雨降る村の失踪事件(前編)
「雨ばかり、だね。来てから、ずっと雨ばかりだ」
「だって、ここはそういう村だから」
アルトの言葉に、レネが笑う。レネとは、この村に来てから出会った。村長の娘で、朗らかな雰囲気を絶やさない少女だ。村の名前は、エラリイ。アルトの暮らしたヤアレルにどこか似ている。精霊伝説というものもあるにはあるが、それを除けば、これといった特徴のないヤアレルに。ただヤアレルと違うのは、この降り続く雨だ。エラリイはエルデイル大陸で、もっとも雨の降る場所、として知られている。
アルトたちは村に着いてから、数日の間、村長の家に泊まっている。
エラリイをすこし西に行けば、洞窟があり、そこを抜ければ、エピアに辿りつく。本来ならこの村に立ち寄る予定はなかったのだが、アルトが長く降る雨に当たり続けたせいか、体調を崩してしまったのだ。『王夢』は雨をすりぬけてしまうのか、気にした様子もなかったが、人間にとって濡れた身体の冷たさが続く状況は、意識している以上に負担になる。当たり前のことだが、改めてアルトは実感することになった。
村の近くでぐったりしているところを、偶然見つけてくれた村長が助けてくれたのだ。
村長はまだ壮年の男性だった。元々は猟師をしていたそうだ。
「もう大丈夫です」
とアルトが治ったことを告げると、まぁもうすこしくらい、いたらどうだろうか、と言われて、アルトたちはこの村に留まっている。
「いえ、そんな悪いですから」
とアルトは言ったのだが、村長は寂しげな表情を浮かべて、
「この村には実は、レネと同世代の子どもがいないんだ。だからあの子が喜んでくれて、な。あの子があんなにも嬉しそうな顔をしているのを見たら、どうしても引き止めたくなってしまって。もちろんきみたちが旅の途中なのは知っているし、無理に、とは言えないんだが。勝手な話なんだが、娘のためにも、もうすこし、どうかな」
こんな話があったのだ。こうまで言われてしまうと、なかなか断りづらい。『王夢』に了承をもらって、いまにいたる、という感じだ。『王夢』は、やれやれ困った話だ、という表情を浮かべていたが、反対の素振りさえも見せなかった。『王夢』なりに、アルトの体調を気遣っているのだろう。
レネは、アルトの旅の話を聞きたがった。ここに来るまでに、いくつか村や街に足を踏み入れているので、ある程度、アルトにも話の引き出しがある。ひととの出会いやそこで起こった出来事。語り聞かせる彼の言葉に、彼女は嬉しそうに耳を傾けていた。
レネには、『王夢』のことはもう話している。もちろん誰にでも話すわけでもないが、ある程度、信用の置ける人物には。レネは強い好奇心を持って、『王夢』についての話を聞き、そして自分には視認できないことを残念がっていた。
「外に出ない?」
とレネがアルトを手招きする。
「雨が降っているよ」
「大丈夫。屋根のある場所で」
そう言ってレネは、村長宅の庇部分にアルトを誘う。
「雨のにおい、って好き?」
「あんまり考えたことないなぁ」
「私、好きなんだ。雨のにおいも、雨を受けたあとの土のにおいも。雨上がりの空のにおいも。ちいさい頃、お母さんに言ったら、『こんな雨ばかりの村に育って、雨のにおいが好きなんて、変わった子だね』なんて笑われたんだけど、ね。好きなんだ。雨も、この村も。何もないところだけど」
「好きなんだね。でもそれは良いことだよ。自分の住むところを愛せるなんて」
「そうかな」ふ、っとレネの表情がかすかに暗くなる。「うん。大好きなんだ。でも同時に、アルト。あなたみたいな旅人がすごく羨ましくもなる。本当に私のいるべき場所はここでいいのかな、っていう感覚。矛盾しているみたいだけど、私はこの村がたぶん、好きで嫌いで、留まりたくて離れたい。言ったばかりの、大好き、って言葉を翻すようだけど」
「矛盾した考えか……でも」とアルトはすこし迷ったが、答えた。「俺も村にいた時、似た感覚を持っていた気がする。だからすごく、分かる。分かる、なんて簡単に言っちゃ駄目なんだろうけど」
