第51話 蛮族に染まる豹



 シルティが港湾都市アルベニセに辿り着いてから、早くも二か月が経過した。

 今日も今日とて、シルティは都市の外でレヴィンと共に野営中だ。

 夕暮れ時。レヴィンはシルティの太腿に頭を乗せながら、野性の抜け切った顔でくつろいでいる。

 かつてのレヴィンは胡坐あぐらをかいたシルティの膝の間で丸まるのが好きだったのだが、今ではもはやそれが容易な体格ではない。それゆえ、近頃はこの膝枕がお気に入りである。

 ごるるるるるるるる、と引っ切りなしに喉を鳴らしていた。

 シルティはと言うと、レヴィンの頭を撫でてやりながら、手持ちの硬貨の枚数を一枚一枚丁寧に確認している。


「んんん……」


 魔物の死骸は基本的に高価で取引されるので、それを専門に狩る狩猟者たちは得てして高給取りだ。シルティも、これまでの遍歴の旅で路銀に困ったことなどなかった。大陸を渡ると決めた時に、少し本腰を入れて稼いだ程度だ。

 そんな狩猟者としての金銭感覚からすれば、アルベニセにおいて蒼猩猩の死骸はかなり安価で取引されている。猩猩の森という特異的生息地が間近に存在し、供給が極めて安定しているからだろう。

 とはいえ、庶民的感覚に則れば、それは決して『安価』などではない。

 二か月の間にシルティの〈紫月〉が刎ね飛ばした首の数は二十を超え、シルティの懐は随分と暖かくなっていた。


「よし……なんとか足りた……」


 現在のシルティの短期目標である冷蔵用携帯魔道具〈冬眠胃袋〉は、魔法『熱喰ねつばみ』の再現度や内容量など各種性能によって等級分けがなされており、値段も大きく上下する。

 最高級品ともなると大型の荷馬車一台分の物資を納められるサイズで、ほろのように馬車自体に張って使われるらしい。しかも冷却能力の多段階調整も可能だとか。

 こういったものは大手の商会や軍隊が求めるような商品であり、当然ながら金額も桁違いに膨れ上がる。


 シルティが目を付けているのはもっと低級の商品だ。容量は現在使用している背負い籠と同程度しかなく、魔法再現度も低い。しかしその分、非常にお求めやすい価格となっております。

 もちろん、低級品といってもそれは紛れもなく学究の結晶たる超常の魔道具である。性能は保証されており、生肉を入れておけばひと月程度は余裕で持たせられるだろう。

 つまり、これまではせいぜい片道二日程度の範囲だったシルティの猟場が、片道ひと月の範囲まで拡大されるということだ。

 猩猩の森の深部は当然として、森以外の場所へも足を延ばすことができる。


「〈冬眠胃袋〉を買って、お金貯めて、レヴィンの試験を受けて、お金溜めて、鎧を注文して、お金貯めて、刀を注文して……お金……お金……最後に霊術士を……ああ……お金……」


 最近忘れがちだが、現在のシルティの最大目標は、水精霊ウンディーネ風精霊シルフの力を借りられる霊術士を雇い、なんとかして海底からフェリス家の宝刀〈虹石火にじのせっか〉を引き揚げることだ。

 どれほどの金がかかるかわかったものではないが、最高級の〈冬眠胃袋〉を購入するよりも遥かに遥かに莫大な金が必要になるだろう。

 蒼猩猩だけを狩っていては、シルティの残りの人生を丸ごと労働につぎ込んでもあがなえないかもしれない。

 効率良く、継続的に稼がなければ。

 シルティは深々と溜息を吐く。

 まさか、自分の人生でここまで金が欲しいと思う日が来るとは思いもしなかった。


「とりあえず次の獲物はあの角熊つのグマ……えーと、雷銀熊らいぎんグマ。あれかなぁ……」


 今回の狩りの成果で〈冬眠胃袋〉を購入できる目途はついた。

 次なる短期目標は、革職人ジョエル・ハインドマンに鎧を注文すること。

 より効率的な資金調達のため、シルティは次の狩猟では森の奥まで足を運び、雷銀熊と呼ばれる魔物を狙うつもりだった。かつてシルティが左半身に痛手を負わされた、あの角熊だ。


