第43話 親切



 その他、生活する上で注意すべき規則や貨幣制度など諸々の説明を終えたドミニクスが、衛兵詰め所を出て業務へ戻った。

 監視役としてルビアが残った室内で、シルティは融通してもらった服を検める。

 飾り気のない、質素な長袖のシャツとズボン。手触りは硬いが生地は厚めで、かなり頑丈そうだ。擦り切れてもほつれても穴が開いてもいない。洗濯したての匂いがする。

 今の襤褸ぼろとは比べるのも失礼なほど、極めて文明的な衣類と言えるだろう。


 シルティはちらりとルビアの身体に目を向けた。

 ルビアは黒い革で作られた軽装の革鎧を身に付けていて、鎧下として長袖のシャツとズボンを着用している。見たところ、鎧下はシルティの手にあるものと同じもののようだ。

 ルビアも、ドミニクスも、門でドミニクスと連携していた衛兵も、皆が揃いのブロードソード・ラウンドシールド・黒い革鎧を装備していた。間違いなく、衛兵用の装備として支給されているのだろう。

 手厚い福利厚生だ。

 となると、この服も支給品かもしれない。


「これ、衛兵さんの支給品ですか?」

「ん? ああ。私の予備だ」

「すみません。ありがとうございます。いずれ必ずお支払いします。でもこれ、横流しになっちゃいません?」

「うちはそこまで厳しくないよ」

「ほんとすみません……」

「いーから、さっさと着ろって。今着てるのは、こっちで処分しといてやるからさ」

「はいっ。ありがとうございます」


 シルティは外套の内側、自らの装備に意識を向ける。

 正直、ほぼ全滅と言ってもいい有様だ。だがありがたい事に、鎧下となる服を恵んでいただけた。

 となると最優先は肌着、特に胸を支えるブラジャーがボロボロなので、こちらを可及的速やかに新調する必要がある。

 なにせ、焼け焦げた端切はぎれと適当に採取した樹皮を、野草から作った繊維糸で無理矢理縫合したところに、結構な内圧と荷重がかかっている状態だ。角熊に爆破されたのが本当に致命的だった。次の瞬間にブツリと寿命が来て胸が零れ落ちても不思議ではない。


 だが、お金がない。

 戦闘用の肌着というのは殊更にぴったりと身体に合わせなければならないため、厳密に採寸して発注する必要があるし、吸水性・速乾性・通気性に優れ、かつ丈夫で肌触りのいい、布の中でも極上のものを素材とする。要するに、製作のコストが凄まじい。

 比較的簡単な構造の男性用肌着ですら、戦士や狩猟者ではない者たちからすれば信じられないほどに高価である。

 これが女性用肌着ともなれば、その値段は文字通り桁が違う。無一文のシルティには到底手が出せない代物だ。

 とりあえずの資金を稼ぐまでは、この襤褸切れのようなブラジャーを着用しておくしかないだろう。


(ああ、お金が欲しい……)


 シルティは憂鬱になりながら、身を隠していた外套を脱いだ。


「うおっ……」


 ルビアがびくりと身体を硬直させながら、悲鳴じみた声をあげた。


「? なんです?」

「……いや。…………おっぱい、でっかいな」

「……。エンゲレンさんて、もしかして、ですか?」

「馬鹿言うな。違う。……違うけど、女同士でもでっかいの見ると、なんかこう……ぅおぉっ、すげぇっ……てなるだろ?」

「ええ……?」

「なるんだよ」

「はあ……」

「……いやこれ私だけじゃないからな絶対」

「うん……」

「……割と、ねたましい」

「こんなんあっても、邪魔なだけですよ……」

ねたましい」

「……私はエンゲレンさんくらい背が高くなりたかったです」


 ルビアと馬鹿な話を交わしながら、シルティは襤褸を脱ぎ、服を着た。

 ルビアは女性にしてはかなり長身だ。彼女の予備というこの服はシルティには少し大きく、たけが余ってしまっている。

 地面に引きずらないように、刀捌きに影響しないように、すそそでまくり上げておく。

 裾から露わになったシルティの素足を見て、ルビアが気の毒そうに溜息を吐いた。


「裸足じゃん。服が酷すぎて気付かなかった。靴はどうしたんだ」

「あー、泳ぐときに邪魔だったので、捨てました」

「……悪いけど、さすがに靴は、ないな」

「いえ、そんな。大丈夫です。むしろ、助けられ過ぎなぐらいで」


 ルビアは再び盛大な溜息を吐いて、腰元に下げていた財布らしき袋をまるごとシルティに差し出す。


「えっ?」

「貸してやる」

「そんな、これ以上、迷惑をかけるわけには」

「まあいいから、取っとけ」

「いや」

「うるさいな」


 ルビアはシルティの頭頂部をグワシと掴む。


「うわっ」

「遭難してた年下のガキンチョを、ちょっと助けるぐらいの良識は持ってるんだよ、私は」


 鷲掴みにした頭を、ぐるんぐるんと揺り動かす。


「あと、くさいって言った詫びもある。あれは本当に無神経だった。ごめん」

「い、いえ、まあ、事実ですし」

「あと、お前さんは紅狼好きの仲間でもあるし。私は生活に困ってない。そのうち返せばいいよ」

「いえ、でも」

「礼なら、あとで私にもお前さんの紅狼を可愛がらせろ」

「おお、うう」


 頭部を執拗にこね回され続けるシルティは、もはや呻くことしかできない。


「靴を買って、飯を食べるぐらいの金はある。いいから取っとけ」

「ええと、その、あざす……」


 シルティは脳内の『恩返しリスト』に、ルビア・エンゲレンとドミニクス・クラッセンの名をしっかりと刻み込んだ。


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