第20話 微睡の夢
食事を済ませ、風呂に入ってタオルで濡れた髪を拭く。
いつもよく着るTシャツと部屋着に着替え、ベットの上に座る。
「ふぅ」
カーテンの奥にある窓から月明かりが見える。
遠くでとはいえ聆月がいると思えば心が軽い。
少しずつ彼女と共に戦える環境を整えられて行っている。処刑人として戦うためにも建前は大人の社会では必要なのは目に見えているのだから。
ぼうっと夜空に浮かぶ一つの丸い月を眺める。
夜空が水面に揺れる月と違い、確かにそこにある。
他にもいくつもの前世で、ここまで聆月と出会えたことは多くはないはず。
「……ああ、こんなに幸運なことはない」
立場的にも問題なく、彼女の隣にいられる必要最低限の理由付けも社会的に問題なく聆月を囲える……あの時のように、傍にいられるんだ。
前世を含め俺の磨き上げられた感が訴えているが、一度それを無視するために俺はベットの上に体を投げ出した。
『物事ってのはなぁ、なるようになんだよ。ビビってたらなんもできねえぞ』
「……そう、だったな」
天井に取り付けられたライトに向かって、手を空かす。
……親友の言葉が、少しだけ靄が見え始めていた心を取り払ってくれる。前世の記憶はまだぼんやりとだが、思い出して言っている気がする。
あまりにも断片的で、完全ではないが……だが、多くは聆月と共にいた時の前世が、一番に自分の脳に映像を叩きつけている気がする。
「やれることを、やろう」
手をベットの上に下ろして、俺は毛布にくるまることにした。
俺にできるのは休息をしっかりと取って早めに書類作成をしなくてはいけない目標を果たせばいい。ただそれだけだ。
後は早々に眠って嘶堂教授に書類を提出しよう。
目を閉じて、自分の呼吸の音に意識を集中させる。
こうすると、自然と意識が手放されていく感覚を覚えてあっさりと眠れる。
寝つきがいい方、と義父たちからも褒められたことがある。
思考を手放し、ゆっくりと鋼陽は眠りの世界へと誘われた。
「……、……よう、……鋼陽、聞こえていのか?」
――その声は、聆月か?
なぜ、彼女の声が頭の中で……いいや、耳から聞こえてくる感覚がする。
目を開けると、そこは前世の時、よく聆月と一緒にいた庭園だった。
気が付けば、彼女の太ももに膝枕されていることに気づいた。
「聆月……ここは、」
「ここはお前の夢の中だ、戦番となった者同士はこうやって会うこともできる」
「……そう、か」
聆月は俺の頭をそっと撫で、愛おし気に触れてくる。
その手付きは、前世の時と何一つ変わっていない。
「大変だっただろう」
「……ああ」
少し震えた声が出てしまう。
祖父の死を、大切だった人を守り切れなかった。
もう少し、事前に気づいていればもっと早く助けられた。
祖父の指導を受けながら、俺が作った刀を見せるつもりでいたというのに。
こんなことになるだなんて、想像もしていなかった。
穏やかな聆月の指先は、俺の心を煽るようだった。
「……泣いてもいいんだぞ」
「ダメだ、それでは前に進めない」
21世紀の時代では、多様性の時代と謳われていた時期がないわけじゃない。だが、そういうものではないのだ。そういうことでは、ないのだ。
「強がらなくても、いいんだ。ここは私たち以外誰にも踏み込めない」
「……そうだと、してもだ」
目の前に愛しい女がいるのなら、誰が涙を流せようか。
男ならばと、そういう習わしだけで言っている意味じゃない。
養子の俺が、どうして爺さんのために涙を流すことが許されよう。実孫だったらとどれだけ願おうが、現実は変えられない。
心臓だけとはいえども、守れなかったこと以外変わりはない。
まだ大学一年とはいえ、成人はもうしているんだ。責任を要求される年で、義父と義母が俺の至らないところを代わりに葬式や書類などを補ってくれたにすぎん。
だからこそ、不甲斐ないと至らないと強く感じることを許すなど、俺が認めない。
「……本当に、辛くはないか」
「当然だ」
「お前は、強い子だな」
うっそりと、口角を上げ柔和な笑みを浮かべる聆月に目を閉じる。
少しでも、涙が出ないように。この時間が、愛おしく思えるために。
「……鋼陽。お前は、本当に処刑人を目指すのか?」
「爺さんの仇は取った、永嗣さんや他の人が殺されてほしくない。俺が手の届くところの人間は守りたいんだ」
「そうか……鋼陽は優しいな」
「優しくなんてない、俺の都合で助けると言っているだけの話だ」
「ふふっ、そういうことにしておいてやろう」
「……なんだ、その言い方は」
「いいや、可愛いなぁと思っただけだ。私は安心したぞ。鋼陽」
「……む」
聆月が俺のどこが可愛いなどと言っているのか、理解できん。
男が可愛いと言われて喜ぶのは、そうあろうとしている者だけであって、俺は可愛さなど追及したり求めてなどいない。
「……だが鋼陽、気をつけろ。レムレスはその者の体を喰らうことで、形を変える。爍切秀蔵の時のようにな」
「なぜ、レムレスは姿が変わったんだ?」
「あれは、おそらく八咫烏の加護を受けた者だったからだろう。心臓だけ食べただけだったからこそ知能がなかったのだと思う。本来なら、人の全身を喰らって進化をするからな」
「進化だと?」
「その魂が気高い物であればあるほど、力を蓄え強い個体となる。レムレスとはそういう危険な奴だ」
「……そうか」
ならば、なおさらレムレスは駆逐しなくてはいけない。
