第18話 琥珀豹の魔法とは



「……よし」


 ようやく巨鷲おおワシの動きが止まったのを確認して、シルティは溜息を吐いた。

 掬い上げて以降、腕の中でガチガチに硬直していたレヴィンを地面にそっと降ろしてやる。

 すると、これまでのそっけない態度もどこへやら。レヴィンは首を竦めて頭を低くし、両耳をぺたりと真横へ寝かせ、長い尻尾を身体に巻き付けるようにしながらシルティに擦り寄り、脚に隠れた。


「んふん? 怖かった? 心配しなくていいよ。この鷲が五匹いても多分私の方が強い。……魔法なしで、レヴィンを守らなくていいなら、だけど」


 微妙に安心し切れないことを言いながら、シルティはしゃがんでレヴィンの脇腹を撫でてやる。撫でてみると胴体が小刻みに震えているのがわかった。さらには尻尾が腕にしゅるりと巻きつき、くいくいと引き寄せている。よほど怖かったらしい。

 無理もないか、とシルティは思う。

 普段はそっけなかったり生意気だったりするのだが、確固たる事実としてレヴィンはまだまだ幼く、弱いのだ。


「私が油断しすぎだったね、ごめん。もっと上にも注意しないと」


 シルティの反射神経がもう少し鈍ければ、巨鷲の鉤爪はレヴィンに食い込んでいただろう。森の中と違って頭上が開けているからと、少し警戒が疎かになっていたかもしれない。あのような猛禽がいるのならば、むしろより一層の注意が必要だ。

 血溜まりの中の死骸を、改めて観察する。

 ニワトリ家鴨アヒルのような家禽とは比べ物にならない、威圧的な脚部が非常に目立っていた。馬鹿げた太さのももすね、逞しいあしゆびに、金属光沢を放つ赤混じりの黒い鉤爪。

 誰がどう見ても、握力と脚力を武器にしているのが明らかだ。

 シルティですらこれに掴まれれば相当な痛手を負う。場所によっては致命傷だ。

 レヴィンはどこを掴まれたとしても、間違いなくその時点で骨を砕かれる。即死するかもしれない。


(しかし……びっくりするぐらいな……)


 とした、あの斬りごたえ。まるでなまくらな刀剣で鎖帷子くさびかたびらを斬り付けたような、柔らかく硬質なものだった。

 体毛や羽毛を持つ魔物たちの体表は、生命力の作用もあってそこらの金属鎧など遥かに超える強靭さを発揮する。しかし、体重を軽く保たねばならない飛鳥の類でここまで硬い種はかなり珍しいはずだ。蒼猩猩の毛皮よりもよほど硬かった。

 シルティは右手の木刀を軽く検める。

 その刀身には、微細で平行な傷が無数に生じていた。


「未熟……」


 シルティは溜息を吐きながら、躊躇なく血溜まりへ踏み込んだ。

 においで獣を寄せたくなかったので、これまでは血液をとにかく避けていたシルティだったが、レヴィンと共に行くのならば絶対に肉は必要になる。解体は避けられない。血の臭いについては、どうにかこうにか安全に海面まで降りられる地点を見つけ、身体を洗いながら進むしかないだろう。

 死骸の下半身の脚を掴んで持ち上げると、腕を崖へ突き出して、逆さに吊るす。

 断面から、体内に残っていた血液がタパパパパと流れ落ち、風に流れながら崖下に消えていった。


「うーん、立派な鷲だねぇ。これだけ大きかったら、レヴィンぐらい、ひょいっと持って行っちゃうなぁ」


 分厚い翼は長くも広く、翼開長はおそらくシルティの身長二つ分を遥かに超える。

 レヴィンぐらいの獲物ならば、両足それぞれに一匹ずつ掴みながらでも軽々と飛べるに違いない。

 しかも、それほどの巨体でありながら恐るべき静穏性能だ。シルティは寸前になるまで襲撃を察知できなかった。

 蒼猩猩にせよ巨鷲にせよ、やたらと隠密性能が高い魔物なのが厄介だ。

 肉食の野生動物が狙った獲物に接近するために隠密行動を行なうのは当然なのだが、シルティの経験上、蒼猩猩や巨鷲ほど隠密を保てる動物はそう多くない。

 例えば猫の類は充分に接近してからは強襲することが多いし、狼の類は群れで追い詰めることが多い。

 獲物との接触の瞬間に限れば、隠密とは程遠い状況である。

 シルティはいまだ震え続けるレヴィンの尻尾を摘まみ、ちょんちょんと軽く引っ張った。


「レヴィンが魔法使えたら、こいつも蒼猩猩も敵じゃないんだけどなー。きみたちの魔法は鉄壁だって言うし」


 親豹が使うことはなかったし、幼いレヴィンもまだ使用できないと思われるが、琥珀豹がその身に宿す魔法は『珀晶はくしょう生成』と呼ばれている。

 透明な物質を空気中に生成することができるという、効果としては単純な魔法だ。個体によって生成される物質の色合いは微妙に異なるが、総じて黄系色で宝石の琥珀によく似た外見であるため、珀晶と呼ばれていた。

