森の中のお屋敷と閉ざされた世界のお姫様

「最近、サラさん、見掛けなくなってね」

「サラ、さん?」


 リンネが住むお屋敷も近くなってきた。アルトは屋敷付近の村を訪れていた。田舎の村だが、中央の広場にはちいさくも美しい噴水があり、ひとの姿も多く、ヤアレルやエラリイよりも発展を感じさせる。宿屋に泊まることを決めた後、アルトは村の人々に、お屋敷についての聞き込みをしていた。リンネのことは一切聞いていない。おそらく誰も知らないはずだ、と『王夢』が言っていたからだ。


 雑貨屋の主人と話した時、サラさんの名前が出たのだ。サラさん、という人物は日用品や食料を買いに、この村を訪れていたらしい。村人たちの中には、サラさんを知っている者も多く、詳しいことは分からないものの、高貴な身分の誰かの使用人をしている、と把握はしていたようだ。


「本当にちょっと前だよ。定期的に来ていたし、きっちりしているひとだったから、来るはずの時に来ないと、心配になるんだ。それに以前から体調も悪そうで、動くのもやっと、って感じだったから」

「どこに住んでいるかは?」

「いや、それは教えてもらえなくて」


 アルトは雑貨屋の主人に頭を下げ、『王夢』と一緒に宿屋に戻り、部屋でふたりっきりになってようやく、『王夢』にサラさんのことを聞くことにした。


「『王夢』、サラさん、って?」

「当時、屋敷の使用人でもっとも若かった使用人だよ。私が知っているサラは少女で、リンネと年齢が近く、一緒にいるふたりは、主従関係のあまり感じられない、友達みたいなものだった」


『王夢』の口調に、過去を懐かしむ色が混じる。


「そう、なんだ。最近来なくなった、って」

「はっきり分からないが、嫌な予感はするな」


 アルトと『王夢』は宿屋で一晩泊まると、早朝のうちに、村を出ることにした。場所はもう分かっている。森に入り、その奥深くに、そのお屋敷はそびえ立っているそうだ。森へと向かうその道すがら、アルトは、『王夢』に聞いた。


「『王夢』がそのお屋敷で鳥の姿になって、そして……」アルトは言葉をすこしためらう。「殺されてから、どのくらい経っているんだろう」

「分からない。分からないが、想像はできる」

「想像?」

「……いや、答えはどうせもうすぐだ。私の想像なんて、どうでもいいことだ。外れていてくれるほうが嬉しいのだから。……ただ」

「ただ?」

「私が屋敷にいた頃、まだあんな村はなかった。みんな、もっと遠くまで、買い出しに行っていたからな」

「そっか」


 森の入り口には、看板がある。険しい森の中へと誰かが入ることを拒むような文面が書いてあったのだろう。あったのだろう、と付けるのは、その文字はかすれて、もう読むことが叶わなくなってしまったからだ。


 アルトは森を歩いてゆく。『王夢』の後ろを付き従うように。

『王夢』は記憶が鮮明なのか、迷うこともなく進んでいく。


 落ちた木々を踏む音が、がさり、がさり、と鳴る。この先に待っているものに対しての、未知の不安を高めるように、その音はアルトの耳に届いた。


 森には獣の声ひとつ聞こえない。鳥のさえずりひとつ聞こえない。


 聖域。


 ふとアルトの頭にそんな言葉が浮かぶ。


「この森には特別な力が」

「あぁ、私のかつての妻、ラフアが花を枯らせないために使うものと、同じ力が」

「ラフアさんは、そんなにも強い能力を」

「いやもちろんラフアひとりだけの力ではなく、私が特殊な能力を使える者を集めて、森に悪いものを寄せ付けないような結界を、協力して張ってもらったんだ。いつまで続くかも分からないものだったが、こんなにも長く続くとは。ここにいれば安全だ、と私はリンネに言い続けた。リンネが外への憧憬を持っていることは知っていたが、私はリンネの安全のために、外の危険を話し続けた。それと同様に、ラフアもリンネに外への恐怖を説き続けていたことも知っている。だけどそれはリンネの安全のためではなく、リンネを怯えさせるための言葉だ。ラフアは自分自身の内側に存在するどうにもならない鬱屈とした感情を、おのれの娘にぶつけ続けた。だから私の知るリンネは、絶対に外へは出れない子どもだったんだ」


