渇きの国の王が見る夢
「エラリイからそこまで距離があるわけじゃないのに、急に暑くなったな」
外套を脱ぎ、抱えたアルトは、ひたいから流れる汗を手の甲でぬぐった。
「エピアはそういう街なんだ。むかしから。もうすぐ着くということだ。私はどこか懐かしい感じがするな。と言っても、私は暑さなんて、もう感じなくなってしまったが」
と『王夢』が答える。どこか懐かしむような声音で。
エラリイ近くに位置する長い洞窟を抜けて、アルトたちはエピアの領土に入ったばかりだ。まるで急に世界が変わったように、砂漠地帯が続いている。
エピアは雨の多いエラリイとは対照的に、雨はほとんど降らず、年中、高い気温が続いている。別名、渇きの国などとも呼ばれていた。商業の盛んな地域でもあった。
かつては。そう、かつては。
「滅びの景色だな。まるで」
『王夢』が悲嘆にくれるように、つぶやく。
城と城下町。かつて賑わっていたそこは、変わり果てていた。いやアルト自身は当時の面影を知らないのだが、それでも元の姿をとどめていないことは分かる。
廃墟になっていたからだ。
「知っていたのか、『王夢』は。この現状を」
アルトが聞くと、『王夢』が首を横に振る。
「いや、見るのははじめてだ。だが、ある程度、想像することはできた」
本来の役割を失ってしまった建物群は、ところどころ崩れ、並ぶだけのただの危険な置き物のようになってしまっていた。
「誰もいないな」
街の中に入って、見回しながら、アルトは言った。
ひとつの建物の前で、『王夢』が動きを止めた。
「『王夢』?」
「むかし、ここの前には、花が咲き誇っていたんだ。ここの主人が花好きで。それが、とても美しくて、好きだったんだ」
「こんな砂漠地帯で、花?」
「店の主人が特別な力を施して、こんな場所でもずっと咲いていられたんだ。店の主人がいなくなって、きっと花も消えてしまったのだろう」
アルトは想像してみた。砂漠に咲く花を。想像がうまくつかず、ただきっと美しかったのだろうな、と思った。見てみたかったなぁ、と。
廃墟となってしまった街を回ってみる。当然、ひとの姿は見当たらない。この地帯全体が息をしていないような感覚がある。野盗が住み着いているのでは、と不安にはなったが、そんな様子も感じられないことには安心した。安心する一方で、野盗でもいいから、ひとの気配を感じたい、と思ってしまうくらいの静寂さがあった。
「城に行こうか。もうここには何もない。残念ながら」
本当に残念そうな口調で、『王夢』が言った。
「城には誰かいないのかな」
「いたとしたら、それはそれで怖い話だ」
「それも、そうだね」
崩れて、入り口の門はその本来の機能を果たしていなかった。
「誰も使わなくなって、ただ汚れるだけになってしまったな。悲しい話だ。むかしは掃除の行き届いた綺麗な城だったのに」
「『王夢』はかつて、ここに?」
「あぁ、もう隠す必要はないだろうな。私はむかし、この城にいた。おそらく、アルト、お前が考える、ずっとずっと、むかしの話だ」
両側に円形の柱が並ぶその間に、外界からの砂埃を長年浴びて、元の色さえ分からなくなってしまった絨毯が敷かれている。
「『王夢』……正体を、まだ俺には」
「もうすぐ分かるさ。それを見てからのほうが、納得しやすいだろう」
「これは」
「王が座る椅子だよ」
絨毯を歩いた先に、玉座がある。その玉座の後ろの壁まで向かった『王夢』が、首で指し示した。
「ここが隠し扉になってるんだ。押してくれ。思いっきり」
アルトが言われた通りに、壁を押すと、動き、その先に階段が現れた。長く続く階段は、地下へと向かっている。
「ここは?」
「『私』が眠っている」
「『王夢』が?」
「いや、『私』だ」
「よく分からないな」
「会えば分かるさ」
明かりを手に、アルトが階段を下りていくと、やがてひとつの部屋にたどり着く。
棺がある。
棺を花々が囲んでいる。長く手入れされていないはずなのに、枯れることもなく、花は綺麗なままだ。これが特別な力が施された、花、なのだろうか。
「開けてくれないか」
『王夢』が言った。
