第52話 爺の店
やる気に満ち溢れたレヴィンを優しくコテンパンに完封した、その翌日。
シルティはコツコツと貯めた資金を全て懐に入れ、港湾都市アルベニセへ訪れていた。いよいよ〈冬眠胃袋〉を手に入れる日である。既に目星は付けてあった。シルティが〈冬眠胃袋〉を購入予定だと知った革職人ジョエル・ハインドマンが、それならばと紹介してくれた店があるのだ。
資金の目処が立ってから二度ほど訪問しているので、道順はしっかり頭に入っている。
ルビアが詰めている西門からのんびり歩いて少し。
ジョエルの『ハインドマン革工房』と同じく、大通りから少し外れた路地にその魔道具専門店は面している。
煤けた色合いの、重厚な扉。
その表面には、『
(……何度見ても、すごい名前だなぁ……)
いくらなんでも
この店名で果たして商売が成り立っているのだろうか、と今更ながら心配しつつ、シルティは扉を開ける。
カラランというドアベルの音に反応して、カウンターで手作業をしていた店主が顔を上げた。
「よぉ。来たか嬢ちゃん」
「こんにちは!」
店主との顔合わせは既に済んでいる。
彼の名はヴィンダヴル。店名に偽りなく、今年で
一見すると、背が非常に小さい。シルティよりも少し小さいほどだ。だが、身長の低さに対してその肩や腕部は筋肉で異常なほど盛り上がっており、首や胴体についてはシルティよりも三回りは太かった。矮躯ながらも、筋骨隆々という表現がぴったりの骨格だ。
そしてなにより特徴的なのは、鼻の下、頬、そして顎にたっぷりと蓄えられた、クシャクシャとした灰色の縮れ毛……いわゆる、
これほど見事な髭を備えるのは、人類種の中では
(相変わらず、強そうなおじいちゃんだなぁ……)
だと言うのに。
今もなお、そのジジイは濃密な強者の匂いをムンムンに振り撒いていた。
当人たちが語るところによると、ヴィンダヴルとジョエルは共に元狩猟者であり、歳の離れた友人同士としてかつてはチームを組んでいたのだとか。暴力を引退した今はそれぞれ趣味と実益を兼ねた店を構えているが、特にヴィンダヴルは現役時代、港湾都市アルベニセでは五本の指に入る実力者として有名だったらしい。
もう二十年ほどは狩猟と無縁の生活だというものの、長い永い時間をかけて身体に叩き込んだ戦闘技術はそうそう薄れるものではないようだ。
シルティには感覚でわかる。
仮にシルティの手に〈虹石火〉があり、鎧をしっかりと着用していたとしても、今なお尋常に斬り合って勝てるかどうかはわからない、そんなふざけた強者の匂いだ。
肉体の全盛期など
「金は貯まったか?」
そんなジジイが、実に人懐っこい笑みを浮かべた。
「なんとかなりました!」
シルティが財布として使っている大きな布袋を高々と掲げる。ヂャリん、と頼もしい金属音が響いた。狭い空間に詰め込まれた硬貨たちが触れ合う悲鳴だ。
ヴィンダヴルはそれを受け取り、
「確かに。よおし、待ってろ。持ってくら」
老いを全く感じさせない足取りで、ヴィンダヴルは倉庫へ向かう。
低級の〈冬眠胃袋〉は狩猟者たちからの需要が非常に高く、あればあるだけ売れていくといっても過言ではない。ゆえに、店で取り置きをする場合は多少割高の料金を取るのだが、ヴィンダヴルはシルティを初対面からいたく気に入ったため、今回は無料で取り置きをしていた。
曰く、木刀で
「ほれ」
「おお……」
すぐに戻ってきたヴィンダヴルが、灰色をした大きな箱型の鞄と、ベルトの束をシルティに差し出した。
狩猟者向けの〈冬眠胃袋〉は、荷物を収納する鞄と肩紐とが完全に縫い付けられた一般的な背嚢とは少し異なる構造をしている。頑丈で幅の広いベルトの束……ハーネスを胴体に巻き付けて固定しておき、そのハーネスと鞄とを改めて接続する仕組みだ。
どちらかと言えば変則的な
ハーネスと鞄の接続は非常に強固だが、ハーネスに設けられた脱着機構を操作することによりワンタッチかつ瞬時に分離することができる。
これは物理機構ではなく魔術を用いた機構らしい。
突発的な戦闘に際して迅速に荷を切り離すための工夫であり、乱暴に投げ出されることの多い鞄は特別頑丈に作られていた。
「せ、背負ってみてもいいですか?」
「もちろん。もう嬢ちゃんのもんだからよ」
「ありがとうございます!」
二か月分の稼ぎをほぼ全て注ぎ込んだ高い買い物だ。いやがうえにも期待は高まる。
「ええと、『
「二か所ある。ハーネスの腰ベルトと、鞄の肩甲骨ん辺りだ」
「腰……どれが腰のベルトだ……あ、これだ」
シルティがヴィンダヴルの示した二か所を確認すると、そこには小さな硬質の物体が埋め込まれていた。
艶やかで不透明な物体だ。色は濃い朱色で、一見するとガラス、もしくは宝石のようにも見える。
魔道具とは、使用者が生命力を通すことによってその魔術を発揮するものだ。だが、そもそも自らの肉体以外へ生命力を通すのは極めて難しい。武具強化の対象がそうであるように、『自らの身体の延長と
シルティにとっての刃物の類のように、よほど当人と相性が良いものでなければ、生命力を通せるようになるまで時間がかかるのは避けられない。そもそもが個人の才能による部分もかなり大きく、どれだけやっても生命力の導通を習得できないという者もいる。
これは、魔術という学問において極めて深刻な問題だった。
