第47話 友人



 港湾都市アルベニセから方々へ伸びる街道を進めば、小規模な集落や村がいくつも点在している。

 都市と違って、ここには朋獣ほうじゅう以外立ち入り禁止などという制度は存在しない(もちろん認定証があるに越したことは無いが)。

 こういった『朋獣認定されていない魔物を連れていても滞在可能な人里』は、事実上、朋獣のための訓練場としての役割も担っている。

 例えば、猩猩の森で上下関係をわからせた紅狼などを朋獣として育てたいとなっても、規則上認定前の魔物は都市には連れ込めない。それでは立ちかないので、こういった場所が必要になるのだ。

 今のレヴィンを連れていても滞在できるはず。


 しかしながら、シルティは相変わらず野宿をしていた。

 より頻繁な蒼猩猩狩りを行なうため、そして、法的に保護されていない状態でレヴィンを他人の目に無闇に触れさせたくなかったからだ。


 レヴィンを伴って森の浅い領域をうろつき、蒼猩猩あおショウジョウを釣って、奇襲を躱してから〈紫月〉で首を刎ねる。

 四肢と尾を斬り落とし、尾は食料とする。

 血を抜いた胴体と頭部を背負い籠に詰め込み、都市まで走る。

 募集紙片に書かれた住所を頼りに魔術研究所へ持ち込み、対価を得て、食事処『琥珀の台所』で次の紙片を確認してから、公衆浴場を利用し、洗濯を行ない、残りを貯蓄する。

 寝るのは都市の外でレヴィンと一緒に。レヴィンとじゃれあい、〈紫月〉と〈玄耀〉の手入れをして、ぐっすり眠る。

 そんな日々の連続を過ごすうち、気が付けばひと月が経過していた。あっという間だ。


 現在のシルティは純然たるホームレスではあるのだが、一応、必要最低限の雑貨だけは買い揃えることもできている。衣類や衛生用品、調味料など、本当に必要最低限だけだが、遭難中の生活を考えれば格段に文明的な生活と言えるだろう。

 ちなみに、最も高価だったのは、しっかり採寸して発注した戦闘用の肌着類であった。

 なお、嚼人グラトンという魔物にとって調味料は必要最低限に含まれる。


 売値だけを考えるならば、もっと森の深い領域に踏み込んで、蒼猩猩以外の魔物を狩るべきだろう。

 蒼猩猩は安定して売れるが、供給も比較的容易なためか、魔物の死骸にしてはかなり安価だ。

 基本的に、人里から離れれば離れるほど、そこに生息する魔物は人類種視点で『珍しい魔物』となり、魔術研究所は高く買い取ってくれるものである。

 例えば、かつてシルティが痛手を負わされた爆発の魔法を宿すあの角熊つのグマ……雷銀熊らいぎんグマの死骸であれば、蒼猩猩の三十倍近い値段で買い取ってもらえるらしい。しかも魔術的に必要なのは頭部だけだとか。

 四肢と尾を除く全てが求められる蒼猩猩とは比べようもないほどコンパクトである。


 一度は殺した相手だ。角にさえ気を付けていれば問題なく狩れるとは思うが、ネックとなるのはやはり死骸の運搬。

 蒼猩猩は森の外縁部から急ぎ気味の徒歩で一両日いちりょうじつも踏み込めばちょくちょく襲ってくるが、雷銀熊は森のずっと深い領域にしか生息していないという。

 無事に狩れたとしても、その頭部は都市へ持ち帰るまでに腐ってしまうだろう。


 現状では、これを解決する手立てがない。

 つまり、将来的には解決する手立てがあった。


 港湾都市アルベニセから少し離れた日当たりのいい荒地に、土食鳥つちくいドリと呼ばれる鳥の魔物が大量に生息している。

 翼が短く胸筋も貧弱なうえ、巨体で体重もあるため空を飛ぶことはできないが、緻密で頑丈な骨を分厚い筋肉でよろっており、地上での運動性能は非常に高い。特筆すべきはその両脚だ。丸太のような屈強な大臀筋と硬く強靭なあしゆびを備えており、走るのがとにかくとにかく速かった。

