第49話 知らなかった一面



 しばらく経ち。


「んンッ」


 魅了状態めろめろから復帰したルビアは、わざとらしく咳払いをしながらシルティに向き直った。


「うん。シルティが抱いてるとはいえ私が触っても全然暴れないのはいいな。この分ならもうちょっと私に馴れれば試験も大丈夫じゃないか」


 本人的にも醜態を晒した自覚はあるらしい。きりっとした表情を作っているが、若干早口で、頬はかなり赤い。

 シルティは年上の友人に生暖かい視線を送った。


「……あんだ、その目は?」

「いえ、なんでもないっす」


 口元は半笑いである。


「んンンッ。……で、肝心の言葉は?」

「ふふふ。レヴィンは凄いよ。頭良いんだよね、この仔。天才だと思う」

「ほ、ほぉん?」


 絵に描いたような親馬鹿がいる、と思いつつも、ルビアは大人しく口を閉じた。

 先ほどの醜態が後を引いているというのもあるし、所詮は同じ穴のムジナという自覚がある。

 自分がシルティの立場だったとして、親馬鹿にならないという自信が全くない。


「まぁとりあえず、ちょっと見せてみ」

「うん」


 朋獣認定試験は都市の外で行なわれる。ルビアは試験官の護衛及び魔物の鎮圧要員として何度か試験に立ち会った経験があり、試験の内容や様子をある程度は知っていた。本日ルビアがレヴィンに会いに来たのは、その辺りの知識を活かして試験の予習と対策を行なうためでもあるのだ。

 シルティがレヴィンを地面に降ろし、身振りを伴わず、口頭のみで簡単な指示を飛ばす。

 走れ。止まれ。五つ数えてから伏せて。右を見ろ。七歩だけ前に。戻ってこい。私の左に付け。回り込んでルビアの後ろを取れ。

 レヴィンはその全てを速やかに完遂した。数や時間という概念すら理解しているらしい。


「おー。全然迷わないな」

「でしょー? ほんのちょっぴりだけど、もう文字だって読めるんだから」

「おっ、それはマジで凄い」


 声帯の構造上、レヴィンが人類言語の話者となることは、未来永劫ないだろう。だが文字を学び、魔法『珀晶生成』で文字をかたどるなどすれば、さらに円滑な意思疎通が可能になるはずだ。

 シルティは傍に寄って来たレヴィンを抱き上げ、称賛の意味を込めて頭と喉を撫で回した。

 目を閉じ、ごるるるると喉を鳴らし始めるレヴィン。


「魔法は? もう使える?」

「ううん。まだ使ったことない。もっと身体が大きくなってからかな」


 魔物は生まれたその瞬間から魔法を身に宿していると言われているが、少数の例外を除き、幼い時期には魔法を使えない。これは、幼少期は自我が薄い意志が弱いというのもあるが、臓腑が生み出す生命力のほとんど全てが肉体の成長に費やされ、魔法に充分な生命力を確保できないからだと考えられていた。

 近頃のレヴィンは、食欲はますます旺盛になり、身体も日増しにぐんぐん大きくなっている。

 つまり、まだまだ生命力に余剰は生まれそうになかった。


「というか今更だけど、認定試験って魔法をどんな風に見るのかな? 魔物によって違う内容だよね」

「あー。受験申請する時に魔物の種類も伝えるから、その魔物に合った試験が用意されてるはずだ。一応言っとくと、もし役所も知らないような魔物だったら、どういう魔法を持ってるのか伝えておかないといけない」


