第46話 抗えない浴望
「はぁぁ……美味しかったぁ……」
シチューを最後の一滴まで綺麗に平らげたシルティは、余韻の中に漂いながら、艶っぽい溜息を吐いた。
美味しかった。やはり美味しいご飯はいい。幸福な人生には必須の要素だ。
この幸せを継続的に味わうためにも、お金は必要である。
シルティは食器をエミリアへ返却し、心の底からのご馳走様を伝えてから、掲示板へ向かった。
(えーと……)
貼り付けられた紙片を眺めていく。
その他、いろいろ。
シルティの知らない魔物の名前がずらりと並んでいる。
ただ、もしかしたら
その辺りに生息する魔物の情報も早急に仕入れなければいけないな、と思いつつ、シルティはとりあえず
(お、やっぱりあった)
蒼猩猩の名が記された紙片は十枚近くあった。予想通り、蒼猩猩は人気商品らしい。
魔物素材の売却は早い者勝ちという話だったが、少なくとも蒼猩猩に限って言えば、買い手に困ることは無さそうだ。
問題は、運搬の手間か。
魔法とは、自らの肉体構造を装置とし、自らの生命力を動力源として、特定の超常現象を引き起こす理外の能力のことだ。それを再現しようとする魔道具は、なによりまず魔物の肉体構造を摸倣しなければならない。
そのため、魔物の死骸を魔道具の素材として売るならば、内臓も毛皮も肉も、極論を言えばその血液まで、まるごと持ち込むのが一番である。
しかしながら、
背負い籠に入るサイズではないので、まるごと運ぶなら背負い籠を捨て、蒼猩猩をおんぶするような格好にならざるを得ない。
できなくはないが、戦闘能力が著しく低下してしまう。レヴィンを伴った状態で、それは少しまずい。
先ほど掲示板を見ていた彼らのようにチームを組めば、狩りの効率は飛躍的に上がるだろう。得られる報酬も頭割りになるとはいえ、四人や五人程度であれば、人手が増えるメリットの方が明らかに大きい。成果の運搬のために荷車を手配するにしても、複数人で手配する方が負担はずっと小さくなる。
シルティも、ノスブラ大陸にいた頃に友人知人とチームを組んで狩りに臨むことは多かった。
問題は、この都市にシルティの友人などいるはずもないということだ。
(んー……もっとこう、毛皮だけとかなら、楽なんだけどな……)
ある魔物に対する研究が進むと、魔物の肉体の中でも魔法の発動に関わらない、いわば魔術的に無駄な部位というのが判明してきて、それを素材とする魔道具の小型化も可能になるというのが一般的である。
この都市ではかなり多く使われる素材だろうから、研究は進んでいるだろう。もしかしたら不要な部位が記載されているかもしれない。魔術研究者としても、無意味に不要部位を持ち込まれるのは避けたいはずだ。
期待を込め、シルティは目を皿のようにして紙片を確認した。
(んんん……。あっ。この人のには四肢と尻尾は要らないって書いてある!)
朗報だ。胴体と頭部だけでいいのなら、背負い籠でもなんとかなりそうである。
(おっ、この人のもだ)
探してみれば、四肢と尻尾は不要と記載された紙片は三枚あった。魔法『停留領域』の再現に四肢と尾が不要という可能性は高そうだ。脳と臓物を使うのだろうか。
しかし、それ以上の不要部位の記載はなかった。
となると、少なくとも現時点では、蒼猩猩から作る魔道具はあまり小型化できていないのかもしれない。
シルティが欲するような、狩猟の際に自分の臭いと音をごまかせる携帯型魔道具は望み薄か。
とりあえず、四肢・尻尾不要と書かれた三枚の紙片の住所をしっかり暗記しておく。
シルティが掲示板の前から離れると、ちょうど出入り口付近で食器を下げていたエミリアと目が合った。
「お気を付けて」
エミリアが微笑みながら会釈をする。
「ありがとうございます。本当に美味しかったです。また来ます」
シルティも会釈を返し、『琥珀の台所』を後にした。
(美味しかったけど、でも……名前の割に、全然、琥珀っぽさのないご飯屋さんだった……看板からして琥珀豹由来だと思うんだけどな。いつか店員さんに聞いてみよっと)
味覚に由来する幸せの余韻を存分に噛み締めつつ、来た道を戻り、ルビアたちが守っている西門へ向かう。
往路と同じくきょろきょろと周囲を見回しながら西門へ向かっていたシルティだったが、
(……ッ!!)
