第3話 忘れぬ想い人 聆月
ぼんやりと、鋼陽は頭に走る映像に身を使っていた。
猛々しく熱が籠る玉鋼は鍛錬で大槌で叩かれ火花が飛び交う。
冷却水で冷やされた刀身は波を打った波紋が現れる。暗く煌めく刀身に浮かび上がる白波は、まさに波紋。
その名のごとく例えるなら大海の波を映しこませたような尊き刀。最後に仕上げとして鍛冶研ぎが施され、反りが整っていく様はさらに刀身の美麗さに息が漏れる。
刀剣を鍛える、その過程全てに魅了されていた。
祖父の背中は、何よりも雄弁に己の人生を刀のために費やしている刀匠その物だ。その人生を、笑う者など同業の者たちはいないほど名の知れた人でもある。
「……おう、鋼陽。来てたのか」
「……はい」
強面で寡黙な祖父がしゃがれた声で問う。扉の横から見ていたのを気づかれ、祖父は額のタオルを外してから、ゆっくりとした足取りで向かって来る。
「刀は、好きか?」
「……はい、とても綺麗な物だと思います」
「綺麗に見えるってこたぁ、興味あんのか?」
「……まだ、未熟ですが勉強はしています」
「そうか……刀ってのはな、大切なもんを守るために鍛えられてんのが刀だ。それを忘れるなよ。人を無闇に切るのは外道のすることだ」
「はい」
「……お前、俺の孫だろうが」
「ですが、養子です」
「もう、俺ん家にいんだ。気にすることはねえ」
「しかし……」
頭の裏をガシガシと掻いて、唸る祖父は言いづらそうに首に手を当てる。
「他人行儀つうもんはどうも苦手でな。また仕事場に来てぇならそうしろ、いいな?」
「わかり……わかった」
「おう」
鍛冶仕事で厚くなった掌でくしゃっと自分の頭を撫でる。不器用な手つきだ。
きっと、彼は善人なのだろう。いい人、と呼べる存在なのだろう。
なら、それを習って生きるのも悪くはないのだろう。
――そう、思っていた。
血が伝う、血が伝う、血が伝う。深紅の血が、視界に広がっている。
零れ、零れ、零れ、落ちていく。己の唇から、吐かれる息もやっと。
懐かしい記憶の中で目の前で祖父がだらんと鍛冶場の床で転がっている。
心臓を喰われ俺は何もできず彼のように地に伏している。
思い出せば思い出すほど爺さんに己が作った刀を見せれないの後悔しか抱けない。後悔だけしか、今、この胸にはない。
「……っ、爺さ、……っ!!」
助けたかった祖父は、もう声を発することもない。
口は痛みに絶叫したのか、開いたままだ。相当、苦しかったのだろう。
俺も、彼を殺した怪物に心臓を喰われ骨も残さず食われるのだろう。
青年は止めどなく溢れる血を唇から零し、胸元から裂かれた傷の痛みが悲鳴を上げる。意識が消えかけている中、知らない誰かの姿が、頭に過る。
『……
「……誰、だ」
本物の走馬灯が、俺の思考の中で蘇っていく。明確に見える、祖父たちや学校で過ごした日々が総出で俺を死へと送り出そうと見せ続ける。
徐々に遡り、俺はある記憶にぴくり、と指を揺らした。
『ダッハッハッハッハ! 無様だなぁ皇子様よぉ! たった一人の女も守れねえで、情けねぇ』
『うる、さい……っ』
大嫌いな、男の声がする。
黒のローブを被っていて顔は見えないが男なのはわかる。
乱暴にローブ男は、俺の頭を踏みつけている。
『お前らには特別に呪いを与えてやった……女には不老不死の呪いを、皇子様には短命転生の呪いだぁ、来世の祝いにはふさわしいだろぉ』
『……ふざけるなっ、彼女の呪いを解けっ』
『あー? 無理して動かねえほうがいいぜぇ? そっちの成龍の女を犯してほしいなら、なっ!!』
『ガハッ』
『――
ローブ男に思いっきり腹を蹴られる。
痛みなど、堪えられる。昔から、痛みには強い方なのだから。
濁流ばかりの俺の記憶の中に、まるで写真でも切り取られたように大切に大切に、大事に、繋ぎ止めようとする俺ではない俺の記憶だ。
『
『……せん、え……』
彼女は俺の元まで駆け寄って俺の名を叫ぶ。
苛ついた声で、ローブ男は舌打ちをする。
『あー、うっっっぜぇなぁ!!』
『ぐっ……!!』
ローブ男は長剣で思いっきり彼女の腹に突き刺した。
『
彼女は、俺の横に倒れた。
腹から血を流しながらおぼろげだった輪郭ははっきりと映し出される。鮮明に映り始めるその人物は、穏やかを含んだ
『……
『……
『とっとと死にやがれ糞が!!』
『ガハッ!! グッ、う!!』
『貴様っ!! ……がっ!!』
ローブ男は彼女の体を幾度も刺したかと思うと、俺の腹を切り裂いた。血液が裂かれた部分から止めどなく流れ、俺と彼女のお互いの血が地面で混ざり合う。
『
血に染まった白袖から延びる指先が俺の手を掴む。
『お前が来世でも私のことが好きだったら、また会おう――――私の、
『――――
そうだ、彼女の名は、
『――
一瞬、ゾクリと潰された心臓が動いた気がした。
「……は、ぁ」
……忘れられるわけ、ないだろう。
俺は彼女を、知っている。前世であろうと、俺の魂にはお前の存在は刻まれている。忘れられるわけがない、忘れられるはずなど、ないのだ。
