第45話 琥珀の台所



 結局、シルティは靴だけでなく靴下までいただくことになってしまった。

 しかも、靴の値段をかなり値引きされたうえにだ。

 靴下を有無をいわさず渡されて。さらには足をぬぐうための濡らした布まで渡されて。申し訳なさ過ぎて、ありがた過ぎて、シルティはうっすら泣いた。

 革職人ジョエル・ハインドマンの名をしっかりと『恩返しリスト』に刻み込み、シルティは『ハインドマン革工房』を後にする。

 ちなみに、シルティが購入したのは最初に手に取った焦げ茶色の半長靴だ。大事に使いたい。


(お金稼いで、すぐ恩返ししなきゃ……)


 ジョエルに値引きしていただいたおかげで、当初の予定よりも資金に余裕ができた。食事を摂っても余るようならば、多少、雑貨を購入することもできるかもしれない。

 『ハインドマン革工房』は大通りから少し外れた場所にある。まだ履き慣れない半長靴の感触を楽しみながら、シルティは大通りへ向かった。


(さてさて、ごはんごはん)


 大通りは幅広く真っ直ぐに伸びており、見通しはすこぶる良い。見える範囲でも、食事処らしき突き出し看板がちらほら。

 ただ食事をするだけならまさしく選り取り見取りだが、魔術研究者たちが素材を募るために使う食事処という前提を考慮すると、やはり人気にんきがある店の方がいいだろう。

 魔術研究者たちも、わざわざさびれた食事処を選ぶとは思えない。

 看板を眺めつつ、適当に大通りを歩いていく。


(おっと?)


 そして、一つの看板に目を留めた。

 その看板は、黒い金属のフレームで四肢動物の姿をかたどっていた。頭は丸く、四足歩行で、尻尾が長い動物だ。黄金色の有色ガラスが嵌め込まれていて、その上から塗料を乗せたのか、ところどころに黒い斑点模様があった。

 決定的なのはその店名。『琥珀の台所』である。

 琥珀豹こはくヒョウをモチーフにしているのは明らかだ。


「ふふ」


 なんとなく良いことがありそうな気がして、シルティは思わず笑った。

 扉の向こうからは笑い声が漏れているし、外観も手入れが行き届いていて、少なくともさびれてはいないようだ。


(ここにしよっと)


 シルティは『琥珀の台所』のドアを開いた。





「いらっしゃいませ!」


 若い女性の店員が笑顔で出迎えてくれた。シルティより少し上、ルビアと同年代に見える。柔らかそうな薄い茶色の髪を持つ、愛らしい女性だ。

 彼女の名はエミリア・ヘーゼルダイン。俗に言う看板娘というやつである。

 シルティが一名だということを伝えると、エミリアがにこやかに席へ案内した。カウンター席だ。

 シルティは〈紫月〉を抜き、咄嗟の時に掴みやすいよう角度を調整しつつカウンターに立てかける。別にここで危険があると思っているわけではないが、身体に染み付いた癖のようなものだ。


 着席し、シルティはそれとなく店内を観察した。あまり広くはなく、こじんまりとしていて、テーブルが所狭しと並べられている。朝食には少し遅く、昼食には随分と早い時間帯だが、席は六割ほどが埋まっていた。

 皆が楽しそうに談笑しつつ、料理に舌鼓を打っている。

 客のうち半数近くは湯気の立つシチューのようなものを食べていた。


(美味しそう過ぎるぅ……)


 凄まじく、良い匂いがする。

 今のシルティにとって、この匂いはもはや凶器でしかない。


「あの、シチューですか? あれと同じものを」

「はーい」


 金額が告げられ、少し多めに料金を払う。エミリアが去り、注文を厨房へ伝えにいった。

 料理を待つ間、シルティは改めて店内を見回す。


(あれが掲示板かな)


 出入口から見て右方に噂の掲示板らしきものがあり、いくつもの紙片が張り付けられている。掲示板を見る者たちへの配慮だろうか、掲示板周辺にはテーブルが置かれておらず、ぽっかりと空間が開いていた。

 現在は四人の男が掲示物を検めていて、なにやら小声で相談をしている。全員がやや血汚れの残る鎧を身に纏い、腰に剣を帯びていた。おそらくシルティの同類、狩猟者だろう。

 笑い合ったり小突き合ったりと、互いに気が置けない様子なので、友人同士でチームを組んでいるのだと思われる。


「お待たせしました」


 シチューが来た。煮込み料理だけあって提供が早い。かなり熱そうだ。止め処なく湯気を上げている。柔らかそうなパンも付いており、ドレッシングのかかった生野菜のサラダまで。

 シルティにとっては、もはや感動的と言うほかない光景だった。


「いただきます……」


 シルティはさっそく添えられた木のスプーンを掴み、シチューに入れて軽く混ぜた。赤みがかったとろみのある汁に、肉団子と根菜が沈んでいる。混ぜられたことで、香りがより一層立ち昇り、シルティの嗅覚を蹂躙した。


(うぐぅ……!)