とたとた、とレネが庇を離れ、雨の中に入っていく。
「風邪、引くよ」とびっくりしてアルトが言うと、
「大丈夫。雨の村に生まれた女は、雨で体調なんて崩さないの。アルトみたいに、ね」とすこしからかう口調の、レネの言葉が返ってきた。
するとレネが、つま先で立ち、雨の中で舞いはじめた。いきなりのことに驚いてしまったが、慣れてくると、その美しさに見惚れてしまう。
「どうだった?」
「綺麗だった。本当に」
「そんなはっきり言われると照れちゃうな。むかし、アルトみたいな旅をしているひとで、踊り子さんが村に立ち寄ったことがあったんだ。そのひとが私のために、って雨に映える踊りを教えてくれたんだ。私もあんなひとになりたい、どこか旅に出て、あんな踊り子さんに。幼い頃の、私の夢。もう叶わないけど」
「そんなことないよ。いまからでも」
「ううん。私はこの村にいることになる、と思うから。結局、決断ができなくて、ね」
庇の下に戻ってきた彼女は、全身を雨でぬらしていた。髪の毛先から、ほおをつたうようにしずくが垂れ落ちていく様子が、どこか涙のようにも見えて、アルトはどきりとする。
「じゃあ家に入ろうか。急にごめんね。ただ私の諦めた踊りを、村人じゃないひとに見てもらいたくて」
先にレネが入り、続くようにアルトも入ろうとした時、視線を感じた。
視線を感じたほうに顔を向けると、中年の女性がいた。民家の窓から、じっとアルトのほうを見ていて、アルトはびっくりした。何か伝えたがっているような表情をしている。無視しようかな、と一瞬そんな気持ちも萌したが、アルトは思い切ってその女性の家を訪ねることにした。
入り口の扉をノックすると、その女性が開けてくれた。
「あの……」とアルトはちょっと不安な気持ちになりながらも聞く。「さっき窓から俺のほう、見ていましたよね。ちょっと気になって」
「ごめんなさい。気持ち悪かったですよね。いきなり見られて」
「あぁ、いえ、そんなことはないんですが。何かあったのかな、と」
「旅人さん。この村に来て、まだ間もないですよね。以前、ここで起こった失踪事件、知っていますか?」
「失踪事件ですか」とアルトはびっくりする。「こんな穏やかそうな村で?」
「はい。今年に入って、何件か」
「えっ、一回じゃないんですか」
「私の知っている限り、三人です。そしてその三人目がついこの間、私の夫だったんです。もうずっと帰って来なくて」
「……それは、何か心当たりは」
「ありません。ちょうどその後すぐに、あなたがこの村にやって来たから、もしかして、何か知っているのではないか、と」
はっきりと口には出さなかったが、暗にアルトが失踪事件に関わっているのではないか、と疑っている口調だった。
アルトはきっぱり否定するように、
「俺は何も関係ありません。本当です」
「……ごめんなさい。そんなつもりで言ったわけ……いえ、正直に言います。すこし疑っています。嫌な気持ちにさせて、すみません」と女性は言った。
「旦那さんがいなくなってるわけですから、必死になる気持ちは分かります。だから嫌な気持ちになんてなってません」アルトは慌てて笑みをつくる。「とりあえず詳しい話を聞かせてもらえませんか」
「分かりました。……あと、そうですね。必死になっているのは、夫の件だけではないんです」
意味深な言葉から、女性は話をはじめた。
イル、というのが女性の名前だ。夫は猟師で、いつも朝方から出掛けて、夕暮れ時に帰ってくる生活を送っていた。ただその日は夜になって辺りが暗くよどみはじめた頃になっても、夫が家に帰ってくる気配はなかった。すこし心配しつつも、どうせどこかで誰かと酒でも飲んでいるのだろう、とイルは考えた。いままでにも決して数は多くないが、そういうことがあったのだ。だから今回も、朝まで待てばどうせ帰ってきて、その時に怒ればいい、と。しかし彼女の夫は、翌日も帰って来なくて、知り合いの家を訪ね歩いたが、誰も知っている者はいなかった。
