第58話 未熟の証



「おおー……半透明なのも金色の翡翠ヒスイみたいで綺麗だったけど、透明になるとますます綺麗だねぇ……」


 温かみを感じさせる黄金色の小さな粒。素晴らしく透明だ。一見すると磨き上げられた琥珀や黄水晶シトリンのよう。

 残念なことにシルティは機能美以外の美をあまり理解できない性質で、宝石を始めとする装身具の類への興味が薄いのだが、それでもなお目前の珀晶にははっきりと美しさを感じた。

 思わずシルティが手を伸ばし、摘まみ取ろうとして……珀晶を動かせずにつるりと指が滑る。


「んあっ。あ、そっか、これ動かせないんだった……うーん、こんなに綺麗なのに、なんかもったいないなー……」


 珀晶は生成した座標から動かすことができず、ある程度の時間が経過すると空気に融けるように消えてしまう。仮にそれらの性質がなかったら、珀晶は高価な宝石として売買されていたかもしれない。

 シルティは空中に固定された珀晶に顔を近づけ、改めて観察した。

 溜息が出るほどに素晴らしく透明。モデルとなった水晶体と同様の潰れた球形、つまり凸レンズのような形状のため、珀晶の向こう側の景色が綺麗に歪んでいる。上下左右が反転した実像だ。


「ふむーん。……レヴィン、これと同じ感じで、丸い板を作れる? 私の手と同じぐらいの大きさで」


 シルティの再びの要望を聞き、レヴィンの瞳が虹色に揺らめく。

 間髪入れず、注文通りに円板が生じた。凪いだ水面のように平滑な表面、そして均一な厚み。

 全く支障なく向こう側を透かし見ることのできる、透明な盾だ。


「かんぺきっ!」


 シルティはレヴィンをムギュリと抱き締め、そのまま全身を撫で回した。

 レヴィンはうねうねと身体をくねらせ、シルティの肩や二の腕をあぐあぐと甘噛みして応える。


「んふふふ。レヴィン。今日から、透明なのと透明じゃないの、使い分けられるように練習しようか」


 ビャゥン。レヴィンが了承の鳴き声を上げた。

 透明な盾にも、透明ではない盾にも、それぞれ素晴らしい利点がある。レヴィンが意図的に珀晶の透明度を変動させられるならば、いろいろと悪巧みができそうだ。


「でも、まだ目がしてるね」


 途端に、レヴィンの耳介がへにょりと寝かされた。今の一言で落ち込んだらしい。

 シルティが指摘した通り、魔法を行使する直前のレヴィンの瞳は不自然な虹色の揺らめきを孕んでいた。琥珀豹が魔法『珀晶生成』を行使する際の兆候……というわけでは、ない。眼球周辺に過剰な生命力気合いが集中したことで、無駄に目立ってしまっているだけだ。

 ちなみにこれは、観測者からすると虹色に揺らめいているようにというだけで、鏡に映した鏡像などでは揺らめきは観測できない。逆に、完全な暗闇環境下だとしても、直視すればこの揺らめきは観測される。

 どうやら物理的に虹色を呈しているわけではなく、観測者側に備わった生命力への感覚がそう認識させているらしい。


 『珀晶生成』の最大の強みは、生成が始まってから完了するまでがほぼ瞬時に終わるという、そのである。

 これから生成しますよ、という合図のように目が揺らめくのは、非常にまずい。長所を致命的に殺してしまっている。

 もっとも、これは単にレヴィンがまだ魔法に不慣れなため、必要以上に生命力を集めてしまっているだけだろう。おそらくは習熟していけば自然と収まるはずだ。


「そんな落ち込まないの」


 シルティが苦笑しながらレヴィンの耳介を指先でふにふにと弄り回した。

 くすぐったいのか気持ちがいいのか、閉じた目の上から伸びる洞毛ヒゲが不規則にぴくぴくと動いている。


「焦らなくていいからね。それに、別にゆらゆらさせてても良いんだよ? ほらぶっちゃけずっとゆらゆらさせとけば読まれるとか関係ないからね?」


 やや早口に紡がれたシルティの台詞。

 後半は、純然たる自分への言い訳である。


 シルティの武具強化……とりわけ武器刃物に対する強化は、客観的に見ても相当なものだ。強化の程のみを評価するならば、遍歴の旅に出る前の十二歳当時ですら父ヤレックと同等の領域。蛮族の戦士の中で二大頂点に君臨していたほど。