 アルトは、リンネの顔を知らない。

 だけど幼い少女の顔が頭に浮かんだ。確証もないのに、それはリンネに間違いない、と思った。孤独に苦しむ少女が、外への憧憬と憎悪と恐怖を同居させている。


『アルト、はやく私のもとにたどり着いて。

 そして私を救って。囚われたこのちいさな世界から』


 声が聞こえた気がした。


「なぁ、『王夢』何か言ったか?」

「いや、何も」


 そうか、じゃあこの声は……?


「あそこだ」

 そんなアルトの思考をさえぎるように、『王夢』が言った。


 遠目に、ずっと目指していた建物が見える。

 外壁はぼろぼろになり、周囲の雑草は伸びきっている。まるで廃墟だ。エピアと同じような。だけど廃墟ではない。住んでいる人間がいるのだから。いや、いて欲しい、いてくれ、とアルトは願っていた。もう遅いのでは、と萌す不安を振り払うように。


 入り口の扉に触れたその手は、震えている。

 開くと、入った瞬間から、ひっそりと静まり返った、死に絶えた世界の気配があった。


「汚いな」

 と『王夢』がつぶやいた通り、物が散乱していて、屋内は埃だらけだ。這いまわる虫の姿もところどころに見受けられる。


「『王夢』がいた時から、こんな感じだった、なんてことはもちろんないよね」

「あぁ」

 ガラス片が飛び散っている場所もあり、足もとに気を付けながら歩いていく。


『王夢』が階段のほうへと向かっていく。


「リンネの部屋は、一番上、三階にあるんだ」


 どきり、と心臓が強く音を立てる。

 ついに、ここまで来た。

 その時、また声が聞こえた。脳に流れ込んでくるように。


『だったらもう来ないで、アルト。私は本当はもう、あなたに来て欲しくないの。こんな姿、あなたに見られたくないし、この世界から救われることなんて諦めてるから』


 それは、しわがれた、泣き声となって。

 そうか、リンネ、きみは――。

 アルトはリンネの部屋の前に立つと、ノックする。


 アルトは自らの名前を扉越しに伝えるつもりだった。だけどそれはできなかった。先に扉の向こうから、声が聞こえてきたからだ。


「アルト、ですね。私のところに、来る者など、もうアルト以外、ありえませんから」

「はい」


 それしか言えなかった。


「あなた自身も気付いていると思いますが、私はあなたをずっと待っていて、そしてずっと来て欲しくない、とも思っていました。だってこんな姿、絶対に見られたくないから。でも不思議なものですね。あなたの声を聞いた瞬間、私は喜びに震えている。私はむかし、夢を見たのです。幼い頃の話です。『王夢』が死んだばかりの時です。『王夢』もそこにいるんですよね。ありがとうございます。彼を連れてきてくれて。……私はその夢を、物語にしたためました。主人公の名前を、アルト、と言います。私の夢物語は、遠い遠い未来を描き出していたのです。こうやって、ノックする場面まで同じです。だけど物語はここで終わっています。それ以降の夢は見れなかったのです」


 意を決して、アルトは言った。


「リンネ様」

「リンネ、と呼んで」


「……リンネ、開けてもいいかな」

「開けないほうがいい。開けた瞬間、あなたは見たくないものを見ることになる。醜い世界に閉じ込められた、醜い私を」

「違う、きみは醜くなんてない」

「私の姿を見てもいないのに。分かりました。では、開けてください。そして私を嗤ってください」


 アルトは、『王夢』を見る。『王夢』は何も言わなかった。お前が決めろ、私はその選択を尊重する、とその目は語っていた。


「分かった」

 とリンネに声を掛けて、アルトはゆっくりと扉を開ける。

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