第44話 ハインドマン革工房



 少しばかり強引だがこの上なく親切な女衛兵、ルビア・エンゲレンと別れたシルティは、改めて入場待ちの列に並び直し、ようやく港湾都市アルベニセに足を踏み入れることができた。

 説明された通り、ここでは都市に出入りする物資が課税対象である。

 背負い籠をレヴィンのところに置いてきたシルティの所持品は、衣類を除けば〈紫月〉と〈玄耀〉のみだ。あまりに大量の武器の持ち込みには税がかかるのだが、木刀一本と小さなナイフでは課税対象には成り得ないようで、税は取られなかった。

 なお、ドミニクスから貸し出されていた外套は返却済みである。


「おー……」


 きょろきょろと周囲を見回しながら、シルティは大通りを歩く。

 白い石造りの建物が多い。道路は石畳。ノスブラ大陸で訪れた海近くの都市と、なんとなく似た雰囲気を感じる構造だ。家屋の設計思想が近いのかもしれない。

 だがやはり、言語化できない部分で、どこかが確かに違う。

 それが、シルティにとっては心地のいい異国情緒に感じられた。


(なんかいいなーこういうの……。ええと、四つ目の辻で右に……)


 がやがやと活気のある街の景色を楽しみながら、シルティは歩く。明らかにサイズの合っていない服を身に纏い、しかも裸足で歩くシルティ。周囲の人々から怪訝な視線を注がれているが、今はそれも気にならない。

 向かっているのは、別れ際にルビアが教えてくれた工房である。

 革製品を扱っているとのことなので、まずそこで適当に靴を買い、その後に食事処へ向かうつもりだ。


(早く、ご飯が、食べたい)


 シルティの脳内では食欲が渦巻いていた。

 ルビアの言葉によると、靴を買ってさらに食事もできる程度のお金を貸してくれたらしい。掲示板を利用する際には一品食べて多めに支払う、という食事処でのマナーも問題ないはず。


(…………楽しみぃ……)


 シルティはだらしなく口元を緩めた。

 もちろん、金を稼ぐ手段のために食事処に行くのだ。だが、実に二か月ぶりの、文化的文明的食事である。いや、漂流していた時間を考えると、二か月半ほどになるか。

 これほど長い期間、美味しい料理から離れていたのは、シルティの人生でも初めての経験だった。

 正直、もう、涎が止まらない。

 待ってくれているレヴィンには悪いが、ここは存分に味わおう、とシルティは決意した。


(ここかな)


 革包丁が描かれた丸い突き出し看板。暗い飴色の木製ドア。『ハインドマン革工房』の文字。ルビアが教えてくれた店に一致する特徴だ。

 ハインドマンというのは工房の主の名前だろうかと考えながら、シルティはドアを開けた。

 そして。


(んぁっ!?)


 思わず、ぎょっとした。

 おそらくはこの工房の主だろう、見るからに革職人といった格好をした、齢五十過ぎに見える中年の鹿男が、シルティの方へ目を向けていた。

 でかい。

 背は見上げるように高く、身体は冗談のように分厚く、そして腕は甚だしく太い。

 本当に、めちゃくちゃでかい。


(うおぉ……! この人すっごぉ……! お父さんぐらいでっかい……!)


