第3話 甦る憤怒の熱

 祓波とは食事を済ませたらすぐに別れ、祖父が病院の体の状態の検査結果を知るために一度祖父の実家のある岐阜、関市へと飛行機に乗った。


「鋼陽くーん、こっちだよー」

「……永嗣さん」


 壮年くらいの男性が手を振りながらこっちへとやってくる。

 少し白髪交じりの黒髪は、彼自身が苦労人だからか少しストレスなどで胃を痛めていないか、時々心配になる時がある。

 黒ぶちの眼鏡から覗く、琥珀色の瞳はふんわりと柔らかい。

 彼は爍切永嗣。昔から、彼の穏やかな愛嬌のある顔つきは変わっていない。

 ……今の自分にとって、叔父にあたる人だ。


「こんにちわ。鋼陽君。元気してた?」

「……こんにちわ。元気です」


 自分が幼少期の頃からもその人の好さで周囲の学生時代の女子共は目を魚を捕らえた猫のように爛々としているのがどうも苦手だったのを覚えている。

 小さい頃に早く肉食女子の怖さを知れてよかったと思うことにしているが……彼の人当たりのいい笑みは、昔から少し苦手だったりする。

 嫌味があるわけでも下心がある大人だから、という意味でもない。どうも、祖父のような人間の方が周りに多いせいもあってか、下手に優しい人間との接し方というか、距離感と言うか上手く掴めないというが正しい。

 ……どうも、慣れないというだけだ。そういう人間との関わり方が。


「鋼陽くんは優しいよねぇ、大学生なのにこうやって休みの時にも会いに来てぇ」

「いえ……秀蔵さんは」

「家にいると思うよ……また、病院に行ったばかりだって言うのにまーた鍛冶仕事してるかも」

「……相変わらずですね」


 俺の内心思っていることなんぞ露知らず、ケロッとして笑い返してくる当たり、この人らしいと言えば、らしいのだろうが。

 ……中々、強気に出れない人だったよな。永嗣さんは。


「あはは……言ってはいるんだけどねぇ。昔から仕事一筋だから」


 永嗣さんがお世辞を言うのに、素直に世辞を返さずいつも通りの祖父の行動に溜息を零した。爺さんは本当に仕事中毒者という言葉が似合う人だ。

 ……だからこそ、尊敬している。俺が将来目指す刀匠としても。

 首に手を当てて苦い顔をする永嗣さんは緊張した時のいつもの癖だ。

 この流れは、前の爺さんの検査の時と全く同じ流れだ。


「……止められなかったんですね」

「私の言うことは、昔っから聞いてくれなかったからねぇ」


 苦笑する永嗣さんにはアンタがお人好し過ぎるからだろう、とは口にせず。

 内心、こんなことを考えている相手でも変わらずに優しく接してくれる永嗣さんは、良い人な認識ではいるからひどい言葉は口にしない。

 彼なりに爺さんに尽くしてくれるとわかっているからこそ、下手に追及したからと言って、そうそう爺さんの仕事人っぷりが変わるわけでもない。


「それじゃ、爺さんのとこ、行こっか」

「……はい」


 空港から出て、永嗣さんの車に乗って祖父の屋敷へと走り出す。

 鋼陽は窓を眺めながら今の関の風景を眺める。

 昔よりも、鍛冶師の家が増えた気がする。

 レムレスが現れてから、ここは処刑人たちの武器を作る職人の町としても知られるようになった。レムレス出現前からも日本一の刃物の街とも呼ばれ、刃物製品出荷額全国1位なのは現在もキープしている……いや、むしろ上がったか?

 祖父の腕も他の刀匠たちだけじゃなく、処刑人たちにも認知されていると思うと鼻が高くなるというものだ。


「……」

 

