第22話 謎の女 アヒナ・ビーガン

「なんて、言ったのかしら?」

「断ると言った」

「……無理強いはしたくないのよねぇ、できる限り五体満足にって話だから」


 首を傾げ、んーと頬に手を当てながら彼女は言った。


「だからぁ、大人しく従って?」


 嘘が混じった酒のような甘い声で女は誘ってくる。

 騙されてはいけない。絆されてもいけない。

 この女に対して、俺の本能が訴えている。コイツについて行くなと。


「しなかったらどうする?」

「うーん、武力行使? 半殺しにしてでも連れて行かないといけないかなぁ」

「拒否する。理由もなく連れていかれる気はない」

「ならぁ――――これはどうかしら?」


 パチンと、女が指を鳴らすとあたり一面に蜘蛛の巣のごとく、黒いワイヤーにも似た糸が俺の周囲に張り巡らされているのに気づく。


「っ、な」

「動かないでぇ、首が飛びたくないのなら、ね♡」


 蠱惑的な笑顔で女はまた笑う……誘導されていたということか。


「なんのつもりだ?」


 女を強く睨む。彼女の意図が読めない。

 捕まえたいのに無理強いをしたくない。無理強いをしたくないというのに、俺を殺そうともしている……明らかな矛盾だ。


「貴方を捕まえる糸よ。アタシの糸は特別製で、どこからでも出せるの♡」

「っは、だったらなんだというんだ」


 女のその目は、強者の目だ。獅子よりも、蜘蛛の類に近い捕食者の目。

 ここに誘導するために準備をしてあったようにしか見えない。

 女はわざととぼけてくすっと笑う。

 

「どういう意味かしらぁ」

「……初めから拒否権を与える気などなかったろう」

「ふふっ、感がいいガキは嫌いよぉ? ……アヒナ・ビーガン。君を捕らえる女の名よ? 覚えて坊ぉや♡」


 女の指先から、なぜかワイヤーが出ているのに気づく。

 どういうことだ? ライングリムに元所属していた人間? まさか、もしくは敵組織側の人間か? ライングリムに敵組織がある話は、噂程度にしか知らないが。

 ……可能性がないわけじゃない、はずだ。


「ッチ!! 知らん名前だな!!」


 鞄から念のため持って来ていたナイフを手に取り応戦する。

 彼女が糸を使った神者の力を借りている可能性が高い。見た目的にも使って来る攻撃的にも、蜘蛛を連想させて来るから……絡新婦当たりか!!


「お前絡新婦に力を借りているんだろう!?」

「なんのことかしらぁ、わからないわねぇ?」


 糸が俺の体を捕らえようと動き始めている。操り人形につけられた糸でも俺に付けるための嫌がらせか、鬱陶しい動きに苛立つ。

 ナイフは小回りが利く分、逃げやすいがな!!


「あっはっは♡ 頑張るわねぇ……どこまで耐えられるかしらぁ」


 余裕綽々と振舞っている女に抵抗するため、俺は女の糸を搔い潜る。

 ナイフで女の顔面を狙ったが、するりと避けられナイフを持った腕を蹴られる。

 びりびりとした衝撃が腕に走った。


「っ!!」

「ダメじゃなぁい? 女の顔を狙うなんて、伊達男がやっていいことじゃないわよぉ」

「……っは、だったらなんだ?」

「お返しっ!」


 アヒナは続けて大振りの蹴りを繰り出す。

 俺は下に避け、地面に転がったナイフを手に取り距離を取る。


「やぁん、外しちゃったぁ」

「……よく言う」


 二度目をおそらくこの女は許す気はない。わざと手に取らせたのだ。

 踏み込んでこないギリギリの緊張感がお互いの肌に突き刺さる。

 ……ここは、俺が処刑人となるために少しでも情報を引き出すべきだ。


「最初に忠告はしたわよぉ? 先に破ったのは貴方の方ぉ……嫌なんて言わせないせないからぁ! だからはやく捕まってぇ?」

「俺を捕まえて何がしたい?」

「黙秘しまぁす♡ って、言ったらぁ……どうする?」


 張り巡らせた糸の中、捕食者である蜘蛛の女は瞳を爛々と輝かせている。うっそりと恐怖感を芽生えさせる微笑には鳥肌さえ立つ。

 きっぱりと切り捨て、ナイフを前に出す。


「拒否を通すまでだ」 

「そんな大人ぶって子供でしかない君の言動に騙されるとでも思ってるぅ? ざーんねぇんでしたぁ♡」


 糸が背後から動くのを感じる。瞬時に背後を見ると糸が俺の頬を斬って来た。

 続けて、横から追い打ちをかけてくるも、ナイフで横に払って交わした。

 ナイフで切り落とそうとしても、糸は完全にキレることはない……厄介だな。

 応援を呼ぼうにも電話をポケットから出そうとすれば、この女はおそらく躊躇なく俺の首にでも拘束してくるはず。

 ……ならいっそのこと、挑発で気を逸らすのはどうだ?