 この二か月で、シルティはアルベニセ周辺に生息する魔物たちの情報をしっかり仕入れていた。雷銀熊が宿す魔法が『炸裂銀角さくれつぎんかく』と呼ばれる恒常魔法であることも当然調査済みだ。

 シルティが戦闘中に進めた推測は正鵠を得ていたようで、角への衝撃を呼び水として爆発を引き起こすというもの。爆発は角へ加わった衝撃の強さに比例的な規模となり、凄まじい圧力と熱量を生じさせるが、どれほどの規模であっても自身には一切の影響がないという。

 強靭な毛皮と分厚い筋肉で全身を鎧い、さらにこの攻撃的な兜とも呼べる四本角で頸部や頭部を守る雷銀熊に、致命的な攻撃を与えるのはなかなかに難しい。

 生半可な実力ではこの強固な防御を抜くことができず、頭突きと鉤爪で一方的に蹂躙されることになるだろう。


 とはいえ、シルティが充分に強化を乗せて振るう〈紫月〉ならば雷銀熊の毛皮を斬ることは可能であり、頭突きや前肢による大振りでわかりやすい攻撃にシルティが被害を許すはずもない。

 客観的に言って、魔法のタネが割れた雷銀熊はシルティにとって比較的楽な相手である。


 シルティが雷銀熊と出会ったのはアルベニセから半月十五日ほどの距離だ。少なくともあの辺りまで森を進めば生息していたという実績がある。レヴィンの身体はあの時よりもずっと大きく丈夫になり、食事や睡眠の回数も減った。今ならばもう少し時間を短縮できるはず。

 どれだけ手間取っても片道ひと月はかからない。〈冬眠胃袋〉があれば余裕を持って帰還できる計算だ。

 雷銀熊はかなりの巨体を誇るが、ありがたいことに魔術的に必要なのはあの四本角の生えた頭部だけだというから、低級の〈冬眠胃袋〉でも複数個を楽々と運べるだろう。

 果たしてシルティが短期間で複数の雷銀熊を探し当てられるのかという問題は残るが、運に恵まれて三四さん よん匹分の頭部をまとめて持ち帰ることができれば、それだけで鎧の注文費用はクリアだ。


 現状のシルティの防具は半長靴と布製の衣服のみ。

 これが鎧へ更新される恩恵は非常に大きい。皮膚や布の服では、どれほど武具強化を乗せてもたかが知れている。皮革や金属で作られた鎧を身に纏えば、毛皮を持たない嚼人グラトンでも桁違いになれる。

 より強大な魔物を狙うならば鎧は必須だ。

 が。


「はぁぁ……鎧があっても結局なぁ……友達が欲しい……」


 シルティは何度目かになる溜息を吐き、深く項垂れる。

 今までのシルティの狩猟において、ネックとなっていたのは獲物の運搬だった。魔物の死骸は生肉である。適切な処置が無ければ、腐敗させずに保存できる期間は短い。

 そして〈冬眠胃袋〉入手の目途が付き、冷蔵が可能となって保存期間というネックがある程度取り払われた今、次のネックは……相変わらず、獲物の運搬だった。

 残念ながらこれは、鎧を手に入れたとしても変わらない。


 魔物狩りの成果物とは、基本的にとにかく嵩張るものなのである。

 雷銀熊は『衝撃に反応して爆発する角』というとてもわかりやすい部位があったため、魔術的に無駄な部位の特定が極めて迅速に完遂されたらしいが、これは例外中の例外だ。

 そして、体積が大きなものを運ぶのは本当に難儀である。森や山の中となれば殊更にだ。

 では、比較的嵩張らず、しかもそれなりに高く売れる雷銀熊だけ狙って狩ればいいかと言うと、そうもいかない。雷銀熊はシルティにとって楽な相手であるが、それはつまり自身が持つ暴力と狙う獲物の質が釣り合っていないということ。

 実力に見合った、もっと実入りの良い獲物を狙っていかなければ、〈虹石火〉回収など夢のまた夢だろう。

 なにより、弱い相手ばかりではつまらないし腕も鈍る。


「やっぱり、狩猟者の友達作ってチームを組まないと、でっかい獲物は無理があるんだよねー……。友達かぁ……ルビちゃんは無理だよなー……ミリィちゃんも絶対無理だし……」