その途中で唐突にピタリと止まり、ある一点に目が釘付けとなった。
(あ、れ、はッ……!!)
シルティの視線の先。そこには
そして、開けっ放しにされた高窓から、うっすらと白い
(は、あ、あッ……!!)
シルティは自らの誇る動きのキレを存分に発揮し、ほぼ瞬間移動に等しい速度で建物に肉薄する。
周囲の人々がギョッとした様子でシルティに注目したが、今の当人にそんなことを気にする余裕はない。
血走った目で、掲げられた看板を至近距離から舐め回す。
その看板には、でかでかと、『西区・公衆浴場』の文字が刻まれていた。
(お、風、呂ッ……!!)
一刻も早くレヴィンの元へ戻らなければならない。
理性では理解している。
しかし。
肉体は。
本能は。
(……これを……我慢するのは……むりだよぉ……)
乙女には抗い
シルティは浴場へ足を踏み入れた。
◆
すべきことを全て終えたシルティは、港湾都市アルベニセを出て、レヴィンを
扉代わりにしていた、土を詰め込んだ背負い籠を退かす。地面にぽっかりと開いた穴の奥に、ギラリと山吹色に光る二つの瞳。
「ただいま、レヴィン。ごめん、ちょっと遅くなっちゃった」
レヴィンは無言のまま穴から這い出て、シルティに擦り寄って来た。
シルティが港湾都市アルベニセの中に居たのは四半日(六時間)ほど。そう長い時間ではないが、レヴィンにとってはそうではなかったらしい。
不安だったのだろう、ミャー、と今まで聞いたこともない高い鳴き声まで上げている。
「どしたどしたー。寂しかったかー?」
喉と額を重点的に撫で回す。
ごろろろろと喉を鳴らしながら愛撫を楽しんでいたレヴィンだったが、しばらくするとどこか怪訝そうな表情を浮かべ、ひくひくと鼻を動かしながらシルティの匂いを嗅ぎ始めた。
腹の辺りだ。そして、首を傾げる。嗅ぎ慣れない匂いがするらしい。
シルティの服は、かつての汚らしい
だがおそらく、一番の要因は。
「ふっふっふ……さすが、良い鼻してるね」
シルティは懐から小さな布製の巾着袋を取り出した。
レヴィンの顔の前で軽く振ると、カラカラと軽くて乾いた音が鳴る。
「お土産だよ」
レヴィンが首を傾げる。『お土産』という単語はまだ未学習なので、当然、伝わらない。
シルティは巾着袋の口紐を
指でつまみ、レヴィンの鼻先に近付け、見せつける。
「これは、胡椒。こ、しょ、う。覚えた?」
正確に言えば、胡椒の果実が熟す前に収穫し、天日に晒して乾燥させた『黒胡椒』だ。
無駄遣いしないよう気を付けていたシルティですら、その魔性に抗え切れずついつい購入してしまった、香辛料の王様である。
犬や猫に胡椒を与えるのはまずいが、強大な魔物は得てして強大な内臓を持つ。
レヴィンは離乳を終えた琥珀豹だ。
好むかどうかは個体ごとの味覚によるが、レヴィンは辛いのも好きそうだと、シルティはなんとなくそう思っていた。
少なくとも、胡椒の匂いは平気そうである。レヴィンはシルティがつまんだ黒胡椒の匂いを
「塩みたいなものでさ。レヴィンもきっと気に入ると思うんだよね」
『塩』の単語を聞き取り、レヴィンの耳がピクンと動いた。
「挽いてお肉に擦り込むと、めちゃくちゃ美味しいよ」
『肉』『美味しい』の単語も聞き取り、尻尾がぴんと伸びる。
「さ、レヴィン。さっそくお肉を取りに行こっか。森に行くよ!」
ちなみに、ペッパー・ミルも同じ店で売っていたのだが、シルティは胡椒の実など指で粉砕できるので、ひとまず不要と判断した。
……結構、高かったし。
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