第25話 着火



 翌朝。

 シルティがこの地に漂着してから、今日で二十八日目。


「よっし! やるぞっ!」


 魚を獲って朝食を終えたシルティは、両手で握り拳を作り、声に出して気合いを入れた。


 シルティはレヴィンを伴って森の浅い位置を探索し、生えていた木から樹皮を剥ぎ取って回る。シルティはこの辺りの植物の特徴を全く知らないため、どの木の樹皮が適しているのか判断が付かないが、そこは手当たり次第という手段で解決した。

 一本目に選んだ木の樹皮は硬すぎて曲げようとすると割れる。二本目に選んだ木の樹皮は脆く、鱗のように小さく千切れてしまう。三本目に選んだ木は樹皮が薄すぎて剥ぎ取れない。

 七本目に選んだ木で、ようやく採用となった。適度に柔らかく、適度に丈夫なそれを剥がし、適度な大きさの長方形に切り取る。


 続いて、適当な太さの枝を採取。適当な長さの棒にして、片方の端面から長さの半ばまで縦に亀裂を入れた。原始的だが、これは素材の弾性を利用した留め具クリップだ。それを四本。

 樹皮の四隅を折り畳み、それぞれクリップの亀裂で挟み込んで留めれば、箱型の器が完成する。この際、なるべく底が深くなるように作る方がいい。なぜなら、熱を水に吸われる樹皮は燃えなくとも、四隅を留めるクリップなどは普通に燃えるからである。

 最後に、箱型の四辺それぞれの中央に穴を開け、として真っ直ぐな枝を十字に通す。これで、一応は鍋の役割は果たせるものが出来上がった。

 一度、海水を汲んでみる。容量はさほど大きくないが、ひとまず漏れはなさそうだ。


(久しぶりに作ったなー。お母さんよりは下手だけど、まあまあかな)


 シルティは幼い頃、母親であるノイア・フェリスにこの樹皮鍋の作り方を教わった。条件が良ければそう時間をかけず作れる非常に手軽な鍋だ。

 出来栄えに満足したシルティは、すぐに二個目の樹皮鍋を作ることにした。鍋の容量はそう大きくなく、一つの鍋で製塩するのは効率が悪い。

 鍋あらかじめいくつか作っておき、日没後しばらく経ってから火をおこして、鍋を総動員して海水を煮詰める手順がいいだろう、とシルティは判断した。



 なお。

 この状況で樹皮の鍋を作るというのは、実際のところ完全に誤った判断である。

 経口毒を含む木というのは意外と多い。喉に違和感を覚える程度の弱毒から致死性の劇毒まで、さまざまだ。シルティのみが使うならともかく、レヴィンも口にするであろう塩を作る鍋に、未知の樹皮や枝を使うという判断はどう考えてもまずかった。


 本人に自覚は無いのだが、シルティは毒に対する警戒心がかなり希薄である。というより、嚼人グラトンという種全体で、毒への危機感が薄い傾向がある、と言うべきかもしれない。

 嚼人グラトンという魔物は、経口毒についてはどれだけ大量に摂取しても魔法『完全摂食』によって一切を無害化するし、経皮毒や刺毛などで皮膚の表層を侵す毒についても、触った瞬間に痛みや違和感があればそこを削ぎ落とし、豊富な生命力のゴリ押しで再生できてしまう。

 嚼人グラトンにとって特に注意が必要な毒物は、肺腑を侵す気体あるいは霧状のもの。毒牙や毒針によって注入され、血の流れに乗り、傷口付近だけでなく臓器を侵すようなもの。そして、魔法による超常毒ぐらいである。さらにそれらの毒であっても、やはり生命力のゴリ押しである程度は自然治癒できてしまうため、どうしても毒物に対する危機感が薄くなりがちなのだ。


 嚼人グラトン以外の魔物にしても、内臓は極めて強靭で、広範な毒に強い耐性を持っている。だがしかし、レヴィンはまだ幼い。成獣では平気なものでも害となってしまうだろう。

 幸い、今回シルティが素材に選んだ木の樹皮にはレヴィンに害を為す成分は含まれていなかったが、これは単に運が良かっただけである。



 途中でレヴィンの食事を挟みつつ、太陽が正中を過ぎた頃に八個目の鍋が完成した。

 これぐらいあればいいだろうと判断し、シルティは鍋作りを終了する。無論、全ての鍋には海水を満たして放置だ。自然乾燥で少しでも煮詰めておく。

 あとは日没までに火おこしの材料や燃料などを集めておけばいい。夕凪|(昼間の海風と夜中の陸風が切り替わる無風の時間帯)の間は身体を休めて、陸風が吹き始めてから、火を熾す。そうすれば、火の煙と臭いは海へ流されるはずだ。


(大丈夫。多分。大丈夫)


 塩欲しさに、思考に楽観が混ざっていることを自覚しながら、シルティは作業を進めた。

 幸い、昨日は一日中カラッと晴れていたから、地面に落ちた自然物は充分に乾燥している。火熾しに必要な物資には困らない。すぐに集められる。特に燃料となるたきぎは膨大な量を確保できた。

 なにせ、どう見ても人の手が入っていない原生林である。植林も伐採も採集も全く行なわれていないので、地面には充分に乾燥した木切れが文字通り腐るほど落ちていた。


 続いて、夜間に火を熾す弊害である火光かこうの対策。

 闇の中で火光は非常に強い存在感を放つものだ。森の木々の密度はかなり高いが、光の反射という現象の影響は想像以上に大きく、直接に視線が通っていなくともそこに光源があると認識できてしまう。これもまた、煙や臭いと同様に獣を惹き寄せる。

