雨降る村の失踪事件(後編)

「おい、大変だ!」

 という『王夢』の声が聞こえた時、夜は深く、窓越しに見える景色は、暗く澱んでいた。


「『王夢』! どうだった?」

「のんびり、『どうだった?』なんて言ってる場合じゃない。お前の予想通り、家の前を見張ってたら、村長が外に出た。向かっている方角は」

「それだけで、じゅうぶんだ!」


 駆けるように部屋を出て、村長宅も出ようとしたところで、足音で起きてしまったのだろうレネに声を掛けられる。


「どうしたの? こんな時間に」

「ごめん、いまは時間が……。あとで話すから。いまは絶対にここに。絶対に外に出ちゃ駄目だよ」

 アルトの似合わない剣幕に押され、びっくりしたようなレネが頷く。


 外に出ると、雨が弱く降っていた。


「なぁ、アルト?」

「うん?」

 走りながら、アルトは『王夢』に言葉を返す。


「やっぱり、あの村長が犯人なのか」

「すくなくとも、イルさんに送った脅迫状の犯人は、村長だろうな。だって俺に見せてくれた、あの脅迫状。『脅迫状のことを誰かに伝えるのは、これがはじめてです』ってイルさん言ったんだよ。なのに村長は脅迫状の存在を知っていた。だとすると考えられるのは、イルさんが嘘をついたか、あるいは村長が送ったか、だ。だから『王夢』に家の前を見張ってもらったんだ。どっちが正解なんて分からないけど、もし村長が差出人なら、村長が夜、出掛けるんじゃないか、って。……よし、着い――」


 アルトの言葉をさえぎるように、イルの家の中から、高い悲鳴が聞こえた。


 慌てて、イル宅に入ると、村長が、村人には似合わぬ剣を持ち、イルを襲い掛かろうとしていた。


「イルさん!」

「アルトくん……。もう関わるな、と言ったのに」


 村長がアルトのほうに振り返った――、

 その瞬間、聞いたことのないような叫びを聞いた。


 叫んでいたのは、イル、だった。獣じみた叫びだ。


 村長の首の付け根あたりに、イルさんが噛みついた。村長の首から血が吹く。そんな状態でも村長はイルを手で無理やり引きはがして、なぎ払うように、村長が右手の剣を振る。イルの胸あたりを斬りつける。


 そして床に倒れ込んだイルの胸を、剣で刺し貫く。

 流れ出る血が床を侵食していく。

 やがてイルは物言わぬ屍になった。


 村長も崩れるように座り込んだ。もう立つこともできない、という様子だ。


「はは、変なところを見られてしまったな」

「村長……もしかして。ごめんなさい。俺は勘違いしていました」

「仕方ないさ。それに元々、死ぬ覚悟でやったことだ。きみが来ても、来なくても。……レネ」


 その言葉に驚いて、振り返ると、そこにはレネがいた。


「ごめんなさい……つい、心配になって、気になって」

 イルと、そして自身の血を身体に染めた父親の姿を見て、レネの目から涙がこぼれる。


「とにかく手当てを!」

 はっと思い出したように、アルトが言うと、村長はそれを制止した。


「大丈夫だ。いや大丈夫というのも違うかもしれないが、どうせ私は助からない。だからこの残りすくない時間、私の話を聞いてくれないだろうか。すまない、レネ。でもこれでふたりに説明できるな。誰にも言えないまま、過ごす時間は思いのほかつらくて、長く感じたから、ちょっとほっとしてるんだ」




 事のはじまりは、「大事な話があるんだ」と言って、カザラが私の家を訪ねてきた時のことだ。あぁ、カザラは、イルの夫で、私の古くからの友人でもある。私はとっくに引退してしまったが、私たちはお互いに猟師だった。カザラは現役で、私なんかと違って、腕も一級品だったから、比べるのもおこがましい話なんだが。


「なんだよ、大事な話、って」

 その時は妻もレネも外出していて、私たちはふたりっきりだった。もしかしたらカザラもそういうタイミングを狙っていたのかもしれない。それは他のひとには、到底聞かせられる話ではなかったからな。


「これは罪の告白だ。俺は、もう永くない。どうも病気らしい」

 そう言って、カザラは話をはじめた。イルのことだ。イルは元々村の娘ではないんだ。「森で迷っていたところを、助けた」ってカザラが言って、連れてきたんだ。若い女性が、近くに別の村や街があるわけでもないのに? 信じられる話ではなかったが、妻にしたい、というカザラに対して反対する理由もなかった。いや、もしも真実をその時から知っていたなら、反対していただろうが、な。


 カザラとイルは、仲睦まじい夫婦だったよ。この村の幸せの象徴、と言ってもいいかもしれないな。いつもほほ笑ましく眺めていた。まぁ、俺たち夫婦もとても幸せだった、と俺は信じてるけど、な。