「なんか、怖いな」
「大丈夫さ。保証する」
「分かったよ」
アルトが棺を開けると、そこには――。
乾ききった死体があった。
「『私』だよ。エピアの王だった。私のかつての姿だ」
「なんとなく想像はついていたけど、王様、だったんだね」『王夢』はかつての自身の上に乗った。「そろそろ聞いてもいいよね。『王夢』の、そして王様の過去を」
「あぁ、ここまで一緒に来てくれて、ありがとう。と言っても、まだ旅の終わりではないんだが」
『王夢』はかつての自身の上に立ち、語りはじめた。
もうどれだけむかしの話だったかは覚えていないが、大陸の各地を旅するひとりの若者がいた。物心ついた時から、両親はいなくて、孤児院で育った若者だ。若者は、多くの若者たちと同様、まだ見ぬ世界に憧れ、孤児院を飛び出すようにして旅に出たんだ。
アルト、きみのいた村にも行ったよ。精霊の住む、「はじまりの村」にも。そこに親切な夫婦がいてね。すこしの間、私を泊めてくれて。旅を続けていれば、アルト、きみも知っているだろうが、旅を続けていれば、良いこともあれば、嫌なこともある。そして嫌なことがあるからこそ、良かった記憶は、強く光を放つんだ。
エピアに腰を落ち着けることになったのは、本当に偶然だ。暑い場所はそんなに好きじゃなかったから、すぐに別の場所に移動しようかな、くらいに思っていた。
その日、エピアにめずらしく雨が降って、街に暮らす人々がやけに浮かれていたのを覚えている。そんなたいした雨じゃないが、この特殊な渇きを持った地域において、雨が降るのはめずらしいことだったから。みんなが嬉しそうにはしゃいでいたよ。浮かれていたのは城の人間も、王様だって例外じゃなかったのだろう。お忍びで、先代の王が、街に出ていたんだ。
そして王は、盗賊たちに襲われたんだ。
盗賊たちが王様だと知って、襲ったのかは分からない。ひとの出入りの激しい街だったから、街の人間じゃなかった可能性もある。純粋に、身なりの良い人間を偶然見つけたから、という理由で襲ったのかもしれない。
偶然、私はその光景を見掛けてしまって、向こうもたいした数ではなかったから、倒して、王様を助け出したんだ。私もその時は、その人物が一国の王だなんて思いもしなかった。
それから私は、先代のエピア王に気に入られ、衣食住のすべてを与えられて、王の側近として、護衛として、働く日々が続いた。護衛と言っても、さっき言った盗賊みたいな奴はいるが、他国と戦争をしているわけでもなく、比較的、平和な日常だったよ。
旅を続けたい気持ちもあったが、王様から信頼され、満ち足りた生活を送る日々には、捨てがたい魅力があった。それに……。
それに、アルト、さっき街で立ち止まった場所、覚えているか。
あぁ、かつてずっと枯れずに花が咲き続けていた、というお店だ。
そんな特殊な花を売り続けていた女性がいたんだ。
ラフア。そんな名前の女性だ。
出会いは他愛もないものだった。花の配達へと向かっていた彼女は、ひととぶつかって花を地面に散らしてしまったんだ。それを拾っている彼女を見掛けて、一緒に拾ったんだ。ぶつかった相手は冷たいもので、気にする素振りもなく、もう行ってしまっていた。
ラフアは聡明で穏やかで、一途な女性だった。
と、こんな話をすると、月日を経た彼女を知るひとは、不思議そうな顔をするんだがな。だけど間違いなくこの頃の彼女は、私にとって、そういうひとだった。
はじめて会った時にはもう、惹かれてしまっていた。結婚するまでには、それほど時間も掛からなかったな。
私から指輪を贈り、私たちは結婚した。
「私の後を継ぐ気はないか?」
と先代から言われたのは、結婚してすこしの月日が経った頃だ。
いきなりの提案でびっくりはしたが、ただその提案は先代らしい、とも思った。王にはひとり息子がいたのだが、先代は血の繋がりで王位を継承させていく、というやり方に疑問を持っていた。それに息子自身も私と同じで、未知なる世界への憧れがあり、旅に出たい、という気持ちを持っていたんだ。
「民衆は納得しませんよ」