 なにか、衝立ついたてのようなものを作って、光を遮る必要があるだろう。

 シルティは集めた薪のうち、適当な長さのものをいくつか見繕い、紐や蔓で括って、三角形の骨組みを作った。そこに、木からぐるりと一周分を剥がした面積のある樹皮を、どうにかこうにか巧いこと貼り付ければ、原始的な衝立ついたてが出来上がる。これを、少し多めに三十枚ほど作っておく。周辺の木が軒並み丸裸になった。


 これで、製塩の準備工程は残すところあと一つ。鍋を置くためのかまど作りだ。

 広い入り江を歩き回り、散在する岩石を竈の材料として根こそぎ拾い集めてきた。使いにくいほど大きいものは、大きいもの同士を叩き付け、適当な大きさに割る。

 そうこうしているうちに日没を迎えた。水平線の向こうに太陽が沈んでも、僅かな間だけは空に夕焼けの名残が残る。辛うじて活動できるが、すぐに限界を迎えるだろう。いかに夜目に自信のあるシルティであっても、星明りのみではまともに動けない。

 急いで竈を組む。組むといっても、集めてきた大きな石を三つから六つ程度、円周上に並べただけのものだ。竈というよりは五徳ごとくと呼ぶのが正しそうである。

 ギリギリだが、完全な暗闇に包まれる前になんとか準備が間に合った。

 今はまだ海風が吹いているが、ひと眠りしている間に夕凪が過ぎ、陸風が吹き始めるだろう。


 シルティが砂浜に胡坐あぐらをかくと、レヴィンが膝の間に来て、丸まった。

 窮屈なスペースだと思うのだが、最近のレヴィンはどうにもこの位置がお気に入りのようである。

 咄嗟に立ち上がれないので微妙に邪魔なのだが、邪見にするのも気が咎めるシルティだった。このまま、少し眠ることにする。





「ん……」


 浅い睡眠から覚め、シルティはすぐに空を仰いだ。月の位置から時刻を概算。

 予定通り、火熾しの頃合いだ。シルティは自分の睡眠時間をかなり正確に操作できた。狩る者としての技能の一つである。

 膝の上で眠るレヴィンをそっと下ろし、月明かりを頼りに用意しておいた発火道具を手に取った。行なうのはきりみ式と呼ばれる発火法だ。摩擦式発火法にもいくつか種類があるが、最もポピュラーといえるのではないだろうか。


(さて、やるかー)


 シルティは気合いを入れる。

 錐揉み式で火を熾した経験は豊富で、成功する自信はあるのだが、実際にやるのはかなり久しぶりだった。というのも、遭難する前のシルティは点火用の魔道具を持っていたため、わざわざ錐揉み式を行なう必要がなかったのだ。

 あれは炉蜻蛉ろトンボと呼ばれる真っ赤な虫型魔物の魔法を再現すべく作られた魔道具で、〈蜻蛉の尻尾〉という商品名だった。


(※久々に登場した単語なので。

 魔道具とは、魔物たちが身に宿す魔法を再現するために組み上げられた装置のこと。魔物の肉体の模造品。魔物の死骸は、これの素材としての需要が最も大きい)


 炉蜻蛉がその身に宿す魔法『囮火おとりび』は、自身の姿と寸分たがわぬ形の炎塊を無数に生み出す魔法である。名称通り、主な用途は敵から逃げる際にばら撒く囮なのだが、成虫の炉蜻蛉はシルティの頭ほどのサイズがある巨大な虫だ。その姿を模した炎塊となれば、当然ながら充分な殺傷力を備えている。気付かずに喰らい付けば無事では済まない。

 そして、彼らの肉体を摸倣した魔道具〈蜻蛉の尻尾〉は、僅かな生命力を代償に、『囮火』を著しく劣化させた現象を再現する機能を持っている。つまり、炉蜻蛉の尻尾の先端ぐらいの小さな火を、一つだけ、能動的に生み出せるのだ。


 それ自体が燃料や発火点になるわけではないので、〈蜻蛉の尻尾〉が水で濡れていたりしても動作に全く支障がなく、さらに『囮火』により生まれた炎塊は風の影響を完全に受けないという素晴らしい特性があった。

 火熾しにはほとんど最適な機能を持っていたと言えるだろう。

 ノスブラ大陸では、点火用魔道具を尋ねれば十人中十人がこれと答えるほどの大ヒット商品だった。サウレド大陸にも輸出されていたはず。そのものでなくとも、こちらにも似たような機能を持つ魔道具があるのであれば、是非とも手に入れたいところだ。


(うーん、お金がいくらあっても足りそうにないなぁ……)


 〈蜻蛉の尻尾〉は大量に生産されていたため、魔道具としては破格の安さだったが、それでも無一文の今からすれば手が届くようなものではない。

 シルティは溜息を吐きながら、火切り杵で火切り臼を摩擦した。

 シュシュシュシュシュ、と接触面が断続的な音を立てる。やっているうちに感覚が戻ってきた。すぐに焦げたにおいが漂い始め、生産された黒い木屑に赤い火種が生まれる。

 火種を乾燥した火口ほくちに落とし、熱を逃がさぬように両手でしっかりと包んでから、息を弱く長く細く吹き込む。

 両手の間から白煙がもうもうと吐き出され、しばらくすると黄色みがかった炎が上がった。

 暗闇の中、シルティの顔が明るく照らされる。


「おあぁ……文明的ぃ……」


 一体、何日ぶりの火だろうか。

 シルティは思わず意味不明な内容を呟いてしまった。


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