第50話 狂喜
ルビアとレヴィンが初対面を終えた日から数えて、二十日。
シルティ、ルビアに続く、三人目の人類種がレヴィンの目の前に姿を現した。
「ほッ、ホおッ……本当にッ……琥珀豹が……!」
枝の上のレヴィンを見上げ、感動で涙目になりつつぷるぷると震える、柔らかそうな薄い茶髪の女性。
彼女の名はエミリア・ヘーゼルダイン。
シルティの行きつけとなった食事処、『琥珀の台所』の看板娘である。
雑談の中でシルティが『琥珀の台所』を良く利用すると知ったルビアが、実はエミリアが自身の幼馴染であり、自身と同じように動物が大好きであること、さらに動物の中でも特に琥珀豹をこの上なく愛していることを明かし、よければ会わせてやってくれないかと打診したのだ。
レヴィンに対人経験を積ませられる機会をシルティが断るはずもなく、これを快諾。
そのままの足で連れ立って『琥珀の台所』へ向かい、仕事中のエミリアにシルティが琥珀豹の仔を養っていることをこっそり伝えたところ、エミリアは人目も憚らず狂喜乱舞して持っていた食器を四枚ほど粉々に割ってしまい、
こうしてエミリアとレヴィンの対面が約束されたわけだが、食事処の看板娘とはなかなかに忙しいようで、エミリアはあまり自由に休みが取れないとのこと。
店主曰く、エミリアがいない日は露骨に売り上げが落ちるのだとか。
美人も大変なんだな、とシルティは思った。
一方のシルティもやはり忙しくしており、狩りで都市を離れてばかりだ。可能な限り狩りの頻度は落としたくない。
お互いの予定をなんとか擦り合わせ、二人とも都合が付きそうだと見積もったのが、それから十日後の本日。
待望のご対面に、エミリアは朝から興奮しっぱなしである。
なお、この場にはルビアもいた。衛兵は
「お、おいでー、レヴィンちゃーん……?」
はぁはぁと呼吸の荒いエミリアが、腕を大きく広げながら樹上のレヴィンを見つめた。
物凄く嫌そうな表情を浮かべたレヴィンが、ちらりとシルティを一瞥。シルティが苦笑しつつ頷くと、見るからに渋々と言った様子で枝から地面へ飛び降りる。
ルァヴ、と小さく不機嫌に鳴いてから、一歩だけエミリアの方へ歩み寄った。
「おッ、ンッ、お、おオ、んむッ、んぅンゥ……!!」
エミリアがカクカクと忌まわしい動きでレヴィンに接近していく。
その唇から零れ落ちるのは、言語ではなく鳴き声と表現するのが正しいであろう、奇怪な音の連なり。
目は明瞭に血走り、口からは涎を垂らさんばかりの形相だ。
常連のお客様方にはとても見せられない、美人看板娘のあられもない姿である。
どうか無下にしないであげて、とシルティはレヴィンに視線を送った。
シルティの懇願を受け、レヴィンはこれ見よがしにヴァフゥーッと息を長く大きく吐き出して見せた。やたらと人類種臭い仕草だ。どう見ても溜息である。
シルティが溜息を吐いているのを見て、意味まで含めて学習してしまったのかもしれない。
これからはレヴィンの前ではあまり溜息を吐かないようにしよう、とシルティは密かに決意した。
「ねえ、ルビちゃん」
「ん?」
「ミリィちゃん、なんであんなに狂ってるの?」
最近、知人から友人にランクアップした相手に、なんとも酷い言い草である。
「あー……あいつ、七歳の頃、誕生日に好きだった年上の兄ちゃんから置物を貰ったんだ。琥珀豹のちっちゃい
「ほうほう」
「で、あいつが物凄く喜んだもんだから、毎年、その兄ちゃんから琥珀豹をモチーフにした小物が贈られるようになって。あいつ、将来はお兄ちゃんと結婚するんだーって
「へー、かわいい」
「まぁ、その兄ちゃんはあいつが十三の時に他の人と結婚したんだけど」
「ありゃりゃ」
「そしたら、ああなった」
「ええ……?」
「なんか……変な方にこじらせちゃったみたいでさぁ……」
ルビアが困惑と諦観の表情で溜息を吐く。
「あいつんちの名前も、元々は『
「ひぇー……すごい行動力……」
「恋は人を変えるんだよ。……まぁ、あいつの場合、失恋だったけど」
「私にはまだ早い世界だなぁ……」
虚無の表情をしたレヴィンを、恍惚の表情でひたすらにわしゃわしゃと撫で回すエミリア。
長々と、長々と。延々と、延々と。
レヴィンは本当によく我慢した。誰がどう見ても称賛に値する忍耐力だ。
だが、太陽が拳一個分傾くほどの時間が経っても離れないエミリアに、さすがに我慢の限界に達したらしい。前肢でエミリアの顔面をぐいと抑えて突き放した。
明確に拒絶されたエミリアは、むしろこれ幸いとばかりに肉球に
相当に気持ち悪かったのだろう、レヴィンの表情が見るからに嫌悪に歪む。口唇が捲れ上がり、牙が露わになった。
見かねたシルティがエミリアの頭部を両手でガシリと掴み、レヴィンから引き剥がす。
レヴィンはすぐさま跳び上がり、幹を駆け上って枝の上へ退避した。
「あっ、あぁ~……あぁ……もうちょっとだけ……」
「ミリィちゃん、さすがに……レヴィンも嫌がってるから……」
「うっ、うぅぁ~……あぅうぁぁ……」
シルティが頭部を解放すると、エミリアは膝から地面に崩れ落ち、脊椎を失ったかのようにぐんにゃりと寝転がった。そのまま、ぐずぐずと涙を流し始める。
「おわぁ……」
まるで幼女のように号泣する今の醜態はかなり衝撃的に映った。
「……ルビちゃん、ミリィちゃんって何歳だっけ」
「十九」
「ぉん……」
シルティは十六歳、ルビアは十八歳なので、この三名の中ではエミリアが最年長である。
シルティがエミリアに抱いていた、綺麗で大人なお姉さんというイメージは、本日をもって粉微塵に崩れ去った。
その瞬間、泣き顔のままのエミリアが唐突に立ち上がり、シルティにガバッと抱き着く。
「ぅわっ」
「シルティちゃん!! 今日は本当にありがとう!! 次はいつ会える!? また肉球で鼻を潰してほしいッ!!」
「あ、ええ、うん……まだちょっとわかんないかな……」
涙と鼻水塗れのエミリアから顔を逸らしつつ、シルティは引き攣った笑みを浮かべる。
隣に立つルビアは、そんなシルティの様子を見つつ、脳内で突っ込みを入れた。
(お前さんが刃物に向けるアレも、割とこんな感じだけどな……)
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