「しないなら、させればいい。お前ならできる、と思っている」
簡単に言ってくれるなよ、と心の中で笑ってしまったのを覚えているよ。まったくできるとは思っていなかったが、いままでの恩義もあったから、私はこの国の王になることにした。乗り気ではなかったが、やるからには真剣に、という気持ちはあった。
そして王になった私と王妃となったラフアの間に、子どもができた。
女の子だ。
「名前、どうしましょう」
「そうだな。リンネなんて、どうだろうか」
あの頃は慣れない王という肩書きに気苦労もあったが、妻と娘のいる光景、あれは人生でもっとも幸せな日々だったんだ。私もそれなりに人生経験はあったから、積み上げたもの簡単に崩れるし、いつまでも変わらないものなど存在しないと分かってはいたが、だけど分かっていても、これからもこの幸せが続く、と信じていた。いや信じたかった……。
もちろんそんなわけはないんだがな。
きっかけは、ひとりの女性がエピアを訪れた時だった。いや、彼女は悪くはない。何も悪くはない。だから彼女を、きっかけ、と言ってしまうことに、後ろめたさはあるんだ。
リオナという名だった。踊り子をしながら、各地を旅している、と言っていた。
外見は、十五、六、の少女といったところだろうか。
なぁアルト、お前は、エラリイ村のレネが踊り子と出会った話を、私にしてくれたよな。雨に映える踊りを見せてくれた、と。私はその踊り子はもしかしたら、リオナなんじゃないか、と思っているんだ。
えっ、年齢的に信じがたい、って?
あぁ実は、リオナは不老長寿の人間なんだ。それはリオナ自身が望んたものではなく、先天的なものだったそうで、元々旅人になったのも、その不老長寿の秘密を研究しようとする者たちに捕まりそうになったから、らしい。だから私とはじめて会った時点で、リオナは、私の三倍近い年齢だったんだ。永遠にも近い命を持った彼女は、あまりその長い人生を喜んでいるようには見えなかった。
まぁどれもこれも彼女の口から通して聞いたものでしかなく、どこまで本当なのかは分からないんだが。
「長ければ長いほど薄っぺらくなっていく、たまにそんな気がして、ただただ虚しくなる時がある」
そう言って、寂し気に笑っていたよ。
彼女は美しかった。とても。彼女の姿に、舞いに、見惚れぬ男などいなかった。それは私も例外ではない。会ったのは大臣の紹介で、城を訪れた彼女は、私に旅の話を語り聞かせてくれた。よどみのない口調で、飽きることのない様々な挿話を、楽しく話してくれる時間は、心地良かった。もっと聞きたい、と思った。彼女に頼むと、彼女も嬉しそうに、足繁く城に通ってくれた。
確かに彼女は魅力的だったが、よこしまな気持ちはなかった。誓ってもいい。
私も旅が好きで、未知の世界に憧れがあったから。だから同好の士を見つけたような、そんな感覚だったんだ。
だけど、そうだな。周りにどう映るのか。そういうことに私は、あまりにも無頓着だったのかもしれない。
妻のラフアが、私の不貞を疑いはじめたんだ。
何度も言うが、本当によこしまな気持ちはなかったし、彼女との間に、肉体関係は一度もない。同じことを、私はラフアにも伝えた。ラフアは、「信じる」と答えてくれたが、疑いの晴れていない表情を浮かべていたことには気付いていた。
その頃から、だろうか。
私とラフアの間に喧嘩が絶えなくなった。喧嘩、という言葉はあまり正しくないのかもしれない。激昂したり、とか相手に感情をぶつけるわけではなく、もっと冷え冷えとしたものだ。
「奥さまの心に闇が巣食っているのではないでしょうか」
そう私に言ったのは、当時、使用人をしていた年嵩の女性だ。娘のリンネは、『婆様』なんて本当の祖母のように、彼女を慕っていた。パネラという名の、私も信頼を寄せている人物だ。
「闇が巣食う?」
「えぇ、暗い感情は容赦なく心を苛めていきます。すこし環境を変えさせてあげるのもいいのではないでしょうか」