 繁殖期以外は巣や縄張りを持たず、生息地の荒地を自由気ままに爆走しているらしい。


 この土食鳥にはその名の通り、土を食うという習性がある。

 もちろん、鳥が砂嚢砂肝に砂や石を貯め込むのは普遍的なのだが、彼らのそれはもっと直接的で大胆だ。

 なにせ、ほぼ土や石しか食べない。

 硬い嘴を使って深く深く掘り返した大量の土石を、ごぐんと飲んで、ぷりっと排泄する。排泄されたものを確認すると、生物の体内から出てきたとは到底思えないほどらしい。氷点下を遥かに下回るほどだという。

 この食事が見られるのは晩秋から早春に限られ、暖かい時期はなぜか絶食する。

 彼らがどうやって土石から活力を得ているのかは長らく不明で、嚼人グラトンの魔法『完全摂食』に近い魔法を身に宿しているのではないかなどといわれていたのだが、のちにとある研究者による実験で概要が判明した。


 どうやら彼らは、熱そのものを食らい、生命力とすることができるらしい。

 土石を食べていたというわけではなく、地面の下で暖まった土石の『温度』を摂取していたのである。

 焚き火を見ると興奮して翼をばたつかせながら、炎の舌先に向かってついばむ。カンカンに焼いた石を与えると、誇張ではなく狂喜乱舞しながら無我夢中でがつがつ飲むらしい。夏に絶食するのは、空気から充分な熱量を捕食できるため、わざわざ土石を食べる必要がないのだろう。

 土食鳥がその身に宿す魔法は、『熱喰ねつばみ』と命名された。

 それが、今から八十年ほど前の話だ。


 普段は魔術研究に関して放任気味の港湾都市アルベニセの首脳陣も、この魔法には大きな可能性を見い出したらしい。資金を豪快にばら撒いて研究を推奨したのだ。

 金と名誉に飢えた魔術研究者たちはこぞって土食鳥の研究に傾倒した。

 行政が主導する土食鳥ブームにより研究成果は異常なほどの迅速さで積み上がり、まさしくあっという間に結実。

 ローザイス王国における冷蔵用魔道具の金字塔、〈冬眠胃袋とうみんいぶくろ〉の爆誕である。


 携帯できる袋状の魔道具だ。生命力を注ぎ込むことで魔法『熱喰』が劣化再現され、内容物の熱を速やかに食ってくれる。

 つまり、中身が冷える。

 食物の冷蔵が主な用途で、メイン材料はその名の通り土食鳥の胃袋。製作難度は跳ね上がるが数匹分の胃袋を縫い合わせることも可能で、大きさはかなり融通が利くという。

 冷蔵用の魔道具は他にもいくつか知られているが、〈冬眠胃袋〉が他の魔道具と比較して優れている点は、食った熱量のある程度を生命力に変換してする機能があるということだ。


 生命力は基本的に生命の中にしか存在しない。ゆえに、魔道具がその機能を発揮するためには常に身に付けている必要がある。

 だが、嚼人グラトンの『完全摂食』や土食鳥の『熱喰』などのように、生命力を新たに生成する魔法を再現した魔道具などは数少ない例外だった(なお、嚼人グラトンを含む人類種の死骸を用いた魔道具については、現代では大半の国家で禁止されている)。


 〈冬眠胃袋〉ならば、一度魔術の再現を始めれば内部のものが冷え切るまでは自動的に魔術を継続してくれる。適当に物を詰めて荷車に積み上げておく、というような用途には最適だと言えるだろう。

 こういった特性を持つ魔道具は、他の魔道具へ組み込む部品としても非常に有用なため、需要が極めて高い。土食鳥の素材類は港湾都市アルベニセでも最大の特産品の一つだとか。

 当然、安定供給のために家畜化の試みもされているのだが、基本的に巣を作らないという性質やとにかく走り回りたがるという習性から柵などで囲い込むことも難しく、まだ成功していない。


 ともかく、この〈冬眠胃袋〉さえあれば、シルティは仕留めた死骸を冷却しながら運搬することができる。多少遠出したとしても死骸を腐らせる前に帰還できるだろう。稼ぎの効率は飛躍的に上昇する、はず。