行方不明になった夫。イルは諦めきれずに、以降も夫を探し、危険を犯して獣道に入ったりもしたのだが、彼の姿はいまも見つからないままだ。村長と夫は昔から仲が良く、そんな村長からイルに、「たぶんあいつは獣に殺されたんだ。つらいとは思うが、諦めなさい」という言葉もあったそうだ。
それでもイルは諦めきれず、夫をいまも探している。
そんなイルのもとに、一枚の脅迫状が届いた。
『これ以上、夫の死の真相を探るな。過去を掘り返すな。さもなくば、お前に死を』
と記されていた。
……というのが、イルに聞かされた事のあらましだ。
「脅迫状のことを誰かに伝えるのは、これがはじめてです」
「『過去を掘り返すな』というのが、つまりいままでも含めた失踪事件の……」
「はい」
「これを見る限り、もう旦那さんは……」
「おそらく。でも私は知りたいんです。たとえ死んでしまったとしても、このまま闇に葬られるのは」
アルトは悩んだ末、「俺もできる限りの協力します。でもそれはあくまで本当に、できる範囲だけです。そしてイルさんは一度静観していてもらえないでしょうか。真相を知りたい気持ちは分かりますが、命の危険があるわけですから」と答えた。
そのことを『王夢』に会って伝えると、
「まったく、お人好しだな」
と笑われた。
「仕方ないだろ。あんなこと言われたら、断れないだろ。とりあえずはまず、村長に聞いてみようか」
「アルト」
「んっ」
「無茶はするなよ。お前は旅人で、信頼のおける人間だが、腕っぷしのある人間ではないんだから」
「分かってるよ」
村長宅に戻ると、居間にちょうど村長がひとりだった。村長の妻もレネの姿もなかったので、これは良い機会だ、と思った。
「おかえり」と村長が言う。「結構、濡れてるな」
「すこし外に出ていたものですから。あの……実は」
「んっ」
「先ほど、イルさんと会ったんです」
「イルと?」
「はい、イルさんの旦那さんがいなくなった話を」
村長の眼光が鋭くなった。
「あいつは……、おそらく獣に食われて死んだのだろう」
「なんでそう思うんですか」
「猟師が森に出て、帰って来ない、となったら。そう考えるほうが、普通だと思うが」
「でも捜索はしていないんですよね」
「そんなことをして、危険な目に遭う者がいては、本末転倒だ」
「イルさんの旦那さんと村長は昔からの知り合いなんですよね。聞きました。そんなひとが行方不明になったら、心配ではないんですか」
その言葉に、村長がすこし嫌そうな顔をした。それでも村長が感情的にならないのは、彼の元々の性格もあるだろうが、一番の理由はアルトが余所者だから、かもしれない。村の内部の人間だったなら、たぶん村長の反応も違ったものになっていたはずだ。
「まぁそうだな。冷たい反応、というのは、否定できない。私たちの関係はすこし複雑だったから。なぁアルトくん」
「はい」
感情を殺したその表情に、かすかに息を呑む。
「イルのところに届いた脅迫状が心配なのは分かるが、一言だけ伝えておこう。きみは旅人だから、そういう思いが強いのかもしれないが、好奇心はあまり持ち過ぎないほうが、きみの身のためだ」
「すみません」
すると村長は、表情をにこやかなものに戻した。
アルトが借りている部屋に入ると、ベッドの横に『王夢』がいた。
「やっぱり放っておけないよなぁ。何か良い方法はないか」
「あるぞ。お前の目の前に」
「えっ」
「アルト、お前は私と一緒にいすぎて、感覚がおかしくなっているのかもしれないが。私を視認できる者など、ほとんどいない」
「そうだった。ごめん、『王夢』お願いしてもいいかな」
「分かった。何をすればいい」
アルトは『王夢』に頼みごとを告げると、ベッドに横になり、眠りはせず『王夢』の報告を待つことにした。
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