 珀晶は視界内の任意の位置に生成され、極めて頑強で、かつ形状もある程度自由が利くという。

 特徴的なのは、重力に縛られず、生成された座標へと強固に固定されることだ。


 狩りの際に獲物の逃走を妨げる障害物として生成するのが最も多い使われ方であり、琥珀豹の狩りの成功率は極めて高い。しかし、この魔法が真価を発揮するのは防御に使われた際だ、とシルティは聞いていた。

 魔法『珀晶生成』は、とにかく

 生成が始まってから完了するまでが、ほぼ瞬時に、音もなく終わる。他者の目から見ると、一切の前兆なしで空中に珀晶が出現するようにしか見えない。

 これを盾として的確に使われると、すり抜けるのはまず不可能だとか。

 この魔法もあって、琥珀豹への奇襲は悪手とされる。瞬速の魔法に加えて優れた五感や反射神経を備える琥珀豹は、ほとんどどんな位置・角度からの奇襲であっても的確に迎撃することが可能だからだ。


 ちなみに、生成された珀晶は視界外に出されても維持されるが、現在わかっている範囲では『外力によって生成時の形状を大きく逸脱する(破壊される)』『生成されてから一定以上時間が経過する』『一度に維持できる個数を超える』『意図的に消す』のいずれかの条件を満たすと即座に物質的構造を失い、空気に融けるように消滅するという。


 身体が成長して生命力に余剰が出てくれば、レヴィンも魔法を使えるようになるだろう。

 初めての魔法が今から楽しみなシルティだった。


「きみは生後何か月くらいなのかなー……。魔法を使えるのはいつになるかなー……?」


 シルティはレヴィンの背中をゆっくり撫でてやりながら、血の勢いが落ちてきた巨鷲を揺する。

 ようやく落ち着いてきたのか、レヴィンは巨鷲の方へ首を伸ばし、じっと見つめていた。

 右翼の先端が揺れるのに合わせ、視線が左右に往復する。


「さてレヴィン、ちょっと待ってて。あんまり離れないでね」


 シルティはここで巨鷲をざっくりと解体することにした。折角の肉だ、食べないという手はない。


(しかし、こんな早く肉が手に入るとは……せっかく干物作ったのになぁ……)


 別に干物が無駄になるわけではないのだが、それでもなんとなく徒労感を覚えてしまうシルティである。


「いやしっかし……改めて、ほんとにでっかい……これ鶏とかと同じ感じでいける……?」


 シルティに鷲を解体した経験はなかったが、空を飛ぶ鳥の構造というのはおおよそ似通っているはず。

 鶏などと同様の手順であれば、羽毛をむしるかあるいは皮ごと剥きたいのだが、この鷲、身体が本当に大きい。羽毛を抜いていたら相当な時間がかかるだろうし、一人で皮を剥くのもそれはそれで困難が予想できる。

 シルティは少し考え、両脚を皮ごと分離して持って行くことにした。

 丸々持って行っても消費し切る前に腐ってしまうだろう。巨鷲の脚は太くて食いでがありそうだし、紐でくくれば持ち運びも楽だ。

 まず、巨鷲の下半身を横向きに寝かせ、巨鷲の地面側の脚を踏み付けて、もう一方の脚を軽く持ち上げる。

 股関節が開くので、両脚の内側の付け根……人類種で言うところの鼠蹊部だけ、羽毛を引き抜いていく。


(おお……なんだこの羽根、すっごぉ……)


 羽軸うじくが凄まじく硬い。硬すぎる。これが、あの硬質な手応えの正体か。

 しかし、硬いのは羽軸だけで、皮膚は柔らかかった。特に鼠蹊部は皮膚が薄いので、爪でも貫くことはできそうだ。

 指先に力を籠め、勢いよくズブリ。無理矢理穴を開ける。

 作った穴を広げるように大きく裂き、そのままさらに脚を持ち上げていくと、ミチミチと音を立てて肉が剥離していき、最後にはポグッという音を立てて股関節が外れた。

 外れた股関節の隙間に木刀をねじ込み、腰まで一息にし斬る。反対側も同様に。

 二本の脚をまとめて紐で結び、必要以上に揺れないよう、腰の後で横向きに固定する。

 まるでウエストバッグを付けているような形になってしまった。

 干物の腰蓑こしみのと合わせ、野趣溢れすぎるコーディネート。

 シルティは自分にファッションセンスがあるとは思っていない。だが、さすがにこれは酷いと思った。


「……まぁ、いいか。だーれも見てないし。お待たせレヴィン。行くよー」


 ビャー。

 レヴィンが小さく返事をして、シルティの足をよじ登り始めた。


「お、なんだいなんだい、怖かった?」


 どうやら、前を歩くのが怖くなったらしい。

 仕方がないので、シルティはレヴィンを背中にしがみ付かせたまま歩くことにした。


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