第4話 つまらない辞世の句

「爺さん! どうし、」


 彼が鍛えた鉄の温度から発せられる空気と似て非なる物が、頬に飛んでくる。

 守るための武器を作るはずの手がだらんと床に伏している。骨ばった体躯の心の臓からは、握りつぶされた果実が地べたに零れ落ちて行くように血が飛び散っていた。


「……爺さん!!」


 青年は、一人叫んでいた。

 目には生気がなく暗い常闇を映している。意味など、理解したくなどなくとも見せつけられる現状が目の前にある。

 彼を貪っていたそれは、黒き者。暗き者。ぼやけた輪郭は靄のごとく、その口らしきものから伝うのはまごうことなき、俺の祖父の血だ。

伸びる鉤爪のごとく鋭い指先で祖父を切りつけたのだろう。彼の遺体と飛び散った血液の上で心臓を食す咀嚼音が生々しい緊張感を掻き立てる。

 額を抑え、憤怒を抑え、怪物を注視する。


『……ガガ、ガガ、ガ』

「……お前が、レムレスか」


 時計の歯車の軋む音よりも、獰猛な獣の歯を立てる音に似て。

 兇猛な音楽を声色よりも、機械が奏でる電子音の悲鳴に似て。

 矛盾する怪物の鳴き声は聞いただけで気が狂いそうになる。


『ガガガ、ガガ、ガ、ガ』


 亡霊のような見た目でありながらも、確かな存在感のある獣。

 靄の形をした、人々を喰らう悪しき物。

 それが、レムレス……我々人類を喰らい続ける悪しき獣の名だ。

 怪物は心臓を食べえると、祖父の胸元へと噛り付く。

 骨も残さず食い殺すのがこの怪物たちの特徴だ。最初に心臓を味わってから、殺した人物の体を食い始める……ニュースでいくらでも見てきた光景だ。

 亡骸殺し、それがこいつらの俗称でもあり蔑称でもある。

 文字通り人の亡骸を食い殺す、その特徴から名付けられ死体を埋葬することができない遺族の人々の憎悪からして、その別称は相応しいと言える。


『ガガ、ガ』


 爺さんから離さないと。だが、爺さんの心臓を喰っている。もう助からない。

 知っている、知っている。この場で逃げなければ自分は死ぬと。

 己という個が、絶命すると。

 ――本当に? ここで警察に連絡をしてどうにかなるのを待っていたら、このまま祖父の死体は丸ごと


『ガガガ、ガガ、ガ』

「……っ!!」


 祖父が研ぎ終えた新たな祖父の名刀とは別に、爺さんが用心で置いてある物だ。

 鋼陽は距離を測りながら近くの机に置かれた刀を手に取る。

 まだ、名はない刀剣だろうが爺さんの遺体のためだと思えばくだらないことなど考えていられない。

 すぅ、と息を吸い鋭利な眼光で敵を視認する。


「この!!」


処刑人たちは武器でレムレスたちを切り殺していた。なら祖父が作った刀ならば、あるいは――!!


「――――はぁ!!」


 小中高と剣道部で鍛え上げられた瞬発力で、レムレスの頭蓋に切りかかる。

 下手な油断は命取り、少しの判断を間違えては俺の死に直結する。しかし、ここで戦わなければ恩師であり恩人である彼の亡骸が食われるのは許すことなどできない。

 刃で確かにレムレスの首を落とせたが、やはり靄であるからかすぐに下半身に当たる靄の部位と同化する。


「ッチ、効かないか……!!」


 処刑人のように上手くレムレスを倒せない。

 何が理由だ? あんなに問題なく処刑人たちはレムレスを殺せていたじゃないか。

 何が足りない? 何が……!!


『ガガ、ガガガ』

「っ!!」


 思考の邪魔をしたいのか、レムレスは伸ばした鉤爪で襲い掛かってきた。

 俺は刀で振り払い、横に一度刀で払ってもレムレスは爺さんの遺体から離れない。


「ッチ!」


 一度、レムレスと距離を取る。

 なんとか躱し切ったが、祖父の遺体を回収できないっ!!

 なぜレムレスはまだ爺さんの遺体から離れない? どうする?

 一瞬の隙を狙いレムレスは秀蔵から離れ鋼陽の眼前へと近づく。


『ガガガガガガ!』

「っち!!」


 レムレスの攻撃を刀で庇ったはずが、後ろから伸びている爪までは躱せなかった。


「っ、がは!!」


 レムレスの指先が再度俺の心臓めがけて切り裂く。

 吐血した血と胴を裂かれた血が床に飛び散る。

 刀を握っていた手が力を無くし床に倒れ込んだ。


 ――死んだ、な。これは。


「……はぁ、……っ、ぐっ」


 意識が薄らぐ。なんとか呼吸を整えようとしても体からの血の流血を止めれない。

 即死ではないが、出血量が多い。止血したくても、医療道具など持って来ているはずもないし、動かせる体力がない……万事休す、とは、よく言ったものだ。

 視界が眩み、祖父の遺体の方にレムレスは戻って行く。


「……はぁ、じい、さ……ぐっ」


 こんな幕切れなら、せめてアイツと会ってから終わりたかったものだ。


 ――アイツ? アイツって、誰を?


 永嗣さんでも、祓波でもないなら、誰に会うって言うんだ?


 ――彼女に、もう一度。


 頭に過る、その人物の名など、俺は知らない。

 せめて、本当に走馬灯ではなく実際に、本当にその人が身近にいたなら。

 もしかしたら、きっと爺さんの遺体だけは守れたかもしれないのに。


「……悪い爺さん。俺の刀、見せてやりたかった」


 辞世の句にしては三流の雑兵に似たセリフしか、今の俺には思いつかなかった。

 眩む瞼を視界に広がっている絶望を覆い隠すためにそっと下ろした。

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