 もちろん安いものではない。その有用さに見合うだけの値段が付けられている。

 それゆえか、港湾都市アルベニセで活動する狩猟者や商人たちは、この〈冬眠胃袋〉を自分の稼ぎで手に入れてようやく一人前と見做される風潮があるらしい。


 そういうわけで、現在のシルティの短期的目標は〈冬眠胃袋〉を購入できるだけの資金を溜め、一刻も早く一人前になることである。

 生活費。朋獣認定試験の受験料。〈冬眠胃袋〉。装備の新調も必要だ。

 シルティは自ら作り上げた〈紫月〉を心底愛しているが、やはり金属製の刀剣には威力で劣る。

 輝黒鉄ガルヴォルン製とまでは言わないが、しっかりと重量のある刀剣が欲しかった。もちろん鎧も欲しい。

 だが、それらは、高い。

 とにもかくにも、お金、お金、お金。

 〈虹石火にじのせっか〉に手が届くのはいつになることやら。



 今日もシルティはいつものように蒼猩猩を狩り、都市へ戻ってきた。

 シルティが都市に滞在する間、レヴィンは安全のために身を潜める決まりだ。しかし、このひと月でレヴィンはますます大きくなった。地面に掘った穴ではもう手狭だ。そこで現在は、森の外縁部、適当な木の枝上に潜むことにしている。

 本能的に高所を好むのか、枝上のレヴィンはいつもご機嫌だ。


「じゃ、行ってくるね」


 ヴャーウ、と返事をするレヴィンに手を振って、シルティは港湾都市アルベニセの西門へ向かった。都市に戻って来たのは三日ぶりだ。そそくさと入門待ちの列に加わる。

 改めて列を眺めてみると、手練れの狩猟者と思しき者たちは一様に大きな袋を背負っていた。あれこそがシルティの欲する一人前の証、〈冬眠胃袋〉である。

 狩猟者の間では、両肩を通す紐を設けて背嚢はいのう(リュックサック)形状にするのが一般的らしい。植物のつるでできた籠を背負っているシルティは、周囲からは半人前と見做されているだろう。

 シルティの番が近づいて、門で業務に当たっていたルビアと目が合った。ルビアが微笑みかけてくれたので、シルティも微笑んで手を小さく振る。

 列が進み、シルティの番となった。いつものようにルビアが対応してくれるようだ。


「お疲れさま、ルビちゃん」

「おかえり。三日ぶりだな」


 年齢の近い同性の相手だ、何度も顔を合わせていれば自然と仲も良くなるもの。

 今では言葉遣いも気安くなり、ファーストネームで呼び合う間柄となっている。シルティにとっては港湾都市アルベニセでの初の友人だ。

 もちろん、稼ぐ手段を得たシルティが何より先に借金を返済したのは言うまでもない。革職人ジョエル・ハインドマンの元にも、お礼の菓子折りを持参して訪問済みだ。残念ながら、どちらにも利子分は受け取って貰えなかったが。


「また蒼猩猩か?」

「うん」


 ルビアがシルティの背負い籠を覗き込み、中身を検める。税金と言っても、蒼猩猩一匹分の素材にかかる税はごくわずかだ。いつも通りの金額を告げられ、シルティが支払う。


「シルティさぁ。ちゃんと休んでるか?」

「え? 毎日ぐっすりだよ?」

「そうじゃなくて。シルティ、ずーっと狩りしてるだろ? はたから見てても働き過ぎだぞ」

「うん? いや、帰って来るたびにお風呂も入ってるし、別にそんなに疲れてない……けど……」


 シルティはこの一か月間、全ての日数を移動と狩猟に費やしてきた。

 都市を発ち、蒼猩猩あおショウジョウを探して、仕留め、都市に戻る。

 無論、しっかりと休息と睡眠は取っているが、休日と呼べるものはない。


「言われてみれば、そうかもしれない?」


 思い返してみれば、ひと月ものあいだ一切の休みなく労働に勤しんだのは、シルティにとっても初めての経験だった。ノスブラ大陸にいた頃は特にお金に困っていなかったので、そこまであくせく働く必要がなかったのだ。


「そうだろ。でだ。明日、暇か?」

「暇!」

「よっしゃ。ちょっと付き合えよ」

「うん! ただ私、外で育ててる仔がいるから、都市の中で遊ぶとかはちょっと……」

「むしろそれが狙いなんだよ。いい加減、会わせてくれてもいいだろ?」


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