 外見だけで言えば、シルティの父ヤレックに匹敵しかねない偉丈夫である。

 筋骨隆々マッチョという表現がこれほど似合う嚼人グラトンもそうはいないだろう。

 もしヤレックがこの場にいたら、喜々として力比べを持ちかけたに違いない。


「いらっしゃい」


 そしてその口から響くのは、威圧的な見た目に似合わぬ、とても穏やかな声。

 物凄く強そうだな、とシルティは思った。

 佇まいの安定感が異常だ。重心が地面の下にあるような印象を受ける。シルティが助走を付けて全力で体当たりをしても、全く揺るがないのではないだろうか。

 シルティの備える全ての感覚が、今の自分ではこの男には勝てないと結論を出した。


 途端に、じわじわと、シルティの蛮血が騒ぎ始める。

 自分より強そうな人類種をみると、悪気も悪意も害意もなく、挑みたくなってしまうのが蛮族なのだ。

 転びそうにない相手ならなんとかして転ばせたくなる、そういう生態なのである。

 もちろん、滅多に実行はしないが。


 男は、シルティを柔らかく睨んだ。


「僕の転がし方を考えてるだろう」

「はい。やっぱり、わかりますか」

「わかるよ。少しは悪びれなさい」

「店員さん、強そうなので、つい」

「なんだか変な子が来ちゃったな」


 男が苦笑しながら溜息を吐く。


「欲しいのは靴かい」

「あ、ご明察です」


 シルティが裸足であることから、靴を求めて来たと察したようだ。

 工房内の壁には棚が設けられており、男の作品だろうさまざまな革製品が大量に陳列されていた。男はその中から五つの靴を選び出し、シルティへ差し出す。


「今ある出来合いで、お客さんの足に合いそうなのはこの辺かな」


 見ると、どれもシルティの足を過不足なく包んでくれそうなサイズ。

 一見してサイズを正確に把握するとは、職人の目恐るべしといったところである。


「ありがとうございます。触ってもいいです?」

「どうぞ」


 まずは一足、手に取る。

 焦げ茶色の革で作られた、ふくらはぎの下までを覆う半長靴はんちょうかだ。紐でしっかりと締めるタイプ。使われている革は頑丈でありながらも充分に柔らかく、足首の動きを妨げない。靴底は薄いが、かなり硬い素材でできている。使い込んでいけば武具強化も乗せられるようになるだろう。

 作りを確認していると、男が値段を告げた。シルティにはまだこの都市での金銭感覚が身に付いておらず、これが高いか安いかの判断など付かない。とりあえず、ルビアからの借金で問題なく支払える金額だった。


 次の一足を手に取る。

 丁寧に鞣された薄く柔らかい革で作られたロングブーツ。綺麗なクリーム色で、装飾が多く、全体的に華奢できらびやかだ。身嗜みに気を遣う若い女性向けの靴だろう。男が値段を告げた。金額的には支払えるが、一足目よりもかなり高額である。シルティは靴に煌びやかさなど全く求めていないので、これは購入候補から外した。

 三足目。四足目。五足目。

 一つずつ、めつすがめつ確認していく。


「ところでお客さん、なんで裸足なんだい。剣もそれ、木だろう」

「あー。私、遭難してまして」

「遭難?」

「乗ってた船が沈没しちゃって。なんとか生き残ったんですけど、泳ぐのに邪魔だったんで、靴は捨てちゃったんです。太刀は木を伐り倒して自分で作りました」

「そりゃまた……」


 男は気の毒そうに眉を顰める。


「お金はあるのかい。そういうことなら安くしようか。僕は元々、道楽で作ってるようなもんだから」

「いえ、大丈夫です。一文無しだったんですけど、門のところで親切な衛兵さんが助けてくれまして」

「へえ。……あ」


 なにかに思い至ったらしく、男が手をぽんと叩く。


「もしかして赤毛の、のっぽな娘かい?」

「あ、はい。赤毛でのっぽなエンゲレンさんです」

「そうか。それでうちに来たのか」

「お知り合いです?」

「あれは僕の大姪おおめいでね。姉の孫なんだ」

「なんと!」


 思わぬ親戚関係が明らかになり、シルティは深々と頭を下げる。


「エンゲレンさんには大変お世話になりまして……」


 ふふ、と柔らかい笑みを見せる男。


「良い子だろう。あれは昔から、なんというか、姉御肌でね。年下の子は放っておけない性質たちなんだ。しかしそうなると、僕がなにもしないというのは、ルビアに恥ずかしいな。僕は格好いい大叔父おおおじでいたい」

「いや、そんな」

「そうだな。僕の靴はできれば裸足では履いてほしくない。裸足での履き心地で僕の作品を評価して欲しくない。お客さんにもできればちゃんとした靴下を履いて使ってもらいたい。しかし、お客さんはどうやら、靴下を準備する余裕もなさそうだ」

「いやいや、そんな」

「そう言えば、うちのクローゼットに使っていない靴下があったな。僕の娘がお客さんくらいの時に使っていたものが。古いもので悪いけれど、まだまだ使えるだろう」

「いやいやいや! ちょっと待ってくださっ」


 男は店の奥へ引っ込んで行った。

 シルティはそれを茫然と見送る。


「ええ……? 親切と施しを身上とする家系とかですか……?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る