第53話 宵天鎂



 シルティは腰のベルトに固定していた〈紫月しづき〉と〈玄耀げんよう〉を外し、血縁を結んだハーネスを身体に巻き付け、しっかりと固定した。

 肩、胸、腰、そして足の付け根(腿)を幅広のベルトで締め付ける構造だ。

 服越しに腰の後ろに接触する楔点から、身体に満ちる生命力が自然とハーネスへ流れていく。


 鞄部を背中に回して脱着機構を操作すると、ハーネス側の魔術が問題なく発動し、音もなくハーネスと鞄とが接続された。同時に、両の肩甲骨の間に位置する鞄の楔点から生命力が流れていく。

 現在は空気しか収納していないためほぼ無意味であるが、〈冬眠胃袋〉の真価たる土食鳥つちくいドリの『熱喰ねつばみ』が再現されているはずだ。


 不慣れゆえややのろいものの、問題なく装着できた。

 念のため何度か脱着機構を操作したあと、シルティは直立した状態から上体を左右に大きくよじったり、前屈させたり後方に反らせたり、さらに虚空へ向けて軽くジャブや蹴りを繰り出したりして、身体の動きを入念に確認する。

 そして、満足そうに頷いた。

 背中での納まりがとても良い。比較するのも失礼にあたるが、シルティが手ずから作成した背負い籠とは装着時の快適さが雲泥の差だ。

 シルティが購入したこの〈冬眠胃袋〉は低級品とはいえ、それはあくまで魔術面での話。魔道具は全て職人の手でひとつひとつ作られる技術の結晶であるため、単純な背嚢として見ればまさしく一級品である。


「んふふふ……」


 シルティは口元を緩めつつ、外していた〈紫月〉と〈玄耀〉を手に取った。

 〈紫月〉のさや剣帯けんたいは、細長い樹皮製の筒を紐で適当に吊るしたもの。

 〈玄耀〉の鞘は、太い枝を削って紐で縛り付けただけのもの。

 港湾都市アルベニセに辿り着いて二か月が経過したシルティだったが、遭難中に製作したこれらはまだまだ現役だ。どちらも雑すぎる作りだが、それゆえに位置の調整は容易だった。

 ズボンに通した方のベルトではなく、ハーネスの腰ベルトに結び付けて〈紫月〉を吊るす。〈玄耀〉の方は腿ベルトの側面に固定だ。

 まるで孫娘を見るような目でそれを眺めていたヴィンダヴルだったが、目を細めて眉間に皺を寄せた。


「嬢ちゃんよぉ。さっきから気になってたんだが、そりゃあ宵闇鷲よいやみワシの爪か?」


 視線の先にはシルティの腿ベルト、鞘に収まった状態の〈玄耀〉がある。


「これですか? そうですよ」


 シルティが〈玄耀〉の素材としたあの巨鷲おおワシ。アルベニセに到着してから調べてみたところ、あれは宵闇鷲と呼ばれる魔物だった。その名に反して夜行性と言うわけではなく、単に羽毛の色からの命名らしい。

 その身に宿す魔法は『鷲鎂佩帯しゅうびはいたい』と呼ばれており、生命力を糧に体内で超常金属『宵天鎂ドゥーメネル』を生成することができる。

 宵闇鷲はこの宵天鎂ドゥーメネルを、くちばし羽軸うじくあしゆびの鱗、鉤爪などとして用いており、そらの生物としては破格の防御力を備えていた。


宵天鎂ドゥーメネルでナイフたぁ、なんとも酔狂な奴だな」

「これしか材料が無かったんですよ。遭難中に一羽だけ襲ってきたんで、斬って爪取って石で研ぎました。銘は〈玄耀〉です」

「ほぉん。……残りの爪やら、くちばしはどうした?」

「全部、捨てちゃいました」

「ぼえぇ。そりゃあ勿体ねぇなぁ」

「私も後から知ってガックリしました……」


 サウレド大陸では、宵天鎂ドゥーメネルは突出した比強度ひきょうどを誇る物質として広く知られている。つまり、異常なほどに軽いくせに、異常なほどに強靭な超常金属だ。あまりにも軽すぎるため武器として使うには向かないが、防具や建材、手道具の素材としては極めて有用である。

 しかしながら、空の頂点捕食者である宵闇鷲はそもそもの個体数が少ないうえ、人里から遠く離れた海岸付近に生息しているため、遭遇する機会自体がない。

 脅威度も決して低くなく、苦労して狩れたとしても採取できる量は僅か。

 魔術研究も進められているものの、今のところ再現の見通しは立っておらず、人造も不可能だ。

 ゆえに宵天鎂ドゥーメネルが市場に流れることは非常に稀なことであり、稀少さに相応しい時価で取引されている。


 シルティは仕留めた宵闇鷲のほとんど全てを捨ててしまったが、あの時にこれを知っていればと思わずにはいられなかった。〈玄耀〉の分を除いたとしても結構な財産になっていただろう。

