東京レムレス

絵之色

第一章 逢魔が時、開幕の時

第1話 必然の物語

 猛々しく熱が籠る玉鋼は鍛錬で大槌で叩かれ火花が飛び交う。

 冷却水で冷やされた刀身は波を打った波紋が現れる。暗く煌めく刀身に浮かび上がる白波は、まさに波紋。

 その名のごとく例えるなら大海の波を映しこませたような尊き刀。最後に仕上げとして鍛冶研ぎが施され、反りが整っていく様はさらに刀身の美麗さに息が漏れる。

 刀剣を鍛える、その過程全てに魅了されていた。

 祖父の背中は、何よりも雄弁に己の人生を刀のために費やしている刀匠その物だ。その人生を、笑う者など同業の者たちはいないほど名の知れた人でもある。


「……おう、鋼陽。来てたのか」

「……はい」


 強面で寡黙な祖父がしゃがれた声で問う。扉の横から見ていたのを気づかれ、祖父は額のタオルを外してから、ゆっくりとした足取りで向かって来る。


「刀は、好きか?」

「……はい、とても綺麗な物だと思います」

「綺麗に見えるってこたぁ、興味あんのか?」

「……まだ、未熟ですが勉強はしています」

「そうか……刀ってのはな、大切なもんを守るために鍛えられてんのが刀だ。それを忘れるなよ。人を無闇に切るのは外道のすることだ」

「はい」

「……お前、俺の孫だろうが」

「ですが、養子です」

「もう、俺ん家にいんだ。気にすることはねえ」

「しかし……」


 頭の裏をガシガシと掻いて、唸る祖父は言いづらそうに首に手を当てる。


「他人行儀つうもんはどうも苦手でな。また仕事場に来てぇならそうしろ、いいな?」

「わかり……わかった」

「おう」


 鍛冶仕事で厚くなった掌でくしゃっと自分の頭を撫でる。不器用な手つきだ。

 きっと、彼は善人なのだろう。いい人、と呼べる存在なのだろう。

 なら、それを習って生きるのも悪くはないのだろう。


 ――そう、思っていた。


 血が伝う、血が伝う、血が伝う。深紅の血が、視界に広がっている。

 零れ、零れ、零れ、落ちていく。己の唇から、吐かれる息もやっと。

 懐かしい記憶の中で目の前で祖父がだらんと鍛冶場の床で転がっている。

 心臓を喰われ俺は何もできず彼のように地に伏している。

 思い出せば思い出すほど爺さんに己が作った刀を見せれないの後悔しか抱けない。後悔だけしか、今、この胸にはない。


「……っ、爺さ、……っ!!」


 助けたかった祖父は、もう声を発することもない。

 口は痛みに絶叫したのか、開いたままだ。相当、苦しかったのだろう。

 俺も、彼を殺した怪物に心臓を喰われ骨も残さず食われるのだろう。

 青年は止めどなく溢れる血を唇から零し、胸元から裂かれた傷の痛みが悲鳴を上げる。意識が消えかけている中、知らない誰かの姿が、頭に過る。


『……鋼陽こうよう


 これは、誰の記憶だ。知らない、俺ではない、の記憶。

 綺麗な声がした。己の欲に負け黄色い声だけあげる女共の声じゃない。

 安堵する、声だった。心の底から、永遠に聞き入っていたいと願ってしまうほど、甲高くない、傍で聞いているだけで心地いい声。

 耳に馴染むその女の声は、俺の思考を捕らえて離さない。


「……誰、だ。アンタは、」


 白い袖が赤く染まり、俺の手へと己の手を重ねる女性。

 色白の肌が伝う赤い血がついた唇の口角はゆっくりと上がる。


『お前が来世でも私のことが好きだったら、また会おう――――××』


 ――お前は、誰、だ。


 大切な、人だったはずだ。忘れてはいけない……そんな、誰か。

 手を伸ばせば、届くだろうか。

 触れられるだろうか……君の手を、もう一度握れるだろうか。

 君の声をまた、この耳に聞こえるだろうか。

 君の笑顔を、この目にすることができるか。


「……はぁ、っ」


 女の手を掴もうと手を伸ばす。

 空を切るだけで、何も掴むことはない。


『ガガガ、ガ』


 虫唾が走る化け物の声より、愛おしく自分の名を呼ぶ彼女の名を、呼びたくてたまらない。


 ――思い、出せない。


 思考がゆっくりと闇に囚われていく。

 瞳の瞼の裏の闇へと囚われてしまう。

 囚われて、しまう。

 忘れてはいけない、名前のはずなんだ。

 だって、彼女は、俺にとってたった一人の、たった、一つだけの――――

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