第21話 玄耀



 シルティが、渾身の力作をあらためている。


 先祖伝来の宝刀〈虹石火にじのせっか〉の刀身もこの上なく美しかったが、このナイフの刀身もまた見事なものだ。一見すると深みのある墨色。しかし色合いから予想できるよりもずっと強く光を反射して、しかも反射面がなにやら薄っすらと赤みを帯びる。

 夕焼けを遮る分厚い雲が作り出す影のような、なんとも心をくすぐる色合いだ。

 刀身を少々傾けながら微調整し、陽光の反射の推移を確認した。きらりときらめく短い光の線が、黒い刀身の刃元から切っ先まで淀みなく滑る。


(刃の潰れなし、欠けもなし)


 続いて、手首を返してナイフの刃を上に向け、そのまま柄を目元に近づけると、刃元側から切っ先を見て形状を確認する。

 美しい、見事な直線だ。


(曲がりなし!)


 シルティはにんまりと満面の笑みを浮かべた。

 緩い弧を描く、非常に細身な刀身。握りは刀身のカーブをそのまま活かしている。基部の末端骨も砥石で研磨して形を整えてあった。小指が引っかかるグリップエンドの役割を果たし、手のひらへの収まりはなかなか良好だ。

 形状だけで言えば、刃渡りの短いシーディングナイフに見えなくもない。

 つばが無いので刺突に使うのは怖いが、総じて、大満足である。


「んひっ。ふふひひ。レヴィーン、見て見て、これ。良い出来栄えでしょお? ねえ?」


 シルティはにまにまとした笑みを浮かべ、レヴィンに同意を求めながら、手の中でナイフをくるくると弄ぶ。

 重量も、重心も、取り回しも、手のひらの収まりも、刀身の向きも、ここ最近使っている木刀とは全く違う。が、これでもシルティは刃物の扱いにかけてはひとかどの人物だと自認している。すぐさま感覚の調整を終えた。

 刃物の感覚を掴んだら、次にやることは決まっている。

 試し切りだ。

 突如、シルティが握るナイフの表面が、まるで薄い油膜の張った水面のように虹色の揺らめきを孕んだ。


 シルティは足元に転がっていた石を足の甲でひょいと跳ね上げ、またたきの間にナイフを振るった。子供の握り拳ほどの大きさの石は、甲高い断末魔とかすかな手応えを残し、あっさりと分断されて地面に転がる。

 二つになった石を拾い上げ、シルティは満足そうに頷く。

 鏡面を思わせる恐ろしく滑らかな断面は、衝撃によるではありえない。

 間違いなく、が行なわれた証明だった。


「良い切れ味っ! きみの名前は、〈玄耀げんよう〉にする。〈玄耀〉、よろしくね!」


 巨鷲の鉤爪から削り出した、華奢な見た目の鎌型ナイフ。赤みを帯びた黒……げん耀かがやきを誇る刀身から、シルティはこれを〈玄耀〉と名付けた。

 安直だが、こういうのは考え過ぎてもよくない。……と、シルティは思っている。


「んひひひ……はぁぁ、綺麗だなぁ……」


 シルティは〈玄耀〉を恍惚とした表情でじっくりと鑑賞し、やたらと艶っぽい吐息を吐いた。

 自画自賛になるが、格好良い。

 格好良いというのはとても重要だ。格好悪い刃物は使っていて気分が乗らない。

 気分が乗らなければ、のだ。


 既に述べた通り、魔物と呼ばれる生物たちはもれなく超常的な再生力を備えている。無傷の身体へ戻りたいという渇望を帯びた生命力の巡りが、自身の身体へ強く作用するためだ。

 そして、生成者の意志を強く帯びた生命力は、超常の力と化す。


 拳を打ち合わせる衝撃で付近の魚を気絶させたり、僅かな反応すら許さず蒼猩猩あおショウジョウの首を飛ばしてみせたりと、小柄なシルティが見た目を大いに裏切る優れた身体能力を発揮できるのも、この生命力の作用の一面だ。