尊き者の命を喰らい、力を蓄えるなぞたまったものではない。
「だから、亡骸殺しなのだろうな」
「……鋼陽。契りを交わしたとはいえ、お前が拒否すれば契りは解除される。もし、刀匠を目指すだけなら処刑人になる必要は、」
「断る。絶対にだ」
俺は起き上がり、聆月と視線を合わせる。
「……素晴らしき刀匠の見習いは、処刑人が現れたことで増えてはいる。だが、それはレムレスがいなくなる時代もいなかった時代の時のように簡単に減ってしまうと言える」
「鋼陽……」
「守れる力があるというのに、振るわない理由にならない。戦わない理由になどならない」
鋼陽はそっと聆月の額に自分の額を当てる。
「俺はお前のことも守りたいんだ……
「……忘れてしまっても、よかったというのに」
「お前がどんなことを言おうと忘れてやらん……少なくとも、今の俺が成人していることをわかっているのか?」
「まだ大学に通っているんだ。学生だろう?」
互いに視線を向けて、吐息が当たるくらいに近い距離感で見つめ合う。
「ほう……では、まだ大人ではないと言いたいんだな?」
「今のお前の国では成人かもしれないが、私からすればまだまだお前は子供だぞ?」
「……そうか」
にっこりと笑って聆月の首元を晒させるために胸元のボタン代わりになっている赤玉の留め金を取ると、ビクッと聆月が一瞬肩を揺らす。
「こ、鋼陽!? 何を――」
「黙れ」
強引に聆月の首元を噛みつくように唇で印をつけてやった。
キスマークというものが綺麗に且つ上手くできたのに満足感を得た。
うん、これなら他の男共も、嫌でも気が付くだろう。
「こ、鋼陽っ……や、やめっ」
「待て」
……と言っても首筋だけはさすがに物足りないな。
というより、聆月が上手く隠そうとするだろう……ならば。
俺は聆月の胸元に首筋と同じように痕を付け足す。
「ひゃっ!! な、何をする!?」
素っ頓狂な声を上げる聆月ににやりと笑って見せる。
「これで問題はないな」
「な!! なんでこんなこと……!!」
「首筋なら隠せるが、お前なら嫌でも目立つだろう?」
「お、お前……っ!!」
「そうでもしないと、余計な虫がお前に集るだろう。それは我慢ならん――――俺の戦番になったのなら、それくらいの覚悟をしてもらわないとな。
「な、なな!! ……戦番の契りを交わしたからと言って、こんな強引なこと!! そ、そんなふしだらな子に育てた覚えはないぞ!!」
頭から煙がでそうなほど、顔を赤らめる聆月に優越感を覚えた。
彼女のこういう姿は、前世の時は見たことがない。
俺が、そうさせているのかと思うと歓喜でどうにかおかしくなりそうだ。
「短命転生の呪いを受けた時から以降はほぼお前に育てられた記憶はないが?」
「ぐっ、そ、そういう問題じゃない!! この馬鹿!! ……黄帝になんて顔をされるか」
「あの人なら、爆笑するだろうな」
「鋼陽ぉ――――!!」
ぽかぽかと俺の胸を両手で叩いてくる。
独占欲むき出しと言われようが何だろうが、これくらいでなくては気づきもしないのは、前世の時にも履修済みだ。
俺は夢だとわかっているが、痛い気がするので聆月の手首を掴む。
「今日はこれで満足しておいてやる。また、会いに来てくれるんだろう?」
「戦番だからって、こ、こんなことをするのにお前の相棒になったわけじゃないっ!!」
「ああ、わかってる。だが当然だ、俺は呪いを受けたからと言ってお前へのこの気持ちを諦めたことなどない」
「? ……どういう意味だ?」
今のいい方からして、前世の時から俺の好意を気づいていなかったと見える。
……恋愛経験がないようで、少しほっとするな。
なら、俺が俺色に染められる、そういうことと受け取っていいということか。
口角を上げ、くすっと笑い彼女の耳元で、甘く囁いた。
「もう一度、俺の夢に現れるならどんなことをされるか覚悟するんだな――――何千年も待たされた男の欲、舐めるんじゃないぞ」
「なっ――――!!」
恋人になりたいと強請っている男の欲が、この程度のわけがない。
聆月が嫌がり過ぎない程度の我儘と、胸に秘めた強欲の一部を言葉で曝け出す。
聆月は目を見開き、ぱくぱくと、水槽の金魚の口のように開閉する。
今の反応から見るに、ようやく理解したように見える。
ピキ、ピキ、と夢の終わりなのか、段々と俺と聆月の夢の世界が、壊れていくのを感じる。
……そろそろ、目覚めるということなのだろうか。
「……聆月」
「こう、よ」
俺は彼女に口付けしようと唇を近づけた。
パキン、と大きくひび割れたガラスの音がすると瞼を開け、自分の部屋だということに気づいた。
「……寸止めか。ッチ。意気地なしめ」
俺が夢から覚める、ということだったのか、単純に聆月が拒否をしたのか。
一瞬だったからわからないが、おそらく触れていないはず。
……いきなり責め過ぎて、逆に聆月が脳の規定値が達していた気がしなくもないが。まぁ、今後のためにも聆月には俺の気持ちは伝え続けるが。
「……まだ二時か」
丑三つ時に起きるとは、これ如何に。
それにしても、今日は気分がいい夢を見た。
聆月が目を覚ましているだろうが、一体向こうでどんな反応をしているか、にやにやとしてしまう。
「……楽しみだな」
処刑人になって、共に彼女と一緒に立てられるように。
鋼陽は、再度就寝するのであった。
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