 具体的に言えば、それだけで〈冬眠胃袋〉に手が届くほどの金額だ。

 まぁ、仮に採取していたとしても、結局は恐鰐竜デイノスの襲撃時に紛失したかもしれないが。


「しかしよ。そりゃあ、少しばかり過ぎねぇか?」

「む……」


 シルティの力作である鎌型ナイフ〈玄耀〉は、宵闇鷲の鉤爪を削り出し、握りを残して刃を形成させただけの作りだ。刃渡りは指三本分ほどしか確保できなかった。狩猟者が使うナイフにしてはかなり華奢である。

 獲物の剥皮はくひはともかく、止め刺しや簡易な解体、そして山中で下生えや枝を払うのにも使うことを考えると、最低でも四倍程度の刃渡りは欲しいところだ。

 シルティが生命力を注ぎ込んで十全に強化するからこそ、現状でも切れ味や頑丈さの面では問題ないが、刃渡りだけはどうしようもなかった。

 才能と執念によりたがが外れ、至る所まで至ってしまった剣士は、武具強化を極限に研ぎ澄ませた果てに、刀身のに斬撃を実現できるというが……今のシルティには夢のまた夢である。


「もうちょっと大きく作りたかったんですけどねー……断念しました」


 全体としての強度は犠牲になるが、つかを製作して内部に収めるなかごを短くすれば刃渡りを稼ぐことはできただろう。つかは枝を適当に削って紐で締めれば良い。なかごについては目釘孔の加工がネックになるが、遭難当時シルティの手には鉤爪が二本あった。片方をきりのように使えば穿孔することも可能ではあったはず。

 が、それはあくまでも可能だったというだけの話。実際にやるとなれば、完成までどれほどの時間がかかるかわかったものではない。少なくとも一日二日では無理だ。


「あー。宵天鎂ドゥーメネルを欲しがってる鍛冶屋が俺ん知り合いにいるんだがよ、紹介するか?」

「え?」

「それ一本でもそこそこの値が付くぜ」


 研いであるので体積としては鉤爪一本分にも満たないが、〈玄耀〉はほとんど純粋な宵天鎂ドゥーメネルの塊だ。売れば相当な金額になるだろう。


「ああ。いえ。売りませんよ。私、〈玄耀〉のこと愛してるんで」


 シルティは力強く断言した。

 合理的に考えれば、ヴィンダヴルが勧めるように〈玄耀〉を売却し、得た資金で別のナイフを見繕う方がいい。狩猟に向いた良質なナイフを購入できるはずだ。

 だが、刃物をこよなく愛するシルティからすれば、愛情を注ぎ込んで作り上げ、名前まで付けたものを金に換えるなど絶対にありえないことである。

 もちろん、いずれは装備を更新するつもりはあるが、〈玄耀〉を売るつもりは全くない。


「愛ときたか」


 ヴィンダヴルは親しげに笑いながら頷いた。

 このジジイはシルティの刃物愛好性癖など知らない。だが、目の前の少女がナイフに並々ならぬ拘りを持っているらしいことは即座に察した。なにせ、飛び出た言葉が『愛してる』である。

 ヴィンダヴルも物に対する愛情は深い方だという自覚があるので、シルティのげんもわからんでもないと言ったところだ。


「まぁ、気に入ってんなら無理にゃあ勧めんがよ。それはそれとして、鍛冶屋はどうする?」

「え」


 シルティの左腰の〈紫月〉を指し示し、ヴィンダヴルが言葉を続ける。


「その鋸折紫檀のこおりシタンの木刀も、俺ぁいいもんだと思うがよ。やっぱ要るだろ? しゃきっとした得物がよ」

「それは、まぁ……はい」

「なら、顔は繋いどいた方がいいだろ。あいつぁいい腕だぜ。つるぎかたなも、刃物ならなんでもござれだ」

「むぬむ……」


 腕の良い鍛冶屋とのコネ。

 今のシルティにとっては喉から手が出るほど欲しいものだ。


「でも私、ぶっちゃけ今はほとんど無一文なんですけど……」

「〈冬眠胃袋いぶくろ〉が手に入ったんだ、嬢ちゃんならすぐ稼げるだろが? 雷銀熊クマを斬ってこい、雷銀熊クマをよォ」

「いや、でも、その……私、お金貯まったらハインドマンさんに鎧を頼もうとも思ってて」

「鎧ぃ? 男は鎧より剣が先だろがよ! なぁ!」

「女ですぅ。……まぁ、私も鎧より剣の方が好きですけどぉ……」


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