第33話 悪癖の血筋



 シルティがこの地に漂着してから、三十九日目。

 海岸線から多少の距離を保ちつつ進むシルティとレヴィンの前に、見慣れぬ動物が姿を現した。

 現在地は岩礁海岸で、地面の起伏は多い。

 シルティは起伏に身を潜め、目を凝らす。


(……イノシシ、かな?)


 口唇から飛び出る、湾曲して上向きに伸びた長大な牙。流線型で、前後に短く、上下に大きな樽型の胴体。短い四肢。

 全体的に猪に近い特徴を持っているが、鼻の先から尻尾の先まで背筋に沿って一列、黄土色の鱗が生えている。最も大きなものは水瓜スイカの実、最も小さなものはスモモの実ほどの大きさだ。五角形の鱗は一枚一枚が独立しており、爬虫類などの鱗よりは魚鱗に近いように見える。

 鱗以外の体表は、短く固そうな体毛で覆われていた。


 シルティの知識にはない動物だ。

 身体能力は、見た目通り猪に近いと考えるべきか。初見の相手の特徴を決めつけるのは良くないが、可能性として頭に入れておくのは重要である。

 あしが短い動物は走行の最高速度が比較的低いことが多い。だが、猪は別だ。奴らは四肢の短さに似合わず優れた突進力を誇り、その体重も相まって馬鹿げた破壊力を発揮する。

 また、重心が低いまま四肢の筋力を存分に発揮できるため、俊敏性・敏捷性においても素晴らしく、こちらを完全に殺しに来る猪の突進を横方向にかわすのは中々難しい。


 速さにはいろいろある。

 だが、シルティは特にこの『重心の低さに由来する俊敏性および敏捷性の高さ』を最も警戒していた。


(猪って、何度見ても……なんというか……親近感が湧くなぁ……)


 なぜなら、他ならぬシルティ自身がそれに大きく依存した戦闘スタイルを取っているからだ。

 猪は強い。間違いない。彼らを弱いと評するなら、シルティが弱いということになる。そんなことはありえない。

 自分を弱いと思ったとき、生命力の作用は失われ、戦士は死ぬのだ。


(さて)


 仮称、鱗猪うろこイノシシ

 鱗猪はまだシルティたちに気付いていないようだ。

 岩礁に生じた潮溜まりに口を付け、ぐびぐびと飲んでいる。水分というよりは塩分を補給しに来たのだろうか。


(……行くか。いや。危ないかな。……いや。行こう!)


 シルティは前のめりになりつつ、これを狩ることに決めた。

 羚羊の肉がとても美味だったので、この鱗猪の肉も食べたくなったのだ。

 現在、シルティは食欲に支配されていた。支配されている自覚はあったが、どうにも、抗いがたい。


(あの見るからに堅そうな鱗、ぶった斬ったら、気持ちよさそう……)


 そして、せっかく作り上げた自信作〈紫月〉の切れ味をもっと試したい、という幼い蛮族的思考もかなり大きかった。


「レヴィン。あいつを狩るよ」


 ビャゥン。レヴィンが小さく返事をした。


 ここでは常に波が打ち寄せており、岩礁に波が砕かれる大きな音が周期的に響いている。かつて羚羊にやったような、投石と音を利用した誘い込みは難しそうだ。

 鱗猪の習性も全くわからないから、効果的な待ち伏せもできない。

 真正面から突っ込むしかないだろう。


 姿勢を低く、右手には〈紫月〉。肩に担いでみねを背中に沿わせつつ、鱗猪を睨み付け、距離を測る。

 全力で奔る自分の脚力なら七歩で届く、とシルティは判断した。地面はしっかりとした岩礁だ、裸足のため足の裏がちょっぴり痛いが、安心して蹴ることができる。

 襲撃に気付いた鱗猪が、逃げるか立ち向かってくるかはわからない。

 立ち向かってきてくれると、楽なのだが。


 息を静かに吸い。

 止めて。

 跳び出す。


 一歩。

 二歩。

 鱗猪がこちらに気が付いた。

 三歩。

 四歩。

 鱗猪がこちらに頭を向ける。

 どうやら、鱗猪は立ち向かうことを選んだようだ。

 さすがは猪、方向転換が速い。

 望むところ、とシルティが脚に力を込めた、その瞬間。

 平べったいなにかが、シルティの顔面へ向かって一直線に飛来した。


(んッ)