 例えば他の大陸からの渡来人などが伴う猟獣のように、サウレド大陸に生息していない魔物の場合は情報が少ない。

 申告に嘘が含まれていないかの確認のため、より広範かつ詳細な試験が用意されるという。


「まぁ、琥珀豹ならそんな心配はないけどな。『珀晶生成』の試験は……えーと」


 ルビアが顎に指を当てて目を瞑る。

 琥珀豹が朋獣認定試験を受けた話など、ルビアは聞いたこともない。だが、琥珀豹を対象とする試験の内容は知っている。

 なぜなら、箔付けを狙ってあるいは本当に勘違いして、琥珀豹ではない魔物を琥珀豹として受験申請する者がたまにいるからだ。


「狙った場所に狙った形でぴったり作れるかどうかとか、一度に何個作れるのかとか、いっぱい作っておいて指定されたやつだけ消せるかとか、そういうのを見るって聞いたことあるな」

「うーん。どっちにしろ今のレヴィンじゃ無理かぁ……」

「だな。魔法が使えないぐらい幼いんじゃ、どんな魔物だって我慢が利かないしな。その辺りもあって、試験じゃ魔法の確認が必須だ」

「ぬーん。じゃあ、まだしばらくは野宿だなぁ」

「あー、悪かったな。先に言っとくべきだった」

「ううん」


 ルビアはシルティが紅狼の仔を拾ったのだと思い込んでいたため、魔法の試験については特に言及する必要もないか、と考えていた。

 紅狼の場合は遅くとも生後半年が過ぎる頃には魔法を使えるようになるが、野生の紅狼は身体が充分に出来上がるまで寝床をあまり離れない。そのため、人類種が自然に遭遇する紅狼というのはほぼ間違いなく生後半年を過ぎている。

 試験内容から言って、人類言語の学習さえ済んでいれば、紅狼が魔法の試験で落ちることはまずないのだ。


「しっかし、何があったら琥珀豹の仔なんて拾うんだ? 親に襲われた、とか……。え、まさかシルティ、琥珀豹を?」

「いやいやいや、むりむり。今の私じゃ琥珀豹なんて絶対斬れないよ」


 将来的には斬れるつもりのシルティである。


「だ、だよな。一人で琥珀豹を倒すとかないよな。ましてやそんな棒っ切れで」

「あっ、こら。私の〈紫月〉を棒切れとか言わないで欲しいな」

「……いや、シルティさ、この際だから言うけどな。木刀で蒼猩猩あおショウジョウをバンバン狩るって、ちょっと頭おかしいぞ」


 ルビアも戦闘行為を前提とする職に就いているので、人並み以上には生命力で武具を強化することはできる。衛兵の必須技能だ。だが、たとえどれほど使い慣れた木刀であっても、それで蒼猩猩の太い頸を刎ね飛ばせるかと問われれば否と答えるしかない。

 木刀は木刀。どう見ても鈍器であって、刃物では決してないのだ。

 港湾都市アルベニセを拠点とする狩猟者で、木刀などというふざけた得物を喜々として使うのはシルティだけだろう。過去にも、現在にも、おそらくは未来にも。


「もう数打かずうちを買うぐらいの金はあるだろ?」


 数打かずうちあるいは数打物かずうちものとは、粗製濫造そせいらんぞうされた刀剣のことである。品質はお察しだが安価で、物によってはレヴィンの朋獣認定試験の受験料よりもずっと安い。

 慣例として、鍛冶屋見習いの手による習作もこれに含める。

 見習いは彼らなりに心血を注いで必死に打っているので、決して粗製濫造しているわけではないのだが、一人前の鍛冶屋の作品と比べれば劣るのは当然であり、やはり値段は安くなるのだ。ごく稀に、才能あふれる見習いが生み出した掘り出し物があったりするが。


