第2話 つまらない辞世の句
祓波とは食事を済ませた後すぐに別れ、一度祖父の実家のある岐阜県関市へと新幹線で向かった。
「鋼陽くーん、こっちだよー」
「……永嗣さん、お待たせしました」
駅から降り、指定していた場所に来れば壮年の男性が手を振って来る。
少し白髪交じりの黒髪は、幼少期よりもストレスでなったのかと内心口に出せないでいる。黒ぶちの眼鏡から覗く、琥珀色の瞳はふんわりと柔らかい。
彼は
「こんにちわ。鋼陽君。元気してた?」
「……はい、元気です」
彼の人当たりのいい笑みは、昔から少し苦手だったりする。嫌味があるわけでも下心がある大人だから、という意味でもない。
むしろ大学より前の頃、女子生徒に絡まれるくらいにはモテていて女子がハイエナに見えていた時期もあるがどうも祖父のような人間の方が周りに多いせいもあってか、下手に優しい人間との接し方というか、距離感と言うか上手く掴めないというが正しい。
「鋼陽くんは優しいよねぇ、大学生なのにこうやって休みの時にも会いに来てぇ」
「いえ……爺さんは」
「家にいると思うよ、まーた鍛冶仕事してるかも」
「……相変わらずですね」
「あはは、言ってはいるんだけどねぇ。昔から仕事一筋だから」
永嗣さんがお世辞を言うのに、素直に世辞を返さずいつも通りの祖父の行動に溜息を零した。爺さんは本当に仕事中毒者という言葉が似合う人だ。
……だからこそ、尊敬している。俺が将来目指す刀匠としても。
首に手を当てて苦い顔をする永嗣さんは緊張した時のいつもの癖だ。
この流れは、前の爺さんの検査の時と全く同じ流れだ。
「……止められなかったんですね」
「私の言うことは、昔っから聞いてくれなかったからねぇ」
苦笑する永嗣さんにはアンタがお人好し過ぎるからだろう、とは口にせず。
内心、こんなことを考えている相手でも変わらずに優しく接してくれる永嗣さんは、良い人な認識ではいるからひどい言葉は口にしない。
彼なりに爺さんに尽くしてくれるとわかっているからこそ、下手に追及したからと言って、そうそう爺さんの仕事人っぷりが変わるわけでもない。
「それじゃ、爺さんのとこ行こっか」
「はい」
永嗣さんの車に乗って祖父の屋敷へと走り出す。
鋼陽は窓を眺めながら今の関の風景を眺める。
一時期荒廃としていたが昔よりも鍛冶師の家が増えた気がする。レムレスが現れてから、ここは処刑人たちの武器を作る職人の町としても知られるようになった。
レムレス出現前からも日本一の刃物の街と呼ばれ、刃物製品出荷額全国1位なのは現在もキープしている……レムレスの存在で関の存在は盤石となりつつある。
祖父の腕も他の刀匠たちだけじゃなく、処刑人たちにも認知されていると思うと鼻が高くなるというものだ。
「……」
じっと、自分の手のひらを見る。
俺もいつか有名な刀匠になって、俺の刀を爺さんに見てもらうと固く約束した。
爺さんに助言をもらえる機会が無くなるのだから、結婚なんぞ考えてすらない。
……今はとにかく、祖父の容態を確認しないとな。ぎゅっと、拳を握って決意を再度固める鋼陽に運転席に座っている永嗣がバックミラー越しに声をかける。
「鋼陽くーん、そろそろだよー」
「はい」
木々に隠れ、爺さんが昔に立てた屋敷が徐々に見え始める。
永嗣さんが俺を門の前で降ろして、窓越しに手を振りながら去って行く。
軽く頭を下げ、俺は小さくなっていく永嗣さんの車を見つめる。時間になったら、永嗣さんに迎えに来てもらう予定なので問題ない。
踵を返し、爺さんが帰って来たであろう屋敷の中へと踏み出した。
現代の中でも屋敷と呼んで相違ない家屋だ。年季は入っている方だが住めないわけじゃない。処刑人という職業ができてから刀匠の存在価値はぐんと上がった。
爺さんの屋敷が広いのも、爺さんの刀には屋敷にできるほどの腕があっただけだ。
玄関を通り、靴を脱ぎ並べてから廊下へと進む。
そろそろ帰ってきている頃だろうから、居間にいるだろうか。
ガラッ、と扉を開ける。
「……あっちか」
居間の襖を開ければ、昔からあまり変わっておらず、爺さんが昔から愛用している竹刀がある。爺さんが刀鍛冶になるならばと、剣道部に入部することを許してくれて、研鑽に励んだあの日々も懐かしい。