 幼少期からの弛まぬ鍛錬の末に芽生えた、私は強い、私は速い、という根拠ある自覚。

 一滴の疑念すら混じらない確信を帯びた生命力の奔流が、誇大な確信を世界に容認させ、結果として身体能力が著しく増強されるのである。

 その筋肉はその断面積以上の出力を発揮し、その柔肌は矢を弾き石を砕く。


 そしてこれは、嚼人グラトンに限った話ではない。

 この世界に生息する大抵の魔物は、無意識にせよ意識的にせよ、生命力の作用によって大なり小なり身体能力を増強していた。


 そして、さらにその発展系。

 肉体のにあるもの――主に武具を、自らが持つ生命力の作用によって超常的に強化する、という技法があった。


 生命力は基本的に生命の中に存在する。草木や菌類の中には存在するが、一方で無生物である石や金属のようなものには存在しない。当然、生命力がそれら無生物に明確な作用をもたらすこともまずない。

 だが、いくつかの例外もあった。

 魔物たちが自分の肉体の延長であると揺るぎなく狂信した物体に関しては、何故か生命力で満たすことが可能になるのだ。

 生命力で満ちれば、当然、生命力の作用が生まれる。

 つまり、己の肉体の一部であり、かつ頑丈で素晴らしい切れ味を持つと思い込んだ得物は。

 、思い込み通りに変ずるのだ。

 ゆえに、適当に削っただけの木の枝が巨大な獣を容易く引き千切る剛刀となり、華奢な細身のナイフが緻密な岩石をすぱりと切断するのである。


 魔物と殺し合うことを生業とし、暴力を拠り所とする者たちにとって、この『武具強化』こそが基礎中の基礎であり、同時に生涯をかけて研鑽し続けるべき奥義となる。

 あらゆる技能がそうであるが、この武具強化も、同一人物が同一武具に施すならば常に同じだけの効果を見込めるというものではない。その時々に、どれだけ強く思い込めるか。どれだけの生命力で満たせるか。どれだけ体調が良いか。諸々の要素によって効果の程は容易く上下する。

 戦士たちは、武具強化の冴えを安定して高く保つため、各々独自のノウハウを持っていた。

 ノウハウ、などと大仰にいっても、要するに、どれだけ、ということである。


 シルティにとってのノウハウは単純明快。

 格好良い刃物を使うことだ。


 シルティは、刃物に関してはもはや刃物というだけで格好良いと思えてしまうような刃物愛好家ではあるのだが、それでも好みというものはある。製作者が使用者を思いっているのが一目で理解できるような、煌びやかな装飾などのない、シンプルな造形のものが好きだ。と言うより、残念なことにシルティは機能美以外の美というものをあまり理解できない性質であった。

 ゆえに、木刀を作った時はとても難儀した。この木刀はとてもではないが格好良いとは全く思えない出来栄えで、シルティの気分も全く乗らなかったのだ。昼ごろから日が落ちるまで長々と素振りをして、自分の身体の延長と見做せなくもないかな、という水準にぎりぎりで達し、ようやく武具強化を乗せることができるようになった。しかし、切断力はせいぜい蒼猩猩の首をなんとか刎ね飛ばせる程度のものに終わっている。

 一方、〈玄耀〉には即座に乗ったし、発揮できる切れ味も比べ物にならない。


 たとえ自画自賛になったとしても、〈玄耀〉を格好良いと思えるのはとても重要なのである。


 機嫌の良いシルティは、続いて〈玄耀〉を納める鞘を作ることにした。巨鷲の鉤爪はもう一本あるが、こちらは予備素材として残しておく。ちなみに、〈玄耀〉の素材としたのは巨鷲の右足の鉤爪である。

 崖の上から落ちてきたと思われる太い木の枝を、さっそく〈玄耀〉を使って適度に整形し、さらに縦に割った。断面を整え、刀身が収まるようにそれぞれに溝を掘り、ぴたりと合わせて、納まりを確かめる。問題はないだろう。のりは無いので、紐をきつく巻き付けることで接着する。

 さほど時間も必要とせず、鞘が完成した。

 紐は少し余らせておき、〈玄耀〉を納めた際は、抜け落ち防止のために握りの部分に結んでおく。〈玄耀〉は武器でなく道具なので、咄嗟に抜くことができなくとも問題ない。


「いやぁ、なんか楽しくなってきちゃったね?」


 シルティはにまにまと笑いながらレヴィンに同意を求める。

 レヴィンは反応を返さず、前肢の肉球をベロンベロンと舐めまわしていた。


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