第15話 レヴィン
どうやら琥珀豹は魚肉も好むらしい。
漂着した時と同じく、拳同士を打ち合わせる
無論、シルティもモリモリ食べた。
実に十二日ぶりの(塩)水浴びを終えたシルティは、入り江の砂浜に腰を下ろして身体を休めている。肌が若干ぺたぺたするが、浴びる前と後では快適具合が雲泥の差だった。
はぁー、と大きく息を吐きながら、シルティは空を仰いだ。
「うーん、いい天気……でも、ないか」
晴れてはいるが、完全な快晴ではない。大きめの雲がいくつか浮かんでいるし、水平線の方向、遠方に凄まじく巨大な積乱雲が見える。
鉛直方向によく発達しており、下部は真っ黒だ。
しばらく見ていると、雲の下部が明滅するようにパパッと明るくなった。雲内放電、
少し遅れて、ごろろろろと雷鳴が遅れて届く。距離があるため、音量は小さく、引き延ばされた重低音だ。
聞いていると何故か落ち着くので、シルティはこういう遠雷の音が好きだった。
「降るかな?」
この地に漂着してからまだ一度しか雨が降っていない。
あの雷雲が発達しながらここまで到達すれば、もしかしたら降ってくれるかもしれない。いっそのこと、前回同様シャワー代わりになるぐらいの土砂降りになってくれると、とても嬉しい。
革鎧の胸当て部分を上手く使えば雨水を溜めるぐらいはできる。幼獣のためにも、やはり真水は少しでも確保しておきたいところだ。
さて、その幼獣はと言うと。
波打ち際で大騒ぎしていた。
寄せる波からよたよたと忙しなく逃げ、返す波をフラフラと全力で追いかけ、時に頭から海中に突っ込んで、波に呑まれ、もみくちゃになっている。
シルティの故郷があるノスブラ大陸にも猫の仲間が多く生息していたが、彼らは
これが琥珀豹という魔物に普遍的な性質なのか、この幼獣の個性なのかは不明だが、とりあえず幼獣はやたらと楽しそうに
正直、シルティとしては驚愕の光景だった。
(まぁ、私が知らないだけで、そういう猫もいるかぁ……)
ひとしきり海で遊んでいた幼獣だったが、疲れたのか飽きたのか満足したのか、しばらくするとシルティの待つ砂浜に戻ってきた。濡れたことで体毛がぺたりと寝ており、いつもより若干小さく見える。
その状態から、全身を勢いよく回転させ、水滴を盛大に撒き散らした。
幼獣の身体は柔らかく長めの毛で密に覆われている。水分を含んだ体毛は自然と束になり、さらに遠心力によって四方八方に伸ばされた。
まるで体表に短い棘がびっしりと生えたような姿になった幼獣。実に満足そうである。
「……ねえ、いつまでもちびすけくんって呼ぶのもどうかと思うし、名前を付けようか。きみ、どんな名前がいい?」
機嫌が良さそうなうちに名付けという必然のイベントを消化しようと、シルティが声をかける。
対する幼獣は、シルティへ反応を返すことなく、自らの前肢を夢中になって舐めていた。
「ちなみに、言ってなかったけど、私の名前はシルティ・フェリス……聞いてないな?」
シルティは自らを指差しながら自己紹介するが、幼獣は一切こちらを見ていない。
前肢を舐め終えると、今度は身体を
生まれ持った身体の柔軟性を存分に発揮し、顔の届く範囲を漏れなく入念に、舐める舐める舐める。
シルティが呆気に取られるほどに妄執的な自己毛繕い。
そして浮かべる、恍惚の表情。
「もしかして、しょっぱいのが好きなの?」
幼獣は、母乳や流動食ではあまり感じられなかった塩味を大層気に入ったようだ。
一通り舐め終わった幼獣は、大きく口を開けて欠伸をしたあと、砂浜にだらしなく横になった。
そろりそろりと幼獣に手を伸ばしてみる。珍しく逃げなかった。
満腹であるし、波でたくさん遊んだし、更に塩味を堪能した直後ということもあってか、かつてなく機嫌が良さそうである。
シルティは、幼獣の顎の下や喉元、眉間、頭頂部や首の後ろなどを丁寧に撫で掻いてやった。
幼獣はされるがままになっていたが、次第に心地よくなってきたのか、目を薄く閉じ、満更でもなさそうに喉を鳴らし始める。
ご、る、る、る、る。
小柄な幼獣にはあまり似合わない、低く、重く、
そう言えば、親豹も同じように喉を鳴らしていたな、とシルティは思い出す。
その時、ごろろろろ、と小さな雷鳴が聞こえた。水平線近くの雷雲がまた放電を行なったらしい。
琥珀豹の喉の音って遠雷の音にちょっと似てるな、と考えたところで、シルティに閃きが走った。
「ああ、そうだ。レヴィン。きみの名前、レヴィンにしようか。どう?」
『レヴィン』とは、遥かな昔、人類言語が広まるより以前にノスブラ大陸の
喉鳴らしの音が遠雷の音に似ているから、あと身体の色も雷光っぽいし、という面白味の欠片もない由来だが、どうせシルティは自分のネーミングセンスに自信などない。悩んだとしても良い名前を思い付く気がしなかったので、潔くこれに決定した。
「ちびすけくん。今日からきみはレヴィン・フェリスだ。まぁ、私の弟みたいなもんだなー」
幼獣、改め、レヴィン。
命名という一大イベントを終えたにも相変わらず、シルティの言葉には一切反応を返さない。
つれない奴である。
「……というか、きみ、オスかな? 弟って言ったけど、メスだったり?」
シルティは寝転んでいるレヴィンの後肢をくいっと持ち上げ、股間を確認した。
途端、レヴィンがカッと目を見開き、
「あでっ」
慌てて手を離すと、レヴィンは
シルティから大きく距離を取ったレヴィンは、背中を大きく弓なりに反らし、全身の毛を逆立たせながら、憎悪と敵意を露わにビャーッと強烈に
ブチ切れである。
やはり、機動力の要たる肢を掴まれるのは嫌だったらしい。
「ごめんごめん。許して?」
シルティは苦笑しながら謝罪する。
残念ながら、痛い思いをした割に成果は無かった。股間を確認しただけではレヴィンがオスかメスかわからなかったのだ。
とりあえず、ぶらぶらしているモノは特になさそうだったが……これも猫に近いとすると、この情報だけでメスと断定していいかは微妙なところ。
生まれて間もない仔猫の雌雄鑑別というのは意外と難しい。
少なくともシルティには、今のように一瞬見ただけでは鑑別できなかった。
「ま、どっちでもいいかー。レヴィンなら、メスでもオスでも通用するよね。多分」
適当である。
その後、レヴィンがうとうとし始めたので、シルティは入り江で夜を過ごすことにした。
森と違って視界の開けた入り江で眠るのが不安だったのか、レヴィンは珍しく、シルティにくっつくように丸まって眠った。
砂浜に
天体の動きから、この入り江は北へ向かって開いているのはわかっている。ここから海岸線に沿って進み、河川の開口部を探すことになるが、東と西、どちらがいいだろうか。
シルティはしばらく考えていたが、結局、自信の持てる判断基準を思い付けなかったので、運に任せることにした。幸い、この砂浜には多数の貝殻が落ちている。二枚貝の片割れを使えばコイントスが可能だ。
丁度近くに落ちていた貝殻を拾い、弾く。くるくると回って砂浜に落ちる。凸面。
明日以降は東へ進むことにして、シルティも就寝した。
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