第60話 森人のお姉さん
それから十日後。
いつものように港湾都市アルベニセの外で野宿をしていたシルティたちが、気持ち良く目を覚ました。
シルティが欠伸混じりに空を仰ぐ。天気は快晴。絶好の受験日和だ。
朋獣認定試験では、言語能力、人類種への寛容さ、本能の抑制能力、そして魔法の習熟度などを見られるという。
もはやシルティはレヴィンの合格を毛ほども疑っていない。
言語はばっちりだし、
そして魔法。初の魔法を使ってから二十日余り、みっちりと訓練を積んできたのだ。不安はない。
軽く朝食を摂り、野営地を片付けながら昼前までのんびりと時間を潰した。
そろそろ、朋獣認定試験の時間だ。
出発する前に、シルティは野営地をゆっくりと眺める。
アルベニセに到着してからおおよそ三か月半。シルティたちはかなりの回数、ここで夜を明かしてきた。シルティの主観としては、もはや野営地などではなく家である。
だが、それも今日まで。
レヴィンが無事に朋獣として登録できれば、ここで寝る必要はなくなるのだ。そう思うとやはり感慨深いものがある。
シルティは地面に膝を付き、野営地……いや、野営地
「お世話になりました。……よしっ。行こっか!」
◆
港湾都市アルベニセの西門にて。
朋獣管理課に勤める男性職員、パトリック・ブレットは、驚愕に目を見開いた。
同所に護衛として集められた十名から成る武力要員たちも、同じく驚愕に目を見開いた。
彼らの視線の先には、もちろん、レヴィンの姿があった。
朋獣管理課には、認定試験に際して充分な戦力を手配しなければならない、という規定がある。
都市の外側とはいえ試験は門からそう遠くない位置で行なわれるので、万が一魔物が暴れた場合、殺害もしくは制圧しなければならない。最低最悪の場合でも、撃退できるだけの戦力が必要なのだ。
パトリックは、今日シルティが連れてくるのは間違いなく多尾猫だろうと内心では確信していたが、一応書類上は琥珀豹となっていたため、規定通り対琥珀豹を想定して狩猟者を募集していた。
強大な魔物を狩る場合、五から十人程度で構成された複数の小隊に分かれ、絶え間なく攻め立てて持久戦に持ち込むのがセオリーだ。仮に琥珀豹の殺害を目的とするならば、腕の良い狩猟者が最低でも二十名は要るだろう。
が、今回の場合は撃退できればいい。となると、
もちろん、パトリックは武力要員たちにも申請内容を周知していた。
ここに集められたのは、アルベニセでも腕利きとして知られる十名。琥珀豹の成獣を相手にしたとして、仕留めるのは難しくとも追い払うぐらいは容易い、そんなメンバーだ。
だが、やはり彼らもパトリック同様に申請内容を全く信じておらず、『琥珀豹なわけねぇじゃん』とだらけ切っていた。
まぁ、アルベニセに限らず、琥珀豹が人類種の朋獣となった事例など一つもないのだから、無理からぬことである。
ちなみに、西門の女衛兵ルビア・エンゲレンもこの武力要員として立候補したが、残念ながら実力不足として弾かれた。
「……ええと、フェリスさん。本日は、よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします!」
「そちらが、試験を受ける?」
「はい! レヴィンです!」
「……多尾猫、では、ないですね?」
現在のレヴィンは少なく見積もっても生後二百日を軽く超えており、体重では既にシルティを大きく上回っている。まだまだ成獣には程遠いが、小型の魔物である多尾猫とは見間違いようもない。
「え? はい。琥珀豹です。……そう申請しました、よね?」
「……はい、間違いなく」
パトリックが頭を深々と下げる。
「失礼いたしました。実のところ、アルベニセでは別の魔物を琥珀豹と勘違いして申請する方々がしばしばおりまして」
「……あー」
つまりは自分もそう思われていたのだな、とシルティは察した。
琥珀豹はアルベニセの付近に生息しているような魔物ではない。出会えたとしても、人類種が易々と従わせることのできる魔物でもない。
それらを鑑みれば、『どうせ琥珀豹ではないだろう』とパトリックが判断したこともよく理解できる。
「ええと……試験は受けられるんですよね?」
「はい、それはもちろん」
「それでしたら、まぁ、別に。その、頭を上げてください……」
見たところパトリックはシルティの父ヤレックと同年代だろう。
そんな相手に深々と頭を下げさせている。凄まじい居心地の悪さに苛まれるシルティだった。
「申し訳ありません。ありがとうございます」
パトリックがようやく頭を上げる。
そのやりとりを見て、武力要員たちもレヴィンが間違いなく琥珀豹なのだと改めて確信したのだろう。どこか弛緩していた彼らも、
空気の変化を感じ取ったのか、レヴィンの毛がぼわりと逆立つ。
シルティはレヴィンの首筋をわしゃわしゃと撫で掻いて宥め、落ち着かせてやりながら、武力要員たちを眺めた。
元々、琥珀豹を想定して集められただけあって、シルティの目から見ても彼らはかなり強そうだ。
もしもレヴィンが我を忘れて暴れ回りでもすれば、彼らが殺害を視野に入れて制圧に動く。シルティが全力で抵抗したとしても焼け石に水、瞬殺されるだろう。レヴィンを逃がすことすら絶対に不可能だ。
蛮族の勘による格付けでは、十人のうち三名がシルティと同格、六名はシルティより格上。
そして。
(おおっ……!)