 そうするしか、今の状況を打開できそうにない。俺はわざとアヒナを罵る。


「っは、年増女はよく吠える」

「あっそう。そういうつもり……なら、絶対に捕まえてあげるっ」


 アヒナの指先からワイヤー状の糸が出てくる。

 彼女に力を貸している神者はいる、そして絡新婦以外での該当する神者は今この状況ですぐに出てくるわけがない……だとするならば、だ。この女はライングリムから脱退させられた人間か、もしくは……ライングリムに対する敵対組織側の人間か。

 続けて、試しにカマをかけてみよう。


「処刑人だった人間が、敵組織に寝返るとはよほどの度胸があるんだな」

「……何の話かぁ、お姉さんわかんなぁい」

「ほお? 関係ない? 俺を捕まえようとしておいてか?」

「あんまり調子乗ってるとぉ、痛い目見るぞぉ? かわい子ちゃん♡」


 油断して糸が俺の首に絡みつき、喉を絞める。


「ぐ、が……っ」

「人のこと、年増だなんて言った罰よぉ……顔がいいだけの男は、本当に吠えるしかできないのねぇ」

「うっ……はぁ、だったら、なんだ?」


 糸が俺に返答を求めているのか少し緩むのを感じるとアヒナは俺に近づく。


「アタシならぁ、いつでも君を殺せるの。まんまとひっかかっておいて調子に乗ってるわねぇ? そんなに余裕なら、痛みを覚えれば……屈服する?」

「……あるわけ、ないだろうが、っ、ぐっ!!」

「なら、もっと傷みつけてあげちゃおうかしらぁ。抵抗なんてできないくらい、悲鳴しか上げられないくらい……弄んであげちゃう♡」


 女はさらに指を動かして、俺の首の糸をさらに締め上げる。

 まずい、これ以上は……!! 息が、っ!!

 

「鋼陽君っ!!」

「……だれぇ? 彼女ちゃん?」

「よ、び……ね、こ」


 どうして、このタイミングで。

 息を切らしてやってきた友人を逃がすことを考える中、先に友人は動いていた。


「や、やめて! 鋼陽君にひどいことしないで!!」

「うーん、どうしようかしらぁ」


 呼猫はアヒナの腕を強引に掴み、邪魔を図る。

 

「お願いです! 鋼陽君を殺さないで!!」

「そうねぇ、一般人は殺すなってお達しなんだけどぉ……でも、女装してる男の子を壊すのも、楽しいわよねぇ♡」

「え?」


 女はくい、っと指を呼猫に向けると呼猫の胸元の服を引き裂く。

 呼猫の胸が露になり、男性らしい胸板がそこにある。

 慌てて呼猫は自分の胸元を隠し、頬を赤らめた。


「な、何を!! ……っ!!」

「うふふっ、やっぱり男の子だったぁ! 照れちゃってかわいぃんっ……興奮してきちゃあう♡」

「っ、呼猫! 逃げろ!!」


 糸の拘束が少し緩んで、呼猫に向かって叫ぶと呼猫は顔を上げる。


「で、でも!」

「そうよぉ、今逃げるなら貴方だけは見逃してあげる……しょうがないわよねぇ? 貴方、弱いものぉ」

「……そんなわけには、いかないっ!!」

「呼猫……?」

「鋼陽君は、僕が料理が好きなんだろって言ってくれたでしょ? 誰かの言葉を聞いて、簡単にあきらめるのかって!」


 拳を握り、涙目で呼猫は叫ぶ。


「友達が、死にかけているのを見捨てろって!? ふざけんな!! そんなことしたら、君に恩返しができないまま終わるじゃないか!!」

「……呼猫。お前は、」


 本当にいい奴なんだな。だからこそ、信用したいと思えた現世の友人の一人だ。

 アヒナは嫌そうに手を横に振る。


「あーはいはぁい、スポコン漫画の熱血シーン様様も悪くないけどぉ……アタシが鋼陽君の命、預かってるのわかってんのかなぁ?」

「っ、させないっ!!」


 呼猫が声を荒げ、アヒナに掴みかかる。

 先に、アヒナは俺の首に巻いた糸をより占める。


「っぐ!!」

「鋼陽君!!」


 さっきよりも強まる拘束に脳に血が上る。

 もう、無理だ。


「何!?」


 ……拘束が強まっていたはずの糸が、ぴたりと止まった。


「よく頑張ったな女装男子!」


 聞き慣れた声の方へ振り向けば、俺は目を見開いた。


「祓波――――!?」

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