 溜息を吐きつつ、ルビアがシルティの胸元をびしりと指差す。


「狩猟者の間で噂になってるぞ。鎧も着けず、木刀だけ持った、おっぱいのでかい女が、あちこちで蒼猩猩を売り回ってるってな」

「え……。おっぱいは、関係ないのでは……?」

「関係なくない。男ってのはな、おっぱいが大好きなんだよ」

「は、はぁ……」

「私から見てもすんごい目を惹くぞ。はっきり言う。お前さんの身体はえろい」

「えろいっすか……」


 異性からの人気にんき、セックスアピールなどと呼ばれる要素は、その文化によって大いに変動する。

 シルティの故郷では『背の高い女性』がモテた。

 背が高くて強い女性が、とにかくモテにモテた。

 胸の大きさなんてものは一切加味されなかった。

 ゆえにシルティは、大きな胸というものが世の多くの男性の理性を極めて強烈に破壊する、という事実をあまり正確に認識していない。

 もちろん、これまでの旅路の中でも散々そのような話は聞いてきたし、自分の胸部に他者の視線が向くのも察知しているので、知識としてはわかっているつもりなのだが……根っこの部分ではいまいちピンと来ていないのだ。


「ちゃんと鎧を着ろ。身体の線を隠せ」

「……まぁ、鎧は必要だし、そのうち買うけどさ。後回しかなぁ。お金貯めてハインドマンさんに注文しようかなって思ってるんだよ」


 シルティの予定を聞き、仏頂面だったルビアが途端に笑顔になった。


「おお、そりゃいい! 大叔父おおおじさん、良い腕してるだろ? 魔道具作りもちょっと齧ってるんだよ、あの人」

「うん、こないだお礼に行ったとき、それも聞いたんだ。いくつか作品も見せて貰ってさ。それで、魔道具の鎧を注文しようかなって。靴もばっちりだし」


 こつこつと、爪先で地面を叩いてみせる。

 革職人ジョエル・ハインドマンから格安で譲ってもらったこの半長靴は、一か月間の慣らしを終え、今ではシルティの足にぴったりと馴染んでいた。


「それに、数打物はなぁ……。ああいうのあんまり使いたくない……」

「なんでだよ?」


 ルビアはシルティが戦っている場面を直接見たことはない。だが、シルティが見た目を大いに裏切る暴力を身に付けていることは、もはや疑っていなかった。

 木刀で蒼猩猩をコンスタントに狩れるのだから、なまくらだとしても金属製の剣を使えばさらに盤石となるだろう、との考えである。


「木刀よりは、数打の方がマシだろ?」


 その瞬間、シルティの目が据わった。

 ルビアが見たこともないほど冷たい真顔だ。ルビアは思わず身体をギクリと硬直させる。


「そんなことない。一応見に行ったけど、全然そそられなかった。刃物を使うならちゃんとしたのじゃないとやっぱりだめだよ。気分が乗らない。気分が乗らないと生命力も乗らない。それで斬りそんじるとか、死ぬほど恥ずかしい。絶対いや。……それに」


 シルティは〈紫月〉を愛おしそうに抱き締め、恍惚とした表情で刀身に頬ずりしながら、堂々とのたまった。


「この子はもう刃物と言っても過言じゃない。その辺のなまくらなら、私が愛情込めて作った〈紫月〉の方が絶対に間違いなく斬れる」

「そ……そうかもな?」

「うん。見てほら、形も色も、すごく綺麗でしょ?」

「凄く綺麗です」

「だから、〈紫月〉の代わりを買うんなら、もっとお金をたくさん貯めてからにする。腕のいい鍛冶屋ひとを探して、私の筋骨からだ技術わざを全部知ってもらって、それから、注文する」

「はい」


 ルビアは曖昧に笑いながら、内心ではかなり引いていた。

 友人になったとは言え付き合いはひと月足らず。シルティが刃物愛好家だという事実をルビアはまだ知らなかったのだ。


「まぁ、その……うん。話が逸れたな。で、レヴィンとはどうやって出会ったんだ?」

「んん。あれは、私が漂着して……十日ぐらいの頃だったかな……」


 シルティは親豹との出会い、そしてレヴィンを託された経緯を、大雑把に掻い摘んで語る。



「……。改めて、凄まじい経験してるな、お前さん」

「我ながら私もそう思う」


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