 じっと、自分の手のひらを見る。

 俺もいつか有名な刀匠になって、爺さんに孫をみせないといけない……そんな相手に出会える日がいつ来るだろうか。だが、先に見せるなら俺の刀だ。

 でなくては、爺さんに助言をもらえる機会が無くなるのだから、嫁のことよりもそっちの方で考えるのが筋という物。

 ……今はとにかく、祖父の容態を確認しないとな。

 ぎゅっと、こぶしを握って決意を再度固めた鋼陽に運転席に座っている永嗣がバックミラー越しに声をかける。


「鋼陽くーん、そろそろだよー」

「はい」


 木々に隠れ、爺さんが昔に立てた屋敷が徐々に見え始める。

 永嗣さんが俺を門の前で降ろして、窓越しに手を振りながら去って行く。

 軽く頭を下げ、俺は小さくなっていく永嗣さんの車を見つめる。時間になったら、永嗣さんに迎えに来てもらう予定なので問題ない。


「……さて」


 踵を返し、爺さんが帰って来たであろう屋敷の中へと踏み出した。

 現代の中でも屋敷と呼んで相違ない家屋だ。年季は入っている方だが住めないわけじゃない。処刑人という職業ができてから刀匠の存在価値はぐんと上がった。

 爺さんの屋敷が広いのも、爺さんの刀には屋敷にできるほどの腕があっただけだ。

 玄関を通り、靴を脱ぎ並べてから廊下へと進む。

 そろそろ帰ってきている頃だろうから、居間にいるだろうか。

 ガラッ、と扉を開ける。


「……あっちか」


 居間の襖を開けても誰もいないところを見るに、おそらく鍛冶場にいると推測する鋼陽は踵を返す。

 木造の優麗な木目はひどく気持ちを落ち着かせてくれる。

 

「……渋谷の煌びやかな雰囲気は、やはり慣れないな」


 東京にある自宅も現代的な室内だからこそ、慣れた木の香りを嗅ぐとしたら香炉から漂う香で誤魔化すしかないから面倒なのでする気にすらなれない。リフォームするのも手だろうが、実家に戻った時の安堵感が減る気がして気が進まなかったりする。

 軋む床の音に安堵を抱きながら、祖父がいるであろう鍛冶場へと足を進める。

 邪魔にならないよう静かに戸を横に滑らせた。

 爺さん……爍切秀蔵とぎりしゅうぞうは刀の研ぎの作業に入っている。

 刀の研磨される音は、幼少時から聞き慣れたものだ。


「……来たのか、鋼陽」

「久しぶりだな。爺さん」


 白髪頭で昔よりも華奢な体にはなったが、元気そうだ。

 威圧感が滲んだ声で言う爺さんに俺は戸に肱を着きながら尋ねる。


「今日の検査結果はどうだった?」

「……体ぁ壊すとでも思ってんのか」

「年を食ったんだ、心配しない子供はいない。いつかアンタの仕事を受け継ぐためにも、長生きはしてほしいと願うのは当然だろ」

「……ふん」


 爺さんは刀を研磨をするの手を止め、こちらを振り向かずに鼻を鳴らす。

 ……仕事の邪魔をしたと怒ってるな、これは。


「……居間にいる」

「勝手にしろ」


 居間に戻った鋼陽は、ちゃぶ台の下に置かれたビニール袋を見つける。

 中身は薬と検査結果の紙が同封されていた。

 紙を捲ると、数値はどれも問題はないようだった。鍛冶仕事が大好きな爺さんは健康面も意識して運動も欠かせずしていると、前回の検査の話の時に永嗣さんが言っていたはずだ。

 学生の頃も健康を意識した食事メニューだったのは今でも覚えている。


「……よかった」


 爺さんが今でも鍛冶の仕事をしているのに安堵する。

 もう、大分年を取ったのに、仕事熱心でいてくれて、俺の将来の夢になってくれて――――本当に。


『……鋼陽』


 頭に流れ込んでくる、誰かの声がする。

 段々と、年が経つにつれこの声の主が女性なのはわかった。


「……っ、誰、なんだ。お前は、」


 頭に手をやり、フラッシュバックしてくる何かの記憶に困惑する。


 ――忘れるな、わすれるな、ワスレルナ。


 自分の声が、何度も機械的に繰り返す。

 何を忘れたらいけないんだ? そもそも俺はその女のことなんて知らない。

 ……知らないんだ。だというのに、なんだ? この胸に広がる痛みは。

 なぜ会ったこともない女の声が、こんなにも胸が苦しくさせる。


「……なん、だ。これは、っ」


 胸に襲い来る激痛に胸を抑える。吐き気にも似た激怒が、どうしようもなく激高してしまう自分の激情に理解ができないでいた。

 鋼陽は検査結果の紙を床に落とし胸元を抑える。


『――、――――、――』


 一人の、龍の角と尾を生やした女性。

 俺に何かを告げているのか唇が動く。


「何を、言いたいんだ? ――お前は、」

『ハハハハハハハハハっ!!』


 笑い声がする。きたならしい、けがらわしい、笑い声。

 頭蓋に響き渡り、あちこちからその笑い声が頭から離れない。

 あれは、誰だ? 視界の向こうには謎の男が、いて。

 あの、男は――――彼女を、傷つけて。

 

 ――憎い、にくい、ニクイ。


 顔面に手を当てていて気が付けば、唇から呪いの言葉が漏れ出る。


「……お前だけは絶対に、俺が殺す」


 鋼陽の瞳が、赤く煌めく。

 自分の発した言葉の意味など理解できずに。

 ただ、ただ、ただ。

 俺から全てを奪ったあの男を、殺さねばという殺意が胸を占めていた。


「がぁああああああああああああああああ!!」

「!! 爺さん!?」


 俺は急いで鍛冶場へと駆け出した。

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