 アルベニセに辿り着いて二か月が経過したシルティであるが、自信を持って友人と呼べるのは、女衛兵ルビア・エンゲレンと『琥珀の台所』看板娘エミリア・ヘーゼルダインの二名のみだった。

 それもそのはず。都市に入り、蒼猩猩を売って、『琥珀の台所』で食事をしつつ掲示板を確認し、入浴を楽しんでから都市を出る。勤勉と言えば聞こえはいいが、そんな生活を送っていて友人などできようはずもない。


「レヴィン、ちょっと聞いてくれる? ……私さ、昔さ、友達作ろうとして……逮捕されたことあるんだよね……」


 シルティはレヴィンの頭を撫でながら、辛い過去を長々と語って聞かせた。

 蛮族の戦士とは、性格的に好ましい相手を見つけたらとりあえず腕比べ斬り合いを挑む生態の動物だ。

 互いが互いを気持ち良く斬ることができる、均衡する暴力を持った相手こそを、良き友として認め合うのである。

 そんな文化の下で育ったシルティは、遍歴の旅に出て間もない頃、蛮族のノリのまま斬り合いを挑み、とても速やかに逮捕された。

 シルティが人生で初めて直面した明確な自他の常識の不一致カルチャーショックであり、同時に初の被逮捕だ。

 外の常識をある程度学んだ今となっては、シルティもあれはまずかったなと後悔していた。


「でもさ……。一緒に狩りするかもしれない相手だし、まず腕を知っておくべきだと思わない?」


 本音を言えば今でも逮捕されるほど悪いことをしたとは思っていないシルティである。

 幼少の頃より染み付いた蛮性は、やはりそうそう抜けるものではないらしい。


「お?」


 シルティの太腿に頭を預けつつ話に耳を傾けていたレヴィンが、そこで唐突に立ち上がった。そのまま速やかにシルティから距離を取り、身体と頭を低く伏せ、前肢を揃えて顎の下に。後肢は地面の様子を確かめるように足踏みされており、それに釣られて尻がふりふりと左右に小さく振られる。

 さらに、ぐぁう、と低く短い鳴き声。

 まるで獲物を襲い掛かる直前、身を潜めているかのような体勢だが、シルティにはわかる。

 これはレヴィンなりの『遊びたい』という意思表示だ。

 もちろん、琥珀豹にとっての『遊び』とは、かなり真剣ガチ近接格闘レスリング……腕比べである。


 シルティはにまーっと笑った。


「なになに? つまり私と一緒に狩りしたいってことかな? もしかして、狩った獲物を運ぶのも手伝ってくれる?」


 レヴィンがこくんと頷いた。

 琥珀豹であるレヴィンは屈強な身体と強大な筋力を得る将来が約束されている。それは嚼人グラトンであるシルティでは遠く及ばない水準だ。共に狩猟に勤しみ、そして獲物の運搬を手伝ってもらえるならば、これほど頼もしいことはない。


「ふふふ。ありがと」


 シルティは感謝を告げ、嬉しそうに立ち上がった。

 脚を広げて腰を落とし、背中を丸め、右手を顎付近に添えて左手を前に出す。


「よし、おいで」


 身を一層低くしたレヴィンが、次の瞬間、強烈に地面を蹴った。

 真っ直ぐに突進、接触の直前で跳び上がって、空中から体重を乗せて繰り出す右前肢の振り下ろし。レヴィンの体重は既にシルティと大差ない。鉤爪はお利口にもしっかり引っ込められているとはいえ、まともに喰らえば嚼人グラトンの子供ぐらいは軽く叩き伏せられる威力の殴打だ。

 シルティは襲い来る未熟な暴力を冷静に凝視し、手根球しゅこんきゅう側の側面(人類種で言うところの小指側)に右手の甲を添えると、身体を入れ替えながら腕を開いてするりと受け流し、レヴィンの側面を取った。