研究の末に有用な魔法を再現可能な構造が判明しても、才能ある人物が長い準備の末にようやく扱えるなどという代物では、『個人の技量や才能に依存しない外部装置で超常の力を再現する』という魔術の根本的理念から大きくかけ離れてしまう。
世界中の研究者たちがこの問題の解決に心血を注いだが、長きに亘り碌な進展がなく、魔術は停滞の時代を迎えることとなった。
だが、なにごとにも契機というものは訪れるらしい。
かつてノスブラ大陸に生きた一人の研究者が発明したとある物質によって、この枷は外されることとなったのだ。
どちらかと言えば金属に近く、靱性と展延性に非常に富んでおり、生半な衝撃では割裂しない。しかしその頑丈さとは裏腹に、専用の薬剤を用いることで溶融と凝固を極めて簡単に繰り返すことができる。
なにより特筆すべきは、凝固状態では超常的なまでに
生野菜でも生肉でも生魚でも、充分な量の朱璃に沈めて凝固させてしまえば、まるで時間を止めているかのように長期に亘って新鮮に保つことができた。
液体の場合はなんらかの容器に入れて沈めれば問題なく新鮮さを保つ。
生体を朱璃に入れて凝固させると漏れなく死ぬが、死骸自体は新鮮なまま保存されるという。
この朱璃は、素材的にも製法的にもかなりのコストがかかっており、当然その価格も大変なことになっていたのだが……
内陸部で海産物を欲したり、季節外れの果物を欲したり、金を惜しまずに美食を求める者は後を絶たなかった。朱璃はその価格の割に、それなりに売れたらしい。
そして、発明されてから十七年が経過したある時。
発明者の思いもよらなかった朱璃の活用法が考案された。
朱璃に、『血液』を直接混入させるのである。
当人の生命力に限定すれば、新鮮な血液は極上の生命力導通性を誇る優秀な物質として古くから知られていた。しかし残念ながら劣化が致命的に早く、時間経過に伴って導通性が加速度的にゼロに近付いていく。
これを
そのような経緯の末に考案されたのが、ヴィンダヴルが指で示す『
これこそが魔術という学問における最大の革命。初めて触れる物品にすら一定量の生命力導通を担保する、生命力の導通補助装置である。
発祥のノスブラ大陸から海を越えて世界中に普及しており、現代においてはあらゆる日常用魔道具に組み込まれているといっても過言ではないだろう。
楔点とは要するに、魔道具の心臓部へ物理的に直結させた朱璃製の部品だ。形状は単純な楔形をしていることが多いが、用途によって植物の根のように毛細に枝分かれしつつ複雑に食い込むものもあった。そして、その一端は決まって容易に接触できる位置に露出している。
使用法は簡単だ。まず楔点の露出部に専用の溶剤を垂らす。火をつけた蝋燭がその身を消費し切るまで燃え続けるように、いずれ楔点を構成する全ての朱璃が液状化する。少量の薬剤で連鎖的に溶融や凝固の反応が進むというのも、朱璃の優れた性質の一つだと言えるだろう。
その後、液状化した朱璃に使用者の血液を適量混入させ、しばらく待つ。血液は朱璃と同化し、ひいては魔道具の心臓部とも同化する。その状態で再び凝固させてやれば、外部と心臓部の間に新鮮かつ均一な血液の直通路を作り上げることができるのだ。
これを俗に『血縁を結ぶ』と呼ぶ。
こうして直通路が出来上がってしまえば、もはや意識せずとも生命力が導通されるようになるのだ。
なお、複数人の血を混ぜてしまうとこの導通性は失われてしまう。
別人の血を足しても血縁の上書きはできないし、また、共存もできない。
上書きする場合、一度溶剤を用いて楔点を完全に液状化させ、全て取り除いてから、朱璃を浸透させ直す必要がある。上述の『植物の根のように毛細な楔点』は、この上書きを困難にするための保全構造だ。
共存、つまり一つの魔道具を複数人で共有利用したい場合は、楔点を複数個所設ける必要がある。便利だが、構造が途端に複雑化するため、価格が著しく跳ね上がってしまうのが難点だ。場合によっては人数分揃えた方が安上がりになることもあるとか。
ただし、楔点が担保できるのはあくまで魔道具の運用に最低限の導通だ。例えばシルティが戦闘時に〈紫月〉へ通す膨大な生命力などと比べれば無に等しい。それ以上はやはり、身体の延長と見做せるようになる必要がある。
ゆえに、武具にこの楔点が組み込まれることはまずなかった。ほとんど無意味だからだ。
かつてシルティが身に纏っていた
楔点に頼らなければ生命力を通せないような武具を身に纏っていたら、狩猟者や戦士は死ぬ。
「まあ、ノスブラでも同じだとは思うがよ」
ヴィンダヴルはカウンターの傍の棚から、二つのガラス瓶と二本の小さな
「透明な方が溶剤だからよ。それぞれ、匙で一杯分だ」
「はい。お借りします」
きゅぽ、と音を立てて、シルティは瓶の栓を抜く。とろみのある透明な溶剤を匙で掬い取り、二か所の楔点にそれぞれ垂らす。すぐに液体と楔点との境界面で微細な気泡が生じ始めた。そのまま待ち、楔点が完全に液状化したのを確認する。
「失礼します」
「おう」
シルティは一言断ってから腰に差した〈
ある程度の大きさになったら、それを楔点にぽたりぽたりと数滴垂らす。
溶融した朱璃と血液とが完全に混ざり合った頃合いを見て、今度は青い凝固剤を同じように二本目の匙を用いて掬い、垂らす。すぐに元のように硬化した。
色合いはやや紫に変わっている。
シルティは満面の笑みを浮かべた。
「よしっ」
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