 ときおり、決して頻度が多いわけではないが、この村では、ひとが行方不明になる。それは村の人間なら誰でも知っていることだ。


「犯人は、イル、なんだ」

「どういうことだ」

「直接聞いたわけじゃない。だけど、おそらく」

 ここからはまったく信じがたい話ではあったが、病魔でやせ細っていくカザラの深刻な表情は、嘘をつく者がつくれる顔じゃなかった。


 イルは魔獣に育てられ、そして死した魔獣の魂を自身の心に同居させている。


 カザラが森で初めて見つけた時、イルの近くには見知らぬ死骸があった。人間だよ。それをイルは食していたのだ。「どうしても、耐えられなくて」と泣きながら。その死体は村人ではなく、旅人だったらしい。そしてイルはカザラに、魔獣に育てられたこと、魔獣の魂を持っていることを話した。カザラは殺そうと思ったらしいが、情に厚い男だったから、殺せなかったんだろう。


「きょうからお前を妻にする。衣食住は心配するな。その代わり、もう人間を食べるな」

 と約束をして。


「たぶん彼女なりにずっと我慢はしてたんだろう」ってカザラは言ったよ。「初めて村人が行方不明になった時、イルは散歩に行く、って夜に出掛けてるんだ。結構、長い時間。で、帰ってきたら、泣いているんだ。『どんどん闇が、闇が広がっている』って。口の端は赤くなっていた。俺は本来なら、その時に言うべきだった。なのに言えなかった。イルがどうなるか考えると。俺は弱い男だから。イルから真相を聞くことすらできなかった」


 屈強なカザラが、弱々しく肩を震わせていたよ。私は何も言えなかった。


「俺が死ぬ前に、俺がイルを殺そう、と思う」

 決意を込めた眼差しで、カザラが言ったんだ。


 そしてすこし経って、カザラが姿を消した。

 殺そうとして、返り討ちにあったんだろう。ただ不思議なことはあって、イルが殺したはずなのに、イルは夫を殺した犯人を探しはじめたんだ。演技かとも思ったが、そうは見えない。カザラを殺したことで自身の記憶や心がおかしくなってしまったのか、それとも魔獣の魂がイルだったすべてを闇に染め上げてしまったのか。どちらかは分からないが、危険であることには変わりない。それに誰かがカザラの意志を継がなければならない。

 そして、いまにいたる、というわけだ。




 話し終えて、そのあとすぐに、村長は逝った。村長の亡骸に抱きつき、滂沱の涙を流し続けるレネの姿を見ながら、アルトは声を掛けることができなかった。


 外から聞こえる雨音が、激しさを増した。

 泣き止むと、レネはアルトを見て、ほほ笑んだ。「ごめんね。私、ひどい顔してるね。……ねぇ、お願いがあるんだ」


「何?」

「お母さんに伝えたい、って思っているんだけど、お父さんのこんな姿、お母さんには見せたくないから、一緒に埋葬するの、手伝って欲しいんだ」

「分かった」


 アルトは村長の亡骸を抱え、レネの指示に従って歩いた。

 墓地がある。

 雨の降り続く中、アルトとレネは穴を掘り、村長を埋める。


「墓標は、これで……」

 とレネは村長の持っていた剣を、村長を埋めた場所に刺す。剣の柄の部分には、元から村長の名前が書かれている。セルバ、と。みんなが村長と、村長の妻はあなたと、レネはお父さんと呼ぶから、実はいままでアルトは村長の名前を知らなかった。


 セルバさん……、と心の中で呟く。

 その時、レネが言った。


「私、別に恨んでないよ」

「えっ」

「気付いてるよ。顔、見てれば。『自分のせいで死に追いやってしまった』とか思ってるんでしょ」図星だった。「私だって同じことがあれば、同じ行動を取ってしまうかもしれない。決してあなたがお父さんを殺したんじゃない」


 涙声のレネの顔に降りかかる雨が、おそらく流れているだろう涙のしずくを隠していく。


 続けて、レネがぽつりと呟く。


「私も、旅に出ようかな」

「旅に?」

「これからどうしていけばいいんだろう……。だから旅に出る、って混乱しちゃってるね」


「もし良かったら」

「もし良かったら?」


「一緒に行く? 俺たちと」

「誘ってるの? 近くに遊びに行くとはわけが違うんだよ。嬉しいけど、……でも」

「でも?」

「このままお母さんをひとりにはできないから」

「そっか」

「そうだよ。だから私がもうすこし成長したら、旅に出てみよう、と思う。ひとり旅かもしれないし、今度こそあなたに会いに行って、『一緒に行こう』っていうかもしれない。それまでの我慢」


 アルトたちは村長宅に帰った。レネが母親に、父親の死を告げる。母親は夫の死を聞き、悲しげに目を伏せたが、泣くことはなかった。静かに娘の言葉に耳を傾け、そしてアルトとレネに言った。


「ありがとう。お父さんのお墓をつくってくれて」

 翌朝、アルトと『王夢』は村を出ることにした。


 レネが見送ってくれた。


「また帰ってくる時には、こっちに寄ってね」

「分かった」

 手を振る彼女に背を向け、アルトは歩き出す。レネの姿が見えなくなるくらい歩いたところで、ぽつり、と『王夢』が呟く。


「父と娘か……」

「んっ、何か言ったか?」

「あぁ、いや、なんでもない」


 実は聞こえていたのだが、アルトは何故だか聞くのが怖くて、聞こえない振りをしてしまった。

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