誰もいないところを見るに、おそらく鍛冶場にいると推測する鋼陽は踵を返す。
木造の優麗な木目はひどく気持ちを落ち着かせてくれる。
「……渋谷の空気は、やはり慣れんな」
東京にある自宅も現代的な室内だからこそ、慣れた木の香りを嗅ぐとしたら香炉から漂う香で誤魔化すしかないから面倒なのでする気にすらなれない。リフォームするのも手だろうが、実家に戻った時の安堵感が減る気がして気が進まなかったりする。
軋む床の音に安堵を抱きながら、祖父がいるであろう鍛冶場へと足を進める。
邪魔にならないよう静かに戸を横に滑らせた。
爺さん……
刀の研磨される音は、幼少時から聞き慣れたものだ。
「……来たのか、鋼陽」
「久しぶり。爺さん」
白髪頭で昔よりも華奢な体にはなったが、元気そうだ。
威圧感が滲んだ声で言う爺さんに俺は戸に肱を着きながら尋ねる。
「今日の検査結果はどうだった?」
「……体ぁ壊すとでも思ってんのか」
「年を食ったんだ、心配しないわけないだろ。いつかアンタの仕事を受け継ぐためにも、長生きはしてほしいと願うのは当然だ」
「……ふん」
爺さんは刀を研磨をするの手を止め、こちらを振り向かずに鼻を鳴らす。
……仕事の邪魔をしたと怒ってるな、これは。
「……居間にいる」
「勝手にしろ」
居間に戻った鋼陽は、ちゃぶ台の下に置かれたビニール袋を見つける。
中身は薬と検査結果の紙が同封されていた。
紙を捲ると、数値はどれも問題はないようだった。鍛冶仕事が大好きな爺さんは健康面も意識して運動も欠かせずしていると、前回の検査の話の時に永嗣さんが言っていたはずだ。
学生の頃も健康を意識した食事メニューだったのは今でも覚えている。
「……よかった」
爺さんが今でも鍛冶の仕事をしているのに安堵する。
もう、大分年を取ったのに、仕事熱心でいてくれて、俺の将来の夢になってくれて――――本当に。
『……
頭に流れ込んでくる、誰かの声がする。
段々と、年が経つにつれこの声は龍の女性だと気づいた。
「……っ、誰、なんだ。お前は、」
頭に手をやり、フラッシュバックしてくる何かの記憶に困惑する。
――忘れるな、わすれるな、ワスレルナ。
自分の声が、何度も機械的に繰り返す。
何を忘れたらいけないんだ? そもそも俺はその女のことなんて知らない……だというのに、なんだ? この胸に広がる痛みは。
なぜ会ったこともない女の声が、こんなにも胸が苦しくさせる。
胸に襲い来る激痛に胸を抑える。吐き気にも似た激怒が、どうしようもなく激高してしまう自分の激情に理解ができないでいた。
鋼陽は検査結果の紙を床に落とし胸元を抑える。
『
一人の、龍の角と尾を生やした女性。俺に何かを告げているのか唇が動く。
一瞬だけ、彼女の花緑青の瞳が見えた気がした。
血に塗れた彼女の姿が、脳裏に焼き付いている。
汚らわしい下卑た笑い声が、聞こえた気がした。
顔面に手を当てていて気が付けば、唇から呪いの言葉が漏れ出る。
「……お前だけは絶対に、俺が殺す」
鋼陽の瞳が、赤く煌めく。
自分の発した言葉の意味など理解できずに。
ただ、ただ、ただ。
俺から全てを奪ったあの男を、殺さねばという殺意が胸を占めていた。
「……、俺は、何を言って」
「がぁああああああああああああああああ!!」
「爺さん!?」
俺は急いで鍛冶場へと駆け出した。
「爺さん! どうし、」
彼が鍛えた鉄の温度から発せられる空気と似て非なる物が、頬に飛んでくる。
守るための武器を作るはずの手がだらんと床に伏している。骨ばった体躯の心の臓からは、握りつぶされた果実が地べたに零れ落ちて行くように血が飛び散っていた。
「……爺さん!!」
青年は、一人叫んでいた。
目には生気がない常闇を映している。意味など、理解したくなどなくとも見せつけられる現状が目の前にある。彼を貪っていたそれは、黒き者。暗き者。
ぼやけた輪郭は靄のごとく、その口らしきものから伝うのはまごうことなき、俺の祖父の血だ。伸びる鉤爪のごとく鋭い指先で祖父を切りつけたのだろう。彼の遺体と飛び散った血液の上で心臓を食す咀嚼音が生々しい緊張感を掻き立てる。
額を抑え、憤怒を抑え、怪物を注視する。
『……ガガ、ガガ、ガ』
「……お前が、レムレスか」
時計の歯車の軋む音よりも、獰猛な獣の歯を立てる音に似て。
