第40話 情報収集



 若い女性衛兵、ルビアが呆れたような表情を浮かべながらシルティを睨みつけた。

 どこか、叱りつけるような視線だ。


「猩猩の森で遭難してたって? 生きててよかったな」

「いやあ、ほんとにそうですよね」

「なんだってまた、森になんか入ったんだよ」

「実は、乗ってた船が沈没しまして」

「あん? 船?」


 ルビアが不審げな表情を浮かべ、首を傾げる。

 それもそのはず。ルビアはシルティのことを、この都市出身の馬鹿な子供だろうと考えていたのだ。

 ルビアから見るとシルティは随分幼く見えたし、なにより腰に吊るしているのは木刀である。チャンバラごっこの延長か、あるいは度胸試しか。馬鹿な子供が遊び半分に森へ侵入し、案の定迷子になって、森の浅い位置を彷徨っていたのだろう、と想定していた。

 まさか、ノスブラ大陸から渡ってきて、海から森へ侵入したとは思わない。


 一方、ドミニクスの方は落ち着いていた。

 たった一合だけとはいえ、ドミニクスはシルティと剣を交えている。シルティが若い見た目とは裏腹に高い技量を身に付けていることは身を以て知っていたのだ。

 ドミニクスと同僚の息の合った連携をこともなげにさばくなど、馬鹿な子供では有り得ない。


「私、ドゥアモレからカラキザドニアに向かう船に乗ってたんですよ」

「……ノスブラ出身なのか」

「はい」


 ドゥアモレはノスブラ大陸南端の港町、カラキザドニアはサウレド大陸北部の港街の名である。

 この二点を結ぶ航路は、ノスブラ大陸とサウレド大陸を結ぶ中では最も安全だと言われていた。

 まあ、たまに齧られて沈没するのだが。


「もうちょっとでカラキザドニアってところで、それが沈没させられまして。多分牙鯨きばクジラだと思います。運良く生き延びました」

「遭難って……森じゃなくて、海でか」

「海でも、ですね。あんまり覚えてないんですが、海の上を十日ぐらいただよって、いつの間にか気を失って、気が付いたら陸地に流れ着いてて。奇跡ですよねー。そこから二か月ぐらい彷徨ってました。漂着したとこから海岸線を延々に辿ってきたんです」


 ルビアは顔を思いっきり引き攣らせた。


「マジかよ。よく生きてたな」

「ふふん。私、結構強いんですよ」

蒼猩猩あおショウジョウが腐るほどいただろ?」

「いましたねー。海沿いにはあんまりいませんでしたけど、それでも二十匹ちょっとは殺しました。なんかそのうち、襲われる前にわかるようになってきて」

「……いや、凄いけど、引くわー……」


 からからと笑うシルティに、ルビアは畏怖の視線を向ける。

 猩猩の森と称される通り、あの森の蒼猩猩の生息密度は異常の一言だ。シルティはなんでもないことのように告げたが、蒼猩猩は決して弱い魔物ではない。魔法『停留領域』に担保された無音無臭の襲撃は多くの人類種にとって充分すぎる脅威である。

 ルビアとて衛兵だ。戦闘の心得はある。蒼猩猩の一匹や二匹に遅れを取るつもりはない。

 だが、猩猩の森には蒼猩猩以外にも蛇角羚羊じゃかくレイヨウ雷銀熊らいぎんグマのような危険な魔物が多数生息しているし、頂点には琥珀豹こはくヒョウもいる。

 猩猩の森の中に身一つで放り出され、二か月も単独で生き延びる自信は全く無かった。


「事情はわかった! フェリスくん、無事でなによりだ。改めて、『港湾都市アルベニセ』へようこそ!」


 ドミニクスが年長者の微笑みを浮かべながら、元気よく歓迎の言葉を告げる。


「駄目元で聞くが、金はあるか?」

「すみません、ないです……」

「だよなぁ! すまないが、我々衛兵隊がきみに融通できるのはせいぜいその服ぐらいだ!」

「いえ、これだけでも死ぬほど助かります。いずれ必ず対価をお支払いします」

「まあ、気にするな! きみもしばらくはここで生活するつもりだろう? 最低限だが、この都市の規則を説明しよう!」

「ありがとうございます」


 衛兵たちによるレクチャーが始まった。

 まず、港湾都市アルベニセに人の出入りに関する税はないので、無一文のシルティでも都市を出入りすることは可能だという。一安心だ。

 一方、出入りする物資に対する税はあるので、荷物は必ず検められ、品目に応じた税が徴収される。これは物納でも金納でも可だ。

 また、その際には衛兵によって人相もしっかり検められ、犯罪者として手配されていた者はここで捕縛される。

 ルビアは人相を覚えるのが非常に得意だそうで、検挙率は衛兵の中でぶっちぎりのトップだと誇らしげに語った。


「お前さんの可愛い顔もばっちり覚えたからな。悪さするなよ?」


 ルビアが冗談めかして釘を刺す。

 シルティは曖昧に笑いながら頷いておいた。

 正直に言って、シルティは自分の常識にあまり自信がない。これまでの遍歴の旅を思い返しても、シルティにとっての善行が他者にとっての蛮行であることは割と多かった。最近ではいくらかマシになってきたものの、実のところ憲兵のお世話になったことも数知れぬ。

 故郷と地続きのノスブラ大陸の中ですらそうであったのに、現在地は海を越えたサウレド大陸だ。

 うっかり犯罪に手を染めてしまわぬよう、より一層注意する必要がある。


「えーと、二つ、お聞きしたいことが」

「遠慮するな! なんでも聞け!」

「ありがとうございます。一つ目ですが、この都市に魔物の死骸を卸せるような場所はありますか? 魔道具の素材として売りたいんです」


 学も生産技術もないシルティが頼れるものは、自らの暴力しかない。ノスブラ大陸にいた頃も、魔物を狩って死骸を売却することで収入を得ていた。

 こういった手段で糊口ここうしのぐ者は広く『狩猟者』と呼ばれ、ノスブラ大陸ではそう珍しいものではない。

 サウレド大陸でも同様に、狩猟者として資金を稼ぐつもりだ。しかし、以前は生活に必要なだけを得られればそれで良かったのだが、今のシルティには海の底から〈虹石火にじのせっか〉を引き上げるために途方もない金額が必要になる。

 効率よく稼ぐためにも、この都市でどういった制度が敷かれているのか、仔細を把握しておく必要があるだろう。


「おお。それなら、飯屋に行くと良いぞ!」

「……食事処、ですか? 研究所などではなく?」


 ドミニクスの回答に、疑問の表情を浮かべるシルティ。

 ルビアが笑いながら補足する。


「ノスブラじゃ、都市に一個しか魔術の研究所がないんだって?」

「え? はい。サウレド大陸は違うんですか?」


 正確に言うと、ノスブラ大陸に存在する五つの大国のうち、国力で最大のベルガルア王国と、次点のモルドメア王国、次々点のグルートリア王国では、そうだ。

 この三国は経済的および文化的交流が盛んであり、大雑把に言えば仲良しである。政策や法律についても似通った点が多い。そして、三つの国家の国土を合計すればノスブラ大陸の面積の七割弱を占める。

 この三国に共通する特徴ならば、ノスブラ大陸の特徴と言っても、まぁ過言ではないだろう。


 ちなみに、シルティの故郷である蛮族の地はノスブラ大陸の北東端にあり、グルートリア王国と接しているが、国家という形態は取っておらず、グルートリア王国からは『蛮地』と蔑称されていた。


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