 肉と香辛料の匂いだ。文明の匂いだ。

 じわりと、目尻に涙が滲む。

 もう、掲示板などどうでもよかった。シルティの頭の中には、既にシチューのことしか存在しない。

 肉団子をスプーンに乗せ、口へ運ぶ。


(ふぐぅ……!)


 美味しい。

 涙が一粒、頬を伝う。

 なんらかの肉をほぐして丸めたらしき肉団子。細かい緑色のなにかが少量混ざっている。おそらくは香草を刻んだものだろう。僅かに残る肉の臭みと香草の香りが重なり合い、なんとも好ましい風味に変化させている。コリコリとした楽しい食感は軟骨だろうか。シルティの舌が正しければ、どうやら数種の脂が混ぜられているようだ。噛み締めていると鶏と豚の顔が浮かぶ。

 続いて、汁と共に根菜を口に運んだ。


(むぐぅ……!)


 美味しい。美味し過ぎる。

 よく煮込まれているようだが、それぞれの根菜の形はしっかりと残っている。噛むとざくりと割れ、蓄えていた熱量を解放した。嚼人グラトンでなければ間違いなく口内を火傷していたであろう素晴らしい熱さだ。だがそれが、少し辛みのあるシチューの魅力を爆発的に引き上げる。あとを引く辛さがシルティの舌を刺激的に甘やかした。

 シルティの目から、涙がぽろぽろと零れ落ちる。

 夢中になって、スプーンを口へ運んだ。


「……あの……大丈夫ですか?」


 心配そうな表情で、エミリアが声をかけた。

 シルティは袖で涙を拭ってから、こくこくと頷く。


「とても美味しいです。私、まともなご飯、二カ月ぶりぐらいで」

「そ……。それは、良かったです」


 顔を引き攣らせつつも、エミリアはプロとして笑顔を浮かべた。


「店員さん、忙しいところすみません。ちょっとお聞きしてもいいですか」

「はい?」

「あそこの掲示板を見るとき、なにかルールとかあります? ご飯を食べてから見ろってのは聞いてるんですけど」

「あー。ええと、私たちは場所を貸してるだけなので、魔術の研究者さんとか、狩猟者さんたちのルールには全然詳しくないですけどね? 基本的には、とにかく早い者勝ちだそうですよ」

「早い者勝ち?」


 シルティが首を傾げる。

 蛮族にとって、狩猟が早い者勝ちなのは当たり前の話だ。


「狩猟者さんは紙片に書いてある内容を見て、それを狩りに行って、持って帰ってきて、研究者さんに売りに行くって流れが多いみたいです。でも、掲示板はいろいろな人が見てますので。魔物を狩っていざ売りに行ったら、もう研究者さんが別の人から買っちゃってた、ってことは多いとか」

「あー、そういうことですか」

「研究者さんたちにも予算がありますからね。持ち込まれるもの全部買うわけにもいかないですし。そういう場合、潔く諦めてねって話です」

「……それ、例えば、受注したら紙を剥がすとかしたらいいのでは……?」


 エミリアがくすくすと笑った。


「それねー、昔はそうしてたらしいんですけど、他の人が受けられないように、剥がしまくって持っていく人がいっぱい出たんですよねー」

「うおわぁ。そりゃーまた……しょうもないことする人がいるもんですね」

「ねー。それに……帰ってこない人もいるわけですしね。紙片を持っていかれたままになっちゃうと、研究者の人も困るでしょ?」

「ああ、そっか……」


 もちろん、しっかりと組織的に管理するのであれば、受注の重複などはいくらでも防げるはずだ。

 だがここはあくまで食事処。狩猟者へ稼ぎ口の斡旋などを行なう施設ではない。そこまで管理するつもりも義理もないのだろう。

 と、そこで、別の客からエミリアを呼ぶ声が上がった。


「引き留めてすみません。ありがとうございます、店員さん」

「いえいえ。ごゆっくり」


 エミリアの後ろ姿を見送ってから、シルティは食事を再開する。

 そして、また泣いた。


(嗚呼。ほんと、美味しぃ……)


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