 極度の集中の影響で引き伸ばされた時間感覚の中、シルティの眼球は、自らの視線の上をなぞるように飛来する物体を克明に捉えていた。

 鱗だ。手のひら大の、黄土色の鱗だ。

 背筋に沿って生えていた鱗が一枚、剥がれ落ち、ぞっとするような回転数で空気を切り裂きながら飛来してくる。

 どう見ても鋭利だ。

 どう見ても切断力がある。

 筋肉で受け止めるのは遠慮したい。

 とはいえ、直線的な速度は大したこともない。これなら、いしゆみの方がよっぽど速いな、とシルティは判断した。


 首を傾け、鋭利な飛鱗をかわして擦れ違う。

 この程度ならば回避は容易い。だが、単発ということはないだろう。鼻から尾の先まで、鱗はたっぷり生えていた。正確な枚数はわからないが、少なくとも二十枚以上。

 全ての鱗を射出できる、と考えておく。

 弩などとは比較にならない密度で攻撃できるに違いない。

 気を引き締めつつ鱗猪を凝視した、次の瞬間。

 背筋を突き抜ける、ぞわりとした怖気おぞけを感じた。


「んのぁッ!」


 自らの直感に従い、シルティは前後に大きく開脚して身体を沈める。

 直前まで頭部があった空間を、黄土色の鱗が後ろから引き裂いていった。逃げ遅れたシルティの髪が数本、犠牲になる。


(おおっ!? 戻ってきた!?)


 どうやら、シルティが回避した鱗が空中で折り返し、再び襲いかかってきたらしい。シルティの視界では今もまた、鱗の軌道がなにもない空中でカクンと折れ曲がり、再三、シルティへと飛来し始めている。

 さらに、鱗猪の背筋から、二枚目、三枚目の鱗が剥がれ落ちた。

 予想通り、単発では終わらないようだ。計三枚の刃が、シルティを襲う。

 獲物を追尾して切り裂く、複数の鱗。

 これが、鱗猪がその身に宿す魔法か。


 シルティの頭の中が、じわじわと、蕩けるような熱を孕んだ。

 シルティの口元には、にまにまと、楽しそうな笑みが浮かぶ。


 爛々と輝く瞳で、シルティは自らを襲う三枚の鱗を凝視する。

 首を狙う一枚を頭を振ってかわし、左太腿を狙う一枚と胸部を狙う一枚を身を大きく翻してすり抜け、背後から戻ってきた一枚目を跳躍して躱した。

 空中に浮かんだシルティへ殺到する二枚目と三枚目の側面を、両足の足刀で蹴り飛ばし、同時に反動で鱗猪の方へ跳ぶ。角度が甘かった。左足の小指と薬指がポトリと落ちた。。

 着地点で迎え撃つように、四枚目の鱗が射出される。シルティは空中にいながら〈紫月〉を地面に突き立て、支点を作って着地点をぐるりとずらし、やり過ごした。

 さらに戻ってきた一枚目を、鋭く振り回した〈紫月〉の峰で弾き飛ばす。


 耳障りな金属音を鳴り響かせ、飛鱗が明後日の方向へ向かった。

 あわよくば割ってやろうという一撃だったのだが、残念ながらひびひとつなさそうだ。薄くて鋭利なくせに、随分と頑丈である。素晴らしい。

 間髪入れず、残る三枚の鱗がシルティを襲う。


 シルティの笑みが、ますます深まった。

 こういう、手数で攻めるような魔法は。

 シルティの、なのだ。


 相手が自信を持って放つ攻撃の濃幕を、シルティが誇る反射神経と動きのキレでもって悉く躱し、捌き、すり抜け、封殺して、必殺の太刀の間合いまで肉薄する。

 その時こそ、シルティは自らの素晴らしさに酩酊し。

 この上ない達成感を味わうことができるのだ。

 悪い癖だという自覚はある。

 だが、どうにも抑えきれない。

 興奮してしまう。


 冷静になり切れない部分が、声高に主張するのだ。

 敵に、私の身体の素晴らしさを見せてやれ。

 己が磨き上げてきた、最も自信のある性能キレを存分に見せびらかし、圧倒してやれ、と。


「んふっ、ふふふ、んふふふッ」


 この辺り、フェリス家のさがというべきかもしれない。

 実のところ、シルティの父ヤレックも、そういうところがあった。

 ヤレックは筋肉自慢だったので、真正面からの力比べの際にギンギンに興奮する男だった。


「猪くん、四枚じゃ全然足んないよ。気張れ。じゃないと、すぐ、斬っちゃうよ」


 薄く開いた唇から、軽口が零れ落ちる。

 シルティの挑発を理解したわけではないだろうが、鱗猪の背筋から追加の鱗がバラバラと剥がれ落ちた。その数、一挙に七枚。

 シルティの視線にも熱がこもる。

 最大で何枚までいけるのだろうか。

 生えた鱗、全部、飛ばせないのだろうか。

 もういっそ、一気に襲ってきてほしい。

 全部、漏れなく、かわしてみせる。

 血塗れで躱して、逃がさず近付いて、ぶった斬ってあげる。


 シルティはにまにまと笑いながら、うきうきと死地へ踏み込んだ。


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