 だが。

 家宝〈虹石火にじのせっか〉然り、鎌型ナイフ〈玄耀〉然り、木製の太刀〈紫月〉然り。

 シルティはお気に入りの刃物を振るう際、ついつい必要以上の生命力をぶち込んでしまう悪癖があった。蛮血が燃え上がる戦闘の最中ともなれば、その得物はほぼ常に虹色に揺らめいているのだ。

 過剰に生命力を通したとて、武具強化の効果が跳ね上がったりはしない。多少の上昇は見込めるとはいえ、武具強化の効果の程は結局のところ『対象をどれだけ自分の身体の延長と見做せているか』『対象をどれだけ強いと思い込めるか』の二点により決定される。生命力を必要以上に通す武具強化は、むしろ攻撃の意志を読まれ易くなってしまうので、蛮族の戦士としては未熟の証とされた。

 本人なりに矯正しようと試行錯誤してきたのだが、シルティの刃物に対する愛執の前には何を試しても上手くいかず。

 最終的に、シルティ(とその師である父ヤレック)は開き直った。

 もうなんか常にゆらゆらしてるし、別にこれで攻撃とか読まれねーだろ、と。


「まぁレヴィンは勘がいいし、毎日魔法の練習してればきっとすぐだよ!」


 自分のことは棚に上げ、レヴィンの頭を撫でるシルティ。

 眼球への過剰な生命力集中さえ落ち着かせれば、レヴィンは一切の前兆を廃し、思い通りの座標に、思い通りの形状の珀晶を、瞬時かつ自由自在に生成できるようになるだろう。

 間違いなく、めちゃくちゃ強い。


「……んふ。ふふふ……」


 前途洋々なレヴィンの未来に思いを馳せ、シルティは口元を緩めた。

 シルティが調べたところ、野生の琥珀豹たちは主にその飛び抜けた身体能力と頑強鋭利な爪牙を武器としており、『珀晶生成』はあくまでも補助的に使うらしい。生成した珀晶を移動させることができない以上、どうしても受動的にしか相手に害を及ぼせないので、自然と相手の行動に対する妨害・防御手段として使うようになるのだろう。

 生成される珀晶も、岩石や木の葉などの自然物を模した形状がほとんどで、最大の長所である『速さ』に大きく頼るような運用だという。


 無論、琥珀豹たちはそれでも余裕綽々で獲物を狩れるのだろう。彼らの身体能力は魔物たちの中でも突出している。走って喰らい付くだけでも大抵の魔物は仕留められるはずだ。

 だがシルティが思うに、これはほんのちょっとの工夫でもっと悪辣に使える魔法である。

 まだ幼いレヴィンですらシルティの持つ〈玄耀〉を模した鋭い珀晶を生み出せるのだ。例えば、相手の動きに合わせて眼球の軌跡上かつ間近に刃状の珀晶を生成すれば、それだけで簡単に眼球を潰せる。

 もちろん、高速で動く相手に対し、反射神経を置き去りにできるほど完璧な座標・タイミングに生成するのは、琥珀豹の優れた目を以てしても至難の業となるだろう。

 だが仮に、レヴィンが弛まぬ鍛錬の末、相手の眼球から爪一枚の距離に珀晶を安定して生成できるようになれば。

 動きのキレを身上とするシルティですら、それを回避するのは不可能だ。

 視界に収めている限り、いつでもどこでも仕掛けられる、必中の目潰し。

 凶悪極まりない。


 シルティはにまにましながら、足元から指先ほどの小石をいくつか拾い上げた。


「さっ、レヴィン。もう一回やろっか。今度は透明な丸い板で弾いてね?」


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