を向ける十人武力要員に気付く。


「あっ。あは。はははー。すみません。ちょっと緊張してまして」


 慌てて笑顔を作り、ごまかす。

 ごまかせるわけねーだろ、と十人は思った。


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