彼女は、俺の魂が求めた、たった一人の俺の想い人。
たった一つだけ、俺の心を導いてくれる、俺だけの
俺の心に差し込んだ
――呼べ、私を。
その、声は確かに俺の意思を一瞬でも覚醒させるには十分だった。
『――呼べ、鋼陽!! 私の名を!!』
思考に直接訴えてくる彼女の声が俺の脳を支配した。
ぐっ、と拳に力を込める。
口内から止まらない血に咽ながらも、彼女の名を呼ぶ。
「……
発せられた俺の言葉に周囲が黄金色の瞬きが走る。
透明だった空気から彼女はゆっくりと己が姿を晒す。
龍としての角と尾。緑がかった長い黒髪。頭の裏の髪を編み込んで、銀色の筒状の髪飾りを付けた先はすっと伸びて流れるローサイドテールは右のもみあげにある白のメッシュと服以外は前世の時とは変わっていない。
服の裾が蓮の花弁のように裾がいくつも分かれたチャイナドレス風のドレス……いいや、祓波が遊んでいるゲームなどのキャラクターのファッション、と言われたほうが連想をしやすい。
他にも言うなら以前には細やかな裾と同じく蓮を連想させる刺繍や、胸元や袖、履物の指先を出した履物の所などにも赤玉が施され、より彼女の神秘性を高めているところは前世とは違う。
「……面倒なことになっているな、鋼陽」
「……はぁ、ぐっ」
両肩を晒して両腕に着物の振袖にも似た白袖が揺れる。
見開く目尻に赤い化粧が施され、夢で見た花緑青の瞳が怪物を捕らえた。
『ガガガ、ガガガ、ガガガガガガ』
聆月が無言で左手の二つの指を重ね横に払うと、何か空気が変わった感覚が芽生える。レムレスと俺たちの間に透明な膜が張られるとレムレスが混乱するようにガガガと鳴き続けている。もちろん、その膜は祖父の遺体まで届いている。
聆月はしゃがみ俺の腹に左手を添えた。
「……れい、げ、」
「喋るな」
聆月の手で当てられている中心が温かい。状況が瞬時に理解できず、俺はただぼんやりと彼女と出会えた歓喜で思考が上手く回らないでいた。
「よく頑張ったな、鋼陽」
柔らかい微笑を彼女は浮かべる。
本当に、彼女がここにいる? こんな奇跡が、あっていいのか。
一瞬、体が楽になったはずなのにまた意識が薄れ、視界もぼやけ始める。
ああ、また――――俺は彼女と結ばれずに、死ぬのか。
「……不味いな、しかたない」
「れ、い……っ、ん」
聆月は顔を顰めたと思えば、俺の頬に触れ口付ける。
彼女は舌で俺に何かを送り続けられる。これは、生気……?
流血していたはずの胸元の傷は癒えていく。
「んぅ……ふ……っ!?」
「……ん、」
彼女が舌を伸ばすのをやめようとした瞬間を見計らい、俺は腰に手を回す。
無理やり彼女が接吻をやめさせないために深く、深く獣のように彼女を求める。慣れていない舌遣いなのに安堵しつつ、彼女を貪るために彼女が喜ぶ所を探った。
「……ふ、ぁ……ん、やめ、こう、……よっ」
「……ん、はぁ」
満足するまで彼女を貪っていると、聆月が俺の胸を傷以外の場所を叩いてくる。
流石に、治癒をしている最中とはいえ痛い物は痛いんだが。
互いの血が混じった銀の糸が切れると口内に広がっていた血が彼女と唇を離して一滴だけ顎に流れた。
「お前は馬鹿なのか!? この状況で!! 馬鹿なのか!?」
「お前からしたんだろうが」
目をぐるぐると頬を赤らめながら混乱している聆月に冷静に突っ込む鋼陽。
成龍の時代の彼女なら、このような行為はしなかったはずだ。
……つまり、昔よりも強くなったということなのだろう。
そういう意図はないのはわかっているが、堪え切れなかったのは据え膳に手を出さない男も男らしくない、という前世の誰かの言葉だった気がする。
「何当然のように言ってる!? 治療の一環だ! 他意はない!!」
「……っち」
「なんだその舌打ちは! そんな子に育てた覚えはないぞっ!?」
緊急事態だからこそ、聆月の生気を分けてもらうのに強引の手を打っただけだ。俺自身は他意がないわけじゃないが、爺さんの遺体の前で何をしているのかと思うが、生気を送るのに躊躇いが感じられたのも事実。
なら、強引にでも生気を多めにもらう方法でやった方がいい、という意味なだけで欲情したから彼女を貪り尽くそうとしたわけじゃない。それに現世の俺はお前に育てられていない、と突っ込みをしたくなったがきゅっと唇を噛む。
「その癖は相変わらずだな」
「何がだ」
「……それよりも、やるべきことがあるだろう」
聆月はそういうと、視線はレムレスへと一瞥する。
レムレスが爺さんに近づこうと膜にへばりついているのが目に入った。
……名残惜しい、が。
もっと彼女としていたかったのは山々だがそうも言ってられない。
「――邪魔者もいるしな」
「そういうことじゃないだろう!? ……まぁいい」
聆月は立ち上がり宣言した。
「私の力を貸してやる、奴を斬るぞ」
「……ああ」
鋼陽は言葉で頷き、刀を手に取った。
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