兇猛な音楽を声色よりも、機械が奏でる電子音の悲鳴に似て。
矛盾する怪物の鳴き声は聞いただけで気が狂いそうになる。
『ガガガ、ガガ、ガ、ガ』
亡霊のような見た目でありながらも、確かな存在感のある獣。
靄の形をした、人々を喰らう悪しき物。
それが、レムレス……我々人類を喰らい続ける悪しき獣の名だ。
怪物は心臓を食べえると、祖父の胸元へと噛り付く。
骨も残さず食い殺すのがこの怪物たちの特徴だ。最初に心臓を味わってから、殺した人物の体を食い始める……ニュースでいくらでも見てきた光景だ。
亡骸殺し、それがこいつらの俗称でもあり蔑称でもある。
文字通り人の亡骸を食い殺す、その特徴から名付けられ死体を埋葬することができない遺族の人々の憎悪からして、その別称は相応しいと言える。
『ガガ、ガ』
既にレムレスは爺さんの心臓を喰っている。もう助からない。
知っている、知っている。この場で逃げなければ自分は死ぬと。
己という個が、絶命すると――本当に? ここで警察に連絡をしてどうにかなるのを待っていたら、このまま祖父の死体は丸ごとコイツに喰われる。
『ガガガ、ガガ、ガ』
「……っ!!」
祖父が研ぎ終えた新たな祖父の名刀とは別に、爺さんが用心で置いてある物だ。
鋼陽は距離を測りながら近くの机に置かれた刀を手に取る。
まだ、名はない刀剣だろうが爺さんの遺体のためだと思えばくだらないことなど考えていられない。剣道部で鍛え上げた構えで刀の柄を強く握る。
すぅ、と息を吸い鋭利な眼光で敵を視認する。
「この!!」
処刑人たちは武器でレムレスたちを切り殺していた。
なら祖父が作った刀ならば、あるいは――!!
「――――はぁ!!」
小中高と剣道部で鍛え上げられた瞬発力で、レムレスの頭蓋に切りかかる。
下手な油断は命取り、少しの判断を間違えては俺の死に直結する。しかし、ここで戦わなければ恩師であり恩人である彼の亡骸が食われるのは許すことなどできない。
刃で確かにレムレスの首を落とせたが、やはり靄であるからかすぐに下半身に当たる靄の部位と同化する。
「ッチ、効かないか……!!」
処刑人のように上手くレムレスを倒せない。
何が理由だ? 処刑人たちはレムレスを簡単に殺せていたじゃないか。
何が足りない? 何が……!!
『ガガ、ガガガ』
「っ!!」
思考の邪魔をしたいのか、レムレスは伸ばした鉤爪で襲い掛かってきた。
俺は刀で振り払い、横に一度刀で払ってもレムレスは爺さんの遺体から離れない。
「ッチ!」
一度、レムレスと距離を取る。
なんとか躱し切ったが、祖父の遺体を回収できないっ!!
なぜレムレスはまだ爺さんの遺体から離れない? 何か理由があるのか?
一瞬の隙を狙いレムレスは秀蔵から離れ鋼陽の眼前へと近づく。
『ガガガガガガ!』
「っち!!」
レムレスの攻撃を刀で庇ったはずが、後ろから伸びている爪までは躱せなかった。
「っ、がは!!」
レムレスの指先が再度俺の心臓めがけて切り裂く。
吐血した血と胴を裂かれた血が床に飛び散る。
刀を握っていた手が力を無くし床に倒れ込んだ。
――死んだ、な。これは。
「……はぁ、……っ、ぐっ」
意識が薄らぐ。なんとか呼吸を整えようとしても体からの血の流血を止めれない。
即死ではないが、出血量が多い。止血したくても、医療道具など持って来ているはずもないし、動かせる体力がない……万事休す、とは、よく言ったものだ。
視界が眩み、祖父の遺体の方にレムレスは戻って行く。
「……はぁ、じい、さ……っ」
こんな幕切れなら、せめてアイツと会ってから終わりたかったものだ。
――アイツ? アイツって、誰を?
永嗣さんでも、祓波でもないなら、誰に会うって言うんだ?
――彼女に、もう一度。
頭に過る、その人物の名など、俺は知らない。
せめて、本当に走馬灯ではなく実際に、本当にその人が身近にいたなら。
もしかしたら、きっと爺さんの遺体だけは守れたかもしれないのに。
「……悪い爺さん。俺の刀、見せてやりたかった」
辞世の句にしては三流の雑兵に似たセリフしか、今の俺には思いつかなかった。
眩む瞼を視界に広がっている絶望を覆い隠すためにそっと下ろした。
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