殊更に目を惹く武人が一人。
一見すると線の細い、小柄な女性だ。
色素のごく薄い金の髪は肩ほどの長さで揃えられており、癖毛なのだろうか、毛先が内側へ向かって緩く巻いている。虹彩は薄い灰色で、目尻が少し垂れ下がっていた。肌は素晴らしく白い。
何より特徴的なのは、笹の葉のようにほっそりと伸びた耳介だ。人類種の一種に数えられる少数種族、
緩い巻き毛と垂れ目のせいか、見る者になんとなく柔和な印象を与える優しげな美人である。
だが、その柔らかな見た目とは裏腹に、凄まじい強者の匂いをムンムンと振り撒いていた。
多分、集められた人々の中では、頭二つ抜けてぶっちぎりで強い。
(すんごい強そうなお姉さんだ……。ちょっと斬り合ってくれないかな……)
これからレヴィンの晴れ舞台だというのに、シルティの中の蛮性がむくむくと鎌首をもたげてしまった。
自分より強そうな人類種をみると、悪気も悪意も害意もなく、挑みたくなってしまうのが蛮族なのだ。
他の者には目もくれず、
こっそりと装備を確認する。
暗褐色のズボンに、若草色の鎧下。その上に、身体にぴったりと沿う乳白色の金属でできた軽装鎧を身に纏っている。他に特徴的なのは、両手を包む頑丈そうなオープンフィンガーグローブか。
骨格を見る。
小柄とはいえやはり
では、得物を握った際の間合いはと言うと。
彼女は、
(
ほとんどの場合、
これは
わかりやすく言ってしまえば、彼らは特有の物質を自在に創出することができた。
一見すると琥珀豹の『珀晶生成』に近い魔法だが、さすがに瞬間・即時生成とはいかない。『光耀焼結』での創出は、体積に比例的に時間が必要になるし、もちろん重力にも縛られる。創出できる範囲もごく狭く、皮膚から拳一つか二つ分ほど。
しかしながら、状況に適した得物や道具をその場その場で用意できるので、とにかく身軽で応用が利く。また、『珀晶生成』と違って条件に『空気中』が含まれておらず、座標が被った既存の物体を押し退けて創出することも可能だ。
しかも、
達人の
通常、創出されるのは
要するにこれは、存在の
というより、成り立ちから考えれば
では永続的に存在できる
どうしても手間がかかるし、
ゆえに、
(あの鎧、
平たく言えば、接触した他種族の生命力を、強烈に弾き、刻み、霧散させる作用があるのだ。
言うまでもなく、これは魔物たちの戦闘において凶悪すぎる特性である。
魔物たちが、己の振るう
これを散らすということはつまり、相手を一方的に弱く柔らかくできるということに他ならない。
しかも、無条件にだ。
もちろん、それだけであらゆる魔物を殺せるかと問われれば、そんな甘い話ではないのだが。
竜種をはじめとする真に強大な魔物の肉体を満たす生命力は、たかだが
霧散効果を通してもなお、馬鹿みたいに強くて堅いのだ。
一方、その霧散効果のせいで、
なにせ、素材自体が生命力を強烈に弾き散らすので、持っているだけで生命力をザリザリと削られ、所持者に凄まじい不快感を催すのだ。
そんなものを長年身に付けて自分の身体の延長と見做せるのは、強さに思考と嗜好が傾倒しまくった戦闘能力至上主義の蛮族ぐらいのものである。
事実、刃物に対して病的な
まぁ、
もちろん、これらが弾くのは
状況に適した
これがもう、シンプルでありながら反則のように馬鹿強い。
無論、どれほど凶悪な性質を持つ武器であっても、充分な身体能力と技量が伴わなければ無意味ではあるが。
シルティの目線の先で優しげに微笑む彼女は、明らかに凄腕だ。
(んふふふ……いいなぁ、あのお姉さん……)
シルティはにんまりと笑みを深めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます