第39話 衛兵



 ようやくの思いで発見した港湾城郭都市へ向け、シルティは満面の笑みを浮かべながら全速力で突撃する。

 走り寄る最中、入門待ちをしているらしき若い男と目が合った。

 一頭立ての小さな荷馬車の御者台に座っている。おそらく行商人だろう。

 シルティはにっこりと笑顔を浮かべ、手を大きく振った。


 その瞬間。

 男は顔を盛大に引き攣らせ、悲鳴を上げながら逃げ始めた。

 えっ、とシルティが呆気に取られていると、武装した壮年の男が二名、即座に駆け付けてきて、問答無用で斬りつけられた。


 シルティの腕と脚を同時に狙う、素晴らしく息の合った連携。

 積み上げられた鍛錬を感じさせる太刀筋だが、殺意は全く感じられない。

 とりあえず手足をぶった斬って行動不能にしよう、という狙いが見える剣だ。

 シルティは咄嗟の足運びで連携の焦点から逃れ、抜き放った〈紫月〉でそれぞれの刃を捌いた。


「ぬっ」

「むっ!」


 自信のあった連携をあっさりしのがれた警戒からか、二人の男……おそらくは衛兵の目が、鋭く剣呑に変わる。

 二人とも揃いの装備だ。男性の前腕部ほどの直径を持つラウンドシールドを左手に保持し、右手にはつばと一体化したかごのような護拳ごけんが特徴的な片手用直剣……ブロードソードを握っている。

 装備が規格化されているようだ。

 ということは、やはり衛兵か。

 どっしりと深く構えた衛兵たちが、ギラギラと使命感に満ちた表情を浮かべた。


「ちょ、ちょっと待っていただきたいッ!」


 シルティは慌てて〈紫月〉を納め、自らの境遇を叫んだ。





「すまなかった」

「てっきり、狂った野盗の類かと思ってな!」


 鬼気迫る主張により、シルティが遭難者だということを信じてくれたらしい。衛兵たちはすぐさま剣を納め、頭を深く下げて謝罪までしてくれた。


「いえ。こちらこそすみませんでした。自分の格好の酷さを失念してました……」


 自分の格好を鑑みる。

 さらに、先ほどの自分の言動を鑑みる。

 朝っぱらから、汗まみれで、目を爛々と輝かせ、行商人を見て満面の笑みを浮かべながら、常軌を逸した勢いで一目散に走り寄ってくる、血汚れだらけ、継ぎ接ぎだらけの襤褸ぼろまとった、凄まじくみすぼらしい女。

 どう考えてもまともではない。狂人と思われても仕方がないだろう。

 微塵も怯えることなく即座に斬りかかってきたこの衛兵たちのプロ意識の高さは、むしろ称賛すべきである。

 自分の格好の酷さは自覚していたのだから、他人に恐怖や嫌悪感を抱かせないよう、笑ったりせずに、ゆっくり堂々と近寄るべきであった。走っている間になんか楽しくなってしまったのが良くなかったと、シルティは反省する。


「まあ、そうだな! 仕方がないとはいえ、その格好でうろつくのはちょっと許可できんな!」

「ですよね」

「とりあえず、詰め所まで同行してもらえるか? 服くらいはやるぞ!」

「いや、本当に、心底ありがたいです……」

「よし! ちょっと待っていろ!」


 衛兵のうちの片方、やけに元気がよく声がはきはきとした壮年の男が、凄まじい勢いで走り去った。そしてすぐに凄まじい勢いで戻ってきた。その腕には、どこから調達してきたのか、厚手の布で作られた外套が抱えられている。


「これで身体を隠すといい!」

「本ッ当に、すみません……! ありがとうございますぅ……!」


 ペコペコと頭を下げながら、シルティは外套を羽織り、身体をしっかり隠す。

 元々が蛮族な上に、今はかなり野生化しているが、これでもシルティはうら若き乙女である。今のシルティは、擦り切れと継ぎ接ぎのせいで肩やら背中やら腹やらが透けているような有様だ。

 そんな状態で多くの男性たちの視線にさらされていることに意識が向き、シルティは今更ながら羞恥に襲われていた。


 壮年の衛兵の先導に従い、シルティは身を縮こまらせて門へと向かった。朝早くから入門待ちをしていた者たちが、連行されるシルティをじろじろと観察してくる。

 衛兵に連行されていること、そして足枷や首縄がかけられていないことから、犯罪者を見るような悪意に満ちた目ではない。だが、どこか嘲笑と嫌悪の混じった視線だ。

 シルティはこの手の視線に慣れていた。なぜなら、ノスブラ大陸でも散々に味わってきたからだ。これは、都会の者が、田舎者蛮族を見る目である。

 まあ、シルティの現在の格好を鑑みれば、致し方なしといったところだ。

 土で汚れ放題の素足は、借り受けた外套でも隠せない。


 しばらく歩き、シルティは衛兵の男の言うところの『詰め所』に辿り着いた。門の横合い、白い石材で作られた城壁の内部だ。中に入ると、室内には四人掛けサイズの机と椅子があり、そこに待機していたらしき若い女がじろりと視線を向けてきた。

 彼女もまた、ラウンドシールドとブロードソードを携えている。

 やはり、揃いの装備だ。


「おう、ドミニクスさん。どした」

「少女を保護した! 猩猩ショウジョウの森で遭難していたらしい!」

「ほぉん?」

「ルビア! 適当になんか着るもんを持ってきてくれ!」

「着るもの?」


 曖昧な返事をした女性衛兵が、じろり、とシルティを見てくる。目付きは鋭いが、特に悪意は感じない。年齢はシルティ十六歳と同年代。一つか二つ上、と言ったところだろうか。

 シルティは申し訳なさそうに外套を開き、ちらりと足を見せた。

 元々はすその長いズボンだったのだが、今は太腿の半ばまで露出しているほどにボロボロだ。

 途端に、女性衛兵の視線に憐憫れんびんの色が混じる。


「うっわ。酷い格好。ちょっと待ってな」


 すぐさま立ち上がり、別室へ消えて行った。

 ここまで先導してくれた壮年の衛兵が、備え付けられていた椅子に座り、対面の席へシルティを促してくれたので、感謝を告げて腰を下ろす。


「名前は?」

「シルティ・フェリスといいます」

「そうか。ちなみに私はドミニクス・クラッセンという!」


 元気のいい壮年の衛兵、ドミニクスが机上に置いてあったヤカンを傾け、同じく机上に置いてあった木製のコップに褐色の液体を注ぎ、シルティへ差し出した。


「まあ飲め! 安い茶だがな!」

「ありがとうございます。いただきます」


 受け取ったコップの中身を見て、シルティは大きく目を見開いた。

 なんと、豆粒ほどの小さな氷が、無数に浮いている。

 つまり、この茶は、キンキンに冷やされているのだ。

 それを見た瞬間、シルティはほとんど無意識に中身をあおっていた。

 恐ろしさを感じるほど冷たい塊が、食道を滑り落ち、耐え難いほどの快感が脳髄を貫く。浮いていた氷の粒までゴグンと飲み込み、


「……ッくぅぅぅ……ッ!!」


 万感の籠った唸り声を吐き出した。


「美味そうに飲むな!」

「めちゃくちゃ美味しいです……」


 若干涙声になりながら、シルティは感謝と感動を告げる。

 何十日ぶりの冷たい飲み物だ。シルティは冷たい飲み物が大好きだった。


「氷って、文明って、素晴らしいです……。図々しくてすみません。もう一杯だけ、いただけませんか」

「いくらでも、たらふく飲め!」


 ドミニクスが不憫そうな目をしながら、コップにお代わりを注いでくれた。

 正直、一杯目は冷たさへの感動が大きすぎてお茶の味をあまり感じなかったので、今度は落ち着いて味わう。薄い褐色のお茶は心地の良い香ばしさがあり、苦みや渋みはほとんどなく、ほのかに甘味がある。シルティの好みの味だ。


「あぁ、美味しい……」


 控えめにいっても、最高だった。

 と、その時、若い女性衛兵が別室から戻ってきた。その手には丁寧に畳まれた服が上下一式。シルティに融通してくれるという衣類だろう。今のシルティからすれば本当にありがたい。


「ほれ。ちょっとでかいかもしれんが」


 と手渡された。シルティは頭を下げる。


「ありがとうございます。シルティ・フェリスです」

「ああ。ルビア・エンゲレンだ」


 若い女性衛兵、ルビアはドミニクスの横の椅子を引き、そこに腰を下ろした。


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