 そのまま、左手で作った手刀をレヴィンの右脇腹に柔らかく走らせる。骨のない部分だ。仮にシルティの手に刃物があったならば臓腑を傷付けられていたのは間違いない。

 さらにシルティは擦れ違いざま、レヴィンの右後肢付け根に右手の掌底を当て、思い切り上方へ突き上げた。

 片側の股関節を跳ね上げられたレヴィンは、錐揉みおよび縦に回転しながら弧を描き、体勢を整える間もなく腹から墜落する。

 ドスンという衝撃のあと、ゲヴェウと濁った悲鳴を上げた。


「んふ。まだまだだなー?」


 地面にへばりついたレヴィンは、その恰好のまましばらく硬直していたが、唐突に尻尾で地面をベシンベシンと叩き始めた。

 シルティにはわかる。あれはレヴィン流の地団駄だ。

 酷く悔しがっているらしい。


「レヴィンはまだちっちゃいし、跳ぶのはあんまりよくないかもね。もっと速く動けるようにならないと美味しいまとだよ? それに、私もそうだけど、ちびは体重乗っけて上から殴るより、筋力で下から突き上げる方がよっぽど強く殴れるでしょ? のはすっごく難しいし」


 シルティが言及した、体重の一時的な操作。

 これもまた、身体能力増強や武具強化と同様、生命力の作用により成し得る技法の一種だ。

 私は強い、私は速い、という一滴の疑念すら混じらない確信を帯びた生命力の奔流が、誇大な確信を世界に容認させ、結果として身体能力が著しく増強されるように。

 己の肉体の一部であり、かつ頑丈で素晴らしい切れ味を持つと思い込んだ得物が、誤認を世界に容認され、思い込み通り頑丈な利剣に変ずるように。

 自らの肉体が、時にいわおのように重く、時に羽のように軽い、と狂信できる強者つわものたちは、立ち合いの最中にころころと体重を切り替えることが可能となるのである。


 戦闘において、体重というのは非常に重要な要素だ。

 打突の重さに直結するのは当然として、相手の攻撃を受ける際にも大いに影響する。得物の重さに振り回されなくなるという点も大きい。体重を的確に操作できる者はそうでない者に比べ、文字通り桁違いの暴力を発揮できるのだ。

 だがこれは、身体能力の増強や武具強化とは一線を画す、遥かに高度な技法として知られていた。

 悔しいことだがシルティにはまだ不可能である。集中して時間をかければ多少は増減させられるが、鈍間のろますぎて戦闘にはとても使えない。当然、レヴィンにもまだまだ不可能だろう。


 地団駄を終えたレヴィンが起き上がり、再び身体と頭を低く伏せた。再戦の申し込みのようだ。

 その目はギラギラと輝き、やる気で燃え上がっている。投げ飛ばされた苦痛に委縮する様子もない。


「私が跳ぶのは、明確で有効な目的があるとき、次の動きを決めてあるとき、それと、首を刎ねて仕留めるときぐらいかな。……まぁレヴィンは四本足だし、牙と爪もあるから、ちょっと違うかもしれないけどね」


 ちなみに、この言葉は『今なら』という前提がある。

 かつてシルティは魔道具の革鎧を身に付けており、素材となった跳貂熊とびクズリの魔法『空跳そらはね』を再現することでことができたので、割とぴょんぴょん跳んでいた。


「あと、走るときはもうちょっと身体重心を低くした方がいいかな。身体を高くしてた方が楽だし速く走れるけど、方向を変える時は身体を低くしないと、どうしたってからね。でも、曲がるときだけ身体を低くするなんてやってたら、強い人には動きを読まれてすぐ殺される。だから、身体は常に低くしておいて、低いまま速く走れるように練習するんだよ。もちろん、実際はそうも言ってられないことも多いけど、低い姿勢が基本。わかった?」


 シルティが実体験からくるアドバイスを伝えると、レヴィンはビャゥンと了承の鳴き声を上げる。これまでよりもさらに低く、身体を伏せた。

 近頃のレヴィンは思考と嗜好がとても蛮族的だ。強さというものにとても貪欲である。間違いなくシルティの影響だろう。


「さ、もう一回。おいで」


 ただでさえ強大な魔物である琥珀豹に、蛮族の思考回路と戦闘術理を搭載するのだ。

 レヴィンが戦士としてどれほどの高みに到達できるのか、早くも楽しみになっているシルティだった。


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