その言葉を聞き、私は先代が以前、別宅として使っていた、もう亡くなってからは使い道を失っていたお屋敷に、「最近疲れ気味だろう。静養に」とラフアに住むよう伝えた。場所もここから遠く離れた場所にある。ラフアとリンネ、そして複数の使用人。さっき話に出した、パネラも、だ。彼女から、定期的にふたりの様子を報告してもらっていた。私もリンネの顔を見たいし、ラフアのことも心配だったから、できるだけ顔を見せるようにしていたが、それでも頻繁に行けるわけじゃない。
私の前では、ラフアは穏やかさを取り戻したように見えた。
『ラフア様のことが心配です。危険な状態にあるのでは、と』
パネラから告げられた時も、気のせいだろう、と私は答えてしまったのだ。もっと耳を傾けるべきだった。と、まぁいまさら言っても、仕方のない話なのだが。
ある日、ラフアが城を訪ねてきて、ふたりで話したい、と言った。
「あなたが、私を追いやったのは……」
「追いやった? いや、そんなつもりは」
「嘘はつかないで! あの女とふたりで会うつもりで」
「違うよ。それに彼女はもう旅に出てしまって、ここには」
「また嘘を」
とラフアが短剣を取り出して、自分を刺そうとしたんだ。私は慌てて止めようと、近付くと、元々そのつもりだったのだろう。彼女が私の胸を刺した。人間としての私の記憶は、そこまでだ。埋葬は城の中で、というのは、昔からの私の考えで、この棺は王位を継いで、すぐに造らせたものだ。周りの花々は私たちの関係がまだ良好だった時期、ラフアにこの棺を見せたことがあって、
『では、私が花を添えますね』
と用意してくれたものだ。彼女に刺されるなんて、想像もできなかった頃の話だよ。
大臣はそのことも知っているはずだから、おそらく埋葬してくれたのは、彼だろう。
そして死んだはずの私は気付くと、鳥、になっていた。
そこからは、長い長い、永遠にも似た夢を見ているような感覚が、ずっと続いている。
七色を成す怪鳥に。『王夢』と名付けてくれたのは、パネラだ。
パネラには伝えたのだ。この真実を。彼女は信じてくれた。
闇に染められたラフアは以降もいままでと同じように、リンネと一緒に暮らしていた。私は心配で仕方なかった。いまのラフアなら、リンネにまで何らかの危害を加えるのではないか、と。鳥になった私は無力で、何かできるわけでもなかったが、それでも見守りたかった。リンネには、私が父親であることは伝えられなかった。
私が死んだあとの国の状況は分からない。私とやり取りができるのは、パネラくらいなのだから。もしかしたらパネラの耳にも、国の現状は届いていたのかもしれないな。知ったうえで、言わなかったのかもしれない。だとしたら、いまのこの廃墟になったエピアにも納得がいく。まぁでも、それはただの想像でしかないわけだが。
……だいぶ長い話になってしまったな。大丈夫。もう終わる。あとはたいした話じゃない。
『王夢』になった私は、孤独な娘と心を通わせるようになった。リンネはいつも孤独で、寂しげだった。当然だろう。ラフアが自由を奪っていたのだから。娘の幸せなど見たくない、とばかりに。何もできない私は、せめてすこしでも彼女と慰めになるように、と会話を続けた。私がかつての人生で得た体験を、物語にして語ったこともある。するとリンネは、ときおり笑みを浮かべるようになり、私はそれが嬉しくて仕方なかった。
だけどそんな日々も終わりを続ける。
私は、また殺されたからだ。
同じ人物に。
そこからどれだけの期間かは分からないが、長い空白があったのだ。気付いた時、私は、『はじまりの村』にいて、そしてそこに、アルト、きみがいた。
これから私は、リンネのいる場所にきみを案内する。私も怖い。いまリンネがどういう状況にあるのか、私にも分からないのだ。
アルト、これが私について語れる、私のすべてだ。
これを話したうえで、もう一度、問う。
リンネを救ってくれ。もう救えるかも分からないと知っていても、かすかな望みを掛けて、私は救いたい、と思っている。
ここまで連れてきておいて、自分勝手だとは思うが、最後の判断は、きみに委ねる。
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